【笹の葉に 結ぶ短冊 おもうもの】第20話 文学部のブルース その7
線香のにおいが充満する会場内はサウナのような熱気に包まれており、湿りきった文学部の紳士淑女の心境をそのまま反映するかのような高温多湿の不快指数の異様な高さを醸し出している。
「さっさと帰ればよかったよ」
焼香を済ませ、良崎とユダに挟まれた席に腰掛ける。良崎は早く終われ、さもなくば追い出せという気持ちを少しも繕わずに頭を抱えている。一方、ユダは姿勢正しく前を見据えている。少し後ろではレイくんとマミヤさんが並んで座っている。お腹すいたね。じゃあ後で一緒にマックでも行く? そんな会話が聞こえてきたら私は他人事でも心を躍らせてしまうだろう。
いよいよ本格的に式が始まるのか、開催者席にはハイジさんが鎮座し、ハイジさん、水原さん、年長者と思しき小林氏と参座嘉文氏が並んで座っている。
「それでは、第一回文学部芥川龍之介先生を偲ぶ会を始めます。全員、起立」
水原さんのアナウンスでガタ、と数百人が起立する音が一糸乱れずに一つの音となる。
「はじめに、これより一分間の黙祷を行います。黙祷」
目をつぶり、瞼の裏に今日の主役、芥川龍之介の在りし日の姿を思い出す。
痩せこけた頬、広い額に叩けば文明開化の音がするざんぎり頭。世を見極め華麗に風刺したその鋭く力強い眼差し、多くの人々の心を揺さぶる名作を綴ったその手を不敵に微笑む顎にあてた芥川龍之介の代名詞ともいえるポーズ。
「終わります。ご着席ください」
目を開くと芥川龍之介。がたん、と全員が着席する。
「それでは開催者の陣内一葉さんより、お言葉をいただきます」
ハイジさんは厳かな顔で立ち上がり、水原さんと入れ替わってハイジさんがスピーチ台の前に立つ。その隣では顎がかゆいのか無精ひげの剃り時を伺っているのか小林氏が顎に手を当てている。その様さえも芥川龍之介に見える。
「ただいまご紹介にあずかりました、陣内一葉です。この度は我が文学部にも祭事がほしいと考え、思案に思案を重ねた結果、本日、7月24日に日本を代表する文豪である芥川龍之介先生を悼み、芥川先生の足跡は未だに日本人の心に大きな影響を遺していることを振り返る文学忌とする運びに至りました」
「すごいなぁ、ハイジさん。ちゃんと喋られるのは知ってたけど、カリスマ性もあるよな」
と小声で良崎に話しかけると既に飽きたのか頬杖をついている。その様すらも芥川龍之介に見えてしまう。
「そもそも文学忌とは、文豪の没日を悼む日であり、後世に託された金字塔を拝読させていただくことで文豪の死を悼む日であります。7月24日は芥川龍之介先生の文学忌であり、芥川先生の代表作である『河童』にちなんだ河童忌であります」
マイクの位置がずれているのか少し位置を修正するハイジさん。その位置に手があるだけで芥川、ハイジさんのざんぎりとは程遠い髪型でさえも芥川。芥川龍之介に侵食される私の脳。
「本日お集まりいただいた人数分だけ、芥川龍之介先生の『河童』を用意させていただきました」
水原さんと小林氏が立ち上がり、段ボール箱から小冊子を取り出して全員に配っている。
『河童』芥川龍之介 陣内文庫
「うわぁ、文字が小さいよ。コンタクト忘れたしなぁ」
と目を細める良崎。道理でいつもより目つきが悪いと思ったよ。
「それでは、全員に行き届いたようですね。それでは、黙読」
壇上でハイジさんも冊子を開く。隣のユダは、真剣な顔で目を走らせている。私も退くに引けなくなり、目を通す。
(パソコンを使用する際は明るい部屋で画面から離れて、1時間に15分ほどの休憩を入れろ。リーベルトみたいに目が悪くなるぞ! ハイジお兄さんとリーベルトお姉さんとの約束だ)
「……これにて、閉会します。起立、礼。解散」
水原さんの号令で全員が出口に向かって歩き出すが、混雑を避けてしばらく席に座ったままでいることにした。
芥川はすごいが、私たちも結構すごいぞ。真夏に閉鎖された空間で数百人の『河童』の一斉黙読に有志たちのスピーチ合計約4時間を「祭り」と称した集団ハンガーストライキ。未来ある若者が、歴史ある文学部が、命を散らし伝統を切らしてしまうところだった。芥川龍之介を慕い、偲ぶ気持ちを否定したりはしないが、だからといって命日まで同じ日にすることはない。
「正直辛かった」
片付けの準備を始めたハイジさんが蚊の鳴くような声で呟いた。水原さんも苦笑いを浮かべている。
「辛いですね」
「もうやらないから。もう、一生やらねぇから。今度やるときはもっと別の楽しそうなことをやるよ。文学部に拘らず、全員を巻きこめるようなことをな」
ハイジさんはちらりを左手首の時計に目配せし、「時間だ」と呟いた。
「レイ、お前がこの前言ってたお祭り、行ってみようぜ」
【自己批判】
もうちょっとなのでもう少し行きます。




