「そして“現在”へ……」
「さて……確か不審者に遭遇したんだっけ? それで、そいつは今ドコにいるんだい?」
「その……すぐに目を覚ますとそのまま時間を置かず、玄関から出て行ったもので……」
「ヘェ……けどそもそもなんで気絶なんか? キミは、別に何もしなかったんだよネ?」
「えと……もののはずみで足を滑らせ頭を打ったので、そのせいだと思いますけど……」
「フム……」
「……」
「では、次は私から。その人物の特徴等は? 背格好、着衣、携行品、何でも結構です」
「いや……その……あの……。なんと申しますか……」
「顔は見たのですか。知っている人ですか? 侵入されるような心当たりはありますか」
「……」
「ドアに鍵はかけておいでだったのですか? 何時に来て、いつ出て行ったのですか?」
うう……やはりこれでもかと、こと細やかに聴取されるものなのか。しかしあの人の力になる、と決めてしまった以上は何とかやり過ごすしかありません。
仕方がないので全体的にはよく覚えておらず、銀髪に長身の男性でスーツ姿、などと彼女とはまるで真逆の人物像を伝え、ごまかすことを試みましたが――
「……それ、まさかウチのchefのことじゃないよネ?」
「あっ。いっ、いいえ。もちろん完全に別人の、まったくもって知らない人物です……」
「フゥン……そうかい。まあ、一応周辺の防犯カメラ確認とパトロール強化はしとくよ」
「……」
「だけど明暗……いや今は“加減”クンだったか。この程度のことだったら通常の110番にお願いしたかったナ。ボクらもサ、いろいろと忙しいものでネ――」
そうして大体20分少々の質問を終えて、ようやくこの方たちも撤収してゆかれました。
ふう、本当あぶないところでした。彼女の血痕をそのまま放置していたら、浴室のあの鏡まで詳しく調べられていたら非常に面倒なことになっていたので。
「おお、勇者殿! もう用は済ませて来られたのか!」
とり急ぎ“向こうの世界”に戻ると、例の姫騎士様がひとりの男性を介抱していました。聞くところによればさっきの援軍に随伴していた軍師とのことです。
あの大爆発で大勢の戦士たちが戦死してしまった中、何とかまだ息はあるもののまさに満身創痍。残念ながらもはや、そう長くはもたない状態でしょう――
「くっ、おのれ口惜しや! わらわにもっと強さがあれば、かような事態には――!!」
背中から肩に添えられた手の震え、顔に注がれる涙の粒。それを受けると軍師さんは、焦点の定まらない眼を開いて最後の力を振り絞るように告げました。
「事情は伺いましたぞ……勇者殿よ。かくなる上は無礼を承知で申し上げます……。願わくば“そちらの世界”にて……姫様を鍛えて差し上げて頂けませぬか」
えっ。
ちょっと、いや、えっ……。こんな時にこんな状態で一体全体何を言い出すんですか。
たった今、対面したばかりなのに。しかもあろうことか、一般的に大層頭の良さそうなイメージの浮かんでやまない職務にある人が、まさかこんなことを。
「貴殿の住んでおられるはおそらく、こちらとは“時の流れの異なる場所”……。現に今、ものの一瞬で戻って来られたのが何よりの証左でありましょう……」
しかし、次のこの言葉によってにわかに冷静さが呼び戻されました。確かにあの時こっちで数時間経過したはずが、一旦帰ってみればほぼ変化はなかった。
腕時計、スマホの通話記録など諸々からざっくりと計算してみるにおよそ――こちらと僕の世界とでは20~25倍ほどの差がある、とでもいうのでしょうか。
「そして、そのすさまじい剛力に類稀なる俊脚。同じ環境で修練を積み重ねればきっと、姫様も同等以上の成長を果たされるはず……。そう信じております」
「……」
「王都が攻め落とされるまでおそらく半月ほど。そちらでの1年間までに帰還できれば、必ずや戦況は……。後生ですゆえどうか……それまで姫様の後見を」
絶え絶えの息とともに赤をむせび白を流して、顔を2色にまみれさせ懇願するその姿は、
「もうよい、やめよ! さような無駄口を叩きおって……これで死んだら許さぬぞ!!」
との鼓舞に目と口を同じ幅にするのみで応えると、やがて静かに息を引き取りました。
「……僕に、この人の面倒を1年、みろだって……?」
彼女自身には助力するとは言いました。けどこれはさすがに無茶苦茶で荒唐無稽かつ、僕に何の得も義理もなければ厚顔無恥にもほどがある頼みでしょう。
現実的に考えて、度重なる物価高に景気低迷の続く現代日本ではただでさえ自分ひとりでもままならないというのにまさか、他人と生活を共にするなんて。
それ以前に学生の僕にそんな甲斐性があるのか。しかもこの方は異世界人。戸籍による身分保証もないのに医療や保険などの行政サービスはどうするのか。
「……」
「その……勇者殿よ。今の遺言のことであるがの……」
「……わかりました。僕自身が戦うわけなのでないのなら、その提案通りにしましょう」
「えっ……。そっ、それで構わぬ、というのかの!?」
「ええ……。あなたをこの世界の手練の誰もが束になっても敵わない、今以上の天下無双絶対無敵唯我独尊一騎当万の、最強姫騎士様にして差し上げますよ」
* * *
「ふうっ、いい湯であった! 修練のちの熱い“しゃわぁ”のなんと心地よきことかの!」
「本気で鍛え真剣に高カロリー高タンパクの栄養を摂り、全力で心身を休息させる。これが明日へのさらなる限界突破、日月克己の精神につながるのですよ」
「そして、この“えあこん”の涼風を肴に愉しむ“びぃる”の冷たさよ! 枯れ傷ついた大地を覆い、やがて新緑の芽吹きをもたらす白雪の恵みといえような!」
「ちょっ、だからお酒は駄目ですって。寒暖差による自律神経の乱れとアルコールは超回復の促進を阻害してしまうと、いつもあれほど言っているでしょう」
しかし、かくしてかたやただの日本の男子大学生、かたや異世界の名だたる文武両道の女傑という、どこまでも対照的な運命は交わってしまったのでした。
昔から陰キャ気質にインドア趣味を地で行く僕が、なぜこんな決断を下すことにしたのかはあえて語りませんし、ここまででなんとなくわかると思います。
「かように愉しい気分は久方ぶりじゃ! ほれほれ、師匠もたまには一杯やらぬか!?」
けれど、極めて月並みな表現ではありますが――彼女との出会いが僕の運命を2度目の再誕へと導くことになろうとは、この時はまだわかりませんでした。




