27:上陸
男達は逃げきれたと、そう確信していた。
本来の目的である法国第三皇女の奪取という第一目標は残念ながら達成することは叶わなかったが、それでも第二目標であるヴァンデルグ王国で王の次に名を馳せているヴァスィリオ家の子供を攫うこともできた。
これで王国の信頼は失墜し、共和国は四大国の地位を脅かされることもなく維持し続けることが出来る。
法国との軋轢は今回の一件でどうしても生まれてしまうだろうが、あの国には人類の守護者としての役割とは全く逆の《《もう一つの側面》》が存在することは一部の人間なら知っている事。
相手には情報量として今回の出来事については黙っておいてもらうしかない。
このまま無事に共和国へと戻り、任務の顛末を報告してまた次の仕事を待つ。
想定していたよりもかなりの数の人間を失ってしまったが、それでも共和国という大きな国であれば数年もすれば補充できる程度の人材だ。
基幹要因すら失わずに済めばそれでいい。
そうやって組織は回っていくのだ。
だからここで自分が死ぬことにも、きっと意味はある。
「――警告はします、罪を認めて投降してください。そうすれば殺されないようにこちら側から働きかけましょう。ずっと刑務所暮らしになるとは思いますが」
砂浜に巨大なクレーターを形成させ、そのクレーターの少し上で空に浮かんだ少年がそんな事をこちらに語りかけてくる。
団長から報告された情報が確かであるのなら目の前に居るのは英雄イロアス・アルへオの息子、エルピス・アルへオだ。
足止めとして隊の半数以上を残してきたにも関わららず、どのような手法を使ったのかは知らないがそれらを突破したうえでこちらの位置まで把握してこの場に来た彼。
見た目は幼く小さな子供だが、その体に包まれた実力は折り紙付きだ。
「分かった、投降しよう。ここに居るのは俺とこいつだけだ」
同じく浜辺から敵が来ないかどうかを見ていた隊員がそう言うと、単調な足取りで彼の元に向かっていく。
その意図を察して同じように向かう足取りは、不自然なほどに違和感がない。
全てが嘘だから、それがまるで本当のように他人の目に映る。
距離は徐々に近づいて行きクレーターの端の方まで二人がたどり着いたころ。
エルピスは心底冷たい表情を見せた。
「そんなに死に急いで、生きたくないんですか? 死ぬのが怖くはないんですか?」
「分からないな。怖いからこうやって投降してるだろ?」
「俺ならどうやっても無理ですよ。他人のために死ぬなんてとてもじゃないけど無理です。忠義があるからですか?」
「何を言っているか分からんが、他のやつが王に従ってるのは俺らみたいな仕事をしているとイイオモイが出来るからだよ。それこそいま捕まってる子を使って他の奴らはイイオモイを味わっているところだろうな――」
本当に余計な一言を喋る男だ。
消し飛んで見えなくなった男が居た場所を眺めながら、エルピスはそんな事を思う。
王のための忠義だとそう言ってくれたのであれば、もっと心安らかに戦う事が出来ただろう。
お互いに譲れないもののために戦うのであれば。
だが実際の戦いはそこまで高潔ではなく、泥に汚れ、汚らしい。
「後ろの雑木林に隠れてる人達も含めて伝えます。最終通告は終えました、どうしても逃げたいなら勝手に逃げてください。逃げられるのならですが」
エルピスは手を振るう。
それだけで結界が展開され、この場からは誰からも逃れられなくなった。
元よりされも逃すつもりなどない。
視界の奥にある雑木林から数十人単位で人が出てこようともエルピスは驚かなかった。
<神域>はどれだけ相手が上手く隠れたつもりであったとしても、一瞬のタイムロスすらなく相手がどこで何をどうしようとしているのか識別できる。
「――これだけの人数を相手に、勝つつもりか?」
「どうすれば負けるのか教えて欲しいくらいだよ」
「そんなに知りたきゃ負け方を教えてやるよ英雄もどき!!」
エルピスの言葉をきっかけにして戦闘は始まる。
剣が、弓が、魔法がエルピスの体に向かって飛んでいく。
普段であれば障壁を用いてそれらの攻撃を避けるエルピスだが、特に何か防御するための手段を用いることもなくそれらをただ黙ってその身一つで受ける。
それらの余波により土煙が舞い散りエルピスがやってきたときより更に大きなクレーターが砂浜に形成された。
近くにいた兵士の体が衝撃に耐えきれなかったのか見るも無残な姿になっており、これでエルピスに話しかけていた兵士二名は死亡した形となる。
せめて巻き込まないようにしてあげればよかったのにと思わないでもないエルピスだったが、確実に攻撃を当てるためだったのだと思えば納得も行く。
「もういいですか?」
土煙の中から現れたエルピスの体には傷の一つも付いておらず、龍神の鱗で全身を覆われたその体に傷をつけることがどれだけ難しい事なのかは結果が教えてくれる。
「なんでいまのを食らって無傷なんだ!?」
「──魔法防御だ!! 魔法使いならいずれ魔力が尽きる! 攻撃魔法を休まず撃ち続けろ!!」
「クソ! 硬すぎる!!」
どれだけ打っても無駄だと理解しながらも、男達は魔法を打つ手を止めることはない。
相手がなんのために魔法を打ってきているのか理解できず、なんらかの手段で逃亡されるのではないかと警戒するエルピス。
だが数秒後そんな心配はする必要も無かった事を理解する。
「召喚! 炎龍!!」
「……成人を迎えた龍の召喚ですか。よりにもよって、俺相手に龍を出すのは愚策だと思いますけど」
体長20メートル近い成人した龍が呼び出されても、エルピスは特にこれといって驚く事はない。
龍の森に住む龍とかつて親戚の家による時に乗った龍達くらいしか見たことがなかったので、おそらくは共和国生まれの龍を見て他の国の龍も大して変わらないんだなと思ったくらいだ。
真っ赤な鱗は人の血をどれだけ浴びてきたのだろうか、その爪は共和国の敵を多く屠ってきたのだろう。
龍とエルピスの視線が交差し、炎龍は己の目の前にいるのがなんなのかを理解する。
人の言葉を話すにはよほど成熟しているか人に興味があって関わっていなければ難しいので話しかけてはこないが、炎龍の目線は確かにエルピスに問いかける。
『え? なんで龍神がこんなとこに?』──と。
「炎龍よ! あの小僧を殺せッ!!」
召喚に関係していたダロウ男の一人が指示を出すと、炎龍は再びエルピスの事をじっと見つめてくる。
どうすれば良いか戸惑っているのだろう。
何か投げかけてくるような視線を向けてくる炎龍に向けてエルピスはとりあえず頷いてみる。
すると炎龍は自信満々に大きく息を吸い込み――
「――まて! 何をするつもりだ!!!」
「おいやめろ!! 早く止めろ!!!」
「なんでいう事を――ギャッ!!」
全てを燃やし尽くす龍の息吹を辺り一帯にまき散らす。
火の粉はエルピスに当たることはなく、召喚されたものが召喚主に対して攻撃を仕掛けるというまさかの事態に敵の前線が崩壊する。
秘密兵器として持ち出した龍が敵に回ったのだから、そうなるのも無理はない。
龍が暴れまわるだけでも大変なのに、そこにエルピスが加われば彼らに勝ちの目はなかった。
「せめて出来るだけ苦しまさないようにします」
黒い魔力が少年の周りを渦巻く。
それは夜の闇すらも飲み込み、光を覆い尽くし、心を絶望で染め上げる。
その言葉に優しさはなく、けれど最初の様な怒りもない。
そこにあるのはどうしようもないほどの力の差だけ、断頭台に首を置いた男達は自らの命が終わるその順番をただ眺めて待つのだった。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△
深い森の奥深く。
普段は何物も立ち入らない絶海の孤島に、今日はいつにも増して人が沢山いた。
倒れるものと見下ろすもの、二つに分かれた彼等。
戦いの余波はあちこちに広がり焦げた大地や倒れた木々が視界に映るが、それでも他の戦場を思えば被害は随分とマシな方だ。
「ーーエルピス様の方も、どうやらそろそろ終わりそうかな」
巧妙にーー探知系の能力者が全力で探っても、その一端しか感じられないほどにーー隠蔽された魔力の波動を感じて、フィトゥスはそろそろ彼の戦いが終わりに近づいている事を察する。
普段から定期的に魔力を受け取っているフィトゥスですら戦闘状態だからこそ気づけたエルピスの力は、もはやフィトゥスでは推し量れないほどの力だ。
概念的な物でありながらも暴力的なまでに暴れ狂う魔力は、もはや災害と遜色ない程の猛威を周囲へと振るっていた。
できることならば近くでその勇姿をじっくりと眺めておきたい物ではある。
だがフィトゥスに課せられた使命はまた別にある。
残念ながらそれは叶わない夢なのだ。
「この悪魔風情が……ッ! 殺すなら殺せ!」
捕縛され、身動き一つ取れなくなった敵を見下ろしながら、フィトゥスは一瞬考える。
だがここに来た理由を思い出して殺しても仕方がないと振り上げかけていた手を降ろす。
見てみれば他の同僚も同じように仕事を終えていたらしく、ほぼ同数同士の戦闘はその戦力差によって一瞬で終了してしまった。
「言われなくとも……そう言いたいところだけど、イロアス様、並びにクリム様から敵はなるべく生かして捕えろと命令されてるんでね、そう言うわけにもいかないんだよ」
足下で無様に泣き喚く敵を見ながら、フィトゥスは冷静にそう告げる。
本来この程度の敵が相手であるならば、どれほど全力で攻撃しようとどこかで少なくない数が生存している事が多い。
理由としては単純に魔力や経験によって攻撃を防ぐ術を、無意識レベルで身につけているので硬いからだ。
だから話を聞くために残しておくのだとても、普段ならわざわざこうして傷も付けないように丁寧に対処する必要はなかっただろう。
ただ今回に限ってはエルピスがそもそも相手を殲滅する方向で動いていること、イロアスとクリムもアウローラの身柄を安全に確保するために相手に対して余裕を気遣う余裕はない。
なのでこの場にいてアウローラを攫おうとしたという証言をする共和国の人間を確保するには、フィトゥス達側で絶対に生かして残しておく必要があるのだ。
「ヘルトを離せ! 下郎がァァァ!!」
大地が爆ぜる程の勢いで飛び出した黒服の内の一人が絶叫を上げながらフィトゥスの首元へと暗器を向ける。
拘束していたアルへオ家の人間を吹き飛ばし、体を縛っていた縄で皮膚を抉られながらも突撃してくるのはさすがに予想外だった。
火事場の馬鹿力とでもいえばいいのだろうか。
人は時として想定していたよりもずっと強い力を出すことが出来る。
いまこの時まで他種族に人類が滅ぼされていないのも、そんな彼らの特性があるから故なのかもしれない。
だがこの時この場に至っては、種族の差はあまりにも残酷であった。
「――なッ!? なんで」
フィトゥスの首に刃が届いたその瞬間ーー黒服は信じられないとばかりにその目を見開く。
切りつけたはずの自らの武器が破壊され、それとは相対的に目の前の悪魔には傷一つ付いていない。
不気味な程に白い肌には赤い跡すら付いておらず、まるで何事もなかったかのようにそのままだ。
少し強くなったところで埋まらないだけの差が、両者には合った。
エルピスの魔力を食らう前のフィトゥスであったなら、その刃は命にまで届いたのだろうがいまさらそんな話をしても無駄である。
「満足しました?」
拘束はあえてしない。
他の同僚に目線を配り、他にも脱走する様な物が出ないように注意させつつあえて何もせず仁王立ちするフィトゥス。
どう抗っても勝てない、どうやっても絶望しか残っていない事を理解させるため、反逆者達の牙を折るために彼はあえて生き残りを残したのだ。
「なん……で、だって、素肌に当たったのに……」
「体内で魔力を常に回し続けることで外傷から体を防ぐ悪魔の基礎技です。魔力の籠っていない武器じゃ俺に傷をつけるのは無理ですよ」
「クソッーーならここならどう!?」
外皮は無理だとそう言われ、相手が次に選んだのはフィトゥスの目だ。
まっすぐ放たれた突きはフィトゥスの目に吸い込まれるようにして飛び込んでいき、そしてあっけなく剣の方が折れた。
魔力を使って体の硬度を変えているのだから目だろうが皮膚だろうが強度は同じ。
狙う場所が分かっているならその部分に重点的に魔力を分配すれば、瞳が剣に勝つことだってある。
「実力差、分かりましたか? 手を出してはいけない相手にあなた方は手を出したんですよ」
「あ……ああ……あああああっっっ!!!」
優しげな声ではあるものの、その声はもはや届かない。
倒せない生物など居ない、二人合わされば英雄と呼ばれる者たちですら倒せる自信が有った。
だが現実を突きつけられ、ゆっくりと精神は崩壊していく。
自殺用に用意していた魔法術式は軽く触られただけで無効化され死ぬ事すらも許されず、もはや抵抗する気力さえ湧かないままに魔法で拘束される。
戦闘開始から二十分程、戦況は各地で大きく変わろうとしていた。




