◆ゴミ山の三姉妹とお肉の巻◆
頽廃した山の斜面は粘ついた死臭と陽の届かない宵闇に包まれていた。
ここには憐れむ者もいなければ聖者もいない。
崩れかけた空は鉄が錆びたような濁った灰色。
毒気をたっぷりと含んだ大気は淀みきっていた。
ここは世界から見放されたものが集うゴミ島……役目を終えた旧世代の不要なものが流れ着き混沌と貧困があふれる軽蔑の象徴たる島。
そんな島でも精一杯生きるものもいた。
「こらぁシロ、そんなに走ったら腐った死体ふんで転ぶぞ……って、あーあ、服汚しちゃって拷問好きの緋影姉さまに怒られて呪われて乳首をつねられるよ」
「びえぇぇーん、おはなくちゃいくちゃいですぅ」
ショートカットの少女の口から思わず溜息がこぼれた。
その少女の視線の先には薄暗闇の中腐った死体を踏みつけて盛大に転んだシロと呼ばれる少女が鼻をおさえながら斜面に転がっている死体を八つ当たりとばかりにゲシゲシと蹴り上げる姿があった。
「ぶーっ! この死体はいったい誰に断ってこんなところで死んでやがるのですかぁ。こんなに腐っていたら食べられないのですぅ。はっ、もしや、シロのパンツが見たくてそこで寝転がって死んでいるのですかぁ!? ふん、やんごとなきエロ馬鹿な奴ですぅ、シロはパンツをはかないのですぅ」
シロと呼ばれている黒髪の少女はペッタンコの胸をはって「えっへん!」と鼻息荒く大真面目に頷いた。
すると頭にかぶっていたフードがズレ落ちて大きな耳がひょこんと現れる。
その耳は柴犬の耳のようにピンと立っていた。
「この馬鹿犬神、その貧相な身体の何処に魅力があるの、それに今週は私が服の洗濯当番なのよ。洗い物を増やす行為をするんならその汚れた服ごとシロをここに埋めて全てをなかったことにするよ」
「むひーっ、怖い姉ちゃんですぅ。ゆきなみたいな出来損ないの行き遅れは黙って金目のものをさがすのですぅ。収穫なくゆるぎ荘に帰ったら役たたずと罵られてゴミの刑がまっているのですぅ」
ゆきなと呼ばれたショートカットの少女は呆れ気味に溜息を吐くとめがねのふちを一度持ち上げながらシロを眺めて紺色の軍服の詰襟に手をかけグリーンの毛先をいじった。
そして悪態をつくシロに近づいていくと嫌な顔一つせずにシロの汚れた鼻を手持ちのハンカチで拭く。
「そう、シロは甘えん坊だから……あれっ、いつの間にか囲まれたみたいですよ」
ゆきなはシロにそう言うと口の端をニィとつりあげて悪戯ぽく笑った。
そして斜面の下方に振り返った瞬間その顔から能面のように表情が消える。
「フーフー」
静まりかえった世界に薄気味悪い息遣いが聞こえる。
遠目に見てもわかる。
するとゴミの物陰から数人の男女が姿を見せた。
彼らの顔は蒼白で生気がないまるで生ける死者だ……いや亡者といったほうが正しいだろう。
「むふふーっ、八つ当たりで殺すのですぅ。ううん? あいつらなんか透明の柩をもっていますぅ。凄い宝物が入っているかもかもですぅ。ネギ背負ったかもが食べたいのですぅ」
「シロ、死人は殺しようがないよ、あれは修羅界から追放された亡者ですよ。まぁ、この場所は次元の狭間と生者の世界から不要なゴミが捨てられる島。怠慢している鬼が地獄であぶれた死人を無差別に捨ててもわからないからね」
「はうーっ、なのなのですねーっ。ちかごろこのあたりに腐った死体がコロコロと落ちているのは亡者が腐って転がるからなのですぅ。ただでもくっちゃい島なのに! 死体の腐敗臭はとっても迷惑なのですぅ」
ここのゴミ島は生者だろうが亡者だろうがはたまた神だろうが捨てられる。
原因は数多ある、ただしその詮索は御法度だ。
それは不要者や無法者が蔓延るこの世界での唯一無比のルールであった。
当てどころなくゴミの山を彷徨っていた亡者たちは歪な顔をさらに歪めて草も生えない腐った地面を踏みしめるとゆきなとシロに向かって朽ち果てかけた肉体を進める。
酷くおぞましい亡者は空腹感を満たすただそれだけのために生者を貪り喰う。
ただこの場にいる生者であるシロとゆきなは人ではない。
シロがちらりとゆきなを見上げるとゆきなは小さく頷く。
「ほむーっ、追いかけてくる相手が美形で優しいお兄ちゃんならシロは手とり足とり股とり懇切丁寧に子作りにはげみますのにぃ。クチャドロ死人はタイプじゃないですぅ」
犬神――シロの言葉にゆきなは「ふぅ」と小さく溜息を吐くと無言でシロの尻を叩いた。
「わかったですぅ、やるのですぅ。叩かないでくだしゃい。まったく犬づかいが荒い軍服姉ちゃんですぅーっ。ホルダーの黒いのをちょこっと使ったらかんたんに始末できるのに、そのかわり、あの透明の柩の中身はシロがもらうのですぅ」
シロはそう言葉をこぼすとげんなりとした顔で一歩踏み出して宙に舞った。
「すぐに始末してあげますぅ。しっかり成仏するのですぅーっ。ナムナム」
山の斜面を軽やかに踏みしめ蹴り上げると獣を撃ち殺すように加速したカギ爪が亡者の脇腹や頭部のドス黒い皮膚を躊躇なく引き裂く。
亡者から吹き上がる変色した血はカビ臭くドロドロだ。
「うえーん、悲惨なのですぅーっ! 爪と肉球の間にくっちゃい肉が挟まってとれないですぅ」
もはや動くこともできずに原型を失った死体が累々と転がった斜面でシロは頬を膨らませて唇を尖らせながら自らの手の臭いをクンクンして「うげぇーっ、く、くちゃいのですぅ」と涙目だ。
「だから、戦いたくなかったの。そんな下賤な亡者相手に高貴な私が愛銃をつかうなんてことはしたくありませんもの」
「ほえーっ? ならなら、ゆきなはシロの手ならくちゃい死肉まみれになってもОKといいたいのですかぁーっ?」
「誤解しないでください、大きな目標に対しての小さきことは捨ておくということです。お分かりですか馬鹿犬」
「むっきーっ、誰が馬鹿犬ですかぁーっ、ちゃんと十までは数字が数えられる優秀なシロですぅ。シロの目標はりっぱな花嫁さんになることですぅ」
「はいはい、この住処に帰ったら緋影姉さまに花嫁どころか家畜にされるよ」
「はうぅーっ! 家畜は嫌なのですぅ。たしかに何も収穫もせずに帰ったらあの陰険なエロ緋影姉ちゃんの遊び道具にされてしまいますぅ。お尻の穴に竹槍なんか刺されたくないですぅ」
懊悩めいた声をあげて困惑気味のシロをさも楽しそうにゆきなは視線をやり、目を細めた。
そして普段と変わらない静謐な雰囲気で淡々と言葉を紡ぐ。
「それよりもそこに転がっている柩を確認したら? 金目のものが入っていましたら死体漁りなんてやめて緋影姉さまにドヤ顔で献上してノルマ達成よ!」
「むーっ、あれはシロのものですぅ。こんなにくっちゃいおもいをしたのですぅ。一つぐらい約得がほしいのですぅ」
クンクンと臭いを嗅ぎながら危険性がないことを確認したシロは透明の柩の傍に座って興奮気味に顔を伏せた。
「ほにょ、中に腐っていない人がはいっています……むむっ、かっちょよいですぅ。運命の一目惚れですぅ。とびっきりのタイプなのですぅ」
薄暗闇の中、水は濁り、異臭が漂うゴミ山の景観に似つかわしくない爛々と光るクリスタルの柩。
シロの後ろに立ったゆきなは柩の美しさに感動すら覚えて身体が竦むほど見入ってしまう。
「この柩は高品質なクリスタルガラスですわ。しかも生気が宿っています、もしかしてこれは!? シロ、左右どちらかにモニターがない?」
「モニター? それは食べられるものなのですかぁ?」
「ふーっ、シロと話していると馬鹿がうつりそうで怖いですわ」
「むきーっ! 馬鹿と言う奴が馬鹿なのですぅ。シロはアホと指をさされることはありますが馬鹿はないのですぅーっ。馬さんや鹿さんじゃないのですぅ。犬なのですぅ。きびだんご一つで鬼ヶ島まで連れていかれて馬車馬の如く働かされた犬と一緒なのですぅ」
「それを馬鹿というのですよ!」
「ほえーっ、そ、そうなのですかーっ?」
ゆきなはふふんと鼻を鳴らしながらも同情心いっぱいの視線をシロに注ぐと能面のような表情が崩れてやっと笑顔を見せた。
その笑顔は内面からあふれる優しさが滲んだ素敵な表情に感じられるものだった。
「シロ、ここに長居したら今晩夢見が悪くなりそうですから住処に帰ります。その柩はシロが担いで持って帰りなさい。緋影姉さまはキラキラするものが大好きだから柩は没収されそうだけど中身はどうせ実験台になるんだからシロがネコババしておきなさい。黙っといてあげるから」
「ゆきな、シロは猫ではないのですぅ。犬がネコババはしないのですぅーっ。イヌババなのですぅーっ!」
「はいはい、イヌババね。シロ、あなたの馬鹿力でしっかりと担いで帰りなさい。その中身が生きていたら飼っていいけどご飯の面倒はしっかりシロが見るのよ。死んでいたら今夜の晩御飯に寄付しなさい」
「ふえーん、シロは馬鹿じゃないのですぅ」
顔を曇らせて姦しくの抗議をするシロを素っ気なく一瞥したゆきなは家路への道のりを歩み始めた。