【馴染まねば 治りもしない 五月病】第12話 ゴールデンウィーク地獄旅行 その9
「もう一袋買っちゃおうかな」と大事そうにプロレスラーカードを握りしめる良崎の顔色を伺った後、駐車場に止めてある『アンティーク水原私物5号機』の方へ目をやった。あまりにも三人でのコンビニでの買い出しが楽しくてつい時が経つのも忘れてしまったが、気がついたらあれだけけたたましかったハイジさんの『本物のロック』が鳴りやんでいるのだ。
ハイジさんは、顔面の傷こそ治っているものの、ユニフォーム成分が足りなかったのか最初に良崎に壊された左腕だけをプランプランと垂らし、『アンティーク水原私物5号機』の脇に残った右腕で地面にチョークのようなもので何かを書いている。足元には別の『萬斎抄』。
そしてハイジさんが右腕で祈るような動作をすると、足元の陣から照明弾のような白い光が撃ち上げられた。
「今こそ力を借りる時。陣内の血に宿れ、『ハクタクノコウショク』!」
その白い光は神々しい牛と麒麟のハーフのような神獣に姿を変え、ハイジさんの体に突き刺さった。光は貫くことなくその体に収まり、ハイジさんは左腕を持ち上げて指の動作を一本一本確認している。な、治ってしまったのか。小林氏の言葉が正しければ『萬斎抄』は文字一つ一つに神を宿らせた書物だと言うが、それは『古事記』のような伝説を記した書物のはずだ。本当にそれに認められた神々を召喚し、その力を使うということが出来るのか? しかも贋作のはずなのに。
「ありがとう、『ハクタクノコウショク』」
ハイジさんは勇ましい顔で私たちに目をやるが、良崎はプロレスラーカードを愛でながら水原さんにその魅力を話すのでいっぱいで、水原さんはそれを聞いてその視線には気づいていない。
それを好機としてか、ハイジさんはトランクから三脚とカメラを取り出して設置し、私たちが帰ってくるのを待っている。
「水銀リーベルト曾根崎ー行くぞー」
何事もなかったかのように私たちを呼ぶハイジさん。確かに、今まで彼らの身に起きていたことは全員が忘れたい悲劇だろう。良崎も胸を触られたことは忘れたいだろうし、水原さんも幼い頃のエピソードを暴露されるのも忘れたいだろう。ハイジさんだって、殴られた恨みを返したい心もあれど、水原さんが目を覚ましているとは知らずに熱くなってしまった自分語りを聞かれたことも忘れたいはずだ。
人間は忘れることで生きていける。
「はーいハイジさん」
「今日はどこに行くんですか?」
二人も呑気に歩み寄り、予め決められていたかのようにカメラの前に立つ。本当に忘れたのか。それも『萬斎抄』の神のおかげか。しかし私は忘れていないぞ。
「花見行くぞ!」
「花見って……もう五月ですよ?」
「花見だ!」
と、ハイジさんと水原さんの問答。
「五月ですって。もう散ってますよ」
「散ってねぇよ! まだ咲いてるところあるよ! 行くぞ、北海道!」
ほ、北海道!?
「北海道ー!?」
思わず大声を上げてしまったのは私だ。七体の贋作の入手ではないのか? いや、ハイジさんはその七体が全て東京や首都圏にあるとは一言も言っていない。北海道にあるというのか。
「わたしまだ北海道には行ったことないです」
「わたしもまだ。ハイジさんはあるんですか?」
「もちろん。だから桜が咲くのを知ってるんだ」
ハイジさんは得意げに胸を張る。頼もしくない。もういいじゃないか七体の贋作なんて。『萬斎抄』の神を呼び出せるほうがよっぽど希少価値がある。もう神に持ってきてもらえばいいじゃないか。創造の神もいるだろう。贋作の贋作を創造してもらえ。
「ちょっと遠いけど楽しみですねぇ」
コラ良崎! メメント乳!
「買っておくものがあるんなら今のうちだぞ。一人頭10万円まで出すからなー」
「太っ腹ですねハイジさん!」
『この作品は 歴史の素敵な思い出アンティークと、通も唸らせるブレンドコーヒー、誰もがとろけるスイーツが自慢のアンティーク水原の提供でお送りいたしました』
アクセス:東京メトロ日比谷線・都営浅草線人形町駅 A3出口から徒歩五分 水曜定休日 10:00~18:00




