49 葛藤
「アル・・・これって・・・。」
「あぁ、あの時と同じだ。」
幾らまだ寒く雪が残っているとはいえ、森の中がここまで静かになるなんて事はあり得ないだろう。この森には、冬眠中の虫等を捕食する冬鳥なんかもいたはずだし、今日のように天気も良く少し気温も上がれば、活動を始めた虫を狙う小鳥がいても不思議はない。
だが。1時間以上も森を進んでいるのに未だ囀りすら聞こえてはこなかった。
「本格的に春が訪れる前なら獣の数は少ないって聞いていたけど、まさか・・・増えている・・・とか?」
「いや、そんな事は無い筈だ。ここ数日も、偵察部隊に確認はさせていて、昨日も黒化した獣の数自体には、変化はないと報告も受けている。君達の考えすぎではないか?」
僕とアルの会話を聞いていたキランさんがそう告げるのだが、それでも僕の中に生まれた不安の芽を払拭する事は出来ない。初めてあの獣と対峙した時の恐怖が、まだ僕の脳裏にしっかりと刻み込まれている為なのだろう。
「ですが・・・。」
「どの道獣が居たとして、討伐する事には変わりないのだ。今は進むしかあるまい?イーオ、直接相対したお前の気持ちもわからなくはないが、討伐部隊の中核であるお前やアルがその調子では、共に行動するタイロン達にも不安が伝播してしまう。状況証拠や憶測だけで物を語るべきではない。」
キランさんの言葉に、思わず不安がこもった言葉を言いかけると、父はそれを遮り眉を潜めながら苦言を呈する。
・・・確かに、僕がこんな調子では共に肩を並べて戦うタイロンさん達にまで迷惑をかけてしまうだろう。父だって獣のせいで足を失ったにも関わらず、そんな素振りを見せていないのだから、僕だけが怯えるのはよくない。
今タイロンさん達は隊列の後方を守っている為に聞かれては居ないが、もし聞いていたらどう感じただろうか。
「・・・はい。」
「だが、イーオ君。今のキミならば、どうすれば黒化した獣の活動を止められるかは知っているだろう?加えて、これだけの人数であれば、数匹が現れた所で被害もなく無力化出来る。楽観的なのも良くは無いが、過度に怯える必要も無い。」
父の言葉で僕は思わず俯くのだが、そんな僕を見てキランさんは苦笑しつつ不安を和らげるように穏やかな口調でそう告げた。
「わかりました。念のため確認をしますが確か、心臓付近にある核となっている石を取り出せばいいのですよね?」
「そうだ。黒化してしまった生き物は、肉体自体は死んでしまっている状態だから、手加減は要らない。鉱石の力を使い手足を潰し、機動力を削いでしまえば、後はトドメを刺すだけだ。まぁ、・・・今のキミであれば、一人でも容易いだろうがな。」
「僕一人でも、ですか?」
「いちおー言っておくけど、ワタシ一人でも多少時間はかかるけど然程苦労しないで出来るんだから、イーオに出来ない筈はないよ。まー、ワタシ達は洞窟に突入する部隊の護衛も兼ねてるんだから、その辺りにいる獣は任せてくれたらいいよ!」
「以前は知らない状態で対峙したのだから、その時を思い出し不安を覚えたとて仕方ないだろう。だが、今は一人ではなく、私達もいる。」
「・・・はい!」
そう励ますように告げるマーサさんとキランさんの言葉が物凄く頼もしく感じて、僕の心も奮い立ち、力強く返事を返す事が出来た。
そんな僕の返事に二人は満足そうに頷くと、マーサさんは父へ視線を向け、やや表情を曇らせながら話しかける。
「でもさー、キースはちょっとイーオに厳しすぎかな。幾ら不器用だからって言い方がキツ過ぎるよ。そんなんじゃ、イーオが萎縮しちゃうでしょ。」
「だが・・・。私はもう・・・。」
「事情は知ってるよ?だからって、一緒に暮らしていた事実までは変わらないんだよ!」
「言ってやるなマーサ。キースは今、必死に子離れをしようとしている最中なのだから、私達でイーオを勇気付けてやればいいだろう?」
「そうなんだけどさぁ・・・。絶対やり方間違えてるよ。」
「まぁまぁ・・・キースが頑固なのは、今に始まった事ではない。イーオもそれはわかっているだろうから、外野がともかく言うものでもあるまいよ?」
「ワタシは外野じゃありませんー!キースの子供なら、ワタシの子供でもあるんですぅー!」
「ははは!違いない!」
「お前達は・・・、進軍中なのだから、少しは緊張感を持て・・・。」
大声で話す二人に父は恥ずかしくなったのか、キランさんとマーサさんに弱々しく注意するのだが、二人はそんな父を無視するかのように、湖へ到着するまで掛け合いを続けていた。
「貴方達、隊列の中程にいた私達にまで聞こえていましたよ。少しは控えなさい。キラン、貴方は今騎士団長なのでしょう?マーサも同様です!キースはキースで、何故二人を止めないのですか!少しは大人になったかと思いましたが、20年以上何も変わってないではありませんか!」
「兄さん、もうその辺で・・・。」
「いいえ、士気にも関わりますから、ハッキリと言わせて頂きます!緊張感が無さすぎるんですよ!大体・・・。」
隊が湖に到着して早々、父達三人は先日応援として駆けつけたニールさんから説教をされていた。弟のトマスさんがそれを諫めているのだが、小言はまだまだ続くらしい。
行軍の間、この二人は隊列の中程で側面からの襲撃を警戒していたのだが、マーサさんとキランさんの会話は森が静かだった為か相当響いていたらしく、無事到着した途端三人に詰め寄ってきたのだ。
まぁ、仕方ないと思うよ?
途中でマーサさんは、赤ちゃんが欲しいとか言っていたからね。
聞いてた僕達も恥ずかしくなったぐらいだもの。
「やれやれ・・・。兄さんはああなると、気が済むまで止まらないからなぁ。イーオ君、だっけ?キミも大変だね。」
離れて見ていた僕に、トマスさんは止める事を諦めた様子でこちらに近づき、話しかけてきた。
「昔からあんな感じなのですか?」
「うん。大体マーサとキランが騒いで、キースがそれを止められなくて、兄さんに叱られるってのが、よくある光景だったね。いやぁ、懐かしい。」
「そうなんですか・・・。」
「マーサが居なければ、基本ああはならないんだけど・・・。それより、キミ達の所の団員から聞いたんだけど、イーオ君はキランに勝ったって本当かい?」
「え、えぇ・・・まぁ・・・。」
「それは、凄いな。あのキランに勝つなんて・・・。キランは手合わせじゃ絶対に手は抜かないから、キミに花を持たせるなんてしないだろう。偶にうちの騎士団にも指導に来てもらっているくらい有名な剣士だし、無論僕や兄さんよりも強いのだけど・・・。これは今のうちに勧誘しておかないといけないね。どうだい?うちの騎士団に来ないかい?」
「えぇと・・・それは・・・。」
突然の勧誘を受け僕は思わず困惑してしまう。この人が副団長だとは聞いていたけれど、まさかいきなり直球でくるとは思っても見なかったからだ。
余りそういった経験も無い為、どう断ったらいいのか返答に困っていると、父がいつの間にか説教から逃れこちらに来ていたらしく、僕に助け船を出してくれる。
「トマス、イーオは兄上の子だから、ゆくゆくはこの領地を治める事になるんだ。そう説明しただろう?」
「あらら、キースに聞かれちゃったか。いやー、有望な若者を見るとつい勧誘したくなるんだよね。うーん・・・、キミならうちのお転婆な領主の娘も気にいると思うし、悪くない話だとは思うんだけど。一度、遊びに来ない?確か18だよねキミ。」
「いえ、17です。」
「これは失礼。そうなるとお嬢さんの一つ下か。まぁ大丈夫かな。」
「・・・どうなるか簡単に予想が付くから、やめておいた方がいいな。」
トマスさんの発言を聞いた父は、何故か僕に不信感の籠もった視線を向ける。
・・・言いたい事はわかるけれど、流石にそれは考えすぎなのではないでしょうか?
「うーん?よくわかんないけど、一度他の騎士団をみておくのも悪くないと思うよ?」
「・・・まぁ、流石にこれ以上は無いと思ってはいるが・・・。しかし、そういう話はまず兄上にするべきだろう。私には、その権利等ないからな。」
父の突き放した言い方に、思わず僕の胸が痛む。
でも、これは仕方のない事、なんだ。そう、わかってるのに・・・。
少し気不味い沈黙が流れた後、トマスさんが口を開く。
「・・・わかった。それより、何か用があってこっちに来たんじゃないのかい?」
「あぁ・・・。これより、会議をするので二人も来るように伝えに来たのだ。」
「はい。今行きます。」「わかったよ。」
後ろを振り向いてそう告げる父に、僕は気を取り直して返事を返し、その後に続く。
父の背中に着いて行く途中、硬く握り締められた拳に気付いたけれど、僕は言葉をかける事が出来なかった。




