トリマルミにご用心!(終)
[あらすじ]
結局、疲れた休日を送ってしまった四人だったが、いつもどおり仕事を始めた。
だが、いつもどおりではない事もあった。
休日明け。何でも屋の四人は普段と変わらずに仕事を始めていた。だが、依頼主の家へ向かう修だけは普段と違っていた。
修「小回りが効いていいなぁ。駐車の場所もとらねぇし」
普段との違い、それは何でも屋の新戦力「PONY」だった。
このポニー、いわゆる原付きと呼ばれる小型のバイクで、燃費・耐久性・価格の三拍子が揃っていた。また、様々なパーツや塗装オプションなどもあり、世代を問わずに人気を博していた。
修「それにしても、他のポニーとすれ違う度に感じる『仲間意識』と『親近感』がすごいな」
ブツブツと独り言を漏らしながら街を行く修は、住宅街の中へ入っていく。そして角を二度ばかり曲がったところで静かに停車した。
修「あーっと………… 飯田さんのお宅…… よし、ここだ」
住宅街というのは静かなものだが、昼過ぎになると輪かけて閑静である。そのためか、修が立てる日常的な音が響くように感じられた。
修「それで、飯田さんの依頼内容は…… 雑用・要相談か」
ポニーに取り付けられた専用ケース。そこから取り出した書類を見ながら、修はヘルメットで潰れてしまった髪と身だしなみを整えた。やはり依頼主の家に上がり込んでの作業というものはエチケットが欠かせない。
修「要相談ってことはウチじゃ解決出来ないことかもしれないなぁ……」
何でも屋と謳う手前、解決出来ない、手伝うことが出来ない依頼があると、修は誰よりも落ち込む。まぁ誰よりと言っても今は四人しかいないのだが。
修は書類の入ったクリアケースを片手に、力になれる依頼であってくれ、そう願うようにチャイムを鳴らした。
飯田『はーい』
玄関脇に付けられたインターホンから聞こえた声に、修は丁寧な声色を出す。
修「こんにちは、何でも屋です」
飯田『あ、はーい、いま開けますねぇ!』
その声を最後にインターホンが切れると、玄関越しに階段を降りてくる足音が聞こえてきた。修は、この時が一番緊張するらしい。ただ、ドアが開かれた瞬間に落ち着くとのこと。
飯田「はい、どーもぉ……」
玄関を開け修を迎えた飯田は四十代の主婦である。
修「こんにちは。何でも屋の久石です。本日はよろしくお願いします」
飯田「こちらこそお願いしますぅ」
修「あの、バイクはあの位置で……」
飯田「あ、大丈夫です大丈夫ですぅ」
修「そうですか。それでは早速なんですが……」
飯田「あっ、依頼の内容ですねぇ? もうコレがこんがらがっちゃうような事なんですけどぉ…… どうぞ上がって下さい、二階にあるのでぇ」
修「分かりました。それでは失礼します」
ふんわりまったりとした特徴的な話し方の飯田。そんな飯田の後に修は続いた。
飯田「あのですねぇ」
修「はい」
飯田「その二階の部屋は夫と一緒に使ってる趣味専用の部屋なんですけどねぇ、まさかあんなことになるとは思っていなくてぇ。一瞬のことだったんですよぉ」
修「は、はぁ……」
飯田「こう、床にねぇ、雑に広げて作業をしていた私もいけないんですけどぉ、やっぱりねぇ、換気のためには窓を開けなきゃいけないしぃ……」
修「何の作業をしていたんですか?」
飯田「ちょっと趣味の手芸をやってたんですけどねぇ、もう一瞬のことでねぇ。それで慌てちゃったもんですからぁ、急いで立ち上がったらつまずいちゃいましてぇ。妻がつまずいちゃってぇ」
修「アハハハ……」
飯田「妻がつまずいちゃってぇ」
修「アハハ、いや何で二回言ったんですか?」
飯田「それで、その拍子に主人の釣り竿立てを倒しちゃいましてぇ。そのぉ、二本ほど折れちゃいましてぇ」
修「あらぁ…… それは災難でしたね」
飯田「そしたらぁ、その折れた拍子に綿の袋を切っちゃったんですよぉ……」
修「あ、折れた釣り竿で?」
飯田「そう。折れて尖っちゃったもんだからぁ、もう一気にビニール袋を裂いちゃってぇ。その時なんですよぉ…… 泣きっ面に蹴りってやつですよぉ」
修「……蜂じゃないですか?」
飯田「えっ? あれ、いま私なんて言いましたぁ?」
修「泣きっ面に蹴りです」
飯田「あらやだぁ! そうよね、蜂ですよねぇ! それで蹴りっ面に蜂でぇ……」
修「いやもう、顔面ボッコボコですよ!? 蹴りっ面に蜂じゃ!」
飯田「あらやだぁ! そうですよねぇ! でも本当にヒドくてぇ、開けてた窓から急に強い風が入ってきちゃったんですよぉ!」
修「えっ!」
飯田「もう手芸用の糸だ毛糸だ細かい布切れだ綿だって全部舞い上がっちゃってぇ! そうしたら、竿を倒したときにルーリでしたっけ?」
修「たぶんですけどリール‥」
飯田「そうそうリール! あれから釣り糸がシュルシュルってぇ! それで今は塊なんですよぉ!」
修「塊?」
飯田「えぇ塊。あ、この部屋ですぅ。まぁ見ていただけたら分かると思うのでぇ……」
飯田に促されるまま部屋に入った修は、失礼しますと言ったっきり黙ってしまった。
飯田「これなんですけどねぇ。なーんか部屋の構造とか風の通り方でクルクルと集まってぇ、まぁその、まんまるにぃ……」
八畳間の床の真ん中。バランスボール大のまんまるな物体があった。修は「まんまる」にゆっくりと近づき、なんとなく慎重に床へ膝をついた。
ふわふわとしたまんまるな物体は、一見するとただの綿の塊に見えた。が、よく見てみると、先ほど飯田が言った材料で形成されていることが分かる。「まんまる」の主原料は綿だが、それを見事にまとめ上げているのは様々な種類の糸だった。
修「木綿糸に毛糸。ナイロンにフロロカーボンとPEラインまで…… それにしても……」
何とも言えぬ「丸み」。小鳥のお腹に似た「丸み」。動物好きの修としては堪らない「丸み」だったらしく、修は物体に「トリマルミ」と勝手に名前を付けた。
飯田「……ますぅ?」
修「あ、はい、すみません。もう一度お願いします!」
飯田「これ、お願いできますぅ?」
修「お願いといいますと、解いて元に戻すということですか?」
飯田は口で答えず、手を揉みながら満面の笑みで頷いた。あまりの笑顔に修もつられて笑ってしまった。
修「いや、あの……」
飯田「もちろん元通りにするのは無理でしょうしぃ、解いたところで使い物にはならないのは分かってるんですよぉ。ただ、なーんか悔しくてぇ、ほとんどが新品だったのでぇ……」
修はトリマルミに視線を戻し、どうしたものかと考え始めた。この依頼は正に何でも屋の為にあるような依頼。しかしこのトリマルミ、かなり手強い相手であることに間違いはない。
糸と綿と布切れは複雑に絡み合い、どこから手を付けていいかすら分からない。作業が長引いてしまえばイタズラに料金が増えてしまう。それに元に戻してしまうには余りに惜しすぎる丸み。だが、この依頼を受けることが出来ないで、トリマルミを解けないでなにが何でも屋だ! 真面目で間抜けな思考が修の頭を駆け巡る。
飯田「いついつまでにって期間を決めるつもりはないのでぇ‥」
修「えっ! そうなんですか!?」
飯田「えぇ、だってただの悔しさから頼んでるだけですからぁ」
修は決めた。
修「分かりました。当店で出来る限りの事をさせていただきます!」
飯田「えっ! 本当ですかぁ!?」
修「ですが、非常に特殊なケースなので、一度このトリマルミを持ち帰りまして、見積もりを‥」
飯田「トリマルミィ?」
修「あっ、あのー、この塊を持ち帰りまして、見積書を作成します。その見積りに満足して頂けたら、正式に依頼を引き受けます」
飯田「分かりましたぁ!」
修「見積りは無料でして、恐らく明日中にはお届けできると思います」
飯田「明日ですかぁ!? そんなに早くぅ!?」
修「なんと言いますか、特殊な依頼はこれが初めてではないので、料金表もいろいろありまして……」
飯田「なるほどぉ」
修「それでは……」
修はトリマルミを床に置いて、静かに立ち上がった。
修「一度ですね、事務所の方に戻りまして車でまた来ます。バイクではこの塊を運べそうにないので」
飯田「うーん、たぶん大丈夫だと思いますよぉ?」
修「はい?」
飯田は近くの襖を開けると、折りたたまれた布団圧縮袋を取り出した。
飯田「さっきまでこの圧縮袋の中に入っていたのでぇ、大丈夫ですよぉ」
圧縮袋の口を開けた飯田は、トリマルミを押し込んだ。修は一瞬、可哀想と思ってしまった自分がバカバカしく思えた。
その後、飯田は掃除機で空気を吸ってトリマルミを圧縮。ふんわりフワフワとしていたトリマルミは、ものの数分で小さく平たくされてしまった。それは冷凍ピザにどこか似ていた。
修「随分と……」
飯田「はい、随分と小さくなるんですよぉ。それでも、少し空気が入っただけで元通りになりますからぁ」
脅威の復元力を持つトリマルミ。修は依頼を受けたことを渡に怒られるかも知れないと静かに思った。
その頃、修を叱りつけるかもしれない渡は、事務所で一人、書類作成と電話応答に追われていた。
渡「はい、それでは見積書を送りますので…… はい、はい、分かりました。それでは失礼します……」
受話器を戻した渡は事務机に突っ伏してしまった。
渡「あぁ…… 今日は『耳タコ日』だったかぁ……」
耳タコ日。何となく察しがつくだろうが、電話受付が特に多い日のことである。
渡「うーん、椎名さんが抜けた穴を埋めないとなぁ。合宿での成果を出したくても、事務に一人割くとなぁ……」
一人きりの事務所に、渡のつぶやきが波紋のように広がっていったその時、またしても電話が鳴った。しかし、今度は渡のスマホの方だった。
渡「……ん? あっ、計良さんからだ!」
計良さんとは計良久美子のことであり、渡の父親の友人である。世界各地で仕事をしてきたスーパーウーマンで、数年前に帰国した後は専業主婦となった。ちなみに年齢は四十代後半、という風に渡は聞いている。
渡「あ、もしもし! 計良さん、お久しぶりです!」
計良『働いてあげよっか?』
渡「はい? なんですか?」
計良『だから、アタシが働いてあげよっかって言ってんのよ』
渡「計良さんが何でも屋で!? でも計良さん、今は専業主婦として‥」
計良『どうも、こうねぇ、仕事してないとダメなのよアタシ。落ち着かないっていうかさ』
渡「でも家事‥」
計良『そりゃ家事はあるよ? けど夫も今は家で仕事してるし、長男はパティシエの修業でフランスに行っちゃってるしなのよ』
渡「あ、そうだったんですか……」
計良『当然、夫も家事をするから、どうにも時間が余っちゃうのよ、時間が』
渡「余る? 時間が?」
計良『そうそう』
渡「………………」
計良『………………』
渡「………………えっ、時間余ります?」
計良『余ってるから電話してるんでしょって。それで?』
渡「はい?」
計良『はい? じゃなくて、雇ってもらえるの?』
渡「それはもう、計良さんに来て頂けるんでしたらもう……」
計良『それじゃ9月入社ってことで』
渡「はい、面接をしましょう!」
三十秒ぐらいだろうか、沈黙が続いた。
計良『え? 面接するの?』
渡「もちろんですよ!」
計良『だって渡君は私のことよく知ってるじゃない』
渡「そうだとしても面接は欠かせませんよ。それに紹介にもなりますしね」
三十五秒ぐらいだろうか、静寂が訪れた。
計良『え? なに紹介って?』
渡「いや、何でも屋は合同会社で、しかも幼馴染の四人体制でやっているので‥」
計良『あっ、そうだったそうだった! 同級生とで開業したんだもんね?』
渡「そうです。ですから、面接と同時に紹介もしようかと……」
計良『そういうことねぇ、わかりまった! じゃあ履歴書とか色々用意しておくね』
渡「お願いします」
計良『日時は渡君のほうで決めちゃって。私は暇してるし、渡君たちの都合もあるだろうし』
渡「分かりました。決まり次第、連絡します。はい、それでは、はーい、失礼します!」
通話を切った渡はスマホを机の上に置くと、元気よく立ち上がった。
渡「計良さんがぁ! ウチにやーってくるぅ!」
柄にもなく即興ソングを口ずさんだ渡は、いつの間にか帰ってきていた知哉と重の二人と目が合った。
渡「あっ………… お、おかえり…………」
重「…………」
知哉「…………夏真っ盛りだな、大先生」
重「そうだね」
渡「どういう意味だよ!」
知哉「ご陽気に歌なんか歌ってる場合じゃねぇんだって」
重「大変なんだよ? これから?」
渡「なにが? ……あぁ、今日行ってきた依頼の話?」
知哉「そうだよ。軽トラに載せたまま倉庫のほうに運んだから見に来てくれよ」
渡「なに、そんなに大変なの?」
渡は二人の後に続いて倉庫の中へと入っていく。
渡「あらぁ…………」
そしてこの反応である。
渡「なによこれは! 組み立てられなかった家具って話じゃなかったの!?」
軽トラの荷台に積まれていた物は確かに家具だった。しかし、それは様々な家具のパーツで出来たモニュメントにも見えた。
重「うーん、そうなんだけどさぁ。ねぇ知ちゃん?」
知哉「おう。自分で組み立てられる家具あるだろ? あれを同時に何個も組み立てだしちゃったんだってよ。若いご夫婦だったんだけど、自他共に認める不器用夫婦らしくてな」
重「部屋の模様替えをしたかったらしいんだけど、共働きで、しかも今の時期は仕事が忙し過ぎて時間がない。組み立てる体力もない。ただ構想は練れているし、少しの時間が出来た時に組み立て式の家具だけは買いに行ってたんだって」
いろいろとツッコミどころがあったが、渡は我慢して聞いていた。
重「それで少し前くらいから仕事が落ち着いてきて、それであの、お盆休みを利用して二人で一気に組み立てたんだって」
渡「……それで組み上がったというか、出来上がったのがコレ?」
知哉「出来上がった時には、もう自分たちの不器用さに呆れて、二人抱き合って大笑いしてたらしい」
渡「……そういうの聞くと世界って平和だなぁと思うよ。じゃなくて、どうして欲しいんだって?」
知哉「解体の後、もう一度組み立てなおして、設置までやってほしいんだと。ただ『全てのパーツが揃っているとは考えにくいんですよ!』って旦那さんは言ってた」
渡「えぇっ!?」
重「奥さんは『説明書もないんですよねぇ。やっぱり説明書通りにやりすぎると個性がでないですもんねぇ!』って言ってた」
渡「ん、なにそれ?」
重「あと『瞬間接着剤ってすごいんですねぇ』とも言ってた」
渡「ちょっと待ってよ、接着剤って何よ!?」
知哉「ガタついたところとか、ネジを回してもスカスカなところに使ったんだと」
渡「よりによって接着剤……」
知哉「とりあえず、パーツが足りなかったり、取り外せなかったら、この材料を全部使って何かしらの家具にしてくださいってよ」
渡「パーツは型番とか調べればメーカーに言って取り寄せられるけど……」
重「まぁ、見積書を先に作ってからだね」
渡「これは骨の折れる依頼だねぇ……」
腕を組んだ渡は、ため息と共に荷台の家具モニュメントを見上げる。
知哉「何でも屋としては断れない依頼だからよぉ……」
渡「まぁ、そうだよね。ウチくらいしか頼むとこないよね」
重「いやぁ、それにしても良い出来だよね」
渡「何がよ? モニュメントとして良いってこと?!」
重「個人的にはかなり好き」
渡「……あぁ、まぁ良さは分からないけど、大先生が好きそうなのだけは分かる」
三人一緒になって荷台のモニュメント家具を見上げていると、倉庫の開かれた大きな入口から、何やら声が入ってきた。
遠く、薄く、微かに聞こえてくる声は、次第に大きくなってきた。そして同時に何と言っているのかが判明してきた。
知哉「なぁ? 二人も聞こえてんだろ?」
重「聞こえてない」
渡「聞こえてない」
知哉「ウソをつけ、ウソを! 聞こえてんだろ!?」
重「うるさいなぁ、聞こえてるよ!」
渡「それにしても何の声だろ?」
重「なんか『香りがする、香りがする』って言ってるよね」
知哉「あと『かぐわしい、かぐわしい』とも言ってるよな?」
渡「何が一番イヤって、確実に近づいて来てるよね、これ」
三人は腕を組んだまま、互いの顔を見ては『どうする?』と無言で問いかけた。だが、そんな事をしている内に、声と共に、声の主まで倉庫へ入って来てしまった。
男「はぁー! 香りがする! かぐわしいのよ! かぐわしいのよ!」
ハンチング帽をかぶった中年の男が、倉庫内で大きな声を上げた。
知哉「ちょっと! 何ですか!?」
男「……あっ、これは失礼! 私、蓼久井と申します! 珍品請負人をやってるものです! まぁ、平たく言えばクライアントの代わりに珍品を探し歩き、クライアントの代わりに買い付ける仕事ですねぇ」
ハンチング帽をヒョイと上げて挨拶をした蓼久井。渡と知哉は二人揃って後ろを向いた。
渡「どうして、こう、ウチには……」
知哉「まぁ、しょうがねぇって、何でも屋なんだからよ。それに初めてじゃないだろ? ああいう不思議な職業の人を相手にすんのは」
渡「そうだけどさぁ……」
知哉「慣れないのは慣れないけどな……」
二人はまた揃って後ろを向いた。が、そこに蓼久井の姿はなかった。
渡「あれ?」
知哉「教授さん、あっちだあっち……」
渡が知哉の指さす方へ目をやると、重が軽トラの荷台のモニュメント家具について、蓼久井に説明をしていた。
重「まぁ偶然の産物でしてね?」
蓼久井「いやいや、芸術とは時にそういう一面を見せるものですよ。それにしても見事ですねぇ」
重「えぇ、全くです。形の整った秩序のみで形成されているはずなのに、混沌としたものを感じ、なにか押しつぶされてしまいそうな、そんな圧力を感じます」
蓼久井「確かに感じますね。曖昧なものを許さず、自由を奪い取るかのような冷ややかな視線を常にぶつけられている気がします。それに対してこちらは屈する他無い……」
重「そうなんです。しかしですね、こちらの角度から、つまり光を背景に見ると……」
蓼久井「なんてことだ……」
蓼久井は震えた手でハンチング帽を取ると、胸の前でクシャッと握りつぶす。
蓼久井「人でもない、自然でもない、神でもない…… これは正に……」
重「理です。存在が目指すべき理がそこに現れるのです」
口を開けたまま、一つ二つと涙の雫をこぼす蓼久井。重は近くの作業台に置かれたティッシュを蓼久井のために取ってやった。
それを見せられていた渡は、知哉の顔を見て無機質な声を出した。
渡「…………俺は嫌だからね?」
知哉「いっ…………」
恐ろしいまでに冷たい声を出した渡に、知哉は腕を組んだまま笑い始めた。
知哉「エアコンの温度1度下げるより効果があるな」
渡「なにが!」
知哉「本気だしゃ口から氷出せそうだもんな教授さんはよぉ」
渡「………」
渡は黙ったまま蓼久井へ近づいたかと思うと、知哉を指差した。
渡「あの珍品も買い取っていただけませんか?」
知哉「誰が珍品なんだよ、こらぁ!」
笑いつつも叫ぶ知哉を見て、蓼久井はウンウンと頷いた。
蓼久井「こりゃ、一風変わってますなぁ……」
知哉「ハンチング、コラァ! 珍品を請け負ってる人間に言われたかぁねぇんだよ!」
紛糾する知哉。重はそんな知哉の元に蓼久井を案内すると真面目な声を出した。
重「こちらの作品もですね、こちらの角度から、つまり光を背景に見ると……」
蓼久井は重に促されるままに知哉を見つめた。
重「どうですか、バカの理が見えてくる‥」
蓼久井「なるほど確かに‥」
知哉はフッと吹き出し笑ったあと、落ち着きある口調で言った。
知哉「節度を知れ」
その言葉に一番笑ったのは渡であった。冷たい声はどこへやら、腹を抱えて笑う渡は、知哉へ近づくと何度も肩を叩いた。
渡「いやぁ知ちゃん、面白いよ!」
知哉「何がだよ!」
重「知ちゃん、やれば出来るじゃない」
知哉「いや、だから何がだよ!」
蓼久井「あの……」
知哉「何ですかもう!」
蓼久井「いえ、あのモニュメントは売って頂けるんですか?」
いたって真面目に質問してきた蓼久井に、三人はチラッと互いの顔を見合った。
渡「売って頂けるって、蓼久井さん……」
蓼久井「はい、あのモニュメントが欲しいんですよ。今ですね、ある方から依頼を受けてまして、今度オープンするバーに飾るモニュメントを探していたところなんですよ」
知哉「じゃあなんですか、そのバーにあのモニュメントを?」
蓼久井「はい! それで売っていただけますか?」
言葉の詰まった渡と知哉の代わりに、またしても重がスラスラと答え始めた。
重「蓼久井さん、実は我々もある方から依頼を受けていましてね?」
蓼久井「依頼? あ、そういえば皆さんのご職業を聞いていませんでした……」
重「我々は何でも屋でして、このモニュメントは不器用なご夫婦が組み上げた家具のなれの果てなんですよ」
蓼久井「えっ? モニュメントじゃない? あぁ! 先ほど『偶然の産物』と言ったのはそういう意味だったんですか!」
重「そうなんですよ。更にですね、我々はそのモニュメント化してしまった家具を解体して、家具として使用できる状態にしなければならないんですよ」
蓼久井「えぇっ!!」
倉庫内に響く蓼久井の声。渡が体を一瞬ビクつかせるほど大きな声だった。
蓼久井「なんてもったいないことを! これは紛れもない芸術作品で、見るものの心を揺さぶる傑作ですよ!? 神々しいフィボナッチ数列の神秘に匹敵する、自然界では成し得ない存在の理がそこにあるというのに、それを解体だなんて!」
蓼久井の必死な叫びが一層響いたその時だった。
修「うるせぇぞシゲ! また訳わかんねぇこと言ってんな?」
いつの間にか帰ってきていた修が、倉庫入り口のところに立っていた。もちろん、飯田から預かった布団圧縮袋入りトリマルミを片手に持って。
修「チェックのハンチングなんぞ被りやがって。いつの間に買ったんだよ、んなもん」
蓼久井と重を勘違いした修は、蓼久井に近づいていった。が、その途中で蓼久井の奥にいた重と目があった。
修「あれ?」
重「あれじゃないよ」
修「……知哉も教授さんもいるってことは、えっ、椎名さん?」
修は蓼久井の正面に回り込んだ。
修「あれ、あの…… どうも、初めまして……」
蓼久井「あ、こちらこそ初めまして……」
修「おいシゲ、どちら様?」
重「蓼久井さん。さっき偶然倉庫へ入り込んできた人で、珍品請負人なんだって」
修「……蓼久井さん?」
蓼久井「そうです。私が蓼久井です」
修「珍品請負人?」
蓼久井「はい、珍品を請け負って、今年で三十年になります」
修は苦笑いのまま蓼久井に会釈をすると、同僚三人に向かって口開いた。
修「俺は嫌だからな?」
初対面の蓼久井の横でハッキリと意見を主張した修。知哉はクスッと笑いをこぼしながら、そんな修の頭を軽く叩いた。
修「いてっ! なんだよ?」
叩かれた修はトリマルミを軽トラの荷台へ置くと、笑いながら腕を組んだ。
知哉「節度を知れ!」
修「あぁ!? うるせぇな! 珍品請負人に対しての節度なんて持ち合わせてねぇんだよ!」
渡「社会人としての礼節があるでしょ!」
修「珍品請負人は礼節適用対象外なんだよ! 礼節適用なんて言葉はねぇけどよ! だいたい、偶然倉庫へ入り込んできた人の方が礼節を重んじろってんだよ!」
その言葉を聞いた蓼久井は、黙ったまま歩き始め、倉庫の外へと出ていってしまった。しかし、外へ出た瞬間に振り向いた。
蓼久井「どうも、珍品請負人の蓼久井です。入りまーす」
修「いや、入りまーすとかじゃないんですよ蓼久井さん!」
蓼久井は修の言葉を受け、笑顔で倉庫の中に入ってきた。
修「話が通じてんのか、通じてねぇのか‥」
知哉「いいってもう! 笑かすんじゃねぇよ!」
修「それで蓼久井さんは何が目的なんですか?」
蓼久井「この軽トラの荷台に積まれているモニュメントを売っていただきたいんです」
修「モニュメント?」
知哉「俺と大先生で預かってきた家具のなれ果てなんだよ、それ。んで、それを解体して家具として使えるように組み立ててくれっていう依頼なんだよ」
重「ただ、蓼久井さんはこの家具のなれ果てに『芸術性』を感じて、お金を出すので売って欲しいんだって」
修「このヘンテコな物を? 売って欲しい?」
渡「そう。なんでも蓼久井さんのクライアントがバーに飾るモニュメントを探してるんだって」
修「あぁ、そういことなのか。うーん、蓼久井さん2万5千で」
蓼久井「よろしいんですか!?」
知哉「バカ! 勝手に売るなよ! 預かりもんなんだぞ!」
修「バカはお前だ! こんなメチャクチャなもんを解体できる訳ねぇだろ! だったら蓼久井さんに買ってもらって、その儲けを依頼主に渡して、新しく家具を用意してもらえばいいだろ? そんときまた組み立て式を買うなら、今度は最初っからウチに頼んでもらえれば丸く収まるじゃねぇか」
知哉「……た、たしかに」
修「シゲ、依頼主に電話して聞いてみろよ?」
重「う、うん、今ちょっと電話してみるよ」
重はスマホを取り出し、倉庫の隅へ歩きながら電話を掛けた。
蓼久井「あの……」
修「何ですか?」
蓼久井「流石に2万5千は……」
修「あ、流石に高いですか、2万5千ドルは?」
渡「くだらないんだよ! いくらすんだよ日本円でバカ!」
修「今だと270万くらい? ヘヘッ……」
知哉「何を笑いながら言ってんだ!」
修「うるせぇなぁ。じゃあ蓼久井さん、2万でいいですよ」
蓼久井「いえ、あの、珍品請負人としましては適正な評価額で購入しないといけませんので……」
渡は『芸術に適正な評価額』という言葉に引っかかっていたが、モニュメント化した家具を改めて見てみると『評価されたほうが浮かばれるかもしれない』そう思った。
渡「だいたいで構わないんですけど、おいくらぐらいに……」
蓼久井「そうですねぇ、2万5千円はあまりに安すぎますね」
修「なっ、安すぎるぅ!?」
知哉「なっ、安すぎるぅ!?」
声が揃ってしまった二人は、恥ずかしそうに視線を逸らしてクスクスと笑い始める。
渡「では、いくらくらいに……」
蓼久井「うーん、まぁ最低でも10ま‥」
修「じゅう!?」
知哉「じゅう!?」
また声が揃った二人は、半笑いのまま互いの肩をこづいた。
知哉「合わせんじゃねぇよ!」
修「だれがお前に合わせるんだよ! ったく……」
修は自分の依頼も片付けなくてはと、荷台に置いた圧縮袋を手に取った。
知哉「…………なんだよその珍品は?」
もちろん、蓼久井は敏感に反応した。
蓼久井「珍品!? でもそんな匂いは……」
修「えっ、匂いで珍品かどうかわかるんですか?」
蓼久井は笑顔のまま鼻の穴を大きくしてみせた。
修「プッ…… それが返事だとした少しは重んじなさいよ、礼節ってやつを」
蓼久井「あ、どうもすみません……」
修「まったく。というか知哉、これは珍品じゃないぞ? 可愛らしいトリマルミだ」
知哉「言ってることがチンピンカンプンでよく分から‥」
修「チンプンカンプンだろ! ちょうどよく珍品を入れてくんな!」
渡「それでそれは何なの?」
修「何なのじゃねぇよ! 飯田さんとこの依頼なんだよコレは!」
渡「あっ、そうだったの!? あの、電話では説明できないとかって‥」
修「そうだよ。その依頼だよ。これがまぁすごくてさぁ…… まぁ見りゃわかるよ」
知哉「布団圧縮袋だろ、それ?」
修「そうそう、トリマルミをぺったんこにしてんだよ。じゃないとバイクで持ってこれなかったぜ?」
渡「あぁ、圧縮袋だから匂いがしないんだ」
修「ん? あぁ珍品の匂いがか…… まぁいいや、とりあえず開けるからトリマルミを見てくれよ」
修は荷台の上で、袋の口についているチャックを左右に引っ張った。すると、一気に空気を吸い込んだトリマルミは、あっという間に元の大きさに戻った。またそれに合わせて、蓼久井の鼻の穴は最大口径まで広がった。
蓼久井「ツァァァァッ!」
体全体を使って匂いを嗅ぎ取った蓼久井。袋からトリマルミを取り出すと、両手で掴んで宙へ掲げた。
渡「…………」
渡は少し離れた。
蓼久井「正に珍品! 正に珍品!」
修「………………知哉、警察に電話」
知哉「そうだな」
蓼久井「待って下さいよ! ちょっと待って下さい!」
修「待てませんよ。ウチの倉庫で変なこと叫んでる人がいるんですから」
知哉「警察官に注意してもらうのが一番ですよ。新手の犯罪かもしれないしな」
修「そうそう、違法珍品罪で捕まえてもらいましょう」
修の台詞を聞いた渡は、かなり大きな声で「うーん」と唸り、残念そうな表情で修を見つめた。
修「……なんだよ教授さん?」
渡「せっかくのチャンスだったのに……」
その言葉だけで渡の言わんとしていることが分かった修は、三人に背を向け笑いを堪えた。
渡「あの伏線で『違法珍品罪』は勿体無いねぇ」
知哉「まぁ確かにな。もう少しあったよな」
修は腕を組んだまま振り返った。
修「いや、そうかもしんないけどよ、罪名に詳しい訳じゃないんだからしょうがねぇだろ?」
渡「修ならもう少し出来たよ」
修「無駄な買いかぶりなんだよ! つーか教授さんは超えられんのかよ」
渡「うーん………… 販売目的珍品所持罪」
修はほんの少し笑いそうになったが、謎のプライドで耐えてみせた。
蓼久井「すみません、それが仕事……」
悲しい顔で間に入ってきた蓼久井に、修は耐えることができなかった。
渡「今のところまで込みで……」
修「今のは蓼久井さんの手柄だろ!」
渡「珍品処分あっせん罪」
蓼久井「ですから、それが仕事……」
修「蓼久井さん。蓼久井さん! 二回目から完全に狙いに来たでしょ!」
蓼久井「そんなことないですよ! それでこれも売ってもらえますか?」
修「はい?」
蓼久井「ですから、このトリマルミでしたっけ? 売っていただきたいんですが」
修「いやダメですよ! 絡んでる糸とか綿だとかを解いて欲しいって言われてるんですから!」
重「修も依頼主さんに確認とってみなさいよ」
ようやく電話連絡を済ませた重が倉庫隅から戻ってきた。
知哉「大先生どうだった?」
重「ぜひお願いしますって」
蓼久井「本当ですか!? 嬉しいなぁ! あのトリマルミも電話してもらえませんか?」
他三人の無言の圧。それに押されて修は仕方なく電話をした。
修「さっきの今でよぉ…… 断られるに決まってんだ。このトリマルミを一週間保存して、ウチに頼むかどうか考え‥ あっ、もしもし! 何でも屋の久石です!」
修は飯田に事の成り行きを簡単に説明した。
修「どうですか飯田さん?」
飯田『お願いしますぅ!』
二つ返事だった。
その後、一日の業務を終えた何でも屋たちは、高校時代の先輩である谷のラーメン屋「馴染亭」にいた。渡が込み入った話をしたいと言い出し、それなら誰もいない上に美味い蕪蒸しが食べられる店があると、修が提案したのである。
谷「…………それで、味の方はどうよ?」
谷は懲りずに不味いラーメンを知哉・重・渡の三人にも試してもらっていた。ただ、またしても修の提案により、ミニサイズのラーメンを三人で分けて食べていた。
渡「………………らぅっ」
その言葉が渡の感想であった。
知哉「………………ふぅー」
知哉は込み上げる怒りを何とか我慢している。それが知哉の感想だった。ただ、重だけはしっかりと感想を言葉にした。
重「いやぁ谷先輩!」
谷「お、おっ! どうだったよ水木大先生!」
重「いやぁ、随分とトンチの効いたスープで……」
重以外の四人はプッと吹き出して笑い始める。
谷「トンチが効いてたまるかよ! だいたいトンチなんて効かした覚えはねぇよ!」
修「だから! マズイって言ってんだ俺らは!」
渡「何をどうやったらこんな美味しくないラーメンを作れるんですか!」
知哉「本当に修業をしたのか!?」
谷「寄って集って先輩イジメかよ!」
重「イジメじゃねぇ! マズイもんを食わせんなっていってんだバカ!」
珍しい重の荒い口調に、再び笑い始める他の四人。
重「こんなに美味しいシチューと蕪蒸し作れるのに、何でラーメンが作れないんですか!」
谷「自分でもよく分かんないだよなぁ」
知哉「先輩、もう一回聞きますけど、修業はしたんですか?」
谷「したよ! その店のお客さんにオリジナル、いま皆に食ってもらったやつを食べてもらって好評だったんだぞ?」
修「その店がそもそもマズイなんてことはないでしょうね?」
谷「そんなことは無いと思うけどなぁ……」
渡「もうアレじゃないですか? 知ちゃんの実家でもう一度修業するしかないですよ」
知哉「親父に聞いておきましょうか?」
その言葉に何故か黙り込む谷。自然と四人も黙ったまま谷を見つめる。
谷「…………えっ? 知哉の親父さん? なんで?」
知哉「何でって、ウチの実家は中華料理屋ですよ? 高校の時に食べに来たじゃないですか!」
谷「…………あぁ! そうだった! 中華料理屋だった!」
重「もういいよ、放っておこうよ」
なぜか辛く当たる重に、谷は笑いが止まらなかった。
谷「ちきしょう、何も言い返せねぇよぉ…… いいや、後で親父さんとこ電話するよ」
知哉「はい、これ店の番号です」
谷「おう、ありがとな知哉。親父さんに承諾得られたら毎日ラーメンをタダで食わしてやるから」
知哉「そうなったら先輩後輩関係なくいきますからね?」
その台詞には修が一番笑った。
谷「殴る気マンマンじゃねぇか!」
知哉「あんなラーメンを毎日食ってられませんよ! 美味しくなってから食わせてくださいよ!」
谷「わかった、わかったよ!」
渡「………………もういいですか、話をしても?」
谷「えっ? あぁわりぃわりぃ」
渡「それじゃ……」
渡はイスに座りなおすと、真剣な表情で話し始めた。
渡「話ってのは、何でも屋の事務担当の事についてなんだよ」
重「あぁ事務担当ねぇ」
修「本当にどうにかしねぇとな」
知哉「広告出したけど、まだ一件の電話も来てないしなぁ」
渡「いや、それがあったんだよ、今日」
うつ向いていた三人は、パッと顔を上げて渡の顔を見た。三人は驚きと嬉しさを絶妙に混ぜ合わせた表情を浮かべていた。
知哉「マジかよ!」
重「本当に!?」
渡「本当だよ。しかもねぇ、世界各地で働いてたベテランの凄腕」
修「いや、ちょっと待ってくれよ。そんな人が何だってウチに電話をしてきたんだよ?」
知哉「……あぁ、確かにそうだな」
渡「あっ、俺の知り合いなんだよ。まぁ俺のというか、親父の知り合いなんだけど」
重「はい、採用!」
重は力強く渡を指差した。渡が一瞬、重の指先からビームのようなものが出てくるんじゃないかと思ってしまうほど力強かった。
そんな重を見て視線を合わせた修と知哉は、重を真似して渡に向かって指を突き出した。
修「そうだ、教授さんの親父さんの知り合いなら間違いねぇよ! 採用だ!」
知哉「何が何でも採用だよ採用!」
指差し三人組は、ジリジリと渡の顔に指を近づけていった。渡は「ハグッ」と言いながら噛み付くフリをしてみせた。
修「あぶなっ!」
知哉「なにすんだよ!」
渡「人を指差すんじゃないよ全く!」
重「教授さん、その噛みグセ直した方が‥」
渡「噛みグセなんかないよ! えーっと、だから! 今度、面接をするから!」
修「いやぁ、それにしても嬉しいな」
重「だね。その人が来てくれれば、ようやく合宿で鍛えた実力を発揮できるってもんだよ」
知哉「椎名さんが抜けた穴は結構大きかったからなぁ。…………そういやさっき椎名さんから連絡あってよ?」
修「なんだよ、またマルチプレイのお誘いかよ? で、いつやんだ?」
渡「やりたいのかやりたくないのかどっちなんだよ!」
修は笑うだけだった。
知哉「ゲームの話じゃねぇよ。なんか興奮しててさ、何を言ってるかよく分かんなかったんだよ」
重「えっ? 大丈夫なのそれ?」
知哉「大丈夫だと思う。『んじゃ、もう、あの今から、そっちに、その、行くから!』って慌ててたのは確かだけど」
渡「ちょっと待ってよ、今からってどいうこと? 連絡はいつ来たの?」
知哉「さっきトイレ行ったときだよ」
修「ってことはなにか、この店に向かってんのか?」
知哉「そうだよ。住所を教えたから」
修「そんな急用ってなんだろうなぁ……」
修はそう言いながら、思い当たる節があった。相変わらず、渡は一瞬で見抜いた。
渡「なんかやったね修?」
修「はい?」
渡「椎名さんになんかやったんでしょ?」
修「やるわけねぇだろ、俺が」
重「いや、なんかやった顔だよコレは」
知哉「あぁ、そうだな大先生。この面はそうだよな」
修に迫る三人の後を、食器を片付けていた谷が追いかけた。
谷「修ちゃん、俺は修ちゃんを信じねぇよ?」
修「先輩、ありがとうござ、いやちょっと、信じないのかよ!」
谷「その顔は何か隠してる。なぁ皆?」
他の三人はこれでもかと、可動範囲最大の頷きをしてみせた。
修「いや先輩、別に隠してるわけじゃないですよ、俺は。ただ、ちょっと思い当たる事が……」
渡「それを言いなさいよ」
修「まぁ良かれと思ってさぁ」
渡「だから何をしたのか言いなさいよ」
修「同棲祝いのつもりだったんだよ」
渡「早く言えっての!」
渡がグッと修に詰め寄ったその時、店の引き戸が勢い良く開かれた。
椎名「ちょっと皆!」
大きな声を上げた椎名は、ズカズカという音と共に店内に入ってきた。
椎名「あれは誰の仕業なの!」
今度は修が一斉に指差された。
修「こらこら…… 人を指さすもんじゃないよ……」
椎名「やっぱり修君か!」
修「気に入ってもらえましたか?」
椎名「気にいるわけないでしょ! 大変だったんだよさっきは! 家の中に組み立てられちゃったんだから!」
『組み立て』という言葉に渡はピンと来たが、重と知哉は全くだった。
渡「なに修! 椎名さんの所にAフレームシェルターを送ったの!?」
知哉「はぁっ!?」
重「はぁっ!?」
修「熊さんがどうしますかって電話してきたからさぁ。まぁ、何でも屋の倉庫に一個だけと思ったんだけどさぁ、ぬくぬくと同棲生活を送ってる椎名さんに嫌がら、お祝いということで‥」
椎名「こぼれたよ『嫌がらせ』って言葉が!」
半笑いで詰め寄る椎名。そんな椎名を横目に、重は修の肩に手を置いた。
重「修、いいね」
修は重から「いいね」をもらった。
知哉「修、いいね」
修は知哉からも「いいね」をもらった。
渡「谷先輩、実はですね……」
修は渡に「引用」してもらった。
修「椎名さん、丸く収まりましたね!」
椎名「どこがよ!」
相変わらずの何でも屋たちは、相変わらずの八月を楽しんだのだった。