三話
両手を広げる僕の前でバルク兄さまは、ただ立っている。驚いているのかもしれないが、何も反応がないのでだんだん不安になってくる。日本と海外ではジェスチャーの意味が全然違ってくるというし、もしかしてこのハグ待ちポーズを理解されてなかったりするのかもしれない。
広げた手を下ろすにも下ろせず、困っていると突然バルク兄さまが勢いよくしゃがんだ。風圧で前髪がぶわっと横に広がった。おそらく今おでこが全開だ。今日から女子になるのだし、ヤダ~前髪崩れちゃう~と言いながら前髪をなでつけたほうがいいだろうか。セットしてるわけでもないしいいか。にしても予備動作のまったくない動きだったな。
そんなことを考えていると、大きな手が伸びてきて前髪を元に戻した。そしてそーっと手を伸ばし、ぎゅっと……いや遠慮がちにふわっと抱きしめた。そしてそれをそばで見ていた三人が、バルク兄さまごと遠慮なしにぎゅうっと僕を抱きしめる。
感じたことのない感情にむずむずしていると、バンッとこれまた豪快にドアが開かれ、慌ただしく青年が飛び込んできた。
「家族の絆を深めているところ、すみません! メーラヴィット様がお目覚めになったと聞きまして!」
そう言いながら彼は真っ先にあの変なインテリアのところに駆け寄った。カバンから取り出した謎の石をあててみたり、ペタペタ触ったりして何かを確かめ、安心したようだ。
「魔生装置に特に異常はないようですね。次に軽くメーラヴィット様の診察をさせていただきますね」
穏やかにそう言うのを聞いて、ようやくこの青年が医者であることを知った。一応、一番近くにいたバルク兄さまに目線を送ってみたが、こちらをじっと見つめて抱きしめる手に力を込めた。違う、抱きしめてほしいんじゃなかった。
「じゃあメーラヴィット様、いくつか質問をしますね。そうだったら首を縦に、違ったら首を横に振ってください。まず、耳は聞こえていますか?」
そのあと、いくつかの質問をし、しばらくは安静にするように言い残して医者は去っていった。自分は体には特に深刻な問題はないらしい。良かった。
それはそうと、医者が魔生装置と呼んだあのインテリア。あれはいったい何なのだろう。気になるが声が出ないため聞けない。声が出せるというのはありがたいことだったんだなとしみじみ思った。体に異常がないということはしばらくしたら声も出るようになるだろう。仕方がないのでいったんあきらめて声が出るようになったらまた聞いてみようと思う。
そこでエリー姉さまが声を上げた。
「あら? メル……あなた、赤眼だったのね。目をふせていたから気が付かなかったわ。でも半分はわたしたちとお揃いのきれいな青い目だわ。どっちもキラキラしていて素敵ね!」
赤眼?読んで字のごとく目が赤いということならメルは赤と青のオッドアイなのか。想像してみて初めて、この体になってから自分の顔を一度も見ていないことに気が付いた。どんな顔をしているのだろう。このキラキラした家族の一員ならまず美人なのは間違いないな。ぺとぺとと頬に触ってみる。もちもちだ。
「メル、自分の顔が見たいのか?」
とバルク兄さまが聞く。見られるなら見たい。ちょっと待つように言ってからバルク兄さまは部屋を出ていき、しばらくして鏡を手に戻ってきた。
手渡された鏡をのぞきこんで、驚いた。人形のように、美しくて愛らしい顔が目をまんまるにしてこちらをのぞき込んでいたからだ。顔が整っているのはもちろんのこと、両目は赤いとか青いというよりは紅緋や紺碧といったほうが似合う品のある色だ。それらは宝石よりもずっと透き通って、光が入るたびにキラキラ輝いている。
髪の毛は淡紅藤といったか、最近見た、かなり高い着物。あの着物の色にそっくりだ。きれいな腰までの髪は細くてさらさらしていた。僕は髪の手入れなどしたことがないが、こんなに長い髪をサラサラに清潔に保っておくのは相当難しいであろうことはわかる。メイドさんの努力のたまものなんだろう。
少し気になるのは右頬……頬というより右目の目元のあたり。細かい刺繍のようなものがあるのだ。刺青とは少し違う気がして、鏡から顔を上げる。すると周りの四人の目元にも同じものがある。
「それはね、王族印というんだ。青い瞳と一緒に、代々王家の子供に受け継がれてきたものだよ。王族以外の人はどうやってもつけることができないから、それがあると王族だっていう証明になるんだ」
お父さんの言葉にうなずくと同時に大きなあくびが出た。それを見た四人は笑ってゆっくり休んでねと部屋を出て行った。