18:草原に行く前に
現在の時刻は、太陽の位置から考えて七時くらいだろうか。
燦々と照らす太陽を眺めながらノビをして、エルピスは大きく息を吐き出す。
四方の街はもう既に全て活気付き、城にも商人や冒険者、王国の役員などが頻繁に出入りしているのが開いた窓から見えた。
王都に来て早いもので4ヶ月、あっという間のように感じられる期間はエルピスにいとも容易くこの景色を慣れさせた。
「えっと…いま何時だ?」
部屋の中を見渡しても時計は何処にも無い。
ステータスから時計を出せば現在の時刻が分かるが、わざわざステータスを出さないと時間がわからないのはいろいろと不便だ。
商人達は時間が解らなくて商売の際に困らないのだろうか?
もしかすれば職業系の技能に時間を測れるものもあるのかもしれないが、エルピスは知らないしおそらく持っている人物もそれほど多くはないだろう。
「散らかったまんまだし、後でメイドさん達にお願いして掃除してもらうか」
昨日の夜に自室で行われたどんちゃん騒ぎを思い出し、エルピスは苦笑いをしながら部屋にメイドを数人呼ぶ。
セラがエルピスと同室を希望し、それに対してエラが抗議をした事でエルピスの部屋は昨日論争会場になっていたのだが、それが終わった後の枕投げ大会がいけなかった。
場の空気が悪かったので盛り上げの為にやってみたはいいものの、今エルピス達の身体能力で投げ合えばただの枕でも殺傷能力がある。
顔に枕がクリーンヒットして倒れたのは、いい思い出になる事だろう。
セラは創生神に対して甘えたい気持ちがそのままエルピスに向かっているし、エラはいつも身近にいた存在が横取りされる様な気持ちになっている。
エルピスからすれば彼女達二人には仲良くしていて欲しいが、自分がその原因であるとなると対処する方法が分からないのでどうしようも無い。
しかしまぁそれにしても前世だったら徹夜も楽だったエルピスだが、この体だと少し夜更かししただけでかなり体にくる。
身支度を終えて廊下に出れば偶然ばったりとこれまた慣れた顔が一つ。
「相変わらずいい時間に起きてきたな。丁度起こしに行こうと思ってたんだ」
「そういえば今日は外部での魔法実演でしたっけ」
アウローラ達が普段魔法の練習をしているのは王城内部の訓練場。
エルピスが強固な障壁を使用しているからこそ特に今のところ問題は出ていないが、ある程度強力な魔法ともなればさすがに王城内で発生させることもできない。
家庭教師になってから王都の外に出るのは久しぶりだ。
外出許可を取ること自体はそれほど問題ではなく取ろうと思えば次の日には王都の外に出ることもできたろうが、タイミングがなかったのが原因である。
「転移魔法陣に魔力を注ぐ必要があるからな。悪いがお前にも出張ってもらうぞ」
「任せてくださいよ」
魔力の保有量に関していえば周囲が感知できる物でも王国内でイロアスと並んでツートップ。
エルピスの魔力は空気中を漂っている魔素とほぼ違いがないので周囲から見ればそれほど魔力を保有しているようには見えないのだが、分かる人には分かる膨大な量が確かにある。
アルキゴスに案内されるままに王城内部を歩き回り、隠されている通路をいくつか通り抜けながら技能がなければ自分がどこにいるのかすらも分からないような場所まで案内されたエルピス。
部屋の中に入ってみれば足の踏み場もないようなほど転移魔法陣に関する術式が刻まれており、ぱっと見ではどこに転移するのかどの条件で転移するのかもよく分からないように作られている。
かく言うエルピスも魔法陣の文言を見て内容を理解することはできず、魔神の直感がなんとなくでその魔法に関してどういった効果があるのかを教えてくれなければそれなりに時間がかかる事だろう。
「それじゃあ作業を始めますか」
♬
そうしてそれなりの時間が経過し、エルピス達は用意した転移魔法陣を用いて王都の外へとやってきていた。
視界に広がるのは地平線まで続く平原。
ぽつぽつと見える人々の影はかなり遠く、周囲に人のいる気配はない。
一応万が一も考えて事前に人払いをしている上に元々この近辺は薬草の採取など依頼でもされない限り寄る様な場所でもないらしく、しかも薬草自体あまり自生していないのでこれほど人が少ないらしい。
「さてアウローラ。大丈夫だとは思うけど体調不良とかその他問題はない? 急に増えた魔力の順応訓練は上手く行っているみたいだけど」
「ええ。昨日のうちにセラにも確認してもらったし、そこら辺のことは飛ばしてもらって構わないわ」
一体いつのまにやってくれていたのか。
セラが既に諸問題について確認を取ってくれていたようなので、エルピスも早速準備に取り掛かる。
今日やる魔法は大規模破壊魔法、無属性のソレは魔力操作を最低限しか私用しない爆破を発生させるのだが、仮に操作を失敗した場合自らの魔力と反応して自爆する可能性がある。
それを避けるためには事前に魔法発動ギリギリのラインまで魔力を消費しておく必要性があり、アウローラにはそれに関しても事前に説明済みだ。
「じゃあもう撃ち始めて良いかしら?」
「いいよ。中級程度の魔法から徐々に撃って身体を慣らしていこうか」
少し離れた場所でアウローラが魔法を撃ち出し、それをセラに任せたエルピスはアルキゴスの方へと近づいて行く。
この場所に来る前から気になっていたことがあったので、それについての相談をする為だ。
「とりあえず魔力を打ち切るまではこれで良いでしょう。それでアルさん、最近王都を飛び回ってる鳥についてですけど何かわかりました?」
最近の王都はいつにも増して他国からの密偵が多い。
原因は半月後に行われる王国建国を祝う一週間にもなる祝日、王国祭の開催が近づいているからだろう事は間違いない。
一体何をするつもりなのかは知らないが、王都にいる間エルピス達は常になんらかの手段で監視されている。
エルピス達からそう遠く無い距離を一定の間隔を開けながら飛ぶ鳥の存在を知ったのは、フィトゥスがつい数日前の訓練中に教えてくれたからだ。
巧妙に隠されている上によく訓練された鳥はそれっぽい動きを見せず、自分が監視されているという意識のないエルピスではまるで気がつくことができなかった。
すぐにアルキゴスとマギアに報告し調査を依頼していたのだが、エルピスの言葉に対してアルキゴスは首を縦に振った。
「元々噂は聞いた事があったが、アレは共和国が密偵用に使ってる鳥だな。この前目視もしたし間違いないだろう」
「四大国で唯一のお隣さんじゃないですか。じゃあ落とすのはまずいですかね?」
「不味いんじゃろうなぁ……。見られて困るようなもんは見られとらんがそれでも鬱陶しいから落としたいが」
苦虫を噛み潰したような険しい表情を浮かべるマギアはエルピスよりよほど好戦的だ。
だが手出し出来ないのは相手が悪すぎるから。
これがもし四大国以外の国の特殊部隊であったなら、マギアとアルキゴスの二人はさっさと処分していた事だろう。
だが建国祭を前にして四大国と事を構えるのは論外、実害も出ていないのに向こうの子飼いを殺しては何を言われるか分かったものでもない。
だからこそ向こうもこちら側に口実を与えない為様子見に徹しているのだろう。
「大人は大変ですねぇ」
「お前はこれから俺達より監視がつくと思うぞ。イロアスなんて貴族としての爵位を貰うまでは常に数十人単位で監視されてたらしいしな」
「最悪ですねそれ」
両親があんな人里離れた場所に居を構えるのも分かる。
周囲から常に監視されながら暮らすのは中々に苦痛だ、少なくともここ数日でエルピスのストレス値はこの世界に来てから過去最高を更新し続けていた。
祭りが終わるまでは動くなと言われているので大人しく従っているが、祭りが終わり次第全ての監視員を国外に飛ばしてやろうと密かに画策しているのはここだけの秘密である。
(それもこれも全部なんか便利になった気配察知のおかげだな)
神殿から帰ってくる間に起きた身体の変化のうちの一つで、エルピスの気配察知は魔力察知と混ざることで〈神域〉という新たな#特殊技能__ユニークスキル__#に変化しているのだが、自分の能力をわざわざ確認しない当の本人はなんとなくでしかそれを知らない。
いまやエルピスが全開で探知した際の範囲は数十キロに及び、今後の訓練次第ではさらなる伸び代すら感じられるほどだった。
肩を落として苦い顔をする3人組だったが、そんな彼等とは違いアウローラは楽しそうに準備が終わった事を告げにこちらにやってくる。
「エルピス~っ! 魔力全部使い切ったわよ!」
「随分と早かったね」
セラと共にこちらへやって来たアウローラは難しい顔をしている三人を見て一瞬怪訝そうな表情を浮かべるが、特にそれを気にすることもなくそれよりはやく強い魔法を撃たせろと言いたげな笑みを浮かべていた。
「魔法の連射はお手のものよ。それじゃあもう撃っちゃっていい?」
「ちょっと待って。結界だけ貼っておくから」
消音と魔力遮断、万が一爆風が外に出て行き被害者を出すわけにもいかないので少し強めに障壁を展開する。
数秒もすれば準備は完了し、その間にアウローラも準備を終わらせたようだ。
「──よし、いつでも良いよ」
「それじゃあ行くわよ。大爆発!!」
/
王都郊外。
魔法によって隠蔽されたテントの中は薄暗く、重たい空気が辺りを支配していた。
会議室の様に並べられた長机は向かい合わせに設置されており、並べられた椅子に座っているのは二人。
片方はまだ二十くらいの青年で、修羅場を何度も潜った者特有の落ち着いた雰囲気を持っている。
もう片方は三十過ぎの頬に十字の傷がある男、こちらはかなり筋肉質な体格をしており細身な青年とは対照的に映った。
どちらも一般人とは隔絶した気配を持ち、街中を歩けば目立つことこの上ない。
「それで情報は集まったのか?」
男は睨みつける様にしながら細身の男に問いかけた。
ここ数日間成果が上がっていないのでイラついている彼は、隙があれば殺しにかかってきそうな雰囲気を纏っている。
「もちろん。全く外に出てこないので困りましたが、いつでも仕掛けられますよ」
「それならいい。王国祭はいつからだ?」
「16日後。報告受けてたでしょ?」
「そんなもん聞いてない。法国の方はどうだ?」
「向こうは別の班が抑えるみたいですよ。何人死にますかね?」
同じ四大国とはいえ力の差は明確に存在する。
商業的に成功を収めた連合王国、軍事力に秀でている帝国、各地に自らの勢力を置き神が許を構える唯一の国法国、そして中堅規模の国家七つが固まってできた共和国。
部隊が出来上がり運用される様になってからの歴史を考えれば力量差は明確、全滅こそしないがまず時間稼ぎで精一杯だろう。
「知らん。だがまぁコイツがあれば少なくとも全滅にはならんだろ」
カプセルの様な物を取り出した青年は、錠剤程度のサイズのそれを見ながらゆっくりと顔を笑みに染めていく。
絶対的な自信と磨き上げた技量、それに今回は大量の資金に特別な報酬まで用意されている。
手足となる部隊員の数は五十と少し、あの戦士長でもその人数相手に一人で何かが出来るわけでもない。
まして全員がこれを使用するとなれば、尚更だ。
「我らが主人さまの為に頑張ってお仕事をするとしますか」
椅子を蹴り飛ばし立ち上がった青年は、そのまま外に出ていく。
その背中は勝利に対する自信に満ち溢れ、これから起きるであろう悲劇に期待している様だった。