16 おでかけ2
今日はフードを被ってきたけれど、流石にお店に入るとなると外套は脱がなければならないため、髪を見られてしまう。
食事をするなら尚更、外套は外さないといけない。
だから正直な所、僕は行きたくはなかった。
でも、僕の手を引きながら楽しそうに話しかけてくるリズを、悲しませるような事もしたくはなかった。
「さぁ、お兄様。着きましたよ!」
「ちゃんと僕も入るから、引っ張らないでほしいな。」
僕の抗議はまるで聞こえて居ないらしいリズに、手を引かれながら中へ入ると、鈴の音が響き給仕と思われる男性が直ぐに現れる。
「お兄様、少々お待ち頂けますか?」
リズはそう言ってから僕の手を離し、店員へ近づいた。すると、彼女の姿を確認した店員は一瞬緊張した面持ちになったものの、すぐに笑顔でリズに対し丁寧に頭を下げ、何かを話し始める。
どうやら、リズが伯爵の娘だと知っているようだ。彼女も慣れているようだし、何度も来ているのだろう。
僕はその様子を入り口付近で伺っていると、徐にサリーナさんがリズに近寄り、屈んで口元を隠しながらリズに耳打ちした。
すると、リズはやや険しい表情で頷き、チラリと僕を確認してから店員に何かを伝える。
どうかしたのだろうか?
会話を終えた店員は一度何処かへと立ち去り、少し経ってから戻ってくる。それから、店の二階にあるかなり広い個室へと案内をしてくれた。
「ここなら人目につきませんから、お兄様も寛げると思います。」
「・・・リズ、サリーナさん。もしかして、僕の為に部屋を用意して貰ったの?」
部屋に入り、店員が立ち去ったのを確認したリズがそんな事を言ったため、この個室は彼女達が手配したのだと気付く。
「僭越ながら、リゼット様にイーオさんが御髪を気になされている事をお伝えさせて戴きました。・・・嫌がるとは思いましたけれど、この間のような表情を見たくはありませんから。」
僕の反応を見て、サリーナさんは悲しげな表情で深々と頭を下げ、その様子を見ていたリズも哀しそうな表情で彼女に倣う。
「サリーナを責めないであげて下さい。前に街で何があったかをお父様から聞いていたのに、その事に思い至らず無理にお連れしてしまったのは私です。本当に申し訳ありません。」
個室を用意して貰った事で、僕が困った表情をしていたために、二人は余計な事をしたのかと考えたのかもしれない。
「責めるも何も、二人共僕を気遣っての行動なんだから、頭を下げる必要なんてないよ。・・・寧ろ、ありがとう。こちらこそ、心配かけてごめんね。」
二人にそんな顔をさせてしまうのは僕も嫌だし、何より僕を気遣ってくれたのだから、そんな彼女達の心遣いが堪らなく嬉しくて、感謝と謝罪を伝えた。
サリーナさんは勿論だが、リズもまだ幼さないながらも、人を思いやれる優しい子だと思う。
そんな人達と過ごせる事が心地良くて、僕はつい甘えてしまっているのだと気付き、いつか恩返しをしようと心に決める。
「お兄様が謝る必要はありません。私達が勝手にした事ですから!」
僕にお礼を言われた事で、頬をやや染めながら顔を背けるリズの姿に、僕はつい笑ってしまった。
二人は僕が笑っている姿が珍しかったのか、キョトンとした表情で僕を見るが、そのうち僕につられ笑い出す。
館に来るまで、余り家族以外とは深く接して来なかった僕には、二人とのこういうやり取りが新鮮だったんだ。
そうして、一頻り笑い合った後で席に着き、他愛無い会話を続けていると、直ぐにお菓子が運ばれてきた。
注文は店に入った時に、リズが済ませたらしい。僕には真似出来ないな。
運ばれてきたお菓子はケーキと呼ばれており、王都の庶民から貴族にまで人気との事だが、この辺りではまだ砂糖の材料である植物を作る事は盛んではないため、塩や香辛料よりも若干高いらしく、南側ではこのようなお菓子は見た事がないと、サリーナさんも物珍しそうに眺めている。
そう言った物の栽培技術や精製技術を伝えたのは、御伽噺にも出てくる少年やその妻達と神様なのだと言い伝えられていて、故にその子孫である現王家は力を持っているのだそうだ。
成人の儀式の際に、長々とそう言った話を聞かされた記憶もある。
神様と言えば、村から離れて以来御伽噺を誰かに聞かせたりしていないな。
「お兄様?如何されました?難しい顔をなさっておいでですが・・・。」
「御伽噺の事を考えてたんだよ。」
「御伽噺・・・とは、この国の成り立ちについての御伽噺でしょうか?」
「うん。優しい神様と、その神様に愛された少年の話、だね。村の子供達に、よくせがまれて聞かせていたなと思いだしていたんだ。まだ村を離れてから、ひと月程なのに、もう随分と時間が経っているように感じるよ。」
「そうでしたか・・・。お兄様に御伽噺を聞かせて貰えるなんて、その子達が羨ましいです。」
リズも御伽噺が好きなのかな?
二人で話をしているとこの話題になってから、サリーナさんが何故かモジモジしながら僕を見ているんだけど、どうしたのだろうか?
「あの・・・私、実は、イーオさんがエピナルの村の広場で幼い子供達に話をしていた事を、知っていました。と言うより、5年程前までは父と一緒にエピナルの村へも行商として行っておりまして、その時に何度かお見かけした事があるんです。」
「そうなの?」
「はい。私は早くに母を亡くしておりましたし、父もまだ自らのお店を持って居なかったために、誰かに預ける事も出来ず、この街の宿を拠点にして、父は私を連れながら伯爵領の村々を巡っていたんですよ。伯爵様からの依頼でもあったそうです。その時に、凄く優しそうな表情で、綺麗な髪をした私と同じくらいの男の子が、小さな子供達に囲まれながら御伽噺をしている姿を、何度もお見かけしておりました。」
「なるほど、サリーナはその頃からお兄様が気になっていたと・・・。」
「・・・リゼット様、イーオさんの前なので、言わないで頂けると助かります。」
と言う事は、僕とは面識があったと言う事か?
しかし、5年以上前とは言え、会っていたのなら忘れる事はないと思うのだが。村の人の顔は全員知っているし。
「そうだったんだ。ごめんね、気付かなくて・・・。」
「い、いえ、実は一度もお話をした事は無いんですよ。私が一方的に知っていただけですし、謝らないでください。・・・それに、イーオさんを見かけた時は、私は隠れていましたので知らなくても仕方ないですよ。」
「サリーナが騎士団に入りたがっていると爺から聞いていましたけれど、まさか貴方、お兄様に近づくため・・・ではありませんよね・・・?」
「えっ・・・いや、あの、それは・・・。確かに代官様の御子息だと父から聞いてはいましたけど・・・。」
「貴方、本当にわかりやすいのですね・・・。恋人も作らずに剣の稽古をしていた理由も、納得できましたわ・・・。一途なのですね・・・。でも、私も負けません!」
・・・僕が居る事、忘れてはいないよね?
二人の様子に流石の僕でも、二人の言葉の意味ぐらいはわかった。
出来ればそう言う会話は、僕が居ない所でして欲しい。
僕は気不味くて何も言えなくなり、サリーナさんは顔を真っ赤にしながら俯き黙っていて、リズはリズで何か考え込んでいる。
そのうち、何かを思い付いた様子のリズが口を開いた。
「問題ありませんわ!方舟教では少年に倣って5人までの妻は認められておりますから、お兄様は私と貴方の両方を娶ればいいのです!・・・普通でしたら、経済的な理由で出来ませんけれど、お兄様が伯爵家を継承されればそちらも解決します!・・・フィーもいますから三人、ですね!」
何でそんな答えになるのだろう。
リズの発言で、僕はどうしても黙って居られなくなる。
獣討伐や、アルの事、父さんと伯爵の事や、何より自分が何者なのかを知らないままに、誰かを幸せにするなんて考える余裕は無い。
でも、サリーナさんが僕を思ってくれているのは、凄く嬉しいな。
「二人ともごめん。今はやらなければならない事があるから、結婚の事なんて考えられないよ。だから、時間が欲しい。」
「これは、大変失礼を致しました。ですが、お兄様も満更でないようですね。お顔が真っ赤になっておりますよ?」
僕は彼女と出会って余り間がないけれど、知れば知るほどサリーナさんに惹かれているのは事実だ。それに、初めて髪を褒めてくれた人だから、真剣に向き合いたい。だから、色々と片付くまでは時間が欲しい。
「はい、いつまでもお待ち申し上げております。」
そう答える彼女の表情は、今まで見た事のないくらい綺麗な笑顔だった。
でも、何故だろう?僕は、ずっと昔から彼女の笑顔を知っている気がする。
そんな不思議な感覚が湧いてきて、懐かしさすら感じた。
それから、日も少しずつ傾いてきたため、最後に教会へと案内してもらう事になり、会計を済ませてからお店を後にする。
教会へと向かう道すがら、僕は何故方舟教と言う名前なのかをリズ達に尋ねる。御伽噺には方舟なんて話はないと記憶している。だけど昔から方舟教と呼ばれるのは何故なんだろう?
「定例の集会に参加した事が無ければ、わからないのかもしれませんね。御伽噺にある、この地に降り立ったと言うのは、巨大な方舟でこの地に来た、と言う意味なんです。その船を操っていたのが神様で、少年達を伴ってこの地に国を築いたと言われています。それが方舟教と言う名称の所以です。・・・ただ、1500年以上前の事なので、御伽噺なのだとは思います。」
「・・・サリーナ、それは私以外の貴族の前で言ってはなりませんよ?この国の王は神様の子孫なので、不敬罪に問われるかもしれません。方舟教とこの国を切り離す事なんて出来ないのてすから。」
なんだろう?何故なのかはわからないが、違和感を感じる。
「そういえば、神様の名前って僕は知らないな。お祈りでは神様の事を母と呼ぶし、成人の儀式でも母としか言ってなかったから、聞いた事が無いんだよ。」
「お兄様はエピナルの村から出た事が無いと仰っておりましたね。それならば仕方ないとは思いますが、そちらにも理由がありますよ。神様の名前は代々この国の第一王女様が成人の儀式を終えた後、王都の民へのお披露目の際に付けられる慣しのため、王女様と区別できるように母や神様と呼ばれているのです。ちなみに、昨年に王女様のお披露目が行われておりますわ。・・・そういえば、確か今代の王女様もお兄様と同じ年齢でしたわね。」
なるほど、そんな慣習があったのか。
訪れる人が余り居ない村だから、そう言う話は全く聞かないんだよな。
「なので教会がない村で育ったイーオさんは聞いた事が無いのかもしれませんね。知っていても王女様の名前でもあるため、敢えては言う必要もありませんし。」
「そっか・・・。それで、どんな名前なの?」
「ノア様と仰います。」
「ノ・・・ア・・・?」
名前を聞いた瞬間、心臓が強く脈打つのを感じ思わず立ち止まってしまう。
ノア・・・。その名前には聞き覚えがある。いや違う、今初めて聞いたはずなんだけれど、妙に心がざわつく。
何かをしなければいけない筈なのに、それが何なのかが分からない。そんな焦るような感情が湧き出した後、立っていられない程の目眩が起こり、思わずその場に屈み込んでしまう。
「イーオさん!?」「お兄様!?」
先程まで会話していたのに、突然返事がなくなった為か二人は僕の様子に気付いて駆け寄り、具合が悪いのかと尋ねてくるのだが、僕は大丈夫だと返すだけで精一杯だった。
「サリーナ!申し訳ありませんけれど、教会が目の前ですから、そちらに運んでくださりますか?」
「かしこまりました!・・・えっ、イーオさん重っ・・・!?これは、私だけでは運べそうにありませんね・・・。リゼット様、教会へ行って人を呼んで参りますので、イーオさんを見ていて頂けますか!?」
目眩は段々と酷くなり、まともに返事をする事も困難になり、深い闇の底に落ちていくような感覚が訪れ、僕の意識は闇に飲み込まれた、
気がつくと僕は寝かされていた。でも、目を覚ましたのに身体を動かせない。
いつの間にか、目の前には綺麗な銀色の髪を持つ少女がいて、僕に何かを話かけている。
あぁ、これは夢か。何時も村の子供達に、御伽噺をした後に必ず見る夢。
それはわかったけれど、何故この夢を見ているのだろうか?
御伽噺の話題はあったけれど、語り聞かせてはいないから、多分違う。
原因は神様の名前、かな。
サリーナさんにノアと言う名前を聞いた直後に、酷い目眩に襲われたのは覚えているから、それしかないだろう。
でも、何故?
〈・・・・!〉
あれ?微かだけれど声が聞こえる。何を言っているのかまでは理解出来ないけれど、見た目よりずっと大人びた声だと言う事はわかる。
意識もはっきりとしているし、何時もと大分違う。
泣かないでくれないかな。キミが泣く姿を僕は見たくないんだ。
何故かそんな言葉が浮かぶのだけれど、声には出せない。なのに、彼女には伝わったらしく、首を横に振りながら更に何かを叫ぶ。
大丈夫だよ。僕は何時もキミと共にあるから。
次の言葉が浮かんだ後、彼女は泣き笑いの表情になりながら、呟いた。
〈・・・もし、生まれ変わりがあるのならきっと、いつか、どこかで、巡り合えますよね?〉
うん。もし生まれ変われたなら、今度はキミから会いに来てくれると嬉しいな。きっと僕はキミだってわかる筈だから。
彼女の問い掛けに、そんな言葉が脳裏に浮かぶのと同時に、僕は目を覚ました。
生まれ変われたら、会いに来てほしい?
何故だろう、最後の言葉を思い返すと神様の名前を聞いた時以上に心がざわつき、妙に落ち着かなくなる。
今までとは違う夢だったけれど、内容を考えた所でわかるわけはなかった。
何故、今迄の夢と変わってしまったのかを最近は見慣れた天井を眺めながら考えていると、ふと道端で意識が遠くなった事を思い出し、思わず起き上がる。
いつの間にか僕達が使っている客間で寝かされていると言うことは、運ばれて来たのだろう。
左手に暖かい感触を感じてそちらを見ると、サリーナさんが僕の手をしっかりと握り、ベッドの脇に座り込みながら、上半身をベッドに乗せた状態で寝息を立てていた。
窓の外は既に暗くなっていて、月明かりが差し込んでいる。
部屋の明かりも落とされており、右隣のベッドを見るとアルの姿も確認出来る。
どうやら、僕はかなり長い時間眠っていたようだ。
その事に気付くと急にトイレに行きたくなり、彼女を起こさないよう手を離そうとするのだが、強い力で握られていて、簡単には剥がせそうにはない。
仕方がないので、彼女を起こして手を離して貰おうと思い、サリーナさんに声をかけようとした所で、僕は布団が不自然に盛り上がっている事に気が付いた。
嫌な予感を覚え、恐る恐る布団をめくってみると、何故かそこには丸まって眠るリズの姿がある。
これ・・・、バレたらかなり不味い事になるのでは・・・?




