59 僕の成すべき事 1
あの出来事から一週間が経過したのだが、父は未だに目覚めてはいない。
あの子曰く、彼女の身体を構成する微小な機械の影響が脳にまで及んでいる為なのだそうだ。
「おはよう、父さん。」
朝食の用意をする二人の声が聞こえる中、自室のベッドに横たわる父に朝の挨拶をする。
「昨日叔父上から手紙が届いたんだ。もう何日かすると迎えの馬車が来るそうだよ。父さんは此処に居たいかもしれないけれど、身体の事を考えるとそうも言って居られないからね。」
あの後、何とか父を洞窟から村にある僕達の家にまで運びこみ、キランさん達と共にあの子から事情を聞き出す事となった。
何者なのか、何故あの場所に居たのかやその目的、そして父はどうなるのか等色々だ。
曰く、父は今の状態だと細胞と同化している機械達の影響で、食事や補水をしなくても数ヶ月ぐらいなら生命の維持はなんとかなるそうだが、どうすればその影響を取り除く事が出来るのかはわからないらしい。
「ごめんなさい、父さん・・・。あの時、僕が先走ったばっかりに・・・。」
「もうやめなよイーオ。キミのせいじゃないよ。」
「マーサさん・・・。でも・・・。」
「あの子が言ってたよね?キースがあの時ああしてなければ、あの場にいたワタシ達は死んでいたかもしれないって。それに、望みはあるんでしょ?」
「それは・・・。」
あの子が言うには、作成した者ならば、細胞と同化した機械達・・・ナノマシンと彼女は呼んでいたが、その影響を無効化できるかもしれないそうだ。
そして、それらを作った者は僕達の言う神様、らしい。
つまり・・・ノアだ。
あの子の口から語られた事は、街に行く以前の僕であればにわかには信じ難いものだっただろう。
事実、その話を聞いていた僕とサリーナさんとアル、それとマーサさん以外はあの子の話を信じようとはせず、キランさんやトマスさん、ニールさん達は別の手段を探すと言い、僕達を残し自らを伝令として団員達を連れ翌日には村を後にした。多分、シュウさんに相談するつもりなのだと思う。
キランさん達が父を連れていかなかったのは、以前僕が運ばれた時のような人を乗せる為の馬車がなかったからと言うのもあるが、僕やマーサさんを気遣い休ませる為でもあるようだ。
そう思われたとしても仕方がないだろう。だって、御伽噺に出てくる神様が実在する等、まともな神経であれば与太話にしか聞こえない。そして、その話を信じようとしている僕達を見て、まだ気が動転しているのだと判断するのは当然だ。
「なら、いつまでもウジウジしてちゃダメだよ。そんな調子だと、キースに怒られちゃうよ?」
「・・・マーサさんは、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」
今、一番辛いのはマーサさんの筈なのに、何故穏やかな表情でいられるのか分からなかったので、僕は思わず彼女に問いかけた。
「キースがこうなった時、確かに取り乱しはしたよ。でもキミとあの子の話を聞いて、希望はあるんだってわかったから。他にも理由はあるけど・・・一番は・・・娘がいるって・・・前に言ったよね?」
「え?えぇ、以前言ってましたね。」
確かにその話は聞いた事があるけれど、それとマーサさんが落ち着いていられる事に何か関係があるのだろうか?
「一緒には暮らして居ないんだけどね・・・。キースを助ける事が出来たなら、きっとワタシの娘も・・・マホも助ける事が出来るかもしれないって・・・。そう気付いたから、かな。」
「どういう事ですか?」
僕が聞き返すと、彼女は悲しそうに表情を歪め、やや間を置いてから僕に尋ねる。
「・・・ねぇ、イーオ?ヒトが黒化すると、どうなると思う?」
「あの獣達と同じようになるのでは?」
「うん。殆どの場合、すぐにそうなるね。」
「・・・殆どの、場合?」
「キミなら、わかる、よね?」
僕が聞き返した言葉に、マーサさんは言いづらそうにしつつ僕を見上げる。その様子に彼女が何を言いたいのか、理解した。
キランさん達が話を聞く事を切り上げ、撤収の準備をする為にこの家を出て行った後、あの子の口から語られた僕の身体に関する事実に、その場にいた誰もが驚きを隠せなかった。
どうやら、僕の身体の中にはあの子が言う極小の機械達が多数存在しているらしい。
だが、僕は黒化していないし、死んでもいない。
黒化の原因があの子の言う機械達なのであれば、僕が黒化していないのはおかしな話だと思う。だが、それについてはあの子もわからないらしく、もしかすると僕が持っているお守りがその鍵を握っているのかもしれないとの事だった。
そして、僕の体内に機械達が存在している事であの子が機械達を制御出来なくなり、暴走に至った最大の理由だろうとも言っていた。
暴走した機械達を制御しようとしている際、機械達の命令権限が付与されている僕を取り込もうとしている意思のようなモノを感じたらしい。
何故、僕にその権限がある事がわかったのかは説明が難しいようだが、どうも僕の近くにいると従わなければいけないという強制力のようなモノが働くそうで、それでわかるのだそうだ。あの子が何を言いたいのかサッパリ分からなかったが、そこは大して重要ではない気がしたのでそれ以上は聞かなかった。
寧ろ、その僕を取り込もうとした意思の方が問題な気がする。あの子はわからないとは言っていたが、ひょっとすると、心当たりがあるのではないだろうか?
なぜなら、そう語るあの子の顔が、何かに気付いたように酷く青ざめていたからだ。
「ワタシの娘はね・・・。黒化してるんだよ。」
「そんな・・・。」
「全身、ではないからちゃんと生きているよ。伯爵様やの招集の前にも逢いに行ってたから。・・・マホを見つけたのは、偶然なんだ。何年か前に、黒化した獣の討伐をする事になったんだけど、その時に出会ったんだよ。」
「その獣って・・・もしかして・・・。」
この話の流れからすると、恐らくは・・・。
「うん。イーオの想像した通り・・・ヒト、だった。指示書にあった獣は二体だったんだけど、現場に辿り着いたワタシの前に居たのは、母親と子供だったんだよ。」
「何処からそんな依頼が?」
「それがね・・・。幾ら調べてもわからなかったんだ。」
「えっ?」
「巧妙に隠されていたみたいでね・・・。ニールに頼めば調べられたかもしれないけど、友達を巻き込む訳にはいかないでしょ?」
そう語るマーサさんの口調は、諦めのような感情が篭っているように感じる。もしかすると、身分の高い人間が関わっているのか・・・?
これはひょっとしなくても、以前推測していた人体実験が既に行われていた、と言う事なのだろう。
「今はそんな事どうでもいいから話を戻すね。母親の方はね、大分黒化が進行していて、辛うじて会話が出来たけれど・・・。あのままじゃ、どうしようも・・・なかったんだよ・・・。」
「マーサさん・・・。」
泣きそうな顔をしながら後悔の籠った呟きを漏らすマーサさんに、その母親がどうなったのかを薄々ではあるが感じ、僕は言葉に詰まる。
「彼女の最後の願いはね・・・、マホを似たような境遇の人達が集まる隠れ里に連れて行く事だったんだ。だから、ワタシはその願いを聞き届けた。依頼は完遂した事にして、ワタシ一人でマホを隠れ里に連れて行ったんだよ。母親から場所を記した手紙を預かって居たから、難しくはなかったよ。幸い、依頼はワタシ一人でこなすように指示されていたからね。」
「どうして、マーサさん一人で?危険だとは思わなかったんですか?」
「ワタシが獣を憎んでいるから、じゃないかな?後、戦闘能力も理由だと思う。秘密裏に処理するには、傭兵時代に悪名を響かせたワタシは都合がよかったんだよ。失敗しても、後腐れが無いとでも考えたんだと思う。それに彼女、脱走する時に相当な人数を殺したって言ってたし、命令を下した連中には相手が出来なかったんだとも思うよ。自分で言うのもなんだけど、キースに会うまでは親以外に負けた事なんてなかったからね。出会った時、ワタシもかなり危なかったもん。」
脱走・・・。やはり、そうなのか・・・。
マーサさんの過去も気にはなるが、余りそこには触れてほしくは無い様子だから、今はやめておこう。
「・・・聞かないでくれて、ありがと。イーオには、いつか話すから・・・。じゃないと、母親だって、胸張って言えないもん。キースが起きるまでには・・・きっと・・・。」
「・・・はい。」
そう告げるマーサさんの表情は、恐怖の色がハッキリと見て取れた。先程、悪名と彼女はそう言った。パッと見た感じ可憐な少女にしか見えないマーサさんには不釣り合いだと思える言葉だが、今の会話の流れで冗談で言っているのでは無い事ぐらいはわかる。
「それで、何だっけ・・・?そうそう、マホを連れて行った先でワタシが聞いたのは、黒化した人達の末路だったんだ。」
「末路って・・・。」
「うん・・・。黒化は徐々に身体を蝕んでいく。痛みはないみたいだけど、自分が意思を持たない獣に塗り潰されていくのがわかるんだって。人によってその速度には差がかなりあるみたいで、脱走するような人達は相当遅い部類だそうだよ。大体はすぐ獣になっちゃうらしいから。」
それは、どれほどの恐怖なのだろうか・・・?
自分が自分じゃないものに置き換わっていくなんて、発狂しても不思議じゃないと思う。
それなのに、マーサさんにその話をしたと言う事は、少なくともその人達は自分を保ち続けているという事だ。
「マホもね・・・、それを受け入れているみたいだったんだ。仕方がないんだって、そう・・・言ったんだよ・・・。まだ、10歳ぐらいの女の子が、だよ?」
なんだろう・・・。胸が凄くザワザワとする。
居ても立っても居られないような、今すぐにでも僕は何かをしなければならないような・・・。そんな衝動がマーサさんの話を聞いた為か湧いてくる。
「・・・ワタシも、イーオと似たような思いを抱いたんだ。ワタシのしてきた事を思うと、何を今更って感じなんだけれど・・・。その時のワタシはどうしても我慢出来なくて、マホを自分の娘にしようって、そう決めたんだ。」
「何故、ですか?」
「親なら、自分の子供を守るのが当たり前、でしょ?ワタシがそうして貰ったように、キースがそうしたように、その時のワタシもこの子を守らないとって、そう強く感じたんだよ。ワタシがマホの母親をその手にかけたのに、都合が良すぎるとは思う・・・。ただ、ワタシは免罪符が欲しかっただけなのかもしれない。・・・だけど、ワタシはそうしたいって願ったんだよ。」
「マホちゃんのお母さんが望んでそうしたのなら、マーサさんの所為ではないですよ。」
恐らく、理由は色々あるだろうが、その母親は自らマーサさんに自分の命を奪うよう頼んだのではないだろうか?
マーサさんの口振りからすると、それは恐らく間違いでは無いように思う。
慰めにもならないかもしれないが、自分が感じた事を口にすると、マーサさんは少し驚いたような表情をした後、少しの間押し黙った。その口元は真横に結ばれており、微かに震えている所を見ると、多分泣きだすのを必死に堪えているのだろう。
気付けば、食事の用意をする二人の声は聞こえなくなっていたので、もしかしたら二人も聞いているのかもしれないが、マーサさんはそれを承知したような様子で寂しそうに笑いながら口を開いた。
「マホも、似たような事を、言ってたよ。あんなに小さな子供だったのにね・・・。ねぇ、イーオ・・・。お願いが、あるんだ。」
「何でしょう?」
「マホを・・・助けてあげてくれない、かな?勿論、キースも・・・。それに、あの隠れ里の人達も皆・・・。キミの力で、助けてあげて、くれないかな・・・?」
「僕にそんな事が出来るんでしょうか・・・?」
マーサさんの言う助けるとは、きっと黒化の進行を止めるような対処療法ではなく、根本的な解決の事なのだと感じ、僕は浮かんだ疑問を口にする。
無論、こんな話を聞いたのだから、隠れ里に行き黒化の進行を止める事はするつもりだ。だが、その根本的な解決となると、難しい。
何故なら、ノアに会うだけでは、新たに黒化した人を生み出さない事までは出来ないだろうから。そして、そこには一体どれだけの悪意が潜んでいるのか僕には予想がつかなくて、簡単に出来るとは口が裂けても言えなかったからだ。
「貴方になら、出来るのではないでしょうか?」
疑問を口にした後そう思い悩む僕の前に、まだ春になったばかりだと言うのに黒い半袖のワンピースを纏い、その御髪までもが漆黒の女性が現れた。




