28:龍神
砂浜でエルピスを迎え撃った最後の一人の頭が爆ぜた。
真っ赤な血潮を撒き散らし、血の雨を辺りに降らしながら、頭部を失った身体は一瞬ふらふらと揺れたかと思うとばたりと倒れる。
周囲には同じように体の一部をなくした肉片が転がっており、この場での起きた戦闘がどれだけ酷いものだったのかを分からせるには充分であった。
「…これでここら辺にいる奴らは全滅したかな」
散らばった肉片を魔法で集め、せめて遺体くらいはと火葬する。
一瞬炎龍がエルピスの事をチラリとみて死んでいた兵士に向かって大きく開けていた口を閉じたのが気になるところではあるが、別に龍だって人くらい食べるだろうし気にしてはいけないだろうと思考を流す。
それよりもエルピスが危惧していたのは思って居たよりも敵の反抗が弱かった事だ。
『浮かない様子だな、龍神よ』
「――思ってたより、ちゃんと準備してきた感じがしないからさ。父さん達が参戦するのは想定外だったとしても、アルさんと近衛兵の人達二人くらいが来てたら何とかなりそうな程度だし」
時折頭部を狙って飛んでくる銃弾と、たまに敵が服用している身体能力を向上させるだろう薬。
エルピスが一応警戒しているのはこの2つくらいの物だが、これだって種が割れればそれほど脅威ではない。
前者はちゃんと警戒していれば避ける事が出来るし、後者に関しては元の実力差の開きがありすぎて薬程度で詰められるようなものでもなかった。
そもそも見つけられることを想定していなかったといえばそれまでだろうが、それにしたってもう少し何かあってもよさそうなものである。
だがエキドナの言葉は思っていたよりもあっけない返答だった。
『無駄な事を気にせずとも神の称号を振りかざせば、人間など呆気なく倒せるさ』
「そんなものなのかな」
『そんなものなのだよ』
龍神に対して絶対の信頼を持っているらしいエキドナは、それだけ言ってまた静かになる。
考えられる敵の最後の抵抗としては残っている敵の親玉が何かを持っていることくらいだろうか。
召喚されていき場をなくした炎龍を元居たであろう場所に送り返し、エルピスは敵が出てきた森の方へと足を進める。
罠の類が仕掛けられていると思い一応注意はしてみたものの、特にこれと言って何もなくエルピスは止まることなく森の中を駆けていく。
敵が隠れているだろう場所を見つけるには物の数分もかからなかった。
「ここがアジトか……罠の類は無いみたいだけど」
森の中に巧妙に隠された出入り口はそのまま地下に通じており、いくつかの技能を使用してからゆっくりと降りていく。
盗神の称号を使えれば罠など警戒しなくとも良いだろう。
だがただでさえ龍神の称号を開放したことで体に負担がかかっているのだ。
この状態で他の神の力を使おうとすれば、おそらく体は崩壊するだろう。
少々時間はかかるが神の称号の代わりに技能を使いながら罠に引っかかり敵に逃げられないよう注意深く足音を殺しながら進んでいくエルピス。
土壁で作られた長い通路を進んでいくと急に石によって舗装された道へと変わり、気が付けば地下とは思えない程広々とした空間がエルピスの目の前に広がっていた。
石によって作られた柱が等間隔で室内にいくつも建てられており、石畳や壁からも感じられる年季は10年や20年の物ではない。
壁際には大きな十字架が取り付けられており元は綺麗にされていたのだろうが、既にボロボロで地面に打ち捨てられている。
ひび割れた天井からこぼれた月の光が十字架に当たって居なければ、それが十字架である事すら分からなかっただろう。
そしてそんな十字架の上に座る男が一人。
「……よく来たな。あいつらじゃさすがにどうにもならなかったか」
そこに居たのは二メートルを越えようかという大剣を側に起き、口元が見えないほどに髭を伸ばした大柄な男だった。
十字架に腰掛けて寛いでいるというのに隙のない動作と鋭い目付きは、警戒心を抱かせるには十分だ。
両親ほどの威圧感は無いにしろ、神の称号の力無しには相対する事すら困難だろうと思わせるその威圧感を前に、エルピスは気を引き締め直す。
「強いね、だから外に小細工が無かったのか」
「まぁそういうこった。王国騎士団長様くらいは殺せる自信があったんだが……」
「父さん達の参戦は予想外だった?」
「そりゃあな。もし英雄を相手にするんなら、こんな少人数で来ないだろう? そもそもここがめくられるのも想像してたよりずっと早かったが……お前なんだろ?」
男の鋭い視線がエルピスに突き刺さる。
もしかすれば交渉で戦わずに済むのかもしれない、そんなエルピスの考えを打ち砕くような視線だ。
いまこの場にあっても男は自分の絶対優位を疑っておらず、隙さえあればエルピスを殺して逃亡しようとしているのが見てとれた。
男にとって既に脅威として認識されている以上、不意をつくのは不可能だろう。
「うん。そうだよ。ちなみに逃す気はさらさらない」
「なら話は早い。生き残った方が利益を手にする、分かりやすくて良いじゃねぇか。お前には相棒を殺されてる事だしな。さて、やるぞ」
男が大剣を持ち上げ、ゆっくりと上段に構えた。
戦闘開始の合図などは無く、どちらかが切りかかった瞬間にこの戦闘は開始される。
ジリジリと時間が経過し、そしてその時は訪れる。
──最初に飛び出したのはエルピスだった。
地面にめり込む程の威力で足を踏み出し、必殺の殺意を持ってそのままの勢いで相手に斬りかかる。
武器同士がぶつかった事によってギャリィィンと甲高い音が辺りに響き渡り、そこから更にエルピスよって追撃の一手が放たれた。
「ーーったく手グセの悪い小僧だ。剣士らしく戦ってるのに小細工はいけねぇだろ?」
剣が受け止められた瞬間に、エルピスは魔力によって矢を形成して敵の頭に向かって放つ。
だがその放たれた矢は敵の手前で何かに掻き消された様に消えていき、両親が持つ特殊技能と同じタイプの能力かと判断する。
一定以下の魔法・物理による攻撃を防ぐ特殊技能は、一定以上の威力の魔法であれば貫通するのはワケない。
具体的には戦術級以上の魔法であれば十二分に貫通可能だ。
かつて王城で見せたように圧縮させた魔法を当てれば十分なダメージを与えられるだろうが、そもそも当てるのが難しい。
「──強いですね。アルさん以外でここまで剣の扱いが上手い人、初めて見ましたよ」
エルピスはが放った先程の一撃は剣を折るための攻撃だった。
あと一瞬、男が力を逃すのが遅れていれば剣はへし折れていただろう。
武器を振る技術も大したものだが、折らせない技術をここまで持っている人間は初めて見た。
よほど亜人と戦ってきたのだろう。
「お前の馬鹿力も初めて見たレベルだよ。どうなってんだ? 街で見たときのガキと同じとはとても思えねぇな」
「人生で初めて、してやられましたからね。お話はここまでです」
「どうした? 急に連れねぇじゃねぇか!」
互いに間合いを調整しながら会話を交わしていると、エルピスより先に男が飛び出した。
左から右に、大雑把に放たれた横薙ぎの剣をすんでのところで回避し、エルピスは反撃に出ようとする。
──瞬間。
大剣の重量を活かして男はその場で綺麗に回転すると、自然に大剣も一周回ってエルピスの側面に叩き込まれる形で放たれる。
反撃に出ようとしていた為に完全に出遅れたエルピスは、その大剣の一撃をもろに受けた。
(ーーーっ!?)
予想していた数倍の威力を受けて、まるで体重を失ったかの様に軽々とエルピスは地表へ吹き飛ばされる。
爆発でも起きたかのような轟音と共に木々や大地が吹き飛び、エルピスの視界を覆い隠す。
ダメージはない──が、混乱した瞬間は次の一手を遅れさせる。
「お前殺し合いした事ないだろ?」
背後から聞こえる男の声にエルピスは無意識で剣を振るう。
大地丸ごと吹き飛ばす一撃、当たれば間違いなく相手を両断出来ただろう。
だが手に残るはずの手応えはなく、騙された事を理解したのは再び吹き飛ばされてからだった。
〈神域〉を有効活用して戦っていれば騙される事はなかったろうが、訓練したとはいえいまだ無意識のうちに五感に頼ってエルピスは戦ってしまっている。
「雑魚狩りしたところで得られる経験なんて知れてるだろ? 身体能力は怖いが、そこ止まりだな」
龍神としての力を持っていて、本当に良かったとエルピスは思う。
もしこの力がなければ、きっと二度の攻撃で瀕死に近いほどのダメージを負っていただろう。
だがいま、体は何も問題なく動く。
男の攻撃はエルピスに痛痒程度しか与えられていなかった。
参考になるところが多い男との戦闘をもっと続けたいと願ってしまうエルピスだが、この場に来たのはアウローラ救出の為であり、龍神がいいようにされているのが気に入らないのか影の中からエキドナの冷たい視線が飛んできているのもエルピスは感じとっていた。
始まったばかりだが、この戦いを早々に終わらせる決意をエルピスは決める。
「逃げんなよ小僧!」
男の大ぶりな一撃をエルピスは剣で受け止める。
先ほどまでは吹き飛ばされていた一撃だが、どこから攻撃が来るのか意識さえしていればエルピスの身体はピクリとも動かない。
「――――終わりにしましょう」
いつも通りではだめだ。
同じように力を振るおうとしていては、龍神としての真の力を発揮することはできない。
絶対に壊れないはずの聖剣があまりの力に軋んでしまうほど手に力を込めて、エルピスは男に向かって技術も何もなく剣を振るった。
「――バケモンが」
ただ早すぎるがゆえにどうやっても常人では回避不可能な一撃、そんな一撃を男はこれまでの戦闘の経験をもとにして勘だけで避けて見せた。
先ほどまでのように派手な結果は地表に出ていないが、それはあれだけの破壊を簡単に成し遂げてしまう力が全て剣に乗っている証明に他ならない。
もうこれから先、たったの一度ですら当たることは許されず、防御すれば剣と一緒に真っ二つにされるだろう男の想定は間違いではない。
「薬、飲んだらどうですか? そのままだといつかは当たって負けますよ」
全能感が身体中を襲い、酔ってしまうほどの力が溢れ出てくるのが感じられる。
能力や技術は及ばずとも、身体能力は両親より少し下か同等。
だからこそ相手の全力を引き出し、それを叩き潰すのだ。
新たなる強さの高みへ登るための足がかりとして、目の前の男はこれ以上の適任はいないと言うほどに、まるでそうあるべくしているかのように、適任だ。
「使うつもりはなかったが、背に腹は代えられんか」
何か薬の様な物を口に含んだ瞬間、男の力が急激に膨れ上がる。
どういった効果を持つ薬品なのか判断する事はできないが、おおよそまともな薬ではないであろう事は見ただけで分かった。
筋力を上昇させる薬か、はたまた身体のリミッターを外す薬か、何かは分からないがその薬を飲んだ男の変化は劇的だ。
筋肉は先程までとは比べ物にならないほどに肥大化し、魔力は一気に膨れ上がる。
先に攻撃を仕掛けたのは男の方だ。
土を片手に掴みエルピスに対して目くらましの様に投げながら、男は先程までは重そうに扱っていた大剣を難なく片手で振り下ろす。
圧倒的な質量の物を音すら越える速度で振れば、その破壊力は語るまでも無く。
大地に隕石が落ちたかと見間違うほどの巨大な穴を開けた一撃を、だがエルピスは特に驚愕の表情を見せずに片手で受け止める。
これが力の差、これが神の力、くどいように言うが超えられない壁なのだ。
「ーーーっ! これでも、足りないか」
男が剣を振るうたびに、周囲の地形は変わっていく。
超常の力をその手にした者達の戦闘は音速という壁をいとも容易く破り、島そのものの形すらも残さないほどの破壊を幾度となく打ち込み合う。
それを時にはいなし、時には躱し、数千の剣撃が繰り広げられた頃。
男は急に体の動きを止めた。
「わかった。もう生きて帰るのはあきらめよう。お前を殺すことだけに全力を費やす」
瓶を取り出し、数十はある薬全てを飲み込んだ男。
目の前で頭を押さえながら蹲るが、それだけ隙をさらしてもエルピスは特に攻撃を仕掛けず見守るばかり。
明らかに異常な程の量の魔力を放出し、口や鼻から血を垂れ流すその姿はまさに異形だ。
人と言うよりは獣のそれ。
いや、食欲でも使命感でもなく、ただただ目の前の敵を殺そうとするその姿はもはや獣以下の存在だ。
「ヴァァァァァァッ!!!」
人の言葉のそれでは無い。
別の種族だと言われても充分納得できるその咆哮は体を震わし背筋に冷たい汗を流させる。
男の目には凡そ理性と呼ばれるそれは見受けられず、ただエルピスに対しての敵意だけで動いている様にすら見えた。
次の瞬間、男の姿が消え首元に剣が肉薄する。
だがそれでも剣は届かない。
エルピスは大地に剣を突き刺し、手を前方に構える。
防御は元より考える必要はなくただいまから放つための必殺技の為に必要な動作を、ゆっくり丁寧に行う。
隙だらけのその体に男は反射的に攻撃を仕掛けるが、障壁まで展開した今のエルピスはまさに鉄壁だ。
使う技は龍神の奥義。
古今東西全ての書物に記される龍の息吹は、鎧を溶かし人を焼き尽くし大地を溶かす程の威力を持つ。
ならば龍の神である龍神の息吹はどうなるのか。
「さよなら」
龍神の息吹は概念的に敵を焼き尽くすという性質を持つ。
例えどれほどの距離離れていようとも、例え相手が何層の防御壁を張っていたとしても。
放たれたその瞬間に龍の息吹は直線状に存在する敵の命を吹き消す。
死以外の選択肢はそこにはなく、故に龍神をして最強の権能なのである。
「ーーーーーーーーーーー!!!!」
チリすらも残さずに龍の息吹は対象の全てを燃やし尽くし、そして戦闘は終わった。
全霊をかけて行った戦闘が終わり、言い難い虚しさを感じながら、エルピスは天に昇っていく魂をただ立ち尽くしながら見つめるのだった。