23 「マカロニ」
冬風カタナは、記憶を喪失した。
ゼファーナは、それを知った時、人として恥じるべき最低な考えだけど、彼を羨ましいと思ってしまった。
記憶を失うなんて、失った本人からすれば、苦しいことだ。自分が誰なのか、今まで、なにをしてきたのかを解らないのは辛い事かもしれない。
同様に、大事な人が、自分のことを忘れてしまったら、それも辛いことだ。
だけど、ゼファーナ春日は思う。
(過去なんか、思い出したくない…。
忘れたい…。
忘れたら、僕は、シュガーレスじゃなくなっても、生きていける…、はずだ…。シュガーレスを着ていれば、忘れられる…、あの苦痛…、あの匂い、あの暗やみ、あの笑い声、世界がグルグル回る感覚も、眠ったのか、気を失ったのかも解らない夜に見た、あの朝日も…。シュガーレスが、希望だ…。それ以外、なにも、もらわなくていい…)
思い出が希望をくれるなら、それはいいことだ。
だが、希望のなかった思い出は、希望をくれるのか。
一刻も早く、ゼファーナは行動をしたかった。
杞憂か、偶然が重なっただけかもしれないが、あの矢車ソウナという女は、得体が知れなくて、怪しい。と、ゼファーナは思った。
しかし…。
「痛ッ…、また、血豆が潰れた…」
雪乃は、今日の練習終了し、みんなが帰った後も、一人、竹刀で素振りをしていた。
そして、血が滲み出した左手を包帯で巻く彼女の姿を、道場で遠くから、ゼファーナは見ていた。カタナは気掛かりだったが、それ以上に、何故か、ここ最近落ち着きの無い雪乃の方が気掛かりだった。
だから、ゼファーナは着替えもせずに、胴着のまま、彼女の素振りを見ていた。
すると、素振りを集中して続けていたから、気付かなかったが、雪乃は手に包帯が巻き終えると、ゼファーナが、まだ道場に居ることに気付き…、
「あれ、春日くん、もう練習終わったから、別に帰ってもいいわよ」
と、遠くで正座している彼に言った。
すると、ゼファーナは…、
「あっ、雪乃さん!ちょっと、いいですか!?」
「はい?」
珍しく、自分から、雪乃に呼び掛けた。
場面は変わって、矢車ソウナと偽りの名で、目の前に現れ、偽りの婚約者という設定で、カタナの記憶喪失に付け込んだ刺客の一人、ケリーホッパ。
その彼女に踊らされるように…、あるいは、自分の失った記憶を求めに来たのか、ケリーに会うカタナ。
二人は、高層ビルにあるビジネスホテルのレストランで食事をしていた。
相変わらずの着物姿のカタナに、お洒落なドレスを着たケリーの二人は、窓際の席に座り、食事をしていた。
「うめぇ!マジ、うめぇ!」
絶食が当たり前の日常になっているカタナは、その毎日、満たされない胃を満たすように、大量の料理を平らげる。
ケリーは、今日は、私が奢ると言ってしまったの後悔した。
うめぇ!うめぇ!と騒ぐ彼を見つめながら、彼女は…、
(我慢、我慢よ…、カモに餌を与えていると思えば…)
予想外の出費に腹が立ったが、それをこらえた。しかし、他の客達から、変な視線を受けるのは、少々、耐えられなかった。
そして、
「ねぇ?思い出してくれた?私のこと?」
と、食事中のカタナに彼女は話し掛ける。
すると、カタナの手と口が止まった。
「すまないが…」
偽りの記憶で、根も葉もないことだから、なにも思い出せないのは当たり前だが、カタナは自分を責めた。なにも思い出せないくせに、こんな風に、食事をさせてもらってるのが、なんか申し訳が無かった。
「そう…」
哀しそうな表情を、彼女はした。もちろん、演技だ。
それを見て、カタナは、あわわ…、と申し訳なさそうな顔をした。
(うわぁ、本当に、なにも思い出せん…)
と、記憶喪失になっている自分を責める、カタナ。
すると、カタナの視線は、両肩が露出したドレスで寄せられている彼女の胸の谷間を見つめた。
(例えると、アルゼが牛皿で、雪乃は並で、彼女は特盛りってとこか…)
よく解らない例えを、牛丼でするカタナ。
(待てよ!仮に、彼女が、本当に俺の婚約者だったら、記憶失う前の俺は、この特盛りを…)
年齢不詳だが、発想のレベルが中学生と変わらないカタナは、一人で盛り上がる。
彼は、その場で頭を抱えた。
(ああっ!思い出せない!記憶失う前の俺は、この特盛りを堪能していたらしいのに!なにも、思いだせん!!)
カタナは、本当に、自分が記憶喪失なことを、心の底から悔やみ始めた。
その彼の頭を抱えて悩む姿を、ケリーは…、
(あらら、なんか苦しみ始めてやんの…。そろそろ、仕上げかな…)
と、記憶喪失に違う意味で苦しんでいるカタナに、見下し笑いをした。
カタナは思い出せるはずのない偽りの記憶を、取り戻そうと努力したが、無駄だった。
無駄な努力ほど、無駄なものはない。
市内体育館、業務員室の畳みの上で、ゼファーナと雪乃は胴着のまま、正座をして茶をすする。
珍しく、二人きりで話をしないかと、ゼファーナから言われ、そのまま、雪乃は業務員室の畳みの上に。
すると、ゼファーナが…、
「あの、ぶっちゃけ、雪乃さん、カタナさんのこと、好きでしょ…」
と、単刀直入に言った。
雪乃は口から、霧吹きか、キャブレターのように、お茶を吹き出した。ゼファーナの顔や眼鏡に、お茶が掛かる。
彼女は顔を赤くしながら、必死に、顔を手を振り、
「なに言ってんの!?君は!馬鹿なこと言わないでよ!万死に値するわよ!!」
と、激しい否定をした。
どこからか、ハンカチを取り出したゼファーナは、顔や眼鏡を拭きながら、取り乱している雪乃を見続けた。
「確かに、あいつは、顔はいいけど、スケベで、変態で、大食いで、いつも同じ服装だし、頭悪いくせに、グラビアアイドルは無駄に記憶しているし、弟の大樹にエロ単語を教えているし、普段は、無職丸出しだし!」
と、かなり荒れた様子の彼女。
しかし、だんだん、落ち着き始めて…、
「たまに、無口になる癖あるし…、面倒見が良くって、軽い感じのくせに、誰に対しても優しいし…」
と、言い始めた。
ゼファーナは、そんな彼女に、なぜか、自分の姿が重なる感じがした。
「だけど、あいつは嫌い…。記憶を失う前に、あんな美人な恋人が居たなんてね…。だから、あいつ、記憶が戻ったら、こんな場所より、あの女性の所へ行っちゃうよね…」
さっきまで、取り乱していた彼女が下を向いた。
そして、いきなり、先日、現れた偽りの婚約者の話をし始めた。
何を堪えるようにして、彼女は口を開く。
「あいつの記憶が戻るのは、あいつにとっても、いいことだし、あたしも、あいつから覗かれたり、下着盗まれたりしなくなるから、嬉しいはずなのに、あたし、カタナが記憶喪失だって知ったとき、最低なこと考えた…」
「…、それは…?」
ゼファーナは、彼女がなにを言うのか、予測出来た。
「カタナの記憶が戻らなければって…」
下向きながら、彼女がそう言った。
彼女の表情が、どんな状態なのか解らなかったが、ゼファーナは、一つだけ解ることがある。
同じように、誰かに片想いしてて、同じようなことを考えてしまったことだ。
しかし、彼女は、自分の考えを卑しいと感じているのに、自分は…、と、ゼファーナは思った。
すると、いきなり、雪乃は顔を上げた。
「ていうか、いきなり、あんたは、なに言わせるのよ!!」
「ひぃー!」
と、また取り乱した態度で、今度は、ゼファーナを責め始めた。
顔を赤くしながら、責め立ててくる彼女に対して、ゼファーナは仕方なく…、
「実は、僕も気になっている女性がいまして…」
「えっ!」
と、頭に桜花を浮かべながら、ゼファーナは言った。正直、恥ずかしかったが、雪乃の方が恥ずかしい思いをしてるだろうと考えた。
おかげで、雪乃は納まった。
そして、雪乃は笑いながら、
「へぇ、じゃあ、あたし達、片想い同盟会ね!」
と、ゼファーナの手を握った。
雪乃に、そう言われ、ゼファーナはリアクションに困った。
一方、話の話題になっているカタナは…。
電灯を灯さない暗いホテルの寝室。
さっきから、シャワー音が鳴り響く、室内のベッドに、カタナが着物姿で座っている。
そして、彼は…、
「これって、こーいうことだよな…。特盛りを戴くってこと…、いや、男と女が生き物としての営みというか…」
ブツブツと、なにかを呟きながら、カタナは自分の興奮状態を抑えていた。
そして、壁越しのシャワールームの中には、ケリーが居た。
彼女はシャワーなど、浴びておらず、ただ蛇口を捻り、垂れ流しにして、音だけ鳴らしている。
着ていたドレスや、下着を脱ぎ捨て、あらかじめ、ホテルのシャワールームに準備していたキャンディ・キュティのチャイナドレスを、彼女は着用していた。
油断仕切っているカタナを、やるために…。
「さーて、今宵は、生前で最も忘れられない夜にしてあげる…」
シャワールームの壁越しに、彼女はカタナに殺気を放つ。
ゼファーナ「僕、牛皿好きですよ…。いや、嘘じゃないです…。はい、すみません、ごめんなさい、嘘つきました…。正直、ボリュームが足りない…。いだっ!!!」




