【馴染まねば 治りもしない 五月病】第11話 ゴールデンウィーク地獄旅行 その8
「それは……まさか『萬斎抄』!?」
ハイジさんから受け取った『萬斎抄』をガンセキオープンでつけてきていた小林氏に見せると、彼は芝居がかった仕草でメガネをかけなおした。
「さっきの古書店でかい!?」
「はい。大変なものなんですか?」
「本物だったら国宝級だよ」
ため息をつくかのように小林氏はうっとりとした声で言った。メガネの奥の目がらんらんと輝いている。
「日本に存在する八百万の神を、文字の一つ一つに当てはめ宿らせて描いたものと言われるいわば神字引であり、言い方を変えれば日本語の文字にそれぞれ神の意味を持たせてよりレベルの高い表意文字に昇華させたものだと言ってもいい。文字と文字の戯れはつまり神々の戯れをつづっており、民俗学と文学が融合して到達した一つの境地だよ。本物だったら大変な発見だ! ちょっと貸してもらってもいいかい?」
私が『萬斎抄』を手渡すと、小林氏は鼻息を荒くして頁をめくった。
「あぁ、やはり写本だ。しかし陣内万葉によるもの。陣内さんのご先祖にあたる方だよ。陣内万葉も大変な人物で、この『萬斎抄』は大層お気に入りだったそうだからね。陣内万葉の『萬斎抄』は写本があまりにも多すぎてお世辞にも希少価値が特別高いとは言い難いが、それでもいざ目の前にすると背筋が伸びてしまうね。そうか、だから、生八ツ橋翁はハイジさんにこれを返したのか。陣内家は代々、人に評価されることを嫌ったからね。あくまでも自分たちはサブカルチャー、表舞台に立つことはないがマニアにだけ受ければ良いというスタンスだったから」
『萬斎抄』を熟読する小林氏であったが、私たちの乗る『アンティーク水原私物5号機』の扉が開くと慌てて私に『萬斎抄』を返し、自らのガンセキオープンの中に隠れるように戻ってしまった。『アンティーク水原私物5号機』から出てきた水原さんと良崎は今回は返り血こそ浴びていないものの、そのやりきったような表情が車内の惨状をうすうすと感じさせる。私は小林氏についていってガンセキオープンの中に隠れることも出来ず、その場で膝を震わせて立ち尽くすだけだった。
「曾根崎くん、何か買うー?」
「銀さんがね、アイス買ってくれるってー」
二人のやけに晴れ晴れとした声と笑顔が余計に恐怖を煽る。しかし、今はハイジさんへ向けられた殺意の矛先が私に向かなかったことを喜ぶべきだろうか。
早くも『アンティーク水原私物5号機』からは『本物のロック』が街宣車並の大音量で垂れ流されている。やはりハイジさんも大ダメージを受けているようだが、二人にしたこと、特に良崎にしたことを顧みればそれでは安すぎるくらいの代償だ。
(ただいまモノクロでお送りしています)
「せーの」
私と水原さんと良崎はその掛け声でプロレスラーカードチップスの袋を破り、全員カードの中身を見ずに水原さんの二度目の「せーの」の声でカードをリングに選手を送り出すセコンドのように差し出した。
「ヨシタツ」
「マハル」
「やったぁ! わたしオートンだ!」
良崎はこれでもかと飛び跳ねて無邪気に歓声を上げた。先ほどまでその顔面に狂気を浮かべてただ単純に人への殺意に従順になっていた人間と同一人物とは思えないほど喜びに満ちている。
「ヨシタツとマハルじゃ、二人がかりでもオートンには勝てそうにもないわ! 二人ともRKOの餌食よ!」
「そうなのか」
プロレスに明るくないわたしにはわからないが、良崎のこの興奮ぶりからしてただごとではないことはなんとなく察することが出来る。
「オートンは最高よ! シェイマスも捨てがたいけど一番はやっぱりオートンだわ! もう最高オートン! 結婚したい! 子供を産みたい!」
こんな辺境の島国の美少女の心まで捕まえてしまうとは罪な男だな、えぇと、ランディ・オートンとやら。確かに、線は細いもののぎっしりと詰まった筋肉や毒ヘビのような眼光は私の『ヨシタツ』や水原さんの『マハル』よりは格段に強そうだ。
「でも曾根崎のヨシタツもレアっちゃレアよ! 多分、唯一の日本人スーパースターよ! わたしよりも日本人」
口走っちゃいけないようなことも口走るほどの興奮のようだ。
「じゃあ、あげるよヨシタツ」
「本当に!?」
またも無邪気に喜ぶ良崎。これで機嫌を取れるのであれば、ヨシタツくらいはかまわない。その代わりと言っちゃあなんだがハイジさんがしたことをどうか忘れてほしい。それが無理でも、どうか私にあの殺意を向けないでほしい。
「マハルもいる?」
「いいんですか銀さん! 銀さん最高!」
しかしだ。共通の殺意で目覚める友情もあるのかもしれない。少なくとも、水原さんと良崎の仲はこんなに良好ではなかった。水原さんは良崎に歩み寄ろうとしていたが、良崎はその好意をどう受け止めたらいいのか迷っているように客観的に私は観察していたのだが、仲が悪いよりは良いに決まっている。あとはハイジさんとの仲だけが問題だ。
コンビニの軒先で三枚のカードを持って無邪気に、何度でも言う無邪気に騒ぐ彼女を見ると、本当にあの凶暴性を持つ鬼と同一人物とは考えられない。




