結婚の定義-後
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「…これ、かな?」
突っ立ったまま正面の物体を見上げる。
私の視線の先には宙に浮く巨大な歯車があった。
古びた機械仕掛けの大きな歯車。ところどころ剥げていて、錆びた部分も見られる。
それが一定の速度でゆっくりと回っていて、中心にはエネルギー体のような綺麗な青いもやもやとしたものがある。
―これがその『輪廻の輪』なのだろうか?
確かに案外すぐにたどり着いたし確かに輪ではあるけど……
「なんか、思ってたのと違う…」
意外と近未来的…というかメカメカしい外見に、私はちょっと呆気にとられていた。
―さて、それはともかくとして、今からどうすればいいのだろう?
どうやらこれに乗って転生をするという話だが、相変わらずの説明不足により手順が分からない。
どうしようか、と困る私。
しかしふと視線を向けると、黒い影のような物体が下部に突き出た出っ張りの部分に足をかけ、ゆっくりと登っていくのが見えた。
そして中心に向かって歩き、青い球状のものに吸い込まれていく。
入って行った影は二度と出てこなかった。
―成る程、仕組みはいまいち分からないが、あれで『転生』となるのだろう。
私もあれを真似すればいいということか。確かに、簡単だ。
…しかし、あっけないほど簡単に、この世から消え去るものだ。
そう思うとなんだか寂しくなって、私はしばらくその様を見ながらぼんやりとしていた。
「アディル…今頃家に帰ってるかなあ……」
ぼそり、と呟きふと思い浮かべるのは、年を経て好青年へと成長した養い子の姿。
燃えるように赤い髪、夜空のように真黒な瞳。頭の両側についている、巻きあがった角。少しつり目がちでクールな印象を与えるが、綺麗に整った顔。
本当に、自慢の息子だった。
難しい勉強、武術の訓練、各界の王の会談…なんでもそつなくこなすデキる男。
リーダーシップもあり社交的で人に(特に女性に)好かれ……長所を述べればキリがない。それほど完璧な青年なのだ。
頭の中に浮かんだ立派な息子に、私はゆるりと頬を緩めた。
―だが、そんな彼を親として誇らしく思う反面、複雑な気持ちもあった。
「本当に…何で私だったんだろう。」
もっと教養のある貴婦人とか、凄腕の軍人さんとか。あるいは他界の王様に預けてもよかったかもしれない。少なくとも私よりは―彼の才能を伸ばして上げられたり、よい環境を整えてあげられただろうから。
凡庸で、生前も何の取り柄もなかった私が様々な才能に恵まれた彼の育て親でよかったのだろうか、と。
アディルが赤ん坊の頃は別段気にしていなかったが、あっという間に成長して、最早今の私とそう変わらない年齢になってしまった今。
私はそんなことを繰り返し思っていた。
だが――過去を後悔しても仕方がない。
一応閻魔様から駄目だしはされなかったんだから、及第点は取れたんだろう。多分。
それに、私にはもう関係のない話だ。
『私』には、もう。
思考を止め、目をつむる。ついに輪廻の輪に足をかけた私。
さて、そろそろこの世ともおさらばだ。とっとと行って転生してやるとしますか。
――だが、その瞬間。
ドン、と大きな破裂音。ぐらりと足元が揺れ、爆風が身を包んだ。
「―!?」
何が起こってるか分からない―が、外部から与えられる、空間まるごと破壊するような暴力的な攻撃に、思わず輪から飛び降りへたり込む。
攻撃はなかなか止まず、地震のような振動も続いた。
しばらくしてそれがやっと終わった、と思えば。
「……ニーア。」
突然、降ってきた声。
ぱらぱら、と白いタイルのようなものが崩れおちていく。
空間が裂け、真っ白だった場所に色が交った。
その中心――ブラックホールみたいになっている所に立っているのは、なんと人だった。
しかもその相手はよく見知った―いや、よく知っていた―アディル=オルクール=デルンブルク本人だった。
「っ…アディル、様!」
「様、なんて付けるなといつも言ってるだろ?」
「そ、そうじゃなくて、何でこんな所に…!」
「それはこっちの台詞だ。」
真黒な瞳が同じく黒い私の瞳をまっすぐ見る。
そして憮然とした表情で一歩ずつ前に歩み寄ってくると――男は私の手前で止まり、ぎゅっと手を握った。
「…ニーア。俺に黙ってどこに行こうとしていた?」
「―!」
耳元で囁かれた言葉に私は息をのんだ。
アディルは、不機嫌を隠そうともせず、そのまま私にぶつけてくる。彼がひどく怒っているのが分かった。
「え、えっと…」
目を泳がせ言葉を探すが、良い言い訳が見当たらない。
しばらくは粘っていたが、厳しくなる視線を前に、私はとうとう降参した。
「…ごめん、アディル。言ってなかったことがあるんだ。」
「…何。」
「私、今日、転生するんだって。貴方とはもうお別れしないといけないの。」
―ああ、言ってしまった。
眉をしかめ怒りを秘めた表情を作っている彼を見上げると、なんだかいたたまれない気持ちになる。
そして、さびしくも思った。
まぎれもない、『現世』の私への未練。
…だから、アディルには言いたくなかったのだ。顔も見ないまま別れようと思っていたのに。
はあ、とため息をつく私。
だが、次に彼は予想外の言葉を発した。
「…そんなこと誰がさせるか。」
「え。」
「ニーアは、今日俺と結婚するのに。」
「……へ?」
――なんだって?
今度は私が目を丸くした。脳内処理が正常に行われない。言葉が耳に入ってこない。
思わず私は彼が言った言葉を聞き返した。
「け、結婚って……」
「そうだ。ニーアは俺と結婚するんだ。」
「えぇ!?」
聞き違いではなかった。アディルはさも当然、とばかりに淡々と話し、さらに私を混乱させる。
「まあ、そういうことだから。帰ろう。色々と手続きもあるし…」
「ちょ、待ってよ!な、なにをいきなり…」
結婚、なんて。聞いてない。しかも心の準備も出来てない。
てか何でっ!?
私は目を白黒させながら、自分の手を握る男に問いただした。
「だ、だって私…アディルの育て親だよ!?」
「歳は今の俺とそう変わらないだろ。」
「そうじゃなくて、気持ちの問題よ!ほら、育てた親と結婚するなんて、常識的にないし!それに貴方が感じてるのは家族としての愛情で――」
「ニーア。」
半パニックであわあわと言葉をつなぐ私の肩に手を置き、アディルはやんわりと遮る。
「…俺も、ニーアに言ってなかったことがある。
最初から――俺は貴女を親として見たことはない。」
「……え、」
アディルがまっすぐ私を見てそう言う。途端に世界が止まったような気がした。
毎日奮闘し、私なりに若様のために家事したり相談に乗ったり…そんな日々を送ってきたのに。
他人といえど、愛情を持って育てて来たつもりだったのに。
最初から親と思われてなかった、だって。
―やっぱり、私はちっとも彼の役に立てていなかったのだ。
涙腺が緩み、熱い液体が流れ落ちる。
アディルは美しい顔をゆがませてぎょっとすると、慌てて私の頬を伝うものをぬぐった。
「ごめん、ニーア。泣かないで。」
「泣いて、なんかない。」
「違う、誤解だ。ここまで育ててくれたのは感謝してる。でも――」
「いいの。知っていたから。」
俯いた拍子にまた涙が流れる。
私はもう、一刻も早く立ち去って来世でもどこへでも行ってしまいたい、と思っていた。
みっともない自分をこれ以上さらしていられない。恥ずかしい。
自慢の息子と思っていた男の顔すら、うまく見れなかった。
「わ、私なんか、やっぱり若様の、『育て親』に相応しくなかったの。」
「っそういうことじゃ…」
「ごめん…ね、若様には本当に…大変な、迷惑を……」
「ニーア!!」
瞬間。
大きな身体が私をぎゅっと抱きしめる。
子どもの頃から変わらない、アディルの困った癖。
しかし今近くに感じる彼は、知らない男のひとみたいで。ドキッと心臓が跳ね上がった。
「聞いて。俺、ニーアが好きなんだ。赤ん坊の頃から、ずっと。」
懇願するような響きをもつアディルの声。またも、思いもよらない発言だ。
びっくりして目を見開くと同時に―自分の顔が熱く火照るのが分かった。
「…ニーアは何で人間界から地獄へ呼ばれたのか、知ってる?」
首を左右に振る私。全くもって分からない。
「俺が、そう望んだんだ。」
―彼は話した。
生まれたばかりの赤ん坊の頃、俺は下界と通じる水盤を見て―そこに私、『日當閨乃』が映っていたと。学生服に身を包み、友人と楽しそうに笑う私から目が離せなくなった、と。その後も父親の目を盗んでは水盤を見、私を観察していたのだ、と。
アディルはこころなしか少し顔を赤らめて、私の方をじっと見つめた。
「一目惚れ、だったんだ。その日からずっと、貴女と一緒になりたいと思っていた。」
「だから、私を…地獄に呼んだの?」
「ガキの頃はとにかく傍にいたい、離れたくない、とだけ思ってたから…。」
「…勝手だね。」
「……すまない、と思ってる。酷いことをしてしまったとも。」
苦しげに息を吐き謝罪するアディルは、心底反省しているようだった。
だが、しばらくしてどこか決心をしたようにぱっと顔を上げる。
「でも、後悔はしていない。ニーアと一緒に暮らして、俺は幸せだった。」
「………。」
「そして、これからもずっと…一緒に、いたいと思ってる。」
なんだか胸が苦しくなってきた。熱を帯びるアディルの視線に、ドキドキと心臓は活発に動きまくり、私の息を詰める。そして。
「ニーア…いや、ヒトウ・ネヤノさん……俺と、結婚してくれますか。」
降ってきた求婚の言葉に、頭が真っ白になった。
思考停止。至近距離から甘い瞳で見つめられ、なにも出来ない。
真っ赤な顔で彼を見つめ返すことしか――
「…アディル様ったら、空間壊し過ぎですよー。俺が結界張ってなかったらどうなっていたか。」
――と、空気を読まない間抜けな声が空から聞こえた、と思えば。
デレクが黒い翼をはためかせながら地に降り立った。私はハッと我に返り、男の影を追った。
「!先輩!?」
「や、ニーアちゃん、さっきぶり。あれ、俺、お邪魔しちゃったかなー?」
「な、なんで…」
「んー、『仕事』が終わったからね、迎えに来たよ。」
「仕事って…何の……」
「決まってるじゃない。君とアディル様の結婚の準備、だよ。」
絶句。口をあんぐりと開けて笑う悪魔を見上げた。
―けっこんのじゅんび?
「手配は、済んだか。」
「滞りなく。」
さっとアディルのもとに跪いて報告をする悪魔。その仕草は至極自然で、計画されていたものっぽい。
つまり。
―さ、最初から仕組まれてたってこと!?
「て、転生ってのは嘘だったんですか!?」
パクパクと口を動かすが言葉にならない。やっと口から出て来た台詞はそんなものだった。
悪魔は私の方を向き、やはりにっこりとほほ笑んだ。
「いいや、ホントだよ。君は今日の午後、転生する予定だった。
…でも、事実を知ったアディル様は、転生なんか絶対させない、とか言って大反対してさ。
普通は、そんなこと許されないんだ。寿命は決められているものだからね。
そのことでさっきもかなり派手な親子喧嘩を繰り広げて…あやうく地獄が半壊するところだったよ。」
からからと笑いながら言う悪魔だが、全く笑いごとじゃない。昔の自分の想像通りになっていたのだ。
私はぞっとしつつも、『それで、どうしたんですか』と先を促した。
「でさ、閻魔様はやけくそ気味にアディル様に言ったんだ。そんなに言うのなら結婚して血族にすればよい。ニーアちゃんの転生を阻止してみせたら結婚を許してやるってね。」
―魔族は長命だ。そしてその血族となって儀式を執り行えばその人も寿命も延びる。
死人である私が今生に留まるには――地獄の者と結婚、もしくは養子となる、という道しかないのだ。
私はそのことに気付き、ハッとした。
「そ、それで…」
「ああ、結果は明らかでしょ?アディル様は驚くべき速さで君の気配を正確に察知し、ぶ厚い結界を易々と破り、聖域と呼ばれるこの地に侵入したんだよ。ホント、お見事~」
ぱちぱちと手を叩く悪魔。いや、『お見事~』じゃなくて!
突拍子もなく結婚を持ち出したかと思ったら……まさか、そう言う意味で!?
違うでしょ。結婚て、そうじゃないでしょ!?
しかもそんなすぐに用意できるもんでもないでしょー!?
「まー、よかったじゃん。アディル様はずっと前からニーアちゃんのこと、好きだったわけだし?
晴れてアディル様の花嫁だよ。ニーアちゃん。」
いやいや、待ってよ。私はまだ返事してないんですけど!?
それ以前に、死亡→子育て→息子から求婚→結婚…って!
ちょ、順序、絶対おかしいっ!てか、フツーはありえない人生設計!
人生のクライマックス、何回経験するのよ私はっ!
…つーかこいつは初めから私とアディルが結婚すると確信して動いていたわけだよね?
私も何回騙されれば気が済むんだ、こいつに!!
とりあえず何か文句が言いたくて、口を開いた私。しかしふいに近付いてきた悪魔は、
「…言っとくけど、拒否なんかできないよ?君も俺も、地獄ごと消されるよ?」
「………。」
低い声でそう脅してきた。途端に、喉が枯れたようにひゅっと息をのむ私。
最初から選択肢はひとつしか与えられていなかったのだ。
……ああ、そうだ。
そうだったよ。忘れてた。
ここの連中はみんな、理不尽だったってこと。
自分の意見や常識なんか、まっっったく通用しないってことをね!!
忘れてたんですよ、私はぁ!!
「今度は本当の家族になるんだ。…嬉しいな。」
「……。」
「ね、ニーア?」
「…ソウデスネ。」
どこか夢見るような口調で言い私の肩を抱いたアディル。
私は引きつった笑顔のまま、答えた。
そうして頷くしか、なかった。
********
――数時間後、私は真っ赤なドレスに身を包み(こんな所まで赤!)、皆に祝福されながらアディル=オルクール=デルンブルクの妻となりました。
そしてその後、アディルと順調な結婚生活を送り、5人もの子宝に恵まれ、人生2度目となる子育てを始め…幸せに暮らしましたとさ。
…つまり、ハッピーエンドってことだ。終わりよければすべてよしでしょ?
それまでの過程はともあれ、私もアディルも幸せだから、多分これでよかったんだよ。
そりゃあ、いきなりの告白には驚いたけど…元々、私もアディルが大好きだったんだから。
あの悪魔は癪に障るけど、ね(今も許せん、あいつだけは!)。
「ままー!早くおいでよ!魔界ツノジカが逃げちゃうよー!」
「はいはい、今行くから。」
にぎやかな子供たちの声を聞きながら、
私は今日も真っ赤な空を見上げ、ため息交じりの笑みを零した。
END
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「ふう。この景色も久しいわね。」
私は宙に浮かぶ巨大歯車の入り口で立ち、ぼんやりと虚空に視線を投げかけた。
あれから数十年もの時が流れ――
今度こそ私は本当に輪廻の輪に乗った。天寿を全うしたのだ。
――最初から最後まで流されっぱなしの私の人生……
波乱万丈…誰にも真似できない、ってか真似したくねーよみたいな散々な人生だった…かもしれない。
でもこれだけは言っておこう。
私は奇異な生を送ったけど、最後まで後悔はしなかった。
幸せだった。
私は私として、精いっぱい生きたのだ。
「じゃ、行こうか。ニーア。」
「分かってるって。ていうかアディル、本当に転生して人間になるつもりなの?」
「当たり前だろ?お前を一人にするわけないじゃないか。来世でも絶対、一緒だ。」
「……はいはい。」
――彼の隣でずっと、ね。
END