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何でも屋  作者: ポテトバサー
第2シーズン:第一章・南中高度成長期
54/56

あれがスダチマスター

 知哉と修が本屋で頭を抱えている頃、渡は実家の倉庫で写真用の額縁を探していた。それというのも、数週間前に行った合宿先での集合写真が送られてきたからであった。しかし、どうにもしっくりくる額縁を見つけられないでいた。


渡「まったく、何サイズなんだこの写真は……」


 渡の言う通り、特殊なサイズの写真。だが調度いい額縁を見つけられない理由は他にもあった。


渡「絵画用の派手な額縁ばっかりだし、写真用のは小さいサイズばっかりだし、なんか妖怪好きが邪魔してくるし……」


重「一回ね、文句を言ってやったほうがいいよ?」


 今から少し前、妖怪定例会議を終えた重がやってきていたのだった。


重「文句を言われないと思ってつけあがるからね、そういう人間は」


渡「何回も文句言ってるけどね、何回も何回も!」


重「うーん、でも諦めちゃダメだよ。諦めも肝心なんて言うけどね、諦めたら終わりだから。全てが終わっちゃうんだよ」


 倉庫隅に置かれた壺を興味深げに見ていた重は、腕を組み何度も頷く。


重「いい壺だね。江戸中期の人々の生活や価値観を見事に表現しているよ」


渡「それ、イギリス製の鼻煙壷(びえんこ)だけど」


重「もちろん! イギリス製のビアンコですよコレは」


渡「ビアンコはイタリア語でしょ。白って意味の」


重「……それで何を探しているんだって?」


渡「額縁だよ!」


 渡は手にしていた黄金色のド派手な額縁を、重の方へ突き出した。輝く額縁が重のメガネのレンズに映る。


重「まったく。なんでもかんでもキンキラリンにすれば良いってもんじゃないでしょ」


 重はひょいと額縁を取り上げた。そして、ピントがあっているくせに、何度もメガネをずらして額縁を睨みつける。


渡「……今日は一段と人の話を聞かないね」


重「たまにいるんだよねぇ、キンキラリン・ギンギラリンにする人がさぁ。でもさ、似合わないものもあるでしょ? 名古屋城のシャチホコだって、あの威厳ある城があっての金のシャチホコでしょ?」


渡「ま、まあね」


重「金閣寺だって、全部が全部ゴールドじゃないでしょ? 金が映えるように瓦とかも色違うでしょ? 情緒があるでしょ?」


渡「でしょでしょウルサイね……」


重「もし、牛久大仏が金で出来ていたらどう思う?」


渡「どうって……」


重「眩しいでしょ?」


渡「いや、眩しいとかそういうことなの?」


重「車が金で出来てたら?」


渡「ま、眩しい」


重「重くて加速が悪くなるでしょ?」


渡「眩しいでいいだろ!」


重「……それでなんの話だっけ?」


渡「だから額縁の話だよ!」


重「っんま……」


渡「言葉に詰まって変な声出してる場合じゃないんだよ」


 渡は重から取り返した額縁を、入っていた箱へしまっていく。ただ、いくつかの額縁は近くのダンボール箱の上に置かれていた。


重「あ、これが候補のやつ?」


渡「ん? あぁ、そうそう。とりあえずそこにあるやつは写真が収まるサイズでさ」


重「ふーん。でも何なんだろうねぇ、この写真のサイズは」


渡「A2よりほんの少し大きいんだよ。縦横どっちもね」


重「A2ってどのくらい?」


渡「420の594なんだけど、その写真ね測ったら450の624なんだよ」


重「30ミリずつ大きいんだ」


渡「そうなんだよ。その30ミリが意外に曲者(くせもの)でね」


重「曲者……」


 重はその言葉を聞き、誰かを思い浮かべたようだった。長い付き合いの渡にはそれが直ぐに分かった。


渡「なに、どうしたの?」


重「……聞いてくれる?」


渡「ヤダ」


重「実はね‥」


渡「先に人の話を聞けって言ってんの! さっきから俺はさぁ!」


重「はい。それじゃいい?」


渡「長い話なの?」


重「ちょい」


 苦い顔を見せる重に、渡は思わずプッと吹き出した。


渡「ちょいじゃないんだよ、まったく。じゃあ時間も時間だし、喫茶店でコーヒーでも飲む?」


重「そうしようか。近くにいい店あるんだよね」


渡「店? ウチの近くに喫茶店なんかあったっけ?」


重「あるじゃないのあそこに」


渡「あそこってどこ?」


重「布団屋さんのとこ曲がった道のとこだよ。細い道あるでしょ、ほら真ん中にレンガの道があってさ、両脇になんか赤い葉っぱの植物が植えてあるとこ」


 渡は頭の中で何度も布団屋の角を曲がるが、辺りに重の言う道は見当たらなかった。


渡「えぇ? なんか勘違いしてんじゃないの?」


重「してないって。良い雰囲気の店で『MELLOW(メロウ) OUT(アウト)』って名前でさ」


渡「うーん、店名からして良い雰囲気なのは分かるけど……」


重「いいから行こうよ、案内するから」


 ということに決まり、二人は早速『MELLOW OUT』へと向かった。

 渡の実家から歩いて十五分ほど、まずは布団屋が見えてきた。高級住宅街の中にある布団屋だけに、質の高い仕事で有名だった。


渡「ここの布団は何であんなに気持ちが良いんだろ?」


重「さあね、高級寝具に身を包んだことないですから!」


 半分冗談半分本気。重は言い方一つでそれを巧みに表現してみせた。当然、渡は笑い出す。


渡「俳優にでもなったらどうなの?」


重「なにがよ?」


渡「本当にさぁ、そういう言い方しなくてもいいでしょ。それにウチに何回も泊まったことがあるんだから知ってるはずだよ、あそこの布団屋さんの質を」


重「あぁ、あの布団? 薄緑の?」


渡「そう、裏葉(うらば)色のやつ」


重「あれはね、まぁ素晴らしい作品ですよね。もうフッカフカでさぁ」


渡「綿(わた)を打ち直してもらってスグだったからね」


重「我が水木家も打ち直しをしてもらったから意味が分かるけど、最近は知らない人もいそうだねぇ」


渡「マットレスを使ってる人もいるしね…… っていうか、布団屋を通り越したけどいいの?」


重「えっ? あ、ダメだよ通り越しちゃ! こっちこっち!」


 慌てて別方向へ歩き始める重。その後に渡がついていくと、先程、倉庫での話に出てきた道があった。

 その小道は正に小道で、普通に歩いていたらまず気づかないような道だった。なにせ道幅は極端に狭く、人と人とが無理をしてようやくすれ違えるほどの幅。さらに、その両脇には赤い葉の植物が延々と植えられ、道自体を覆い隠している箇所もあった。


渡「こんな道よく見つけたね」


重「妖怪仲間と妖怪探索散策をしてるときに見つけたんだよ」


渡「探索散策? 相変わらずだねぇ。もうすぐ三十路だけど、それって四十五十でも続けるの?」


重「倶楽部の最高齢は七十六歳です!」


渡「あ、どうも失礼……」


重「ただまぁ、新しいメンバーを募集しようってなってね。そうなるとホームページとかSNSで宣伝しなきゃいけないでしょ? その時に素材として使えるような写真を撮ってまわったんだよ。そしたら偶然に見つ‥」


渡「ちょっとまってよ。つまり妖怪が出そうな雰囲気の風景写真を撮ろうとしてたんでしょ? なんでこの住宅街?」


重「こういう高級住宅街のほうが、寂しい風景ってあるもんだよ。閑静を通り越した感じかな。絶対に照らすことの出来ない人の(かげ)のような部分が‥」


渡「いいよもう! そんなことまで考えて妖怪会議やってんの!?」


重「やってない」


渡「じゃあ今のはなんだったんだ!」


 呆れて笑う渡に、重も笑い出す。


重「なんで、どうしてって聞くから、考えて話しただけだよ。妖怪の戒めと日本の独自の文化を大事にしながら楽しく生きていきましょう、ってのがコンセプトの妖怪倶楽部なんだから。暗いことなんて考えてないよ」


渡「じゃあ雰囲気のある風景写真はいらないじゃない」


重「夏だし、怪談とか怖い話を披露しようじゃないかってことで、別にポスターを作ってたの。修に文を書いてもらってね」


 渡の頭には、面倒臭がりながらも頼みをきいてやる半笑いの修の姿が浮かんだ。


渡「ハハッ、修に頼んだの?」


重「文章作成といったら修でしょ。でもすごいもんだよ、倶楽部の部長と俺とで怪談会の説明したら三十分くらいで作ってくれたからね。見た目と違って」


渡「本当に得意だよね修は。小論文とかレポート作成バカみたいに早かったもんね。まぁバカじゃ書けないけどさ」


重「出来もいいでしょ? 何でも屋(ウチ)のホームページの文章も良かったしね」


渡「……ねぇ、あのちょっと大先生」


 渡は何かに気づいて足を止めた。重は渡から数歩離れたところで止まり振り返った。


重「なに? きれいなイルミネーションやってる家でもあったの?」


渡「八月じゃまだ早いでしょ! それか片付けてない、じゃなくて! あれが大先生の言ってた店じゃないの?」


 渡が指さす先には、こじんまりとした一軒の店があった。重は離れていた数歩の距離を戻ってくると、渡の指の先を覗き込んだ。


重「……あっ、ダメだよ通り越しちゃ! あれがメロウアウトなんだから!」


渡「知らないよ! 本当にもう、今日は輪をかけてポンコツだな!」


 言われた重は楽しそうに笑いながら、『MELLOW OUT』へ歩き始める。打っても響かない幼馴染に呆れつつも、渡は後についていく。

 カフェ&バー『MELLOW OUT』。静かな住宅街の中でひっそりと身を隠すように、俗世間に見切りをつけたかのように佇む店。ローズウッドブレンドのレンガ造りで、美しい木目のオーク材を活かしたハーフティンバー様式。両脇に生い茂るクルミの木との調和は、夏の日差しを受けてもなお涼しげだった。平たく言えば「ヨーロッパ風のオシャレ店」である。


渡「良い具合にツタが這って…… しかもカフェだけじゃなくてバーなんだ! でも少し緊張しちゃうね」


重「大丈夫だよ、この(わたくし)が気軽に入れるんだから。っていうかさ、教授さんのほうが慣れてるでしょ、こういう雰囲気の店」


 重は軽い口調のまま店のドアノブを握りグッと力を入れた。そしてゆっくりと動かされたドアが、店と外とを繋げた瞬間、甘く苦い、あのコーヒーの香りが漂ってきた。


重「どうも……」


 重の後に続いて入っていった渡はすぐに足を止めた。どうやら、外観からの予想を裏切らない落ち着いた内装に、渡は一瞬で魅了されたらしい。


渡「何ここ……」


重「だからメロウアウトだって」


渡「わかってるよ! そうじゃなくて、良いお店だねって言ってんの」


 吹き抜けるような高い天井。冬場に使われるであろう暖炉。ビンテージの木製ローテーブルにはゆったりと浸れる一人・二人掛けのソファ。アームテーブル付きのソファやスツールのある大人数用もあった。

 壁には気取らない絵画が数点飾られており、所々に設置されているユニークな置物は、店内に少しの無邪気さを与えている。また、様々な木材を使用した内装は、ブラインドの隙間を縫う太陽の光に照らされ、透き通った木目をさりげなく魅せている。


渡「なんだろう、この浮かれていない、しっかりと地に足がついている感じ」


 すでにくつろいでいた他の客たちは、重と渡の二人を微笑みと一つの頷きで迎えていた。


重「なんだって?」


渡「こういう店って、自尊…… 簡単に言うと、イタイお店が多いもんなんだよ。客層もヒドいときがあるしね」


重「へぇ、そうなの。そういう店には全然行かないから分かんないけど、ここは良いよ? 何と言ってもマスターが良い人でね」


渡「マスターが?」


重「そうそう。だから今日はカウンターで飲もうよ。マスターと話ができるし」


渡「そうしようか」


 二人は店の奥に位置するカウンター席に座った。が、肝心のマスターの姿が見当たらなかった。


重「あれ、どこ行ったんだろう?」


渡「あそこの脇のドアが開いてるから、そこにいるんじゃないの?」


重「あぁ…… 何か切らして、奥に取りに行ってるのかも」


 そう言った重は近くに置かれていたメニューを手に取る。渡は、相変わらず店内の様子を嬉しそうに見ていたが、あまりキョロキョロと見回すものじゃないなと、バックバーに並べられたボトルの数々に目をやった。


渡「へぇ、珍しいジンなんかも置いてあるんだ。いいねぇ、俺の好きなコニャックもあるよ、しかも贔屓(ひいき)の銘柄。まぁ高くて手は出せないけど」


重「なんでお金持ちのお坊ちゃんが高級コニャックに手を出せないの」


 メニューを見たまま話す重。


渡「いやだから、親が金持ちでも関係ないでしょ。今は大先生と同じ稼ぎなの、何でも屋の稼ぎなの」


重「だとしてもさぁ、少しは手が出せるんじゃないの」


渡「今の稼ぎで1ショット数万のコニャックには手が出ないでしょ?」


重「1ショットの説明もらえますか」


渡「あー、35ミリリットルくらいって意味。だからグラスに少し入った程度で数万円」


重「……想像できない値段だね。それにしてもグラスに1ショット分のコンニャクってのは変な絵だよね」


 メニューから顔を上げた重は、その勢いのまま天井を見つめてコンニャクを想像した。


渡「なにその使い古されたネタ」


重「なにが?」


渡「なにがじゃないよ。コンニャクじゃなくてコニャックだよ、お酒のコニャック」


重「あぁ、コニャックね!」


渡「本気で間違えてたの?」


重「ちょっとメニューに集中しててさ…… でも高いってのは聞、値段の話はやめよっか?」


渡「そうだね、品がないよね。危うく自分がヒドい客層に入るところだったよ」


 その時、開かれていてドアの奥から、白いシャツにウエストコートの見るからにバーテンダーという男が出てきた。手には大きな箱を持っていた。


重「あっ、あの人がここのマスターだよ」


 その声に振り返った男は、重を見るなり箱を置いて近づいてきた。


男「いらっしゃいませ水木さん。気が付かず申し訳ございません、いま宅配物が届いたもので奥に‥」


重「いいんですよぉ、気にしないでくださいよ。あ、あの僕の友人を連れてきました」


渡「どうも、初めまして……」


男「こちらこそ初めまして、私はこの店のマスターをしています首藤(すどう)と申します」


渡「僕はあの、渡と言います」


重「……ん、なんで珍しく下の名前を言ったの?」


 渡は「言わなくても分かるだろ」という表情。この渡の表情の作り方は本当に上手で、言葉以上に情報を伝える事がある。渡こそ俳優になるべきだと重は思った。


重「……はいはい、わかりました」


首藤「どう…… かされました?」


渡「あ、いえ、なんでもないんですよ」


重「まぁ、渡と重の『る』終わりコンビと覚えて下さい」


首藤「あ、水木さんは重さんというんですか?」


重「そうですよ。あれ、言ってませんでしたか?」


首藤「えぇ。それにしても奇遇ですねぇ、私の名前は(たける)と言うんです」


渡「渡重健の『る』終わりトリオですか!」


 三人の静かな笑い声は、店内の雰囲気をより緩め、同時に色濃くさせた。


首藤「名前が‥ あ、失礼しました、何をお飲みになりますか?」


重「えーっと、アイスカフェラテをお願いします」


首藤「かしこまりました。渡さんは?」


渡「僕はオリジナルブレンドを」


首藤「かしこまりました。少々お待ち下さい」


 首藤がコーヒーを淹れている間、二人は黙ってその様子を見ていた。自分たちが事務所の控室でコーヒーを淹れる手順とほぼ変わりはない。しかしながら、その所作一つ一つが全く違う。素人とプロフェッショナルの違いというより、コーヒーに対する姿勢の差が出ているようだった。


重「違うねぇやっぱり」


渡「うん。知ちゃんがコーヒー淹れてる時なんか『早くしろい』なんて思っちゃうけどさ、首藤さんのはなんか見とれちゃうもんね」


重「あぁ…… 知ちゃんも教授さんが紅茶の準備してる時、同じこと言ってたね」


渡「…………どおりで長年、彼とは友人としてやっていけるわけだよ」


重「なにそれ? 詳しく‥」


渡「詳しくは聞かないで。説明なんて出来ないから」


 じゃあなぜ言った、と重が言いかけた時、首藤の声が二人の間にするりと入ってきた。


須藤「お持たせいたしました。アイスカフェラテとオリジナルブレンドです」


 クリーム色のカップにコーヒーの濃い褐色が際立つオリジナルブレンド。ロングカクテル用のグラスに満たされたアイスカフェラテ。思わず目を輝かせる男二人。その様子に微笑む男一人。


渡「ほっ……」


 カップを手に取った渡は、香りに思わず声を漏らす。


渡「それじゃ、いただきます」


 熱いコーヒーを少し口に含み、ゆっくりと飲み込んだ渡は、また声を漏らした。


渡「はぁ…………」


重「なに、ほろ苦い恋でも思い出しちゃった?」


渡「苦々しいのしかないよ!」


重「その大きい声が出せないけど口調は強めっての好きだなぁ」


渡「っていうか、美味しいコーヒーの邪魔をしないでくれる?」


重「はっはー、美味しいでしょ?」


 人の話を聞け、渡はその台詞をもう言わなかった。


渡「……首藤さん、すごく美味しいです」


首藤「それは良かったです!」


渡「酸味が控えめなのが僕には合いました。苦味とコクが主軸のコーヒーが好きなので」


重「あぁ、酸っぱみ控えめね」


渡「あのさ、子供の頃からずっと『スッパミ』を通してるけどさ、もういいでしょ?」


重「いやいや、逆にもういいでしょ、酸っぱみでも」


首藤「あ、お二人はそんな昔からのお付き合いなんですか?」


重「そうなんですよぉ。腐れ縁ってやつで、今なんか同僚でもありますからねぇ」


首藤「あぁ、以前お話に出てきた何でも屋ですか?」


重「そうですそうです」


首藤「いいですねぇ。私なんか随分と旧友に会えていませんから羨ましいですよ」


渡「ご出身はどちらなんですか?」


 首藤は片方の口角を上げると、先ほどの宅配物の箱を持ってきた。だが、箱は普通のダンボール箱で何も印刷はされていなかった。


首藤「これ私の故郷の友人が送ってきてくれたものなんですけど、これで私の出身が分かるかもしれませんよ?」


渡「なるほど」


重「それで、何を送ってきてくれたんですか?」


首藤「えー、このカボスです!」


 夏の光を受けて育った鮮やかな緑色をしたカボスに、二人の頭の中に夏合宿での一日が鮮明に蘇った。


重「41番に絞って食べたねぇ」


渡「食べた食べた。質素な食事だったけど、美味しかったし『生きてた』よね」


首藤「えーっと?」


渡「い、いえ、こっちの話で……」


首藤「あ、そうでしたか」


渡「それで、大先生は首藤さんの出身地わかったの?」


重「え? なに教授さんはわかったの!?」


渡「うん」


 話す二人を見て、やはり首藤は気になってしまった。


首藤「大先生と教授というのはニックネームですか?」


 カボスの名産地を考える重に代わって渡が答えた。


渡「そうなんですよ。これも腐れ縁で今は同僚でもある友人が付けたんですけどね」


首藤「そうなんですか。そのご友人は雰囲気をとらえるのが得意な方なんでしょうね」


渡「そうですかぁ?」


 その時、重はシワを寄せた眉間にチョップをトントンと当てた。首藤には何をしているのか分からなかった。が、これから重が何を言うのかの予想がついてしまった渡は、ほのかな溜息をついた。


渡「なに?」


重「いやぁ、ここまで来てるんだけど……」


渡「どこへ出すつもりなんだ! アゴ元へ水平に手を持ってきなさいよ! なんで眉間へ垂直に持ってきたんだ! それでどう口から答えが出てくんの!」


 また口調だけを強める渡に、重は静かに手を動かした。


重「……ひねりを加える」


渡「……いやぁ首藤さん、大分出身なんですか」


首藤「そうなんです」


重「あぁ何で言っちゃうの!? あとお話に混ぜて!」


渡「……カボスって言ったら大分県でしょ」


重「そうなの?」


渡「生産量日本一だからね大分は。90%以上が大分で作られてるんだよ?」


重「九割超えてんの!? すごいねそりゃ」


首藤「よろしければスダチ食べてみます?」


渡「食べるって……」


首藤「いや、スダチを使ったお菓子も送ってきてくれまして。これなんですけど……」


 首藤が箱から取り出したのはメレンゲ菓子だった。


重「あらぁ、お上品な包装」


渡「他に言い方ないの? それにしても美味しそうなお菓子ですね」


首藤「これはメレンゲを焼いたものなんですけど、スダチを使用したスダチメレンゲなんですよ。爽やかな香りと酸味が、いえ酸っぱみが口に広がりますよ」


重「お、酸っぱみが広がりますか!」


渡「よしてくださいよ首藤さん」


 首藤は微笑みながら、メレンゲ菓子を二人に配った。受け取った二人は予想していたものの、その軽さに驚いてしまった。


重「美味しそうですね」


渡「それじゃ早速……」


 包装を丁寧に取った渡は、水分が飛び、サクサクと軽い食感になったメレンゲを半分ほど()()った。重は一口だった。


重「甘くて酸っぱくて…… これは……」


渡「スダチ特有のほろ苦さも感じられてすごく美味しいです!」


首藤「それは良かったです。それにしても羨ましいですねぇ」


渡「えっ、何がですか?」


首藤「私は中学生の頃にこの千葉へ引っ越してきたので、地元の友人とはしばらく会えていないんですよ」


渡「そうですよね、これだけ離れていると気軽には行けませんもんね」


首藤「えぇ。もちろん、千葉にも友人がいるので寂しくはありませんが、旧友に会っていろいろと話をしたいですよ。まぁ、店を開いてからは忙しく、千葉の友人にも()()らく会えていませんが……」


 渡は自分の聞き間違えだと思った。このマスターがくだらないダジャレなど言うはずがない。言うはずがないと自分に言い聞かせた。


重「店に招いたらどうですか?」


首藤「それも考えたんですが、ウチは夜はバーですからねぇ。友人を大勢招いてしまうとどうしても()()っと騒いでしまいますし……」


 渡はまだ信じない。これから通おうと思った店のマスターがダジャレ好きとは信じていない。しかし、「ちばらく」と「バーっと」は偶然なのかと何度も自分に問いかける。


重「一日貸し切りで招けば良いんですよ」


首藤「なるほど貸し切りですか。でもお客様に‥」


重「いいんですよ一日くらい。たまにはマスターがメロウアウトしなきゃだめですよ」


首藤「わかりマスター。一日貸切にして友人を招待してみます」


 わかりマスター。これは決定的だった。だが渡は悪あがき。好みの店だけに、いまだ信じようとはしない。


客「マスター。窓の所に大きいクモがいるんだけど……」


首藤「えっ! 内側ですか!?」


客「いやいや、外なんだけどさぁ。ちょっと視界に入るというか……」


首藤「わかりました。重さんに渡さん、ちょっと失礼します……」


 クモ退治に向かう首藤を目で追いかける渡。何も気にせずアイスコーヒを飲む重。


首藤「いやぁ、クモですか。あまり虫などは見かけないのですが、もしかしたらクモだけに他店のスパイだぁ?」


 なぜか笑う他の客。


首藤「あら、クモのダジャレはスッパイダー(失敗だ)!」


 また笑う他の客。


首藤「それにしても大きなクモですねぇ。クモった(困った)なぁ」


 遠いダジャレでも笑う他の客。首藤は一緒に笑いながら外へ出ると、窓にいたクモをホウキで突いた。驚いたクモは逃げていく。そして満足そうにして戻ってきた首藤は言った。


首藤「一クモ(もく)散に逃げていきましたよ。まさにクモ()隠れ!」


 首藤から視線を戻した渡はコーヒーを口にした。なぜだか先ほどよりも苦く感じた渡だった。


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