【然るべく 水玉模様と 雨粒と】第10話 対決大学 その8
魂が抜けてしまったかのように、糸が切れたように良崎の頭がガクリと落ちた。同時に彼女の手から滑り落ちたビールの空き缶が転がる乾いた音がカランカランとよく響く。しかし私と水原さんと小林氏がその安否を問う声よりも先に良崎の頭は弾かれたように上を向いた。その目は畳の縁を踏んだ時のハイジさんのように光っているが、色はハイジさんのような赤ではなく南国リゾートを連想させるような鮮やかなコバルトブルーだ。空も海も、青いものは心を洗う。私の煩悩も浄化するような美しい青だ。除夜の鐘などいらなかった。私達は煩悩によって血迷う時、彷徨う時、空を、あるいは海を見ればよかったのだ。信号機をはじめ、青は人にとって『良』の色だ。直視してもまぶしくない優しさ。青は安心をくれる。
そんな青だ。
「超人シュタイナー!!!」
あまりの音量で夜にも拘らず鳥が驚いて逃げる鳴き声が聞こえた。水原さんと小林氏は人間の光が光るということが当たり前になっているのか驚きもせずにいたが、この声には腰を抜かしたのか水原さんはへたり込んでしまっている。
「今、飛んでました」
青い光は徐々に勢いを失い、この光が完全に消えてあたりが暗闇に包まれた頃、良崎がケロリとした声で言った。そうか。こんなことがあっては周りの人々もキョトンとしたことだろう。そもそも心を落ち着かせる青い光とは言え人の目が光ることが間違いだったのだ。そうだ、人の目が光ることはおかしいことだ。踏みとどまれ、私の常識! もう土俵際だ。
「そして飛んだ後にはみんなそういう顔をしてましたよ」
私達のことを言っているのだろうか。
「いやぁ、すごい特異体質だ。これは日本の歴史でも桐単保以外に記録されたことはないぞ。そうか。ドイツの記録は調べたことがなかったな」
小林氏は私達と違った意味で感心しているようだ。
「でも、アンナちゃんすごいわ。今は何ともないの?」
「たくさん飲んだら酔いは回ってくるんですけど、今は全然」
「差支えない範囲で教えてほしいんだけど、最大でどれくらい飲んだことがあるんだい?」
「大みそかにビール一缶空けたことがあるんですが今ももう一缶空けちゃいましたね。その時に止められて禁酒していましたが今となってはどうでもいいんですよ。もうね、あの先輩の元じゃ飲まなきゃやってられないって人の気持ちがわかるんです」
なんでヒーローインタビューみたいになっているんだ。未成年が構内で飲んだら問題になるぞ。寂しがり屋の私としてはインタビュアーとして参加したいというのが本心だが、私の中の正義がこれ以上おだてて良崎に飲ませるのはダメだと告げている。そもそも未成年が酒を飲んだらいけないし、大学の構内ではもっとダメだ。私が悪かった。もうこれ以上良崎をおだてるな。
「だから未踏の先へ!」
良崎が水原さんから缶を奪い、流し込む。
「あぁ、わたしのビール……」
どうでもいいのだが、水原さんも随分とのんべぇだな。隙あらば酒飲みまくってるぞ。それで酔っても奇行に走らないからすごいのだが。
「ぐっ」
良崎は一つ苦しそうな噯気を吐き、また目を光らせ始めた。以前、ハイジさんが群馬県のサービスエリアで変身した時と似た、妙な風が渦を巻き始めている。しかし、妙なのはその渦の中心が良崎ではないことだ。
「がああああ」
きりきりと舞う木の葉を目で追い、渦の中心を探ると先ほどまでシカのいた茂みに竜巻が発生している。「がああああ」という潜在的な恐怖、即ち死の苦しみを喚起するような声はそこから発生しているようだ。
「小林さん、あれ!」
「ん? う、うわああああああれは間違いない、竜巻に乗ってやってくる『冥府の王』だ!」
竜巻の中心に『冥府の王』! やはり七体の贋作を売りとばした私達を始末しに来たというのか!
「がああああ」
「ボラー調査団!」
頭から一対の禍々しい漆黒の角を生やしたシカ改め『冥府の王』が我々を威嚇するように叫ぶが、私達の聴覚に良崎の奇声がその雄たけびにさらに上書きする。
ビール一缶という限界を超えてついに『結構な酔い』の領域に突入したのか、良崎は目を青く光らせたまま竜巻を潜り抜けて『冥府の王』の懐に潜り込み、腕立て伏せのようなポーズで拳を地面に叩きつけて2mは超えようかという『冥府の王』をさらに威嚇している。地面に限りなく近い位置でありながら、相手に狙いを定めるかのようなそのアクションは、さながら“毒ヘビ”!
「がああああ!」
「チャック・カルキンのビリーバットランド!」
恨み、悲しみ、怒り。ヒト一人が持ちうる量を遥かに上回る巨大な憎しみを込めた『冥府の王』の『冥府の王』たる咆哮と、酔いに任せた良崎=リーベルト・アンナの奇声が互いに聴覚から相手の戦意を削ろうとする。しかし、両者の双眸はにらみ合ったままだ。
「砂漠のカーリマン!」
良崎が先に均衡を破り、『冥府の王』の首根っこに左腕を回し、『冥府の王』の首の後ろで両手を組んでホールドする。『冥府の王』は顔面に敵である良崎の肩や首があるものの、ホールドが想像を絶する窮屈をもたらすのかかみつく事すら出来ない。それどころか、苦しそうに口を開けたまま万力に押しつぶされる金属のような音をたてて今にも潰れようとしている。
ズ、ダンッ!
「決まった!」
良崎は『冥府の王』を掴んだまま大きく仰向けに飛び上がり、重力に従って落下、良崎は背面から地面に叩きつけられるが『冥府の王』は首を絞められたままうつ伏せに、顔面を良崎の肩と地面、その両者の凹凸に叩きつけられた。
ついに動かなくなった『冥府の王』の尻目に、目から青い光線を発しながら両手を広げて勝利のポーズを取る良崎。ついに人間が食物連鎖の頂点に立った瞬間だった。




