第三話 対『蟹爪』
「ほう……?」
悪魔は目を細め、驚いたように呟いた。
目の前の人間から、とてつもない力を感じたからである。
「どうやらあなたが……私の任務のようだ……!!」
そう言って、ニンマリと笑った悪魔は、その爪を伸ばし、ウラルをバターのように──切り──裂けなかった。
──なに?
見てみれば何であろうと、そう、鋼鉄だろうとダイヤモンドだろうと何の抵抗もなく切り裂ける、強化魔法で強化した、自分の最高の武器である爪が。
人間の、黄色い安心感を覚えるような光に包まれた二本の指に止められていた。
(なんだ……この指は? なんだ……この光は?
ありえない。人間ごときに。人間ごときに!!! 人間ごとき……? 人間に……??
──いや、そんなはずがない)
しかし、悪魔はその程度で憤怒に溺れることはなかった。
冷静に物事を見ることのできる性格だったのだ。
(そうか……そうだ。奴は……人間ではない……奴はあの方を宿しているのだ……この程度、造作もないだろう。そうでなくては困る。……フフフフ、面白くなってきた)
そこでようやく余裕を取り戻した悪魔は、ふーっと息を吐き、笑った。
ウラルは……静かな怒りを焚きつけながらも、意外にも落ち着いている自分に驚いていた。
あの、絶対的強者である悪魔と戦っているというのに、奴の攻撃を当たり前かのように凌ぎ、それでも余裕がなくならない、自分にだ。
--既にある程度の強化魔法は掛けています。今のあなたなら、彼の動きについていくこともできるでしょう--
そんな声が脳裏に響き、一人納得する。まぁ強化魔法というのがどういうものかは知らないが。多分文字通り、強化しているのだろう。多分。
--正解です--
まぁそんなことは後でいいや。今はこいつを殺さないと。
目の前のことに集中しないとね。殺されたくないし。
そんなことを考えていたら、1~2メートルの距離で力比べをしていた奴が急に飛び退き、悪寒のする声で叫んだ。
「面白い! あなたはとても面白い! そこで、私を楽しませてくれたお礼にあなたに私の名前を! 聞かせてあげましょう!!」
そして彼は驚いて丸くなるぼくの目をまっすぐと見やり、大きく息を吸い込み、言った。
「我は、悪魔の王カオス様の忠実なるしもべの魔道十二門が一柱! 『蟹爪』キャンスである! 我が主の命により、貴様を!
捕らえさせて貰う!」
そこまで言って、満足げな顔で黙ったキャンスは、次はぼくの番だとでも言いたげに顎をくいっとやってきた。
仕方ない。こういうの苦手なんだけどな。やってやるか。
ぼくも大きく息を吸い込み、奴の狂ったような紅い目をまっすぐと見つめて、叫んだ。
「ぼくは! 我が父ライルの息子! ウラル=ライト・カジャス!
村長達やケンの仇である、お前を殺す!!!」
そう言うと、キャンスはその顔を不可解そうに歪めて、尋ねてきた。
「ライト、だと……? あなた今、ライトと……そう言いましたか……?」
「……? 当たり前だ、ぼくはウラル=ライトだ!!!」
それを聞いたかの悪魔は、下を向いて腕を組み、何かぶつくさと言っては、何かを否定するように首を振っている。
自分の名前を疑われたことで少し苛立っていたウラルは、せっかちにも。
「そっちからこないなら……こちらから行かせて貰う!」
と、そう言って、突っ込もうとした。
--そんなこと言っても、素手で戦うのは危険すぎるわ……剣を作りましょう……媒介は、村長が持っている、あの鉄剣を使いましょうか--
ウラルは脳裏に響いたその言葉を聞いて、咄嗟に標的に向かおうとしていた足を止め、村長が握り締めていた鉄剣を、その手から、優しく回収した。
--いい、詠唱は一度しか言わないから、しっかり聞いててね--
村長の温もりが残っている鉄剣を、その温もりの全てを感じとろうと、全力で握り締めながら、復唱する。
「──光よ、全てを断ち、人々に希望を与える、大いなる潔白の光よ。我が元に集まり、そして我が剣と化せ……!!」
──鉄剣が、輝き出す。
「光翼の剣!!!」
そこには、鉄剣の面影など、無かった。
光輝く、実態のないような。光の──剣。
それはこの世の物とは思えない程美しく、まるで神話の世界に入りこんだかのようだった。
黙考していたキャンスもその光に気づき、顔をあげ、そしてその剣に魅力され、驚愕した。
(やはり……私の予測は……!! 偵察部の奴らは何故こんな重要なことを報告しなかったんだ!? 奴の中にはやはり……二柱いる!!!)
(早く逃げなければ……!!
くそ、アリスの奴はまだか!? 合図はした筈だ……!! それにしても……奴は……人間なんかじゃあない……!! 本物の……化け物だ……!!! やべぇ、ゾクゾクしてきやがった……!! 最高だ……!!)
悪魔は、その恐怖と興奮が顔に出ないように、ニヤニヤと笑いながら、ウラルの構えに合わせて強化魔法を最大限にその身に掛け、そして──双方が同時に動いた。
ウラルは、先程までより動きが鋭くなった悪魔を見て顔をしかめた。
悪魔は、全力で強化魔法を掛けた自分を目で追えていないようだと、そう感じ、勝利を確信し、その強靭な爪を振り下ろした。
そして──その刹那、悪魔の動きが、鈍くなった。
(なに……!?)
一瞬、ウラルがニヤリと笑ったのを、悪魔は見逃さないでいた。
(あいつ、俺に……何か……!!)
そして、ウラルは動きが鈍くなったキャンスに向けて、その剣を、思いっきり横に凪いだ。
(やば────)
──その一太刀は──破壊した。
悪魔ごと村の建物を切り裂き、村の建物ごと──悪魔を切り裂いた。その様子はこの上なく美しく、ウラルに天使のような羽根が生えたのかと錯覚するほど幻想的であった。
「勝った……のか……?」
呟くウラル。
勿論構えは崩していない。しかし、これでまだ立ち上がってくるなら、やばい。もうそろそろ、体力も、魔力も切れる。先程の弱体化魔法がかなりの魔力を持っていった。ほんとうに切れてしまったら、元々の能力で大きく劣るぼくに、勝ち目はない。
もくもくとしていた煙に──人影が──二つ。
一つは、左腕の肘から下と左足を腿から失った、長い爪が特徴のキャンスのものである。
そしてもう一つ──キャンスを支えて立っているのであろう彼女の体格は割合小さく、その小さな羽が似合っていた。
更に何より───頭から生えている、二本の巻き角がその存在を主張していた。
その巻き角を生やした白髪の女の子はぼくのほうを興味深そうに見て。
「あなたの戦い、とても面白かったわヨ。だけど、今日はもう帰らなくちゃいけないのヨ。ロキ様に怒られてしまうからネ。それじゃあ、また。
次に会える日を──あればだけど──楽しみにしているわネ」
と、そう言い残し、二人は青白い光の中に消えていった。