64 最後の一人
会話を終え、伯爵の執務室を後にしようとした僕達に、伯爵が苦虫を噛み潰したような表情で声を掛けてきた。
「イーオ・・・これは忠告なんだが、マナのその姿はやめた方がいい。」
「・・・やはり、ですか。」
伯爵の発言に、僕は頷きながら同意をする。
話の最中、マナはずっとサリーナさんの姿になっていたのだけれど、終わった途端マナは何も言わずに再び姫様の姿になったのだ。
どうやら、姫様の姿がお気に入りらしい。
だが、満足そうなマナの様子とは対象的に、伯爵は眉を顰めながらマナを見つめていた。僕自身も話を聞く以前なら兎も角として、これが姫様と同じ姿である事を知ってしまったので、このままは不味いのでは無いかとは感じていたのだが、やはり間違いではなかったようだ。
「あぁ・・・。その姿では、貴族の前だと要らぬ誤解を招きかねないからね。それと、事情を知っている私達の前でなら兎も角、人前で姿を変える事も禁止だ。理由は、わかるね?」
「はい・・・。」
「・・・大変だとは思うが、頼んだよイーオ。そうだな・・・明日は、朝食の後に来てくれるかな?」
「わかりました。」
マナが僕と居たいと願った事を受け入れたのだから、その彼女が人の輪に入れるよう人について教える事は、僕の責任なんだと思う。
僕と共に彼女が行動するのであれば、人と関わらないという選択は不可能なのだから、これは僕自身の為でもある。これから先、マナが持つ知識もサリーナさん同様恐らく必要だろうし。
それに、どうせなら沢山の人と触れ合う方が、きっと楽しいと思うから。僕自身が、この街に来て沢山の人と交流を持ち人と関わる事を肯定的に捉える事ができるようになったから、そう思えたのかもしれない。
考えの押し付け・・・だとは思わなくはないけれども。
だが、マナにとっては良い事ばかりだとは限らないだろうし、以前の僕のように嫌な思いも抱くかもしれない。
だけど、彼女が僕達と共に生きたいと願うなら、知っておいて欲しいんだ。醜いものもあるかもしれないけれど、人と人が関わる事は、とても素晴らしい事なんだよって。僕自身が、なにより一番実感した事だから。
情緒面は赤ん坊に近いマナに、それらを教えて行くのは僕の力だけでは難しいだろうから、サリーナさんの力も借りないといけないだろうけど、きっとわかってくれると信じている。
そう考えながら、伯爵の忠告の後部屋に戻った僕達は、かなり遅い時間までマナに人の社会について教えているうちに、夜も明け翌朝になる。
正直かなり眠い。途中から熱が入りすぎてしまった所為か、疲労感もかなりある。
だが伯爵に呼ばれているので行かない訳にもいかず僕とマナ、サリーナさんの三人は自室での朝食の後に、再び執務室を訪れ先に中で待っていると、それから少し遅れてマーサさんが現れた。
どうやら彼女も伯爵に呼ばれていたらしいのだが、肝心の伯爵は用事があるようで、まだ姿を見せてはいない。
なので、伯爵を待つ間に僕はマーサさんへお礼を言う事にした。事前にかなりの情報を伯爵に伝えていてくれたのだから、当然だろう。
「マーサさん、色々とありがとうございます。おかげで、叔父上にマナの事を説明する手間がかなり省けました。」
「いやいや、ワタシのワガママに付き合わせるんだから、そのくらいはしないとね!・・・それより、この子、マナ・・・だよね?髪、黒いし・・・。でもなんで、ワタシより小さい女の子の姿になってるの?」
「えぇと・・・、それはですね・・・」
マーサさんに問われた僕は、昨日あった出来事をなるべく詳細に伝える。
勿論、伯爵に言われた事も含めてだ。
恐らく伯爵は、マーサさんとの約束の件だけでなく、マナがこれからも僕と行動を共にするならば、王都にも付いていくだろうと想定し、敢えて厳しい事を言ってくれたのだろうと、そう僕が感じた事も話した。
確かに姫様の姿を真似るのは、伯爵の言うように他の貴族を勘違いさせてしまうだろうし、それが原因で揉め事に発展するのは想像に難くない。例えこちらに騙す意図がなかったとしても、周りからすると関係ない話だしね。ただ、何故そうなるのかの説明をマナにするのは、かなり骨が折れたけど・・・。
時間はかかったがなんとかマナにその事を説明し終え、納得して貰う事は出来た・・・とは思う。しかし、そこで別の問題が浮上した。
どうやら、マナは本当に人の見分けがつかないらしい。
どう言う事かというと、姫様の姿で居続ける訳にいかなくなった為、何回も何回も姿を変えて貰ったのだけれど、ノアを含め5人以外になろうとすると、上手く思い描く事が出来ずに目や鼻や口がなかったり、口が裂けていたりと、もはや怪談に出てくるような姿にばかり変わってしまったのだ。
ワザとやっているのかとも思ったけれど、マナ自身はよくわかっていない様子で首を傾げていたのでワザとと言う訳ではないらしい。
しかし、サリーナさんがその姿に酷く怯えてしまい、取り乱してしまった為、これ以上試すのは断念し、仕方なく今の姿に・・・ノアの姿を借りる事になった。この姿なら、教会にある像は大人の姿だから、多分問題はないだろう。
ちなみにもう一人、見覚えのないディランと同じぐらいの身長の女の子にもなっていたけれど、どことなく雰囲気がマーサさんに似ている気がしたので、その子の姿を借りるのはマーサさんに確認してからにしようと思ったのだった。
そうして、一通りマナの今の姿についての説明をし終えると、マーサさんは事情を理解してくれたらしく、納得した表情で頷きながら同意をする。
「なるほどね。確かに、髪が黒いとはいえお姫様と同じはマズイかも・・・。」
「えぇ、他の貴族領へ行くのに、無用な揉め事を起こしたくはありませんからね。」
「・・・あたし、怖いのは本当にダメなので、もう二度とあんなのは見たくないです・・・。」
サリーナさんは昨晩の光景を思い出したのか、青ざめた表情で身震いをしている。まぁ、無理もないかな。
「知らず知らずのうちに旦那様にご迷惑をお掛けしていたようですから、わたしはもう少し他に目を向けなければならないといけませんね。」
「まー、そのうち慣れるよ。ワタシも協力するし!・・・ねぇ、それより、ワタシに似てる女の子・・・って、どんな姿だったの?」
そうだった。あの女の子の姿がマーサさんにどことなく似ている事も気になるんだよな。
何故ここまで気になるのかについては、マナが知っていたと言う事は恐らく、その子を昔の僕が知っているからなのだろうけれど・・・。
もしかすると、マーサさんの親類に最後の一人が居るのかもしれないって、少し期待しているから、というのもあるのかもしれない。会えるなら、会ってみたいし。
「マナ、お願いできる?」
「かしこまりました。お母様の前でしたら、旦那様との約束も破った事にはならないでしょうし、構いません。」
僕のお願いにマナはそう答えると、また淡く光りを放ちながら姿を変え始めた。
「ワタシに似てる・・・か。まさか・・・ね。」
「マーサさん?何か言いましたか?」
「いや、なんでもないよ!それより、何度見ても不思議な光景だね。」
「え、えぇ、昨日散々見ましたけど、僕もそう思いますよ。」
どうかしたのだろうか?マーサさんの表情がいつもと違う?絶えずニコニコしている事が多い彼女が、一瞬憂うような表情を浮かべているように見えたけれど・・・。
そうこうしている内に、マナを包んでいた光が収まり、その姿があらわになる。
髪は短く、背も低いのだが、ディランやサリーナさんとは違いやや垂れ目がちで、背の低い女の子だ。なのにある部分だけは、サリーナさん並みに自己主張が激しく、マナが好む夏用の服装の所為で、余計に目のやり場に困る。
「やっぱり・・・。」
「やっぱりって・・・。この子の事を知っているんですか?」
「うん。よく知ってるよ。ワタシの娘・・・マホだね。しかも、ついこの間会ってきた時とそんなに変わらない姿・・・かな?こんなに胸は大きくないけど・・・。」
マーサさんの答えに、正直僕は驚きを隠せなかった。
まさか、これから会いに行こうとしている女の子が、昔の僕と共にいた最後の一人だったなんて・・・。
「イーオやマナ達の話を信じた事と、この子の事は実のところ無関係じゃないんだよ。」
呆然としている僕とサリーナさんを他所に、マーサさんはゆっくりと語り始めた。