瀬戸内君の夢
……あるの、だけど。
「……まあ、ずうっと絵を描き続けてるわりに、大した賞も取れてない私が語るには、ちょっと身の程知らずな夢かもしれないけどね」
どれほど熱意があったって、それが必ずしも実績に結びつくものじゃない。それは、十年以上もずっと、絵を描き続けた私が、一番よく知ってる。
それでも、頑張るって決めてはいるけど……いざ、こうして口に出して人に夢を語ると、とたんに自信がなくなってしまう。
自分が、どうしようもなく無謀なことをしているような気がして。
『ーー今野先輩の絵って、技術はピカイチっすけど……なんてか、感動がないんすよねー』
琴音ちゃんが入部したばかりの頃、何気なく言われたその言葉が、脳裏に蘇る。
多分、琴音ちゃんは思ったままの感想を口にしただけで、そこに悪意とか、そう言うのはなかったんだと思う。
だけど、だからこそ、その言葉は、私の胸に深く突き刺さって、今でも抜けないでいる。
練習を重ねれば、絵は上手くなる。
だけど、絵の上手さだけでは、人を感動はさせられない。プラスアルファの何かが、必要なんだ。
……だけど、私には、そのプラスアルファが、ない。
どこまでも、私は、どこにでもいるような平凡な人間だから。
どう足掻いても、天才にはなれない。
その事実が、ただ苦い。
「……身の程知らずなんかじゃない」
「…………」
「今野なら、絶対夢が叶うよ」
「……根拠は、ないけど?」
思わずそう言ってしまってから、すぐに後悔する。
……瀬戸内君は、先月も今も、私を応援するためにこう言ってくれてるのに、私はなんていやな奴なんだろう。
こんなんじゃ、瀬戸内君に嫌われちゃう。
「……ご、ごめ」
「根拠はあるよ……だって今野、こないだ俺に、コンクールに応募した絵の画像、送ってくれただろう?」
言い掛けた謝罪の言葉は、きっぱりと言い切られた瀬戸内君の言葉に、かき消された。
「俺は、芸術に関してはさっぱりだけど……それでも、あれを見て感動した。石像の顔にキスしようとする女の子の表情が、まるで生きてるみたいで……見てて、どきどきした」
「瀬戸内君……」
「俺は、今野の絵が好きだよ……今野が描いた絵だからってのもあるけど、それをさし引いても、すごく綺麗だと思う……だから、実はこっそり、あの画像をスマホの待ち受けにしてるし……」
「え? 嘘」
「こ、今野が嫌だったら、すぐに設定やめるから!」
「嫌じゃないけど……ちょっと、信じられなくて」
瀬戸内君が、私の絵を、待ち受けにするほど気に入ってくれたなんて、信じられない。
メールで褒めてくれたのも、お世辞だと思っていたのに。
「……ほら」
気まずげに差し出された瀬戸内君のスマホには、確かに私が添付したサロメの絵が、映し出されていた。
「本当、だ……」
「……きっと俺以外にも、今野の絵が好きだって人間は、いるよ。いや、間違いなく、いる。それはたまたまコンクールの審査員ではなかったかもしれないけど……それでも、今野の絵が、人に感動を与えられないってことはない。だから、身の程知らずなんて言うなよ」
瀬戸内君の言葉は、降り注ぐような花火の光と共に、私の胸に染みこんできた。
上手くいかない現実に、捻くれて、ささくれだっていた心が、癒されていくのが、分かる。
……ばかだな。私。瀬戸内君は適当なこと言っているだなんて、勝手に思い込んで。
「……ありがとう。瀬戸内君」
瀬戸内君は私が思うよりずっと、私のことを見ていてくれたのに。
溶けかけたかき氷と共に、湧き上がってきた後悔を飲み込んだ。
「……瀬戸内君は、夢ってある? やっぱりサッカーのこと?」
「いや、俺は大林と違って、そこまでサッカーに熱いわけじゃないから……サッカー自体は好きだし、悔いがないくらいに部活は励んだつもりだけど、高校卒業後までは続けるつもりはないな」
「そっか。それじゃあ、卒業したらしたいこととか、あるの?」
瀬戸内君は私の問いかけに少し黙り込んでから、花火を見上げた。
「俺は………もっと、俺が知らない世界を知りたいと思ってる」
瀬戸内君が、知らない世界?
「俺はさ、親が転勤族だったから、小さい頃からずっと色んな場所を転々としてたんだ。それで小学校の低学年の頃かな? 一年くらい、外国に住んでたことがあったんだ」
「外国?」
「そう。アメリカ。……英語なんて、ハローくらいしか知らない頃だったから、最初はすごく大変だった」
言葉も違う。文化も違う。人種だって様々な状況で、小さい瀬戸内君はすごく苦労したらしい。
……外国に行ったことすらない私には、その苦労がいったいどれだけか、想像しかできないなあ。
悲しいかな、英会話能力も、私は、低学年の頃の瀬戸内君とドッコイドッコイな気がするし。
「大変だったけど……すごく、楽しかった。何をとっても日本と違うものばかりで。世界ってこんなに広いんだって、身に染みて気づかされた。今まで自分は、どれだけ狭い世界と狭い常識の中で生きてきたんだろうって」




