【馴染まねば 治りもしない 五月病(終)】締めくくり
比喩としての血圧というものを使う日が来るとは思ってもいなかったが、私の血圧は下がっている。前置き通り、比喩としての血圧だ。
四月はどうも、新しい環境に慣れようと浮足立ち、見知らぬ人々の中に自らの居場所と見つけようと躍起になってしまう。あの時期に比べれば幾分私も地に足がついた考え方が出来るようになり、気温の上下以外にさして気にすることもなくただ繰り返す凹凸のない日常こそが平穏であり、平穏こそが最も尊いものだと気づくことが出来るまでに血圧が下がった。頭に血が上るとどうしても姿勢は前かがみになる。前かがみになるのは前進をするには理想的な体勢かもしれないが、私達は大学で過ごす四年間を自らの意思で駆け抜けるのではなく、与えられた四年間大学に居座って学ぶことを求められている。居座るには、居心地のよい場所が必要だ。その場所を確保するにはどうしたら良いのか。やはり、前かがみになってあちこちを駆け、訪れ、居心地のよい場所を探すしかないのだろう。その前かがみの時期に皆が体力を使い果たし、その輪廻から外れると、訪れてばかりだった自身にあるものが訪れ始める。
そう、五月病である。
上がりに上がった血圧も下がり、身の丈に合った自分の居場所であぐらをかくことで制御不能の衝動は鳴りを潜め、その四月の日常とは打って変わった凹凸のなさに面食らい、つい平穏な生活を退屈と認識してモチベーションを失ってしまうアレだ。だだっ広い食堂の隅でただ一人、蕎麦を手繰ることに向けられる好奇の目や嘲笑の声になど、水道から水が滴る音や衣擦れのように日常的に避けることのできないものとして慣れてしまう。
厳しい縦社会と呼ばれる日本だが、私にもついに日本が縦社会なのかがわかった気がする。五月の末、講義の度に配られるレジュメが鞄にかさばった私なら、四月の入学したてでキャンパスライフに幻想を抱いた血圧の高い前かがみの私に対し高圧的な態度で「先輩」として現実を諭すことが出来るだろう。そんなにやる気出しても、なにもかも自分の思った通りになんていかないから肩の力抜けよ、と。四月の私に限らず誰でも、五月も終わろうという今まだ営業に励んでいる奴には、そんなに血がたぎって誰かと裸で抱き合いたいのなら両国国技館に行くことをお勧めする他ない。
「また蕎麦」
当たり前のように食パンをビニール袋に入れた良崎が私の隣に腰掛ける。
今でも瞬間湯沸かし器の名に恥じず比喩でもなく常に血圧の高そうな彼女もそのニュートラルな不機嫌さからは以前のような厭世さも世間に対する憎しみのようなものも感じられない。育ってきた環境や周囲の人々の反応は関係なく、彼女の生まれ持ったパーソナリティが短気だということなのだろう。良崎の怒りに対しても、怒ることが日常と化していることから良崎の怒りそのものがインフレを起こして価値が下がっているため今では過剰に恐れたり機嫌を取るほどのものではないとわかっている。良崎も多少の癇癪は放置される生き方を19年してきたのだからそのことに関して異論はないようだ。
一月以上、毎日顔を合わせていれば付き合い方は慣れてくる。
「お前こそまたパンか。中日のマスコット気取りか」
「中日のマスコット?」
「知らないならいい」
「シャオロンとパオロンってパン食べてるの?」
「ドアラだ。ドアラの主食が食パンだ。何故シャオロンパオロンを知っててドアラの主食を知らないんだ」
「何目くじら立ててんの? すごくうざいんだけど」
気温の上下以外に気付いたことと言えば、最近の良崎の暴言や暴力に少しずつ変化が見て取れるようになってきた。それまでの真っ向からかち合わせるような拳や蹴りから、投げや躱しやカウンター等多少受け身の要素があり、体力を使わないものになってきたのだ。唾を飛ばすような罵倒の数々も嘲笑や嫌悪へと変遷している。明らかに五月病である。
四月当初はその美貌と態度から風当たりの強かったであろう良崎だが、人の陰口をたたく輩は須らく自分も陰口をたたかれているという摂理を理解したのか最近では良崎に対する不満の声を食堂で耳にすることは少ない。アンチ良崎も五月病なのだろう。
「あぁーあ、最近なにもかもが面倒くさい。入学させてくれた両親には申し訳のない話だけど飽きてきたよね」
「同感だ」
「つい寝坊しちゃうと、もう今日はいいやって気分になっちゃうわ」
「そんなに寝坊してるのか」
「そんなに寝坊しなかったわたしでさえも寝坊をしちゃうくらいモチベーションが上がらないってことよ。高校の時と違って、私服もOKで周りの人も多い分、自由度が高くて成功するも失敗するも自己責任で入学の時はどうしても緊張するじゃない、良くも悪くも。でも大学の地理をちょっとずつ覚えてくるのと同じように周りが見えてくると緊張の糸がプツンって切れちゃうのよね。で、他の人も大体同じタイミングでそうなるから一気にテンションが下がるの」
「わかる。良崎も明らかに五月病だ」
「……でも、何故か部室には行っちゃうのよね」
例え五月病に罹ってすべてのモチベーションをなくしても、出かけた先から家に帰るモチベーションさえも失う事例を私は聞いたことがない。つまり、良崎にとって部室は家と同じような、モチベーションも血圧も姿勢も関係ないような存在になっているのではないだろうか。しかし、これを言えば彼女は躍起になって否定するだろうからここではこのことは伏せておく。ここまでわかっているのも良崎=リーベルト・アンナがそういう人間だと見えてきたこともあり、かくいう私も部室に行くことだけは怠らないがそれを指摘されると否定してしまう気持ちもわかってしまうからだ。
「五月病ねぇ」
「本当、参るわ」
良崎がため息をつき、ビニールから食パンを一枚取り出して口に運ぶ。
「ひっ」
虚を突かれた悲鳴にも似た声を上げ、良崎は食パンをうっかり手放してしまった。ばしゃ、と不快な音と飛沫を立て、私の蕎麦の椀に食パンが浮いている。
「なんだ」
「馴染まねば 治りもしない 五月病 ハイジ」
ぶくぶくと汁を吸って沈みつつある食パンの断面に、無性に腹が立つような達筆でそう綴られている。
「盗聴器でも仕掛けてるのかしら」
「もう、その程度なら慣れっこだろう。特にお前は部屋に監視カメラがついててもおかしくないくらいハイジさんに執着されているからな」
「いくら慣れてきたと言っても、そうだったらいよいよ起訴ね」
沈むパンは諦めたのか、次の食パンに手を伸ばす。
「まぁ、これはいいんじゃないの? 五月病はその環境に馴染んで治せっていうのは。気休めにはなったわ」
私は良崎の解釈は間違っていると思う。
その環境に馴染むことが出来なければ、そもそも五月病には罹りもしない。罹っていない病が治る訳もない。
お前たちは大学あるあるネタもあるあるといえるほど、馴染むことが出来たのだとハイジさんが励ましてくれているような気になった。
おっと危ない危ない。この程度で気を許してしまう所だった。
※最後の方、少しいい話っぽくなって非常に申し訳がない。美談みたいに見せちゃダメなんだよ、与太話は!




