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何でも屋  作者: ポテトバサー
第2シーズン:第2章・門出なセプテンバー
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オケラちゃん現る

 まだまだ暑さが続く九月。何でも屋の四人は、事務所で遅めの昼食を済ませたところだった。


知哉「いやー、食った食った」


重「うーん、食べたねぇ」


 事務イスに深く腰掛ける二人は、満腹感に浸りながら同じようにして腹をさすった。そして、机の上にある空になった皿を懐かしむように見つめた。

 そんな二人の向かいには、同じように昼食を終えた修と渡が麦茶を飲んでいた。


渡「それにしても久しぶりじゃない? 修の『なんちゃってクリームパスタ』を食べるの」


 なんちゃってクリームパスタ。修のレパートリーの一つであるパスタ料理で、名前の通り、ズボラなやり方でなんちゃってなクリームソースを作る。このパスタ料理の魅力は、何と言っても冷蔵庫にある具材だけで済むというところにある。


知哉「そうだな。大学生の時に食ったのが最後だもんな」


重「大学生の時だっけ?」


知哉「あれだよ、海釣り行こうとしたら台風に潰された日だよ。結局、修の家でずっとゲームしてたろ? あん時だよ」


渡「そうだそうだ、そうだった。大先生が『クリームパスタ』食べたいって駄々をこねてうるさいから修が作ったんだよね?」


修「あぁ、クリームクリームうるせぇ妖怪バカの為に作ったんだよ」


重「修って本当に素直じゃないよねぇ」


 重が細かく瞬きを繰り返しながら修を見つめると、修は無表情のまま口開いた。


修「うるせぇ妖怪バカ以上の素直な言葉なんてねぇんだよ!」


重「それにしましても‥」


修「何がそれにしましてもなんだよ」


重「あれってどうやって作ってんの? 生クリーム使ってないんでしょ?」


知哉「あと味付けだよな。少し香ばしい匂いがするんだよ、あのクリーム」


修「好きな具材をオリーブオイルで炒めて、小麦粉振り入れて、程よく牛乳入れて、しょう油を少しだけ入れて、茹でたパスタ入れて終わりだよ」


 雑な説明を雑な口調で済ませた修は、残っていた麦茶を飲み干すと、おかわりの一杯を注ぎ始める。コップへ雑に注がれる麦茶は、小さな飛沫をコップの周りに飛ばした。

 顔を合わせた知哉と重は、一言二言を目で言葉を交わすと、修の方へ向き直った。


知哉「なんで急に雑だよヒゲ!」


修「雑なんじゃねぇ、簡潔に説明してやったんだろうが!」


重「どこが簡潔なのよ。じゃあなに? いま修が言った通りに作れば同じ味が再現できるんだね?」


修「んなわけ‥」


知哉「俺たちが家で作った時に、同じ味が出せないで哀しみに暮れることまで考えて‥」


修「お前ら二人は料理をしねぇだろ! 出汁のとり方ひとつ知らねぇ奴らに、作り方を教えて何になんだよ!」


知哉「ためになる」

重「ためになる」


修「なるかバカ! 料理の『リ』の字も知らない奴に、いきなりクリームパスタが作れるわけねぇだろ! どうせ作ったって‥」


知哉「ダメになる」

重「ダメになる」


修「うまいこと言ってんじゃねぇ! つーか分かってんなら作り方を聞くなってんだよ!」


 三人の半笑いのまま続いた言い合いを聞いていた渡は、それは静かに大人しく言葉をこぼした。


渡「おたくらってさ、本当にあと数年で三十路になれるの?」


 渡の的確な指摘。ミソは「三十路になるの?」ではなく「なれるの?」と言ったところだろう。つまりは「いつまで子供じみた事をやってんだ」ということである。


渡「あぁ、バカに聞いてもなれるかどうか分からないよね、ゴメンゴメン」


 切り込むだけではなく切り捨てる。そんな渡のツッコミに思わず笑うバカ三人。


修「おい二人共、ここに人斬りがいるぞ」


 修の切り返しに、今度は渡が笑った。


渡「誰が人斬りなんだ!」


修「人斬りだよな?」


知哉「人斬りも人斬り。辻斬りだよな今のは」


重「快楽のためだけに刀を振り回す(やから)だよね」


修「そうそう。『バカに聞いても分からないよね、ゴメンゴメン』だもんな、その切れ味たるや‥」


渡「うるさいよもう! それはもういいから、知ちゃんさっさとお皿を片付けてよ! あと一時間もしたら、計良さんが面接に来るんだから!」


知哉「なんで俺が皿の‥」


渡「当番でしょ!」


知哉「……あ、そうだったそうだった。悪い悪い」


 笑みを浮かべたままイスから立ち上がった知哉は、空になった皿とフォークを回収していく。


重「ねぇ知ちゃん。なんで皿と皿の間にわざわざフォークをはさむの?」


知哉「あぁ? だってそうしないと皿の裏にまで汚れが付いちゃうだろ? 洗う時に面倒なんだよ」


重「なるほどね、バカも色々と考えてるんだ」


知哉「おい修、大先生からも刀取り上げておいてくれ」


修「秀吉かお前は!」


 修の返しが気に入ったのか、知哉は満足そうな顔で控室に皿を運んでいった。


渡「まったくさぁ……」


 少し体勢を崩した渡は、喉を鳴らして麦茶を飲んだ。修と重は「まったくさ」の先の言葉を待って、静かに渡を見つめていた。


渡「…………」


 どうやら「まったくさぁ」だけで終了のようである。ただ念のために、修と重は渡のことを見つめ続けた。


渡「……え、なに?」


修「なにじゃねぇって、何か言うのかと思ったんだよ」


渡「あぁゴメン、なんでもない」


修「それにしてもよ、秀吉かお前は、っていうツッコミ面白いか?」


重「いや、自分で言ったんでしょ?」


修「そうだけどよ、成り行きで言っただけで‥」


渡「だいたい成り行きでしょ。日常のボケとツッコミなんて」


修「やっぱさ、パッパッ切り返せる芸人ってすごいんだよ。回転力と判断力と引き出しの多さの違いだよな」


渡「何の話なの?」


修「なんでもねぇよ」


 アクビをしながら伸びをした修は、その動きの惰性でなんとなく壁を見た。いつも通りの壁には、資格や営業許可書などが掛けてあり、仕事で行ったイベントや依頼者と撮影した記念写真が飾られていた。だが、いつも通りではないものが一つだけあった。

 それはキンキラリンの額縁だった。


修「あ? おい、なんだよあれ?」


 出社してから五時間半。修はようやく場違いな輝きを見せる額縁に気がついた。修は基本的にはしっかりしていて常識を持ち合わせているが、所々抜けているのだ。


重「え、今頃それを言うのバカ?」


 重の語尾バカにプッと吹き出す修。重と修は幼稚園の頃からこのやりとりを続けている。


修「語尾をバカにするん‥」


重「語尾をバカにするしないじゃないんだよバカ」


渡「おい話を聞いてるのかバカ」


修「聞いてるようるせぇ! バカバカ言いやがってバカ!」


渡「人に対してバカと罵るのはどうかと思うよ?」


重「あー、それはもう教授さん言う通り」


修「わかったわかった、なんでもいいから、とにかく表へ出ろ」


 拳で語り合おう、という修のお馴染みの提案にプッと吹き出す渡と重。この三人は小学生の頃からこのやり取りを続けている。


知哉「さっきから何を騒いでんだよバカ」


 皿の片付けが終わった知哉が控室から出てくると、三人は声を揃えて言った。


三人『バカはお前だバカ』


知哉「なんだってんだ!」


 タイミング・声色・表情まで揃える三人に、知哉はプッと吹き出し言い返す。そう、この四人は子供の頃からこのやりとりを続けている。飽きずに。毛ほども飽きずに。


知哉「で、なんの話だったんだよ」


渡「いいから先に座りなさいよ。落ち着かないから!」


知哉「お袋みたいなこと言うなよな」


 そう言いながら事務イスに腰掛ける知哉。


知哉「んで?」


修「バカはお前だって話なんだけどよ?」


知哉「その話じゃねぇよ! だいたい、んなこと言われなくてもわかってんだよ! で何の話なんだよ?」


修「……あれなんだっけ?」


 思い出せずに笑い始める修目掛けて、三人はポケットティッシュ・丸めた紙・ハンカチを投げつけた。


修「なにすんだよ! 育ちが知れるよなこの野郎!」


渡「この野郎って言ってる時点で育ちが知れるよ全く。いいからハンカチ返してよ」


修「ハンカチ投げる時点で育ちが知れるんだよ! ったく、無駄に高品質なハンカチ使いやがって」


 照れ笑いを見せながらハンカチを受け取る渡。


修「はーあ……」


知哉「いやだから何の話なんだよ!」


修「あっ、そうだったそうだった。あれだよ、額縁だよ額縁。なんだよあの金ピカの額縁は!」


 知哉と重は静かに渡を指差した。それを見た修は、何も言わず目だけで渡に質問をした。渡は黙ったまま答えを返した。

 答えを受けた修は、額縁の方へ視線を向けて腕を組んだ。


修「育ちが知れるよ」


渡「いや、仕方なかったんだって! 写真のサイズが一般的なサイズじゃなくてさ!」


修「まぁ、熊さんが送ってきたんだろうから、一癖はあるだろうけどよ。他になかったのかよ?」


重「他にもあったんだよ、候補はね。同じキンキラリンでも、もっと上品なやつがあったし、銀のやつもあったんだよ。ただ教授さんがあのキンキラリンにしたんだよ」


渡「だって、他の二つは俺たちの月の給料より高い額縁だったからさ……」


 しばらく流れた沈黙には、様々な意味があった。


修「……え?」


知哉「なになに?」


渡「いや、いま写真の入れてる額縁はメッキなんで、お手頃価格なんだけどさ。他の二つの額縁はメッキじゃない金と銀で……」


知哉「俺らの給料より高いの?」


渡「まぁ、材料費もあるけど職人の技術料だね。金や銀に艶やかさを加えられる技だもの、俺たちの給料より高いのは当然だよ」


知哉「なにその驚きと哀しみがあるお話」


渡「自分たちの給料より高い額縁を飾るわけにいかないでしょ? 不安でしょうがないし」


修「そりゃそうだけどよ。他の額縁との差がありすぎんだよ」


重「知ちゃんが作ればいいじゃない」


 年寄りじみた声色を出した重は、ズズッと音を立てて麦茶を飲んだ。


修「そうだそうだ。合宿から帰ってきてから日曜大工が趣味になったんだ、貰ってきた廃材で作ってくれよ」


知哉「いや、だったら修のほうが器用なんだから修が作れよ」


修「おい、もう九月なんだぞ!? アメフトのシーズンが始まってるのに、そんな暇ねぇんだよ俺は!」


知哉「理由になんねぇんだよ!」


 修と知哉が言い合っていると、重が渡にボソっとこぼした。


重「……また始まるって」


 もちろん修は聞き逃さない。


修「始まるに決まってんだろ!」


重「……いやいや、アメフトに対して言ってんじゃないの。月曜の試合結果を一週間引きずるバカ野郎がいるから『面倒臭いね』っていう意味で言ってんの」


修「……なにその『何も言い返せない話』は?」


重「なによ、言い返してよ、そこは」


修「無理無理。どうしようもないんだよ、あれは。じゃなくて、額縁作っておいてくれよ?」


知哉「しょうがねぇなぁ…… そういや教授さんよ、今日来る計良さんはどんな感じの人なんだよ?」


渡「うーん、くだけた性格なのは間違いないね。ただとんでもなく仕事が出来る人だよ。正直、何でも屋(ウチ)にはもったいないくらいだね」


知哉「そんなにかよ?」


渡「まぁ、その辺は修が面接の時に聞くだろうから」


 自分が面接官を任された事を遠回しに知った修は、フッと吹き出し笑い始める。


修「待て待て待て。なんで俺が面接官なんだよ。教授さんがやれって!」


渡「あのね、俺は計良さんがどういう人なのかよく知ってるの。だから今回の面接ってのは、計良さんのことをよく知らない修たち三人が計良さんの事を理解するための場なんだよ」


修「だからってなんで俺なんだよ」


渡「大先生は天然出すし、知ちゃんはすぐに話を脱線させるし‥」


知哉「えっ、そういう理由で俺は外されたのかよ? 思ってたのと違ったな」


渡「……知ちゃんはバカだから面接官は務まらないしね」


知哉「おっ、いいねぇ。そっちのほうがしっくりくる」


重「もう本物のバカなんだね」


知哉「そう簡単にバカの称号を渡すわけにはいか‥」


渡「話を脱線させるなっての!」


知哉「悪い悪い」


渡「……で、何の話だったっけ?」


修「面接官が何で俺かって話だよ」

 

 渡は組んでいた足を下ろし、今度は腕を組んだ。


渡「柔軟な対応が出来ないとダメなんだよ」


 勘のいい修は、渡のその言葉だけで計良久美子という人物の人間性を想像できた。


修「そういう感じの人なのか…… あれ、歳はいくつなんだっけ?」


渡「四十代」


修「四十代? 一桁目は?」


渡「口止めされてるから」


重「なによ口止めって」


渡「いや、もう口止めされてるから」


知哉「その‥」


渡「口止めされてるから無理だって」


知哉「口止め口止めうるせぇなもう! おい修、何なんだよこの口止めロボットはよ?」


修「口止めされてるから言えない」


知哉「誰にだよバカ!」


重「それも口止めされてるか‥」


知哉「ボケに乗るなよ!」


修「つーか、教授さんは本当の歳を知ってんだろ?」


渡「知ってるよ」


修「なら別にいいけどよ。なっ知哉?」


知哉「口止めされてるから言えない」


修「それじゃ仕方ないな。にしても‥」


知哉「ツッコめよ!」


修「なんだよ、優しくしてやったんだろ? にしてもあれだな、計良さんの性格の話を聞く限りじゃ、この何でも屋は『類は友を呼ぶ』って感じだな」


重「あぁ、確かにね。椎名さんもそうだし、依頼人の人達も似た感じだよね」


知哉「いや、灰田さんと江古棚(えこだな)さん、それと健一くんは別次元。どの依頼も命懸けだったからな」


重「あー、命懸けだったね、あれは」


修「でもまあ、俺たち四人と同じ雰囲気とか人間性なら、それに越したことはねぇよ。つーか、もうそろそろ計良さん来るんじゃないか?」


計良「もういるんですけど?」


 耳元で声を出された修は「ヤイスッ!」という謎の言葉を発しながら、跳ねるようにしてイスから立ち上がった。

 いつの間にか現れた計良は、飛び跳ねた修に驚きながらも笑うのを必死に堪えていた。


修「だ、だれれすか?」


 突然の訪問者にろれつ(・・・)が回らない修。


渡「計良さん! いつの間に来たんですか!」


計良「いつの間にって今だけど」


渡「いやぁ、それにしてもお久しぶりです!」


 イスから立ち上がった渡は、三人に計良を紹介する為に計良の横へ立った。


渡「みんな、紹介します。こちらが俺の親父の知人の計良久美子さん」


計良「初めまして、計良です」


 計良はネルシャツにジーパン姿で、肩からはスポーティーなボディバックを掛けていた。ヘアスタイルはポニーテール。身長は修や渡より少し高いくらいで、標準的な体型。渡が言っていた「スーパーウーマン」というより、「穏やかで笑顔の素敵な女性」というのが重と知哉の第一印象だった。


重「どうも初めまして。水木重といいます」


知哉「初めまして。俺は寺内知哉といいます」


 二人は笑顔で挨拶を済ませると、驚きで脈打つ胸を押さえていた修が静かな声を出した。


修「……本当に勘弁してください、と思っています久石修です」


計良「ごめんなさい、驚かせちゃって」


 少しだけ気取った口調で話す計良。その瞬間、渡以外の三人は確信した。計良が自分たちと同じような笑いの取り方をする人物だと言うことを。


修「それじゃ早速……」


渡「うん、そうだね面接にしようか。それじゃ計良さん、そちらのソファーへどうぞ」


計良「はーい。お願いします」


 楽しそうな表情を浮かべた計良がソファーへ座ると、修はあらかじめ用意しておいた面接用の書類を手に、計良の座る向かいのソファーへ座った。


修「では面接を始め‥」


 修はそこで言葉を切ると、笑顔を見せながらソファーの横に立っている重と知哉を見た。


修「向こうのソファーに座るとか、教授さんみたいに自分の事務イスに座るかしろよ」


知哉「あ、あぁ、そうだな」


重「どうもどうも……」


 二人は相変わらずの笑顔を見せながら、自分たちのイスへ戻った。


修「それでは始めます」


計良「お願いします」


 修は正していた姿勢をもう一度なおすと、手にしていた書類に視線を移した。


修「まず履歴書のことについてなんですが……」


計良「はい。持参しなくてもいいとのことでしたよね」


修「えぇ。まぁ独自の面接・採用方法でして。それで始めに言っておかなければならない事があります」


計良「はい」


修「えーっとですね、あのー、まず採用です」


計良「はい?」


修「ですからあの、計良さんを採用するということは決定しているんですよ」


計良「えっ、そうなんですか!?」


修「そうなんですよ。ウチの大塚の紹介ですからね。大塚が言ってましたよ。『本来は俺たち何でも屋のほうが、頭を下げて、来てもらうような人なんだ』って」


 修が見せる一応のかしこまりに、イスに座っていた三人はクスクスと笑っていた。また計良も、修の後ろの三人の方をたまに見ては笑いを堪えていた。

 後ろで三人が笑い、何かをしていることに修は気づいていたが「後で覚えてろ」と我慢していた。


修「ですので、気楽に受け答えをしていただけたらと思います」


計良「あ、はい、わかりました」


修「では‥」


 修が喋りだした瞬間、マジックペンが紙の上で擦れる「キュッ」という音がした。後ろの三人の誰かが確実に何か文字を書いている。また下らないことやりやがってと、修が話を続けようとした時だった。計良の視線が再び動いた。

 その視線に反応した修は、信じられないような素早い身のこなしでソファーから立ち上がり、後ろへ振り向いた。いや、正確に言えば、立ち上がると同時に後ろへ振り向いた。立ち上がった時にはすでに後ろを向いているといった具合だ。


修「さっきっから何してんだコノ野郎!」


重「あうっ……」


 修の素早い動きに身動き一つ取れなかった重は、手に持っていた紙を「はらり」という音をさせながら落としてしまった。

 落とされた紙は紙で、「ひらひらり」と音を立て不規則に舞い落ちた。そして床に落ちたかと思うと、修の方へすぅーっと滑っていった。紙は神より気まぐれなのである。


修「…………」


 修は自分の足元へ滑ってきた紙を拾い上げた。


修「……『ヒゲがかしこまっております』だぁ?」


重「いや、違うよ。違うからね?」


 トーンを一つも二つも上げた声を出す重。その横では渡と知哉がうつむいたまま、声を押し殺しながら肩を揺らしていた。その様子を見ていた計良も同じように声に出して笑うのを耐えていた。


修「何がどう違うか言ってみろよ」


 そういう修も半笑いである。


重「……あの、読み方が違うんだよね。修の読み方だと、なんかねぇ、私があなたの事をバカにしているみたいでしょう?」


修「いいから、どう違うのか、どう読むのかだけを言えって」


重「ヒゲがかしこまっております、じゃなくて……」


修「じゃなくて?」


重「ヒゲ案山子、困っておりま‥」


修「どのみちにバカにしてんだろバカ!」


 もういいだろう。そんな感じで渡・知哉・計良の三人は声に出して笑い始めた。


重「いやいや、そういう意味じゃないよ」


修「そういう意味以外にねぇだろってんだよ! 誰がヒゲ案山子だ! 誰が陽にやられたズタボロはんてん(・・・・)着てカラスに突かれてんだよ! 読み方を変えるなんざ妙案を思いつきやがって!」


重「じゃあなに? ヒゲがかしこまっております、のほうが良いわけ?」


修「ハナっから後ろでゴニョゴニョやるんじゃねぇって言ってんだよ!」


重「ですって計良さん」


 重に振られた計良は、笑い涙を指で拭っていた。


計良「もう、面白い職場ねここは。渡君の言うとおり、お気楽に働けそうね!」


渡「いやぁ、気に入っていただけましたか?」


計良「うん気に入った! もうここしかないね! 重君も知哉君も面白いし……」


修「えっ? なんで重と知哉って名前を知ってるんですか?」


計良「修君の後ろで、ずっと紙に書いて自己紹介してたの、みんな」


 計良に教えてもらった修は、事務机に近づいた。すると、計良の言うとおり、何枚かの紙が置いてあった。修は誰がやり始めたことなのかを知るために、一番下の紙を引き抜いた。


修「一応聞いてやるけど、この『改めましてお久しぶりです。ヒゲ野郎こと久石修の話は、なんとなく聞いておけば十分ですので』ってのは誰が書いたんだ?」


渡「俺以外の誰かだろうね」


修「お前以外の誰でもないんだよ! 『お久しぶり』の時点で教授さんだろ!」


渡「いやー、分かってたんだけどね、お久しぶりって書けば俺が始めたってバレちゃうのが。けど、育ちが良いからさぁ、やっぱり挨拶から始め‥」


修「育ちの良いやつはこんな事を面接の時にやらねぇんだよ! 大体、お久しぶりと書いてなくても、字面(じづら)でわかるんだよ!」


知哉「じゃあ俺のもわかるのかよ?」


 修は机の上から別の紙を引き抜いた。


修「このミミズがのたうち回ってんのがお前のだよバカ!」


知哉「草書体って言うんだよそれは」


修「言ってろ!」


 そう言いながら、なんと書いてあるのか気になった修は、知哉の書いた紙に視線を落とした。


修「どうも初めまして、寺内知哉と申します。お願いしますだぁ? つまらねぇこと書きやがって! 書くなら書け!」


知哉「うるせぇよ!」


重「ヒゲ案山子を見習ってよね」


知哉「うるせぇよ!」

修「うるせぇよ!」


 もはや名物となった何でも屋の言い争い。計良はその様子を見て笑い続けていた。


修「いや計良さん、楽しそうに笑ってますけど、面接は続けさせてもらいますよ?」


 かしこまるのがバカらしくなった修は、ソファーに深く腰掛けた。


計良「えっ! まだ続けるんですか!」


修「まだって始まってもないですよ! はい、それじゃあ、お名前と年齢をお願いします!」


計良「はい! 計良久美子、二十三才です! オケラちゃんって呼んで下さーい!」


 我慢を解き放ち、普段のノリを披露した計良に、渡・知哉・重の三人はどっと笑ったが、修は静かに返した。


修「はい、不採用」


計良「ウソウソウソ! ちょっと待って、ちょっと待って!」


修「はい、不採用!」


 何でも屋らしい半笑いを維持したままの面接は、まだ始まったばかりである。


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