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25.5 「プラスチックガール」

 『神速愛じんそくあい』。

 冬風カタナは、今まで、他人の目に映らないほどに、肉体を超高速に動かす、この力を使うことはなかった。その超高速動作により、周囲の空気が抵抗を持ち、肉体が空気圧により裂け、その摩擦が負担を与える。

 だが、彼は、その負担が激しいから、今まで、『神速愛』を使わなかったのではない…。

 記憶になかった…、知らなかったから使わなかった。ケリーの突然の出現に、彼は秘められていた、その力を放った。ケリーも、この力は知らなかった。

 記憶から、消えていた力を放てたのは、彼がホテルで見たヴィジョンが影響したのか…?

 それは、カタナ本人しか知らない…。




 ケリーの作戦は失敗した。

 ゼファーナの推理は当たっていた。それを聞いて、刺客の誰かか、ケリー本人が市内体育館に来るかもしれないと、先読みし、念のため、待ち伏せをしていた。

 そして、ケリーを、キャンディ・キュティを敗った。


「あなたのことは、雇い主から、組織の実験で、記憶を失ったと聞いた…」


 市内体育館のロッカールームで、胴着を着ながら、ケリーは廊下に立つカタナに話し掛ける。

 カタナは、サムライロジックの仮面を外していた。あの体中の傷は消えていた。だが、彼は疲労気味だ。

 道場にあった、雪乃の予備の胴着をカタナから渡されたケリー。さすがに、毛布一枚では、アレだと思ったからだ。

 着替え終わった彼女は、ロッカールームから出た。

 カタナは、腕を組んで、廊下の壁に背中を預けながら、ケリーに目を向けた。


「へぇ、似合うじゃないか…」


 と、彼女の胴着姿を見て、カタナは言う。

 ケリーは、顔を赤くして…、


「うるさい…。それより、あなた…」


 と、カタナと目を合わせないようにして、彼の顔に首を向いた。


「『あの実験』の…」


 なにかを知っているような口振りで、ケリーは話そうとすると…、


「さぁ、なんのことやら…」


 カタナは、ケリーから顔を逸らした。

 そして…、


「俺は、エッチな実験以外、興味はない…」


 と、ケリーに背中を向けて、カタナは言った。

 すると、ケリーは、これ以上、何も言わなかった。

 そして…、


(小雪さん…)


 カタナは小刻みに震えながら、あのヴィジョンで見た女性の名前を、心の中で呼んだ。



 あのヴィジョンは、彼の失われた記憶だったのか…?それとも、ただの幻か…。

 ケリーが言った、『あの実験』…。そして、今まで、放つことのなかった謎の力、『神速愛』の発現といい深まる、カタナに関する謎。

 冬風カタナは、地獄同盟会の一人。まるで、アンチヒューマンズという組織の、一部分を隠しているかのように、謎の包まれている…。

 地獄同盟会は、彼が敵でないのは確かだと信じている。皆が、彼の存在を必要としている。雪乃達だって。

 それは、彼が見た、おぼろげな刹那の一瞬のヴィジョンよりも、確かなことだった。

 しかし、カタナは、あの一瞬のヴィジョンが脳裏に焼き付いて離れない。



「とっ、ところで…」

「ん?」


 ケリーが、再び、話し掛けた。

 カタナは、振り向いた。


「なんで、あの時、毛布を用意してた…」


 と、ケリーは顔を赤くして聞いてきた。

 カタナは、ん?と声を出した。

 彼女が言っているのは、前回、カタナが体育館前で待ち伏せしていた時に、何故か、彼の足元に毛布があったことだ。その毛布で、ケリーの体を包んだ。

 ケリーは…、


「まさか…。私のファンタジスタスーツを剥がした後のことを考えて、前、持って準備してたの…」


 と顔を赤らめて、下を向きつつ、そう聞いてきた。

 すると、カタナは軽く笑いながら、こう答えた。


「いや、お前来るまで、あそこで寝てた…。夜のアスファルトは冷えてて、気持ちがいいし…」


 ケリーの予測は外れた。

 カタナは、両手を上げて、大きく背伸びをした。口から、大きく息を吐き、目から涙をこぼす。

 すると…、


「ふふっ…、ははは!」


 ケリーは、急に笑い始めた。

 カタナは、どうした!と言って驚く。

 無邪気に、両手で腹を抱えながら、ケリーは大きな声で笑う。まるで、さっきまで、彼女を締め付けていた、なにかが体中から抜けていくように、腹の底から笑っていた。


「ふふっ…、完璧に、あたしの負けだ…」


 と、さっきまで憎んでいたはずのカタナに、そう告げた。

 快楽とか、狂気とか、憎しみではない、違う感情の波が、ケリーの体中を満たしていた。暖かくて、柔らかな変な感情だったが。

 毒が抜け切り、表情が豊かに笑う、ケリーを見つめて、カタナも笑った。

 ちなみに、翌日の朝、カタナは、何故か、金縛りにあった。誰かの怨念だろうか…。




「そうか…」


 カタナは、その日の夜に、アルゼに話の一部始終を、電話で報告した。刺客のケリーのファンタジスタスーツ消失による、リタイヤを。

 受話器越しにアルゼの声と、ガヤガヤとした雑音が聞こえた。


「そのケリーという女も、拘束だ。出来れば、そのファンタジスタスーツも、欲しかったが…」


「ああ、それは、すまなかった…」


 と、受話器越しでも解るアルゼの口調を聞きながら、カタナは、何故か、雑音が気になった。

 彼女は、今、携帯片手にどこに居るのかが…。


「ところで、アルゼ。お前、今どこにいる…」


 思わず、聞いてしまった。

 すると…、



「牛丼屋だ」

「はい、牛皿並ですー!」



 受話器越しに、カタナは、そう聞いた。気のせいか、店員らしき人の声の『牛皿並』という単語が聞こえた。

 すると、カタナは…、


「あっ、ごめんなさい…」


 思わず、謝った。

 しかし、本当に謝らなければならないのは、完全に忘れ去っている、今、ホテルで大変なことになっているゼファーナ春日と、物凄く彼を心配していた雪乃だ。

アルゼ「牛皿、ウマッ…」

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