17 リゼット
何故、リズがここで寝ているのだろうか?
この状況をサリーナさんに確認するためにも、彼女を起こさなければ。
そう考え、リズやアルまで起こさないように気をつけながら、小さな声で彼女を呼びつつ揺さぶっていると、短い吐息の後、彼女は上体を起こす。
しかし、サリーナさんはまだ寝ぼけているようで、辺りを見回すようにゆっくりと顔を左右に向けたのだが、その後すぐにベッドにもたれかかり、再び寝息を立て始める。
だが、一度目を覚ました事で僕を掴む力は弱まったので、彼女の手を僕の腕からそっと外した。
今のうちに、トイレは済ませておこう。状況を説明してもらうのは、朝になってからでも遅くはない。僕は、二人を起こさないようにゆっくりとベッドから降りると部屋を後にした。
11月も終わりに近づいているからか、夜はかなり冷え込む。伯爵領はこの国で最北に位置するため、本格的な冬が訪れるとかなりの雪が積もるのだ。
「もう時期、雪が降るのかもしれないな。」
トイレを済ませ、庭園の方へとやってきた僕は月を眺めながらそんな言葉を呟く。
僕のベッドには、リズやサリーナさんが寝ているから何となく戻り辛いために、この場所へと足を向けたんだ。
それにしても、夢の内容が変わったのは何故なんだろう?
今までは女の子が何かを言っているだけの不思議な夢かと考えていたけれど、あの様子だと恐らく彼女と会話をしていたのだと思う。
そして会話の内容から、恐らくは今際の際、なのだろうな。
生まれかわりがどうとか言っていたから。
僕自身に勿論そんな経験があるはずもないから、僕の前世の夢なのだろうか?
そうだったとして、神様の名前を知った事が切欠で夢が変化したのであれば、あの女の子が・・・まさか神様?
いや、流石にこんな考えは馬鹿げている。御伽噺から勝手に僕の脳が作り出した妄想だろう。夢をどうして見るのかの仕組みは既に解明されており、なにかの本で読んで僕もそのくらいは知っていた。多分、父の医療関連の蔵書だったと思う。
故に今までは、また見たのかと思い不思議には思っていたのだが。今回の夢に関しては妄想では片付けられないくらい鮮明で・・・、思い出すだけで泣きそうな程に苦しくなる。
「イーオ?こんな所で真夜中にどうしたんだい?身体はもう大丈夫なのかい?」
物思いに耽っていたため、突然誰かに声をかけられた事でかなり驚き、思わず小さな悲鳴を漏らしてしまう。
「すまない、そんなに驚くとは思わなかった。執務室からキミが歩く姿が見えたものだから、目を覚ましたのだと気付いてね。様子を聞きにきたのだが、何か考え事をしていたようだね。」
申し訳なさそうに謝る声が伯爵のものだと気付き、声の方向に振り向くと、心配そうに僕を見る伯爵が立っていた。
「叔父上・・・。いえ、大した事ではありません。それより、またご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。」
「謝罪は私ではなく、リズとあの娘にするべきだよ。私は何もしていない。倒れたと聞いて心配はしていたがね。・・・それより、どうして倒れたのかは覚えているかい?」
「はい、二人が起きたら謝っておきます。倒れた理由は・・・恐らく、ですが神様の名前を聞いたから、だと思います。聞いた直後に酷い目眩に襲われたので・・・。」
「なるほど、な。それで、何か気付いた事とかはあるかな?」
ん?伯爵は何故そんな事を聞くのだろう?
「いえ、それくらいですが・・・。神様の名前を聞くと、無性に心がざわつきはしますが、特に何かに気付いたとかはありませんね。」
「そうか、わかった。・・・これはどう捉えたらいいのだろうな。手紙を出して確認してみるか。」
僕の返答に、伯爵は真剣な表情で呟く。誰に宛てて手紙を認めるのだろう?
「手紙、ですか?」
「あぁ済まない、こちらの話だ。それより、夜は冷えるから考え事も程々にして、ゆっくり休んだ方がいい。」
「はい。・・・ですが、その・・・。」
「どうかしたのかな?」
「いえ、用を足すために起きたのですが、リズとサリーナさんが部屋で寝ているので、戻りづらくて・・・。」
「あぁ・・・。」
事情を話すと、伯爵は困った表情になりながらも納得した様子だ。
「二人共キミが目を覚ますまで、側に居ると言って聞かなかったからな。仕方がないので、私が許可したんだよ。だから、イーオは気にしなくていいから戻りなさい。」
「わかりました。では叔父上、失礼します。おやすみなさい。」
「あぁ、おやすみ。」
伯爵が知っているなら大丈夫かと思い、挨拶をしてから館へと戻る。すると、玄関から入ってすぐに、慌てた様子でサリーナさんとリズがこちらへかけ寄ってきた。
「イーオさん!」「お兄様!」
「あれ?二人とも目を覚ましたんだね。」
「そんな事はいいので、早くベッドに戻ってください!」
「そうですわ!お話は後で伺いますので、とにかく今はお休みになりませんと!」
「いや、身体は何ともないから、大丈夫だよ?」
「いいから!」
僕が余りにも呑気に言うものだからか、サリーナさんは普段と違いかなり苛立った様子で僕の腕を掴んで部屋へと引っ張っていき、僕をベッドに寝かしつける。
「本当に大丈夫だから、そんなに心配しないで?」
「何言ってるのよ!急に倒れた事で、あたし達がどれだけ心配したと思ってるの!?館に運んでからも、ずっとうなされながら涙を流していたし、貴方がこのままどうかなっちゃうんじゃないかって本当に怖かったんだから!」
「サリーナの言う通りですわ!私達だけではありません!キラン団長や、アルドさんも心配して訓練を切り上げてまで来られたのですから、もう暫く寝ていてください!」
サリーナさんは僕が居なかった事で相当焦っていたようで、口調がいつもと違った。それにキランさんや、アルにまで心配をかけてしまったと知り、大人しく寝ているべきだと思い至るが、まずはこの二人に謝罪するのが先だろう。こんな表情をさせてしまったのだから。
「二人とも、心配をかけて本当にごめんなさい。今は目眩とかも全くしないから、二人も休んでくれると嬉しいかな。」
「本当に、大丈夫ですか?無理してませんか?」
「うん、長い時間寝ていたからか、寧ろ元気なくらいだよ。」
僕が謝罪をして、身体が何ともない事を伝えると二人も少し安心したようで、落ち着きを取り戻したらしい。
「わかりましたわ。ではサリーナ、私達も休む事にしましょう。」
「かしこまりました。今日はアーネスト叔父様や伯爵様からも許可を頂いておりますので、こちらで休ませて頂きます。何かありましたら、すぐお申し付けください。」
サリーナさんはそう言うと、長椅子で休む事にしたようでそちらに腰掛ける。
「では、私も休ませて頂きます。・・・お兄様、失礼しますね。」
リズも僕にそう告げると退出するのかと思いきや、何故か赤い顔で僕の布団に潜り込み、僕の右手側から抱きついてきた。
「あの、リズさん?何で僕の布団に入ってくるのかな?」
「私も寝るためですわ。」
「自分の部屋があるよね?」
「勿論ありますが、私もお父様から許可を頂いておりますもの。」
恐らく、この部屋で寝る事の許可であって、一緒に寝る事の許可ではないと思うのだが。
「流石に伯爵の言ってる意味は違うと思うよ?」
「いいえお父様は寧ろ、私が望むならお兄様と一緒のベッドで寝ることで、既成事実化してしまえばいいと嬉しそうに仰っておりましたわ。」
「は?」
なんだって?仕方なく許可したと言っていたのは、嘘だったのか?これは、伯爵を問い詰める必要がありそうだ。
「貴族の令嬢が男性と同衾したと知られれば、他に嫁ぐ事は出来ませんもの。それに私は、お兄様以外には嫁ぐ気はありませんよ。」
・・・ちょっと待ってほしい。伯爵が許可したとしても駄目だろう。書類上では実の兄妹になっているはずだよな。
「お兄様はご存知無いかもしれませんが、養子を書類上実子にする事は貴族には珍しくはありません。家督の継承権の問題もありますので、その辺りは割と融通が効くらしく、血の繋がりが無い事が証明されれば、特に問題はないそうですわ。無論、そのための検査や書類は必要だそうですが。」
「だから、叔父上は気にしなくていいと言っていたのか・・・。」
世継ぎが女児しか生まれない場合や、男児1人の場合に、その子が死んでしまった時に困るから、ある程度の事情は考慮されるのだろう。
「お父様がどうかされたのですか?」
「いや、何でもないよ。」
「私では、ご不満ですか?確かに私は、サリーナ程顔立ちは美しくもありませんし、彼女程の胸もありませんけれど、まだ13なのでこれから成長するとは思いますわ。」
確かにリズは同年代に比べてもやや背が低く、幼く見えるけれど、サリーナさんに劣るかと言われると、全くそんな事はない。
サリーナさんがかなりつり目なのに対して、リズはややつり目がちではあるが可愛らしいと言える顔立ちなので、好みの問題であると思う。
「サリーナさんと比べる必要なんて無いと思うよ。リズは何というか、可愛いと思ってるし。」
「でしたら、私を側に置いては頂けませんか?」
「まだ会ってから余り時間が経って居ないのに、どうしてそこまで・・・。」
まだ初めて会ってから10日程なのに、何故僕と結婚がどうとか考えるのだろう?
「何故、でしょう?私にもわかりません。お兄様と初めて会った時に、何故か貴方の側に居る為に生まれたのでは?と思うようになりました。・・・これが一目惚れなのでしょうか?聞いていた話と少し違うように思えますが、私としてはそんな事どうだっていいのです。」
何故だかわからないけれど、彼女の言っている事が理解出来ると思えた。必死な顔で僕に訴えるリズの表情を、ずっとずっと昔から知っているような、そんな不思議な感覚がしたから。
サリーナさんに感じたものに似ているようで、少し違う気持ちが僕の中に湧いてくる。
不思議な感覚に戸惑いながらも、少しの間リズと見つめ合っていると、ソファにいたはずのサリーナさんが、気付けばベッドの左手に立っていて、無言で潜り込み、抱きついてくる。
「ちょっ・・・サリーナさん!?」
「・・・。」
客間のベッドはかなり大きいため、3人で寝ても多少の余裕はあるのだが、女性二人と同衾は流石に不味いのではないだろうか。
「サリーナさん?」
「あたしも居るのに、二人でそんな話しないでくれないかな・・・。あたしだって・・・。」
微かに震えながらしがみつき、顔を僕の胸元に沈め呟く彼女に僕は何も言えなかった。