46 嵐の前に
練兵場へと戻ると、人垣と来賓の席によって四角く囲まれた空間が出来上がっていて、来賓席からは会話の声が聞こえはするものの、団員達からは中央に佇むキランさんが醸し出す雰囲気の為か、話声は聞こえては来ない。その光景に僕は思わず立ち止まり、息を飲む。
規律だから、ではないだろう。キランさん自身が、自分より僕の方が強いと発言した件について、それが事実かはさておき、団員達も知っている。
その為か、僕の訓練の光景は色々な団員から注視されており、実のところ少し居心地が悪かった。陰口は叩かれてはいないようではあったが、その視線に込められた感情は決していい物だけではなかったように感じていたから。
僕は意を決して歩を進めると、人垣に近づくにつれキランさんが腕を組み目蓋を閉じているのが判る。その佇まいは堂々としており、彼が歴戦の強者である事を物語っていた。
幸い僕が通れるようにと間に道が用意されていて、そちらから整えられた舞台に上がり中央へと近づいていくと、僕が現れた事で先程まで聞こえていた来賓の話声すらも消え、練兵場に静寂が訪れる。
そんな中で、やや緊張しながらも向かい合うように立つと、僕が目の前にやって来た事を足音で察していたと思われるキランさんはゆっくりと目を開け、こちらを真っ直ぐに見据えて、口を開く。
「・・・遅かったな。何か、あったのか?」
「いえ、少し着替えるのに手間取っただけです。遅れてしまい、申し訳ありませんでした。」
「いや、構わないさ。だが、私との手合わせの間も、考え事をし続けるような真似はやめてくれ。本気のキミで無ければ、意味がないからな。」
まぁ、そう言われても仕方が無いとは思う。でも、剣を取るとなれば、僕も10年以上父からの教えを受けていたので、頭を切り替える事ぐらいは容易い。
「はい、わかっています。父さんにも、剣を振るう時は余計な思考で判断を鈍らせるなと、きつく言われ続けていましたから。」
「そうか。」
ニヤリと笑いながら短く返すキランさんは、少し嬉しそうにも見えた。僕も先程までは色々と考え事をしていた筈なのに、こうして剣を携え向き合うと、段々と頭の中も澄んでいき、不思議な高揚感すら湧いてくる。
多分、この人も似たような感覚が湧いているのだろう。だから、笑ったんだ。
剣士として、僕を認めてくれているからこそ、なんだろうな。なら、僕が今出来る事の全てを示さなければ。
「お二人とも準備は宜しいですか?」
そうして向き合いながら言葉を交わしていると、ファンさんが近づいてきて、僕達の用意が整っているかの確認をしてきた。
「はい。」
「あぁ。」
頷きながら短く答え、ゆっくりと剣を抜き、軽く振って握りを確かめてから、改めて正面を向いて正眼に構える。
・・・うん、大丈夫だ。問題ない。
キランさんも似たような動作で構え、ファンさんを見て軽く頷き、僕達それぞれが構えた事を確認した副団長は少し距離を取ってから、声を上げた。
「それでは・・・、始めっ!」
開始の合図と共に、キランさんは一気に距離を詰め、なぎ払いを放つ。まずは様子見のつもりなのだろう。
それならばと、僕も前に出つつ速度が乗る前にその攻撃を受け止める。お互いの剣が交わった瞬間、甲高い金属音が辺りに鳴り響いた。
初撃を簡単に受け止められたキランさんは、すぐ様剣を引き數歩下がり、その際の反動から溜めを作って僕の喉元に目掛け突きを繰り出す。放たれた突きは、アルが見せたものと同じ動きではあるのだが、その精度と速度は段違いだ。
その剣撃からも、本気で僕を倒そうとしている事が伝わってくるが、ここ最近のマーサさんとの稽古で速い動きに目が慣れていた僕は、懐に飛び込みながら一撃必殺の技を躱しつつ、潜り込んだ際の勢いをそのまま利用しキランさんの胴へ向けて肩で体当たりを仕掛けると、お互いの力が合わさった事でかなり威力が出たらしく、くぐもった声と共にキランさんは後退した。
「・・・マーサが、教えていただけの事は、あるな。」
余程効いたようで、顔を顰め鳩尾の辺りを押さえながらもこちらを見据え、キランさんはそう呟く。
攻めるなら、今しかない。
相手の様子からそう感じた僕は、剣を下に構え一気に距離を詰め、武器を狙い全力で切り上げた瞬間、何かが衝突したような大きく鈍い金属音が聞こえ、直後にキランさんは背中から地面に倒れる。
僕が詰めてくる事自体は解ってはいたようだが、やはり先程の体当たりが相当効いたために反応が遅れた上踏ん張りが効かず、更には武器を弾かれたのに手放す事がなかった所為で、余計に体勢を大きく崩し転倒したのだろう。
顔を先程よりも険しくしながらも、慌てて立ち上がろうとした所で、眼前に剣を突きつけられ、キランさんは満足そうな表情になりながら、自らの敗北を受け入れ、瞳を閉じる。
「・・・私の、負け、だな。」
そう呟いて地面に大の字を描くと、それを見ていたファンさんにより僕の勝利が告げられたのだが、辺りはシーンと鎮まり返ったままだった。
騎士団長が負けてしまったのだ。そうなるのも無理はない。
周りの人達を見渡すと、伯爵や父は当然と言った表情で、アルやリズ、マーサさんやサリーナさん達は嬉しそうな表情で僕を見ている。それ以外の人達は、驚きを隠せないでいるようだ。
しかし・・・じっと見られているのも、居心地が悪いけれど逃げる訳にもいかない・・・のだが、こんなにも沢山の視線に晒される事に慣れていない僕は、段々と耐えられなくなり思わず謝りそうになってしまった所で、誰かの拍手の音が静寂を破る。
誰が拍手をしたのだろうかと確かめる為に振り向くと、その正体はなんとマキだった。そして、彼女が拍手の音につられたのか、後に続くように至る所から拍手の音が鳴り始め、やがてそれは団員達にも広がり、しまいには歓声までもが聞こえ始めたのだが、沢山の人から称賛された事なんて、今まで一度もなかった僕は、自分の顔が徐々に熱くなっていくのを感じ、つい俯いてしまった。
少しの間どうしたらいいのかもわからず俯き立ち竦んでいいると、突然僕の腕が誰かに掴まれた為、驚き顔を上げ、その人物を確認する。するとそこには、先程まで寝そべっていた筈のキランさんが、まだ身体が痛むのか苦しそうに眉を潜めながらも立っており、視線が合うとニヤリとして口角を上げ、掴んでいた僕の腕を上に掲げた。その瞬間、会場はより一層大きな歓声に包まれ、僕はますます恥ずかしくなる。
そんな僕の様子を見てキランさんが、人々の声にかき消されないよう、僕に顔を寄せ告げた。
「勝者が下を向くものではない。寧ろ、誇るべきだ。」
「ですが・・・。」
「相手を貶せと言っているのではないさ。こういう時は、自ら拳を突き上げ声援に応えるくらいはしなければ、見ている側も困るだろう?」
「・・・覚えておきます。ですが、そんな機会はもう無いとは思いますよ?」
「それは、どうだろう?・・・だが、次はこうもあっさりと負けないようにしないとな。」
「出来たら、人が少ない場所でお願いします・・・。」
「考えておこう。」
あれ?よくよく考えるとこれは、再戦を挑まれ、それを受け入れたと捉えられるのでは?・・・まぁ、いいか。今はそれより、この状況がどうやったら収まるのかの方が問題だよ。
だが、そんな僕の思いとは裏腹に、伯爵が口を開くまでこの状況は続いていた。
・・・人目に晒されるのは苦手、だな。でも、沢山の人に認められたみたいで、少し嬉しい。
その後、伯爵により閉会が宣言され、後片付けは団員に任せて、僕は荷物を取りに館へと戻った。それから、あらかじめ準備を整えていた荷物を馬車へと詰め込んだので、出発までの短い時間でリズ達とマキを引き合わせないといけない。
そう思いリズの部屋を訪れたのだが、扉をノックする直前で中から話声が聞こえてきた。
「マキ様、お兄様の勇姿は如何でしたか?」
・・・どうやら、既にリズは動いていてくれたらしく、マキを自分の部屋へ招き、談笑しているようだ。
あれから、そんなに時間ぎ経って居ないのにもう行動している彼女には、後で感謝を伝えなければいけないな。
だが、今は会話の邪魔をするのも悪いので、その場から立ち去り、玄関へと向かった。
これで、今やれる事は終わらせられたと思う。
僕は、僕に出来る事を一つずつこなしていこう。そうすれば、いつか必ず僕の出自についてだけではなく、ノアの元にたどり着く事が出来る。
なんとなくだけど、そう確信出来た。根拠はないけどね。