ラブレターの定義
以前投稿した『ラブレターの定義』をまとめました。
初見の方もどうぞお楽しみください。
「放課後、屋上に来てくれない?」
朝。昇降口、下駄箱前。
いきなりそう声をかけられた私は、文字通りぴたりと固まってしまった。
目の前にはやたら背の高いひょろりとした男子。
―確かサッカ―部に所属している一個上の先輩だったか。
面識はなく、話をしたこともない。何故先の情報を知っているかというと、ミーハーなサッカー部ファンの友人に色々吹き込まれたからであって、私個人としては全く接点がないはずだ。
…なんだ、この人。
「は?」
とにかく固まっていた体を動かし、それだけ呟く。すると相手は苦笑して頬をかいた。
「ごめん、こんなこと急に言われても困るよな。俺、3年C組の藤田。日當閨乃さん、だろ?」
「…はあ、そうですけど。」
私は知らないが、相手は私のことを知っているらしい。
私は靴を履きかえながら彼の問いかけを肯定する。すると、フジタセンパイとやらはにこりとほほ笑んだ。
「放課後、屋上に来てほしい。渡したいものがあるんだ。」
「………。」
やはり先程聞いたセリフは聞き違いではなかったらしい。私は曖昧に俯き、妙な顔を作った。
「…何の用なんですか?」
「来たら分かるよ。」
「え?」
「来たら、分かるから。」
詳細を話すつもりはないらしいフジタセンパイはそう念を押すと、じゃあまた、と言って、さっさとその場を去ってしまった。
残された私は呆然とその場に立ち尽くし、しかし追って鳴り響いたチャイムに慌てて教室に向かって走った。
**********
「それは、旗ね。」
朝のHRが終わり、私は早速友人にさっきの出来事を話した。そして開口一番に返ってきたのがこのセリフ。
私も机にひじを置き、頬杖をつきながら口を開く。
「……そう思う?」
「そりゃそうでしょ。何の用もないのに、後輩をわざわざ屋上に呼び出したりしないじゃん。」
「まぁ、ね…」
少々興奮気味の友人に同意する。
それは、確かにその通りだ。フジタセンパイは私に何らかの用事があってあんなことを言い出したのだろう。
―しかし問題はその内容だ。
「ま、ようやくアンタにも春が来たってことね。」
「―そうと決まったわけじゃないし。」
「もうほぼ決まったものよ。いい?屋上、放課後、先輩からの呼び出し。この3要素がすべてそろった時、起こるイベントは?」
「……こ、告白?」
そう言った途端私は思わず顔を真っ赤にして俯く。自分の言葉のくせにひどく羞恥心を感じる。
それを言わせた友人はほらね、なんてしたり顔でケタケタ笑うし。
…うるさいな。
―しかし、かく言う私ももしかしたらそうじゃないか、という予想をもっている。
だって、話があるならその場で言えばいい。まあ言いにくい話とか込み合った話がしたかったのだとしても、何故場所が屋上なのだ。また、なにか頼みごとをしたかった場合でも大勢いる下級生から、なにも私を選ぶ必要はないわけで。
…つまり、イコール。集約すると。
――恋愛旗が、立った。かも。
「……ど、どうしよう…」
「なに今更恥ずかしがってんの。」
「だ、だって全然知らない先輩だし!」
「藤田先輩?でもサッカー部じゃ結構有名よ?レギュラーだし、体格の割に体力あって足も速いし。顔も中性的でおだやかな感じで、男子女子ともに人気がある。好物件じゃないの。」
と、友人は先輩のプロフィールを並べたてる。…ちなみに彼女が例のミーハー女子である。
というか『好物件』とか、婚活中のOLみたいなこと言うな。
「…それでも、私は困る。」
「よく言うわ。ばっちりタイプのくせに。」
「…う。」
図星を刺され、ぎくりとする私。
……ああ、悪いか!確かに好みだよ、あの顔と身長!ちょっといいな、とか思っちゃったよ、初対面にして!
カーッと顔を赤くする私に友人は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、私の頭をぽん、と叩いた。
「はいはい、まあ好きなだけ悩んでなさい。どうせ放課後はくるんだから。」
「…うう。」
―そう、私がどれだけ思い悩もうが、放課後は来てしまう。時は残酷なものだ。
手を振って自分の席に戻る友人を眺めながら、その紛れもない事実を叩きつけられ私は打ちのめされた気分になった。
**********
放課後。やはり来てしまった放課後。
私は授業終了のチャイムとともに、息を吐き出した。
そして荷物をまとめた鞄を抱え、おもむろに席を立つ。
『報告聞かせてよ』とニヤニヤ笑う友人を睨みつけ、足取りも重く教室をでた。
―屋上に向かうために。
私の通う高校には『屋上』と呼ばれる、屋根の上のこぢんまりとした小さなスペースがある。ドアの鍵は壊れているので誰でも出入り自由だが、階段をあがるのが面倒なのか使用する機会がないのか、あまり人が立ち入ることはない。
私もそういった人間の一人だ。おそらく一度も利用することなく高校生活を終えるだろうと思っていた。
―今朝の出来事が無ければ。
…ホントに、何故屋上。雰囲気?雰囲気なのか。
そう面倒に思い、ため息を吐きながら階段を上る。
そしていつの間にか目前にまで迫っていた古びたドアに手をかけた。
ふう、と一度深呼吸し、少し錆ついた取っ手を回して手前に引いた。
ぎい、と音を立てひらく扉。
瞬間、ごうっと音を残し強い風が私の側を通り過ぎる。
そして。
「待ってたよ。」
爽やかな笑みを湛えた藤田先輩が、正面のフェンスにもたれかかっているのを見た。
「…お待たせしました。」
「いいよ、そんなに待ってないから。」
「……。」
どっちだ。…というツッコミはさておき。
私は風に流される髪をかき上げつつ彼のもとに一歩、足を踏み出した。
―近くで見ると藤田先輩はやっぱり背が高い。
背をフェンスに預けているというのに、まだ見上げる必要があるくらいだ。
そして、線が細い。
顔は女性かと見紛うほどほっそりしていてパーツが整っている。
しかし肌は運動部らしく日に焼けて男らしく――
私が無言で彼を観察していると、先輩はくすりと笑った。
「…俺の顔、なんかついてる?」
「へ?…あ、いや、あの」
しまった、見過ぎた。
私は驚くべき反射神経でぱっと視線を逸らし、しどろもどろに答える。
ああ、恥ずかしい。
「すいません、あの。」
「見とれちゃった?」
「へっ!?」
「はは、ごめん。冗談だよ。」
「……。」
彼は困ったように笑い、ひらひらと手を振る。それをまた無言で見つめる私。
…どうにも掴みにくい人だ。
独特の空気、というのか。ふわふわと笑っているのにその真意は霧がかかっているようにぼやけて見えない。何だろう。
…これが生まれ持ったスター性、とかだったら太刀打ち不可能だな。
にこにこと笑っている藤田先輩を見て、私は肩を落とした。
「それで、なんか御用ですか。」
疑問は置いておくとして、早速といった具合に口を開いて問いかける。
私はオレンジ色の空をバックに立つ先輩を仰いだ。先輩は笑いをひっこめ、急に真剣な顔を作る。
「うん、あのさ、渡したいものがあって。」
先輩は今朝聞いたようなことを繰り返しながら、ごそごそと傍らに置いてある鞄を探る。そして目的のものが見つかると、はい、と私に向けて差し出した。
―それは。白い封筒に包まれた一通の手紙だった。
…キタ。これは、キタ。何やっぱり恋愛旗だったのか。というかなんてベタな展開なんだ。確かこんな感じに告白される内容の古い少女漫画あったわ。
差し出されたそのフラグ回収物を見た瞬間、私はそんなことを思ってしまった。
少し冷静になり、なにかの間違いかと封筒を覗くも、真っ白な手紙の表面には確かに『日當閨乃様』と几帳面な字でまっすぐ書かれていた。
つまりだ。これは間違いなく、告白。
そしてこの手紙は、ラブレターだろう。
「………。」
予想済みのこととはいえ、やはり想像と現実は違う。
私は言葉を発することができないまま、その場に立ち尽くした。
「日當さん?はい、どうぞ。」
しかし先輩は催促するようにまた手を突き出してくる。
思わずソレを受け取ってしまい、手紙の質量が手に収まった。
「――っ!」
途端。顔面に熱が集中してくるのが分かる。
今起こっていることが一気に現実味を帯び、困惑やら羞恥やら、様々な感情が私の心を支配した。
羽のように軽い手紙=らぶれたー。
自慢ではないが、こんなものをもらうのもこんなイベントに遭遇するのも人生で初めてだ。
人は未知の出来事に出くわすと混乱するか思考停止するらしいが、今の私が、まさにそれ。
結構タイプの先輩にこんなベタなフラグ建てられてしっかり回収されて、そりゃあわあわするわ。
やばい、パニックなう。
「…あ、あの、これ……」
「ん?君に、だよ。」
「……っ」
…追い打ちをかけないでくれませんかセンパイ。
なんですかそのキラキラした笑顔は。
超好…げふん、心臓に悪いです。
そう心の中で呟きながら、私はまた手の中の白い物に目を落とす。
そして、ハッと気付いた。
…いや、まてよ。やっぱりからかわれているだけってこともありえるじゃないの。
ここまできて『罰ゲームだった』とかそんなオチは恥ずかしすぎる。
「…あの、先輩、私に会ったことあります?」
目の前の人物と今度は目を合わせ、私は慎重に聞いてみる。
「いや、ないと思うけど。」
「…じゃあなんで。」
「俺は、君を知ってるから。」
藤田先輩の声がはっきりと私の耳に届く。
風がタイミングよくざあっと吹き、私と彼の服を揺らした。
いつの間にか、彼が真剣な顔でこっちを見ているのに気付いた瞬間だった。
「…え」
思わずそう声をもらしてしまう。
目を丸くして視界に入る彼を凝視した。
―それほど、いきなりガラリと空気が変わったのだ。
「俺は、君を知っているし、だからこの手紙を書いたんだ。読んでくれないかな、…日當さん。」
低く、心に響く声でささやく先輩。
軽い気持ちでただ真偽を確かめるために聞いたのに、思いのほか真剣に、しかもそんないい声で言われたら、もう。
「え、…あ、うあ……」
―どもるしかないじゃないか。
顔を限界まで真っ赤に染め上げ、あうあう言う私は滑稽以外の何物でもない。
うわ、ものの数分で黒歴史増えすぎ私。
「あ、あの。今、よ、読んでいいですか、これ!」
「うん。」
感情のメーターが振り切れ、会話もままならない。
私は申し出をさっさと許可されたので、ぱっと手紙に視線を落とした。
…もう、その妙な雰囲気や先輩の射抜くような眼差しから逃れたくて、手紙に注意をあけ渡したのだった。
ええい、こうなったらこいつを読んでしまえ。
先輩もそれが目的みたいだし、へ、返事とかはまたその後で考えれば済むコト!
とにかく内容を確認するのが先決だ。
焦る心を静め、私はそっと封筒を裏返し、丁寧に留められた糊をぱりぱりと剥がした。
たてに開くとゆっくりと、中におさまっている一枚の紙が姿を現す。
何が書いてあるんだろう。
私は、ドキドキしながらそれを、人生初のラブレターを開けた。
「呪呪呪現呪呪世呪ニ呪呪呪呪呪未呪呪練呪呪呪呪ハ呪呪呪呪呪無呪呪イ呪カ呪呪呪呪是呪呪ナラ呪呪呪呪呪バ呪呪呪呪呪呪呪呪汝呪此呪呪呪呪呪場呪呪呪ニ呪テ呪呪呪死呪呪ノ呪呪呪言霊呪呪ヲ呪呪呪呪呪授呪呪呪ケ呪呪ン呪呪呪呪呪呪鬼鬼鬼鬼汝鬼鬼鬼鬼ノ鬼鬼名鬼鬼鬼ハ鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼日當閨乃死死死死死冥死死死界死死死死ノ死死死死神死死死死ノ死死死死死御死死死死元死死死死ヘ死死死死死死イザ死死死死死死参死死死死レ死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死」
目に飛び込んできたのは漢字の羅列。
黒い文字が生き物のように踊る。
たくさんの不吉な文字、そして中央に自分の名前。
あまりの出来事に、反応を拒否するように何も考え得ることができない。
体の血という血が引き、もう顔色はないに等しい。
そして――――
「あきれるくらい簡単だね。」
藤田先輩は、やっぱり綺麗に笑っていた。
黒い影が覆いかぶさり、夕日の橙色をすっかり包み隠してしまう。
「おやすみ、閨乃ちゃん。」
ばさり、となにか羽ばたくような音と、先輩の別人みたいな冷たい声。
それを最後に私の意識は完全になくなった。