37 「愛のコリーダ」
ドクロの仮面を被り、鎖やシルバーを全身に縛り付けたケン・ホッパが、じわりじわりと前に歩を進める。
蛇に睨まれた蛙のように、以前と様子が違うケン・ホッパに恐怖を感じ、怯むシュガーレス。同時に、さっき、彼に投げられたナイフが、今までの右足に蓄積されてきた深い傷に突き刺さり、まともに立ち上がれない。あまりのケンの変貌、あまりのダメージにシュガーレスは身動きが取れない。
(この身体中が締め付けられ、意識が遠退く…、この感じは…)
この二つの衝撃に、久しぶりに、シュガーレス…、いや、ゼファーナは絶望感を感じた。
ケン・ホッパ、エターナリティとの戦闘の際、彼の圧倒的な格闘能力により、死の寸前まで追い詰められた…、が、その最後に、シュガーレスは辛勝。しかし、自分を死の寸前までに追い詰めたケンの戦闘力に、ゼファーナの心の奥に深い傷を負った。そう、シュガーレスには、ケンがトラウマになっていた。
しかも、そのトラウマは、過去の自分の漆黒の過去を蘇らせるような感覚にも似ていた。あの胃が締め付けられ、全身が痙攣した机の…、床の臭いを。
(やめろ…、思い出すな…!今は、関係ないんだ!!今は…!!)
ジンッ…!
過去に脳が支配されそうになった瞬間…。かすかに、そのシュガーレスマスクの目が、紅く光った…。
「ケン・ホッパ…!脱走したのか…。なら、俺に協力しろ!同じ、スリーピングの仲間として…」
動けなくなったシュガーレスを見計らい、着地した状態のまま、アイルの鳥村は、新たなドクロのファンタジスタスーツを身に付けたケンの登場で、しめた!と優勢になった喜びを感じた。
どういう経路で、この場に現れ、その新たなファンタジスタスーツをアンチヒューマンズより手に入れたのかは不明だが、一応、スリーピングの刺客としての契りは切れていないはずだ…。ケンが味方着き、圧倒的有利に立つ…、これで、奴から、コルテを奪い返し、更に、その黒い試作と呼ばれ続けたファンタジスタスーツを奪えば、あの巨大な男…、セプテンバー・ミリアから認められ、自分も、巨大な地位と力を得られる…、と、鳥村は、数秒前に思った。
だが、違う疑問が、鳥村の頭に浮き上がった。
(シュガーレス…?あの試作の名前か…?確か、資料には名前がなかった…、何故、あいつ、知っている…)
ファンタジスタスーツの名前は、開発者か、持ち主がつける、ペットネームみたいな物だ。個人の勝手で決める。
しかし、敵対しているアンチヒューマンズと、地獄同盟会が、互いのファンタジスタスーツのペットネームを知るのは、相手が自分のファンタジスタスーツの名前を名乗る以外に無理だ。だから、ゼファーナはアイルを『鳥型』と呼び、鳥村は、シュガーレスを『黒いスーツ』と呼んでいる。以前からも、互いのファンタジスタスーツの名前を呼び合ったことはない。
だが、ケンは、試作を『シュガーレス』と呼んだ。以前から、アンチヒューマンズに、試作としか呼ばれていなかった黒い試作を。
「おい…、ケン・ホッパ…、貴様…」
地獄同盟会に捕まった時にでも、名前を知ったのか…?とでも思った鳥村は、ケンの方に首を向けた。
すると…。
シュ!
ケンが手に巻いてあったチェーンを、ブン!と上から、斜めに一直線に振った。鳥村のアイルの顔の前で…。
「えっ!?」
綺麗な斜め一直線が、鳥村の顔に引かれた。すると、あの鳥の形をしたマスクが真っ二つに引き裂かれ、鳥村の顔面の額、鼻の頭から顎の先まで、皮膚が、ジッパーのように、パカッ!と開き、血がドバッ!と吹き出た。
アイルのマスクは地面に落ち、その顔面から流れる血に染め上げられた。流れ落ちる血を手で触れようと、傷に手を当てる鳥村…。そして、傷に触れた瞬間、遅くなって現れた激痛が走った。
「ぎゃああああああああああ!!!!」
味方に、顔面を着られた鳥村は激痛に叫ぶ。バカな!バカな!と叫びながら、自分の顔にチェーンで傷をつけたケンの行動に、鳥村は叫ぶ。
何故だ!!と、傷に触れながら、マスクが斬られ、ファンタジスタスーツが機能しなくなったアイルの姿で、鳥村はケンに襲い掛かる。
だが…、
「邪魔なんだよ…、君は…」
手に巻いてあったチェーンを、またブン!と振り回し、今度は、鳥村の首に巻き付く。くぐっ!と、鳥村の首をチェーンが絞め上げる。頸動脈は斬れていないが、首の皮膚は開き、血が流れていた。
苦しみもがく鳥村は、首に巻き付けられたチェーンを外そうと、手を掛けるものの、今度は両手の手首には、ケンのもう片方の手から飛んできたチェーンが巻き付き、動きが阻止された。また、手首の皮が開く。
チェーンを両手で操りながら、ケンは鳥村を睨む。
「うるさいよ…、君…。僕、君のこと、嫌いだから…。それに、君のせいで…」
ケンが鳥村から、視線を変えると、さっきまで、身動きが取れなくなっていたはずのシュガーレスが、いつの間にか消えていた。どうやら、ケンが鳥村を襲った瞬間か、その前に、上手いこと、他の住宅の屋根に飛び移り、逃げたのだ。
復讐するはずの相手から逃げられたケンは不機嫌になり、逃げる時間を与える原因になった、かっての仲間を鎖で絞め上げている。
そして、かっての仲間の変貌に、自分の首が絞められていることへのよりも恐怖に感じている鳥村。
違うのだ、かってのケン・ホッパと、現在のケン・ホッパとは。口調も姿も、風格も、オーラも。
「貴様、なにがあった…?そのファンタジスタスーツは、なんだ…」
首が絞められ、意識が途切れてきた鳥村の力は弱くなってきた。
すると…。
ジャリッ!ジャリッ!
首、両手首に巻きつけられた、あの鎖が絞め上げるのやめ、床に音を鳴らし落ちた。鳥村は酸欠気味になって、床に伏せ、はぁはぁ!と激しく呼吸を整える。
「こっちの台詞だよ…。鳥村君…。後ろ楯がなきゃあ、なにも出来ない弱虫のいくじなしのゲスカスで、この世で最も、この地球の空気を吸う価値のないクズが…」
ドクロのマスクを外し、去っていたシュガーレスを目で探しながら、ケン・ホッパは、這いつくばる鳥村を見下した。
しばらく時間が経過した夜…。シュガーレスと、鳥村の血痕が残るマンションから離れた位置に、公園があった。
そこに、ケンの姿が…。鳥村の姿はなく、彼一人…。
ケンはマスクを脱いだままで、あの革とシルバーだらけのファンタジスタスーツの姿で、夜の公園のベンチに腰を掛け、ファーストフード店で購入してきたベーコンレタスバーガーを食べていた。
時折、周囲を警戒し、通り掛かる人々を睨むようにして、バクバク!と貪るように食べている。異様な姿、服装の彼に通り掛かる人々は皆、警戒した。
しかし、そんな彼に近づく、一つの影があった。
「どうです…?ファンタジスタスーツ、『クレージー・スカイホッパー』は?」
その声に、ケンの手と口が止まる。
自分に近づいてきた影に顔を向けるケン。
「あなたか…」
暗くて、よく影の顔が解らなかったが、ケンは影は顔見知りと判断したため、またベーコンレタスバーガーを食べ始めた。
影は、そのまま、ケンの隣に座る。その暗くて見えなかった顔が公園の電灯に照らされ、はっきりと、その目鼻立ちが現れる…。
「あなたには感謝してるよ…。この鎖を操る特性は気に、実にいい…」
どういたしまして…、と、ケンを見つめながら頷くのは、ザッパー・春雨だった…。
地獄同盟会の彼、ザッパー・春雨が、あのケンのファンタジスタスーツ、『クレージー・スカイホッパー』を与えたのだ。
「君が、ライフコーポレーションから脱走したのは、こちらもタイミングが良かった…」
ザッパーは、ケンが手に握っているベーコンレタスバーガーを奪い、自分の口に入れた。彼の口の周りに、マヨネーズのあとが付く。
すると、ケンはザッパーの口の周りを手で拭いながら…、
「あなたが…、あの日…、地獄に堕ちた俺を救ってくれなくば…」
と、ケンはザッパーの口元を拭った手を、べちゃくちゃと自分の口に含み、舐め回しながら話す。
ザッパーは、かすかに微笑みながら、ケンの頬に手を当てる。
「僕より、君に、ファンタジスタスーツを提供してくれた、『エヌアル』様に感謝してくれ…」
エヌアルと言葉を口にした瞬間、ザッパーの目は笑った。
あの地下に潜むディスコクラブ…。
そこには、いつものように、セプテンバー・ミリアがサラミをつまみにし、80年代のディスコミュージックに酔いながら、酒を飲んでいた。彼の脇には、精悍な顔つきになった部下、坂本佳祐の姿と、もう一人、かなりの露出の高いドレスを着た褐色肌の女性の姿が…。
「セプテンバー様!助けてください!」
じたばたと床を泳ぐようにして、顔に残った右斜め下の生傷が乾いた鳥村が、セプテンバーの目の前に現れた。
ケンから逃げ出した後のようで、マスクを失ったファンタジスタスーツ、アイルは、もうはや、ただの布切れになっている。
テーブルよりも低く、ボロボロになった身を下にし、涙と鼻水でグシャグシャになった顔を、セプテンバーに曝し、鳥村は叫ぶ。
「助けてください!セプテンバー様!!スリーピングのケン・ホッパが我々を裏切り…」
必死に何かを話そうとしている鳥村を遮るように…、
「コ・ル・テは、どうした?ん、チェリーボーイ?」
バシャッ!
セプテンバーは手に持ったグラスから、酒を這いつくばる鳥村にかけた。
出来たばかりの傷痕に、その度数の高い酒がかかり、強烈に染み、鳥村は悶絶。それを見て、坂本と、謎の女性がクスクスと笑う。
傷痕を抑えながら、鳥村は、また必死に叫び…。
「そんなことよりも…、ケン・ホッパが…」
「だから、なんだ…。コルテを連れてこれずに、ファンタジスタスーツを失った焼き鳥君には興味はない…。その全身の皮で串焼きでも作れ…」
鳥村を拒否し、セプテンバーは、坂本に注がれた酒を片手に、口に含み、立ち上がる。
「しかし…、奴には、新型のファンタジスタスーツが!」
ガシャン!!
セプテンバーは、手に握っているグラスを鳥村の顔面に投げ付けた。
グラスが割れ、破片が彼の顔に突き刺さり、血が飛び、鳥村は悲鳴を上げる。目に刺さらなかったようだが、目蓋に破片が刺さり、眼球を赤く染め上げた。
顔を血に染め、赤くなった眼球で、セプテンバーを睨みながら…、
「貴様は、俺を…、俺を騙したのか!!」
と、鳥村が叫んだ。
しかし、セプテンバーは新しいグラスを握りながら、視線を、遠くのカウンターに居るバーテンダーに向ける。
その視線を受け取ったバーテンダーは、グラスを拭くの止めて、右手を大きく挙げた。
「セプテンバー・ミリアァァァァ!!!!」
坂本に身体を抑えながらも、セプテンバーに断末魔ような叫びと、憎悪を放つ、鳥村。
しかし…、バコッ!と坂本にみぞおちを殴られ、鳥村は声ではなく、胃液を吐き、膝から前に崩れた。その鳥村の髪の毛をわしづかみ、身体を持ち上げる坂本は、冷酷な眼差しで…、
「身の程をわきまえろ…、貴様のような奴を、セプテンバー様は、最初から信用していない…」
と、声を失い苦痛に藻掻く、鳥村の血塗れの顔を睨む。
それ見ながら、隣の美女の肩に手を置き笑うセプテンバーは、また席に座る。
「そいつを、焼き鳥にしてやれ…。俺は、焼き鳥メニューで、一番、好きなのはレバーだ…」
セプテンバーの言葉を聞き受けた坂本は、コクン!と首を頷かせて、冷酷な笑みを浮かべて、髪の毛を引っ張り、鳥村の身体を引きづり、店のドアに向かって行く。
それに合わせて、さっき、バーテンダーが呼び出した、安価型のファンタジスタスーツを纏った五人の屈強な男たちが現れた。たぶん、彼らもセプテンバーの部下…。坂本のあとに続き、店のドアに向かう。
間違いなく、このあと、店の外でリンチされる…、と鳥村は髪の毛を引っ張られる痛みを感じながら思った。そして、やっと、取り戻した声で、最後に叫ぶ…。
「セプテンバァァァァ!!!!貴様はな!一つのミスをしたぞ!!」
店のドアが開き、そのまま、引きづられながらも叫び続ける鳥村。口から、胃液と血を吐きながら、遠ざかるセプテンバーに叫ぶ。
その言葉に、セプテンバーの酒を口に含もうとする手が止まった。
「元・スリーピングのケン・ホッパは、あの黒い試作の名前を『シュガーレス』と呼んだああああ!!貴様や、俺が知らない場所で、なにか最悪の事態が進んでんだよ!!」
黙れ!と、坂本は鳥村の腹部を蹴り、他の安価型ファンタジスタスーツの男たちも、鳥村の身体を蹴る。
「地獄よりも…、暗い紅い空の上で…、俺は…、貴様が昇天すんのを楽しみにしてるぞ!!ぶっははははははは!!!!」
この言葉を残し、鳥村は外に投げ出された。
セプテンバーはグラスを、メキメキと握り締め、グシャグシャに握り潰した。破片が彼の手に刺さり、血と酒が床やテーブルに散らばる。
それを見て、褐色肌の女性が、テーブルの上にあるおしぼりで、血が流れ出る彼の手を止血し、バーテンダーに呼び掛ける。
手をわなわな…、と震わせながら、セプテンバーは…、
「シュガーレスだと…!」
鳥村の断末魔に、額に血管を浮かせる。
バコッ!バコッ!
店の外の人目につかない場所で、鳥村は五人のファンタジスタスーツの男たちから囲まれ、殴られ、蹴られた。
ふー、と息を吐いて、始末は任せたと言い残し、坂本は、この場を五人のファンタジスタスーツの男たちに任せ、去った。
言われた通りに、鳥村の身体の原型を人間では無くすかのように、五人のファンタジスタスーツは、彼の身体を殴り蹴る。
(ああ…、死ぬのか、俺は…)
ひとときでも、あのセプテンバーに騙され、彼を信じてしまった自分を悔やみながら、薄れて行く意識の中で、鳥村は最期を迎えようと覚悟した。悔しかったが、ファンタジスタスーツ、アイルを失ったことと、この絶望的な状況から、彼は、すんなり死を受け止めた。
だが、最期まで、何故、ケンが、新たなファンタジスタスーツを得たのかが疑問ではあったが…。
ファンタジスタスーツの男一人が、大きく拳を振り上げ、鳥村の心臓部に狙いを定めた…。
そして…、
(あばよ…、このリセットの効かないゲーム以下の現実…)
鳥村は死を飲んだ。
だが…。
チャリっ!
聞き覚えのある、鎖の音が、薄れ行く鳥村の意識に響いた。
(えっ…!?)
鳥村は死を吐き出した。
そして…、目を広げると、信じられない光景だった…。
シルバーの鎖五本が、五人のファンタジスタスーツの首に飛びつき、巻きついていた。
「なっ、なに!?」
ぐぁ!と首を締め上げられ、次々に気を失っていく五人のファンタジスタスーツ達。ヨダレ、鼻水がファンタジスタスーツのマスクから漏れている。
一人の男が、その鎖が飛んできた方向に首を向ける。
「誰だ!!」
チャリっ、チャリっ、とシルバーの音を鳴らしながら、奴は闇夜から姿を現した。
鳥村は目を疑った。
闇夜から現れ、鳥村をリンチしていた五人の首を締め上げる鎖を、その両手に握っているのは…、あのドクロの形をしたマスクと、革のファンタジスタスーツ…。
「君たちぃ…、弱い者イジメは良くないねぇ…」
ケン・ホッパだった。
持っていた鎖を更に、強く引っ張り、五人の首を締め上げ、意識を消し飛ばした。
バタバタ!と倒れていく、五人のファンタジスタスーツの首から離れた鎖たちが、またケン・ホッパの身体、クレージー・スカイホッパーのファンタジスタスーツに巻き付く。
ピクピク…、と気を失い、息を途切れ途切れに、失禁している五人のファンタジスタスーツたちを踏み付けながら、クレージー・スカイホッパーは、真っ赤な傷だらけの鳥村の前に立つ。
なにが起こったのか理解出来ない鳥村…。彼は数時間前に、自分を襲ったクレージー・スカイホッパーのケンが、今では、自分を助けたという事実に驚愕している。
そんな彼の前で、クレージー・スカイホッパーは鎖が巻き付かれた自分の右手を、鳥村の目の前に差し出し…、
「どうだい…?現実は痛いだろ…。そして、ゲームより面白く…、空気が旨いだろ…」
傷だらけの鳥村の身体に肩に貸し、彼を立ち上がらせた…。
何故を自分を助けたのか、理解出来ない鳥村。
そんな彼に肩を貸しながら、ケンはマスク越しに優しい声を放つ…。
「君は、『真・地獄同盟会』入団に合格した…」
ケンは鳥村を支えながら、残った片手でマスクを外し、血、涙と鼻水に汚れた鳥村の顔を舌で舐めた。
翌日の満月の夜…。
ケン・ホッパと、同じ、革のコート、ズボン、ブーツとシルバーを身につけた鳥村が、彼と共に闇夜に立つ。
傷が深々と残る顔面を隠すかのように、片手に握っていたドクロのマスクを顔に被ると、彼の身につけていたコートや、シルバーが光を放つ…。
そう、鳥村は新たなファンタジスタスーツを手に入れた…。
クレージー・スカイホッパーを身に纏うケンはマスクの奥の瞳を輝かせ…、
「共に、『エヌアル』様が築く世界のため…、この『クレージー・スカイホッパー1号、2号』で戦おう」
そう言って、クレージー・スカイホッパー2号を纏う鳥村の身体に絡み付くように、ケン・ホッパは抱きついた。
クレージー・スカイホッパー1号、2号:使用者、ケン・ホッパ、鳥村辰。 武器、鎖。 特性、高性能型だが、同型で2つ存在するファンタジスタスーツ。身体に巻き付かれた鎖を脳波でコントロールして、蛇のように力を持たせて操ることが出来る。 なお、ケン・ホッパの変貌の理由は、R指定。




