『俵藤太物語』
『俵藤太物語』
ーーおぉ、お前さんかい。久し振りだねぇ。
ーーようこげな山奥まで来たのう。もうこんなおおきゅうなって、元気にしていたかい。
ーーそうかそうか、そりゃぁええ。来たんじゃからゆうくりしてきんさい。
ーーもう遅いから寝たいだって?もうそんな時間かえ?
ーーふぇふぇ、まだまだお子ちゃまじゃのう。
まあ、えぇじゃろう。さて、どんな御話をしようかねぇ。
ーーまあまあ、そう急くな。私が死んでしまうじゃろう、ふぇふぇふぇ。
ーーふぅ、じゃあ今夜は俵藤太物語にしようかの。
あるところに俵藤太という若者がおったそうな。その者は優れた武を身につけ、かつ剛胆でもあった。これは武者修行で旅をしていた時の話じゃ。
ある時琵琶湖に通じる道が混んでいたそうな。
その頃の道ってもんは土が剥き出しで、木なんかもよく倒れるから混むことはそう珍しいことじゃあない。
けれども人が全く動かないもんだから、藤太は痺れを切らして前にいた行商にわけを聞いたんだとさ。
その行商は「なんでもとんでもねぇほど大きい蛇が道を塞いどるんじゃて。渡るのがこわぁてこわぁて渡ろうとせんのんよ。」といったそうじゃ。
それを聞いた藤太はなんだそんなことか、と言って人を掻き分けてずんずん前に進んでいく。
見えてきたんは蒼くつやつやした壁。
もっと進むとその壁が大きな大きな蛇の腹じゃった。
藤太は足を止めんなんだ。
それどころか踏み付け、どしどしとその上を歩いて、遂には渡り切ってしもうたそうじゃ。
其処におった人達はぶったまげてもうて、皆口をぽかんと開けて頭だけしか動かせなんだと。
ー其の姿が見えんようになると、其の大蛇はいつの間にかふわっと消え去ってしまったそうじゃ。
其の夜、藤太はぼろの一軒家にて横になったそうじゃ。板の間に茣蓙一枚、それでも気にせずごろんと寝よった。
もうまんまるお月様様が真上に来た頃、こんこんと障子を叩く音がして藤太は目を覚まして、刀を按じながら「入れ」と言い放った。
すると其処から現れたんは、まこと美しき女であった。まさに花顔雪膚であったそうな。藤太も暫し見惚れて動けなんだと。
「夜半に失礼します。」と美しき女が言って、
藤太ははっとなって、「何用でございますか。」と聞いたそうな。
すると、「今日は折り入ってお願いがあり、お訪ねしました。」
と女が言うものですから、仕方無しという体を装って
「良いでしょう。」と姿勢を正して答えたとさ。
「実は、私はこの琵琶湖に棲む龍神の娘でございます。此れ迄、父である龍神はこの琵琶湖を護ってきました。ですがここ最近になって、化け物が出るようになったのです。それは大きな大きな蜈蚣です。彼処の山を七巻半も出来るようなほど長く、色は地獄の炎のように血のように紅く黒いのです。私達はこの化け物に困らさせています。貴方の武芸と剛胆は他に並ぶものはいません。どうかお助けください。」と女は言って頭を下げなさったとさ。
実は今日の昼間に藤太が踏んで渡った大蛇はこの娘が変化したもので、物怖じせなんだ藤太に惚れ込んでいたそうな。
ーー閑話休題
藤太は此れを快諾して、次の日、剣と弓を携えて化け物がいるという三上山に向かったそうじゃ。
川を越えて山の麓までやってきた時、藤太は大蜈蚣に遭遇したんだと。
筋肉質な体格、鎧は血のような紅と丑三つ時の闇を混ぜたような色、鋭くすらりとしている大顎は紫紺の雫がしたたる。
正に地獄の魔物であったそうな。
其奴は蜷局を巻いて藤太を待ち構えていた。
「我が名は藤原秀郷、又の名を俵藤太という。」
「推して参る。」
双方同時に動き出した。
先ずは一撃とばかりに、蜈蚣は長い尾をしならせ、藤太のいる周辺を薙ぎ払う。
藤太は上に飛んで躱し、距離を詰める。10メートルの距離を一歩の踏み込みで潰し胴体の中程に鋭く一振り。
響いたのは金属を槌で叩いた様な音。
はっとなって藤太は咄嗟に距離をとる。
ーーが、蜈蚣は尾を使って藤太の足を絡め取り、胴体で巻き込む。ちょっとやそっとじゃ身動きがとれない。
そのまま勝負あったとばかりにゆっくりと手繰り寄せようとしていると、藤太は尾を引っ掴み、引きちぎる。
そして、拘束が緩んだ隙に逃げ出した。
蜈蚣は怒り狂い長く太い胴体で何度も何度も薙ぎ払うが、藤太は左右に避け続け、刹那に剣を振るい、次々と其の幾千もの鋭利な足を切り落としていく。
蜈蚣は堪らず身を引き殺意の籠った視線を藤太に向ける。
ーーどちらも攻めあぐねていました。蜈蚣は藤太を捉えることが出来ず、藤太は脚しか切ることが出来ずにいたのです。蜈蚣の脚は幾千。しかも切ったところから新しい脚が生え始めます。キリがありません。
さらに悪いのは蜈蚣の体はとても硬く、藤太の剣に限界が近づいていたのでした。
遂に剣が折れてしまった。
藤太は瞬時に判断を下し、柄だけ残った剣を悪態をつきながら投げ捨て、背の弓をとった。
其の大弓は八尺程とかなり大きい。
が、矢筒にある矢は
ーーたったの3本。
藤太は蜈蚣の薙ぎ払いを避けつつ矢を番え、放つ。
ーー 一射目 赤黒い甲殻に弾かれる。
ーー 二射目 頭部を狙い放つがやはり弾かれてしまう。
最後の矢を手に取りながら、藤太は
「どうか阿弥陀様、毘沙門天様。力をお貸し下さい。」と祈って目を瞑り、そのまま放つ。
其の矢は風を切り、真っ直ぐ突き進む。
突如鏃に白い炎が灯る。
そして
蜈蚣の眼に深々と突き刺さった。
ギィヤアアアァァァッッッ
ぞっとする叫び声を上げ体を激しくくねらせるが、矢の突き刺さった眼から白い炎が蜈蚣の体全体を包み、燃やしていく。
遂には大蜈蚣は灰になってぼろぼろと崩れ落ちてしまった。
ーー英雄俵藤太の誕生である。
次の日、ぼろ家に戻るとあの美しき女がいたんだと。
「誠に有難うございます。貴方は我々の命の恩人で御座います。この御恩は決して忘れません。」
深々と頭を下げている女を見て、藤太は慌てて
「いえいえ、当然の事をしたまで。」と言って頭を掻いたそうじゃ。
頭を上げた女は「今回、父である龍神から褒美のものが御座います。」
と言って藤太に差し出したのは、米俵と一振りの大太刀でした。
「これは米が尽きる事の無い米俵でございます。そして此方の大太刀は、貴方様が大蜈蚣との戦いで使った剣と鏃を使い極楽浄土にて打ち直されたものです。強力な破邪の力を備えております。」
藤太は、「ありがたき幸せ。おそれながらお願いがあります。」と答えて、続けて
「私と夫婦になっていただけませんか。」
と結婚を申し込んだそうじゃ。
あまりに唐突なもんだったから女は驚き、数瞬固まってしまったが
「宜しくお願いします。」
とその雪の様に白い頰を薄ら赤らめて答えたそうな。
そうして二人は仲良う暮らしたとさ。
めでたしめでたし。
ーーさあて、これで終いだよ。長かった長かった。
ーーん、なんだい。気になる事でもあったかい。
ーーあゝ、藤太が貰った大太刀の名前かい。それは、名刀蜈蚣切だよ。
ーーよぉ気がついたなぁ。そうじゃよ。うちの家宝の大太刀だよ。
ーーつまりおまえさんは、英雄の血を引いてんのさ。ふぇふぇふぇ。
ーーささ、もう夜も更けたから。はよう寝んさい。はい、お休み。