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何でも屋  作者: ポテトバサー
第四章・サイコロ振ったら家買います 
27/56

是、人生なり

 業務後の閉店作業を終わらせた五人は、修が作った袋麺の特製ラーメンを睨み合いながら食べ終えた。そして、椎名はボードゲームを取りに二階へ、他の四人は会議室へ向かった。


知哉「良し! これでオッケーだろ!」


 会議用の長テーブルを二つくっつけて置き、パイプイスが二つずつ対面に置かれた。もう一つのパイプイスは、俗にお誕生日席と言われる位置にあった。


渡「はい、飲み物持ってきたよ」


重「あいはい、ご苦労様。俺が奥に置いちゃうから…」


 重は渡からお盆を受け取った。


渡「ありがとう。それで、どこに座るの?」


知哉「昨日と同じで良いんじゃないか?」


重「そうそう、昨日と同じ場所でいいよ。ってことでアチキはここに座るから」


 重はお盆を置くと、一番奥のイスに座った。


修「……また何もしない気だな?」


重「何が? お茶を‥」


修「お茶を置く以外、何もやらない気だろ? って言ってんだよ」


 修は文句を言いながらも、次に楽な重の対面のイスに座った。


渡「そう言って楽な席に座るんじゃないよ」


修「じゃ、俺の膝の上に座れよ」


 修は両膝をパンパンと手で叩いてみせる。


渡「わかった、膝の上に立ってやる」


 本当に立とうとしてみせる渡。慌てた修は立ち上がろうとしてテーブルに足をぶつけた。


修「イタッ!」


 ぶつけた箇所を優しく(さす)る修を見て、三人はいつものように笑い始める。


知哉「ったく修も修なら教授さんも教授さんだよ」


渡「えぇ? 何が?」


知哉「いつまでガキのノリなんだよ」


 知哉は昨日と同じ席に座り、手を伸ばしてお盆の上にあった自分のマグカップを取った。


渡「知ちゃんも似たようなもんでしょ!」


修「おい、少しは俺の心配しろよ」


重「アタシが心配してあげてるでしょ?」


 幼稚園の頃から続けている重のネタ。多少なりとも磨きがかかっていることに修は腹が立った。


修「この野郎、歯を食いしばれ! レンズを指紋だらけにしてやる!」


重「なんで指紋だらけにされるのを、歯を食いしばって待ってなきゃならないんだ!」


 重がメガネをかばい、修に向かって腕を振り回していると、椎名が会議室に入ってきた。


椎名「はい、みんなお待たせ!」


 椎名は両手で持っていたシミひとつ無い真っ白な紙製の箱をテーブルに置いた。


椎名「これが『(これ)、人生なり』だよ」


 よく見るボードゲームの箱の縦・横・高さの二倍はあろうかという『是、人生なり』の箱。デザインは白い箱のフタいっぱいに大きく『是、人生なり』と書いてあるだけで、写真や色付けなどの加工は一切されていなかった。


渡「……え、なんですか?」


椎名「いやだから、『是、人生なり』だよ」


渡「これはまたシンプルというか簡素というか……」


知哉「見ただけじゃボードゲームというか、(なん)なのかすら分かんねぇな」


修「どこで見つけてきたんですか?」


椎名「これはね、高円寺のお店だったかな。じゃあ、準備をしながら説明するから、渡君も座って」


 渡がイスに座ると、椎名は『是、人生なり』の箱のフタを取った。

 箱の中には多種多様なパーツがこれでもと詰められており、彩り鮮やかなパーツを見るだけで、楽しげな雰囲気が伝わってくるようだった。なかでも、椎名が次々に取り出したボードは、色彩もさることながら、その大きさといったらなかった。


修「えぇ!? こんなに大きいんですか!?」


椎名「大きいかなぁ?」


重「大きいですよ! テーブルを二つもつなげてるのに、ボードで埋まっちゃいますよ!」


椎名「大丈夫だって。あ、ボードはカチッって音がするまで、連結部分を差し込んでね」


 五人がつなげた合計八枚のボードは、テーブルの面積の三分の二を占めた。ボードは四つのエリア構成になっていて、どのエリアもマス目でごった返している。また、プラスチック製の山・川・都市部は、細部にまでこだわりを見ることが出来た。


知哉「すごいマスの量だな」


重「やりがいがあるね!」


椎名「はい、それじゃ好きな駒を選んで!」


 椎名は箱から巾着袋を取り出した。駒たちが袋の中でぶつかり合うジャラジャラという音が、駒の種類の多さを物語っていた。


修「プラスチックの音じゃねぇな」


知哉「ま、選ぶ楽しみがあっていいよな!」


重「そうそう! 選択の自由よ、選択の自由!」


 椎名は袋の口を開けると、興味深そうにしていた重のほうに袋を手渡した。重は、どれにしようかと楽しそうな顔で袋の中を覗き込んだ。


重「じゃあ、これにしようかな!」


 重が取り出し、四人に突き出したのは般若(はんにゃ)の面の駒。暗く淀み、生々しい色使いで仕上げられた般若は、不気味な眼光で四人を(おのの)かせる。


渡「般若の面を駒にしている時点で、このゲームの製作会社のセンスが怖いよ」


修「何があってもおかしくないな」


 知哉は怖いもの見たさで、般若の駒に顔を近づけた。


知哉「他になんかなかったのかよ?」


重「うるさいねぇ、見てみなさいよ自分で」


 知哉は袋を受け取ると、中を覗き込む。


知哉「あーっと? なんだよ、良いのがあるじゃねぇか」


修「なんだよ?」


知哉「これだよ、ドーナツだよドーナツ!」


修「ドーナッツだろ?」


知哉「あぁ? ドーナツでもドーナッツでもいいよ。とにかく見ろよコレ」


 カラフルなチョコスプレーが散りばめられたドーナッツ。生地の揚げ具合から照りの具合まで見事に再現されているそのドーナッツの駒は、修の胃袋を刺激した。


修「チッ、見たら食べたくなっちまった! 好きなくせにいつも存在を忘れちまうんだよな、身近にありすぎて」


重「……え、アタシの事?」


修「…シゲ、二度目だからな? 三度目はねぇぞ?」


重「それはどうかな?」


修「どうかなじゃねぇんだよ! お前よりドーナッツの方が好きだバカが!」


知哉「ドーナツな」


修「どっちでもいいんじゃねぇのかよ!」


椎名「もう、本当にドーナッツ(どうなっ)てるのかねぇ」


修「お前だよピエロ!」


渡「ほら、早く駒を決めちゃいなよ修」


 渡は知哉から袋をヒョイと取り上げると、袋の口を大きく開けて、修に差し出した。


修「あぁ、悪い。えーっと、どうすっかなぁ」


 渡は修が自分で袋を持つものだとばかり思っていたが、修はただ覗きんで駒を探し続けた。


修「ん? うわっ! なんだよビックリした…」


渡「なに?」


修「コレだよ、コレ」


 そう言って修が袋から取り出した駒は、黒々(くろぐろ)としたアリの駒だった。


渡「うわ、なに!?」


修「アリだよアリ。クロオオアリだよ」


渡「二人は袋の中を見た時に驚かなかったの?」


重「気づかなかった」

知哉「そんなのあった?」


 渡は「まぁいいや」という表情で、視線をアリの駒に戻した。


修「にしてもいい出来だな。アミメアリの丸い腹もいいけど、迫力のある王道クロオオアリだよなぁ」


渡「大きさが本物と変わらないのがヤダなぁ。駒を見るたびにドキッとしちゃうよ」


修「それが良いんだろうがよ。ほれ、教授さんも選べよ」


 渡は他にも何か変なものがあるのではないかと、慎重に袋の中を覗いた。だが、すぐに子供のような笑顔で一つの駒を取り出した。


渡「ウマっ! 馬があるじゃない! 馬が、栗毛の馬が!」


 渡が突き出した馬の駒は、蛍光灯の光を浴びて輝き、栗毛の艶と光沢は一段と美しく見えた。もちろん、栗毛の塗装である。


渡「好きだなぁ馬。格好いいなぁ馬。かっけぇな馬。カックイイなぁ馬!」


重「あれ、そんなに馬が好きだったっけ?」


渡「昔から好きだったけど、大学時代にグッと好きになってさぁ。何ていうのかな、こう、草原とか荒野をさ、野生馬が力強く走っているさまを見ると、勇気をもらえるというか、俺も頑張らなきゃって思えるんだよね! 血統なんて関係ないんだよ、自分の生き方を自分で決めて、生きるために大地を…」


 修は熱く語り続ける渡から袋を取ると、椎名に手渡した。


修「椎名さんはどの駒にするんですか?」


椎名「あ、うん、僕はねぇ……」


 そう言って椎名が取り出したのは歯車の駒だった。重厚な風合いの歯車は、今にも力強く回り始めそうだった。


修「また渋い選択ですねぇ」


知哉「俺はてっきり、カラフルなボールの駒にするかと思ってましたよ。椎名さん、大道芸でよくボールを使いますし」


椎名「僕もそう思ったんだけど、なんか歯車に魅せられちゃって。なんか地道に頑張ってる感じがしてさ。じゃあ駒も決まったことだし、みんなエリア3のスタートのマスに駒を置いてくれるかな」


知哉「あれ、エリア1じゃ無いんですか?」


椎名「これね、エリア1から4までやると、明日の朝方までぐらいは掛かっちゃうと思うんだ」


知哉「そんなに掛かるんですか!?」


重「ということは、エリア3と4だけで勝負をつけるってことですね?」


椎名「うん。エリア3は『社会の荒波編』で、エリア4は『第二の青春編』。この二つのエリアだけでもかなりの激戦になるよ」


修「確かに、その二つのエリアは熱くなりますねぇ」


 いやらしい笑顔を見せる修は、椎名に向かって何度も頷いた。


椎名「へっへっへー。激アツだよぉ?」


 乗った椎名もいやらしい笑みを返す。


修「じゃあ何でエリア1と2を出したんですか? やらないのに」


椎名「見せたかっただけ」


 あまりに単純な理由に、修はうつむいて肩を揺らし笑った。


椎名「はい、それじゃ駒を置いてねえ」


 エリア3の一際目立つ赤いマスに、般若()ドーナッツ(知哉)アリ()歯車(椎名)の駒が集まった。


重「……教授さん、駒を置いてくれってさ」


渡「あの優しい眼差しなんて‥」


重「ちょっと聞いてんの!?」


渡「あえ?」


重「あえじゃないよ、早く駒をスタートのマスに置いてよ」


渡「あぁゴメンゴメン! はい、置きました!」


知哉「そこじゃねぇよ! ったく話を聞いてろよ、今日はエリア3から始めんだよ!」


渡「あ、そうなの? ゴメンゴメン……」


 渡が駒を置いた事を確認した椎名は、ゲーム内専用紙幣を取り出すと、慣れた手つきで数え始めた。


椎名「そしたらスタート資金を配るね」


 椎名は手際よく数えた紙幣を順々に渡していった。


修「まーた随分と凝った作りですねぇ」


渡「初めに5万円も貰えるんですか?」


椎名「渡君、これ()じゃないんだよ」


渡「ドルですか? ポンドですか? 元? ウォン? ルピー?」


椎名「残念ハズレ」


知哉「ゴッズ? ポッチ? ギル? G?」


椎名「はい、正解はチョットです」


知哉「チョット? あぁ、数字の終わりにCHOって印刷してある」


渡「つまりこれは5万チョットってことですか?」


椎名「そういうこと。5万チョットでスタートね」


 渡は手元にある5万チョットをしみじみ見つめる。


渡「5万チョット………」


修「いいねぇ、教授さんが言うとしっくりくるな」


渡「そうそう、金持ち坊っちゃん(さつ)で頬を張る! コラァ!」


 渡の珍しいノリツッコミに一同は笑った。


渡「俺がいつ札束で人の頬を引っ叩いたんだよ!」


修「それは自分で言ったんだろうが! ったく、訳わかんねぇ。椎名さん、早いとこ順番を決めて始めましょうよ」


椎名「そうだね。それじゃサイコロを振って……」


 漢数字のサイコロを振った結果、一番大きな数字を出した重から右回りということになった。


椎名「はい、目標はゴールを目指すこと。そしてボードゲームお決まり、総資産が一番多い人が優勝! はい、それじゃ重君からスター…… あっ、ちょっと待って、カードを準備…… ちょっと待っててね……」


 椎名は何かの準備を忘れていたらしく、説明書を取り出してカードをいじりだした。残された四人は仕方ないので、今回は省略となったエリア1のマス目を覗いてみた。


重「小学校に入学。祝い金として5万チョットもらうだって」


修「チョットのせいで、なんか嫌な響きだな……」


知哉「金ってのを軽く見てるよな」


渡「こっちのマスもひどいもんだよ。借りていたお金が戻ってきた、1万チョットもらうだって。金銭の貸し借りだよ?」


重「はぁ? 子供のうちから!?」


渡「やっちゃいけない事の見本ばっか見せてもダメな気がするんだよね」


修「あぁ、わかるよ。『良い子は真似しないでね』ばっかで『良い子は真似してね』がないんだよな。つーか、子供に真似してほしくないことを、子供が見れるようなところでやるなってんだよ」


知哉「まっ、いま言ったところでしょうがねぇよ。それより見ろよこのマス。家にランドセルを忘れて登校してしまった、マイナス二万チョットだってよ」


修「寝ぼけてんのか! いつもより体が軽いことに気が付けって…… じゃなくて、それで2万チョットも持っていかれるのかよ!?」


知哉「運が悪いと、あっさり文無しになるぜこのゲーム」


重「ははっ、ちょっと待ってよ」


 他のマス目を覗いていた重が、あるマスを指差した。


修「どうした?」


重「ランドセルを学校に置いたまま帰宅しちゃうだって」


修「ランドセルの事をもっと思ってやれ! 六年間連れ添う相棒だぞ!」


重「マイナス3万チョット」


知哉「おう、家に忘れてきた時より1万チョット多く取られるのかよ!」


渡「知ちゃんの言う通り、あっという間にお金がなくなるよ、これ」


椎名「まぁ、それも人生なりってことだよ」


 カードの準備が終わった椎名は、ボード上の決められた位置に各種カードを置いた。色別に分けられたカードの山は、どれも三十枚程度はあった。


椎名「カードの説明はその都度説明するね。はい、それじゃ重君どうぞ」


重「ほいじゃ、サイコロ振りまーす!」


 眼鏡のレンズを蛍光灯に光らせ、重はサイコロを投げた。宙に放り投げられたサイコロは、何度かボードに身を打ち付け、勢い良く回転した後に止まった。出目は一。


知哉「一投目からかよ? 景気良く六とか出せよ?」


重「グチグチうるさいっての。こういうのは様子見ってのが大事なんだよ! はいはい、ちょっと失礼!」


 重は知哉の前に体を乗り出し、自分の駒を一マス進めた。


重「えーっと、就職祝いとして10万チョットもらうだって。もっと寄こせコノッ!」


 銀行役も務める椎名から10万チョットを受け取った重は、一枚二枚と紙幣を数えなおす。


重「はーあ、この私に対して祝い金が10万チョット。世も末だよ、湿気た世の中だよ!」


知哉「急に人が変わりやがった……」


椎名「昨日もそうだったよね……」


 昨夜の別のボードゲームでは、重は序盤で大富豪にのし上がり、他四人の市民を苦しめていたのだった。


修「昨日の人生の転落から何も学んでないのかお前は?」


重「おい平民! 早く(サイ)を投げろ!」


修「あぁっ!? たかだか10万チョットで調子に乗りやがって!」


 挑発に乗った修が勢いにまかせてサイコロを振ると、ボードに弾かれたサイコロは六を出した。見たかバカヤロウと、修は音を立てながら駒を一マスずつ進めていく。


修「…五・六っと! えーっと、家にカバンを忘れたまま出社してしまった。マイナス3万チョット、じゃねぇよ!」


知哉「さっき見たマスのランドセルを忘れた子供だな」


修「ったく何も成長してないだろコイツは! 家を出る時に、一つ一つ声に出して確認をしろってんだよ!」


重「早く払え平民!」


修「うるせぇ!」


 たった二度、サイコロが投げられただけで10万チョット以上もの差が出てしまった。しかしながら『是、人生なり』なのである。


渡「じゃあ、いきまーす」


 渡の出した目は一。重と同じく10万チョットを獲得した。


重「いやぁ、大塚先生。平民には困ったものですなぁ」


渡「えぇ、本当に。また白髪が増えてしまいますよ」


修「おいコラァ! なに抜群のスピードで心変わりしてんだ!」


渡「野生馬なもんで、スピードには自信があるんですよ」


修「なにが野生馬だ。金に飼いならされた馬に魅力なんざねぇんだよ! 椎名さん、こんな奴等(やつら)もういいですから、サイコロ振っちゃってくださいよ」


椎名「そう? それじゃ失礼して…」


 椎名が優しく手放したサイコロは三を出した。


知哉「おっ、三ですか」


椎名「うん、一・二・三っと…… えー、同僚に貸していたお金が返ってきた。順番が二つ前の人から2万チョットもらう」


修「えぇ!? ウソでしょ!」


 一周もしない内に所持金がゼロになってしまった修を、知哉は指をさして楽しそうに笑った。10万チョットを手に入れた重と渡の二人は、修を見ては嘲り笑う。


知哉「なにを本当に『あっさり文無し』になってんだよ!」


修「いや、知るかよ! サイコロを振っただけだよ俺は!」


椎名「はい、借りたものは返してね」


 笑顔で手を差し出す椎名。その手のひらに2万チョットをピシャっと叩きつける修。


椎名「はいどーも! じゃ知哉君どうぞ!」


知哉「そいじゃあ失礼して…… おっ、五だよ五!」


 初めてのマス目に、知哉は上機嫌で駒を動かした。


知哉「……うおっ! 社内アイデアコンテストで最優秀賞! 賞金30万チョット!」


修「はっ!?」


 驚きの声を上げたのは修だけだったが、リードしていた重と渡も驚き、目を丸くさせて、口はだらしなく広がっていた。


椎名「は、はい、30万チョットね」


 不敵な笑みを浮かべた知哉が椎名から30万チョットを受け取った瞬間、トップ(知哉)最下位()の差は三十五万チョットになってしまった。それは修にとって屈辱以外の何物でもなかった。


修「野郎、やってくれるじゃねぇか。おう、マヌケな顔してないでサイコロを振れよ、妖怪バカ」


重「平民が愚弄するか! 見てろ!」


 重の気持ちがサイコロに移ったのか、出目は六だった。


重「六! 六、六、六! もう六という漢字が穴に見えてくるぞよ平民!」


修「頭の悪い金持ちがよぉ!」


 相変わらずの表情を浮かべる般若の駒は、力強く進んでいく。


重「えーっと、なになに? 共同プロジェクトのメンバーに選出された。6万チョット獲得? たかだか6万チョット? お前もこの私を愚弄するか!」


知哉「誰に対して言ってんだよ?」


重「キサマだ!」


知哉「頭でも打ったのかお前は!」


重「チキショウめ、私に対する評価が6万チョットとは!」


 椎名から6万チョットを受け取った重は、鼻息を荒くして所持金の21万チョットを見つめる。


修「ゲームの中でくらいはまともな大人になれよ」


重「どういう意味だ!」


 修は笑いながらサイコロを放り投げた。


修「どういう意味もそのまんまだよバカ! はーい、普段から行いの良い私は、またまた穴ですぅ! じゃねぇ六ですぅ!」


 地道と穴が似合うアリの駒だったが、軽快にマスを進んでいく。その跳ねるような軽やかな駒の動きはアリではなくキリギリスに似ていた。


修「なんだよ、随分と長い文だな」


渡「マス目いっぱいだね」


修「それが現実だと知りながら、僕は閉まる電車のドアをただ見つめていた。車掌の吹く甲高い笛の音が聞こえ、電車は変わりなく動き始めた。いいんだ、このまま遠くへ、そう、潮の香りがするあの街まで、僕は電車の揺れに身を任せ、新しい現実に浸るんだ。一回休み」


 最後の一言で、四人は一斉に吹き出した。


修「いや会社に行けよ! 嫌になって海に向かってるじゃねぇかコイツ!」


重「まぁ春先はねぇ」


椎名「あれじゃない、カバンを忘れちゃったことを怒られたんもんで、落ち込んじゃったんだよ」


修「自業自得は耐えろよ! だいたいガキの時分(じぶん)に一回ランドセルを忘れてんだ、それで耐性つけとけよ! それに所持金スッカラカンチョットでどうする気だ!」


渡「ははっ、もうサイコロ振っていい?」


修「まだゴネて‥ いいよ、振ってくれよもう! ったく、六ばっかだしてもダメだ、アリらしく地道にいかねぇと」


渡「そうそう、働きアリは女王アリにはなれないんだから」


 さらっと冷たいことを言いながら、渡はサイコロを振って駒を進めた。


渡「一・二っと、えー椎名さんと同じマス。ってことは、二順前の人から2万チョットもらえるのか。はい、大先生2万チョット」


重「……ど、どうぞ」


渡「はいどうも」


 渡は蛍光灯の光に札をかざしてから、2万チョットを手元に置いた。


修「……皆さん、お聞きになりました?」


椎名「聞きました。ひんやりとした言葉を聞きました」


重「ああいう言葉が自然に出るからね、この金持ちインテリは」


知哉「自由に草原を駆け回るとか言ってた男が、見る影もねぇよ」


 四人が嫌味を言っていると、渡は椎名にサイコロを差し出して言った。


渡「自由に駆け回るのにもお金が、チョットが必要ですから?」


 知哉の嫌味を一刀両断した渡の言葉に、四人は声を出さず肩で笑った。


椎名「やっぱり本物は違うね」


 渡をさらに一刀両断した椎名の言葉に、三人は声を出して笑った。


渡「誰が本物だ!」


椎名「いやぁ、言う時の仕草ひとつとってみても、本物は‥」


知哉「椎名さん、こういうのはモノホンって言うんですよ」


椎名「なるほど、モノホン!」


渡「一番チョットを持ってる知ちゃんが言うんじゃないよ!」


知哉「俺は金があるからって、人を見下すようなゲスじゃないもの」


渡「遠回しに俺をゲス呼ばわりしたな!?」


重「まぁまぁ、ゲス()さん、落ち着いて」


渡「誰がゲスの馬だ!」


修「ほらほら、落ち着いて。どーどー」


 うまい事を言った修に、渡は笑うことを我慢するので精一杯だった。


椎名「じゃあ、振るよ?」


重「はい、どうぞ!」


 椎名は手の中で十分にサイコロを転がしてから、ボードへ落とした。


椎名「ありゃ、一だ。えー、十何年ぶりに寝ながら地図を書いてしまった。マイナス2万チョット!? なんで!?」


知哉「寝小便したからに決まってるじゃないですか! おねしょですよ、おねしょ!」


椎名「あ、そういうこと? もう、へべれけになるまで飲むからいけないんだよぉ。じゃあ修君からもらった2万チョットにしておこう」


修「なんか嫌だし『じゃあ』ってなんだよピエロ! おねしょって聞いて何で俺になるんだ!」


 その問いには重が間髪をいれずに答えた。


重「おねしょ(づら)してんじゃん」


修「表へ出ろ」


重「ゴメン、先に出てて。いまボードゲームやってるから」


修「オッケー、なるべく早く来てね? じぇねぇんだよ毛モジャ!」


重「おう、やる気か!」


修「だから表へ出ろって言ってんだ!」


知哉「いいから俺にサイコロを振らせろ!」


 知哉はそう言ってサイコロを転がした。プラスチックの山とビルに当たった後、サイコロは止まった。


知哉「三だな。一・二・三っと…… 故郷の両親が色々と送ってきてくれたってよ!」


渡「あぁ、熱々のラーメンとか?」


知哉「いや俺の実家からじゃねぇよ! 故郷って言ってんだろ! んな遠いとこから出来上がっちゃったラーメン送ってきたら、もう麺が溶けてスープと一緒になってるわ! 沈殿してるよ、味噌汁の味噌みたいによぉ!」


修「じゃあ沈殿した麺をこして取り除けば、お澄ましラーメンになんの?」


知哉「麺が無いって言ってんだろ!」


 バカでかい声で返す知哉に、修と重は楽しそうに笑った。


知哉「ったく、仕送りでアイテムカードを一枚引くってよ。椎名さん、アイテムカードってのは……」


椎名「はいはい、アイテムカードだね!」


 椎名はボード上に置いた緑色のカードの山を指でさした。


椎名「山札の一番上を引いてください!」


知哉「オッケーわかりました! これ、マイナス要素のあるカードもあるんですか?」


椎名「うわるぅよぉ」


 不気味に笑う椎名は、蛇が獲物に近づくようにして、顔を知哉へと寄せていった。


知哉「崩し過ぎて、何を言ってんだかわかりませんよ!」


椎名「あるよぉ! 手助けしてくれるカードから手痛いカードまであるよぉ!」


知哉「えぇ!? 手痛いのも!? よし、良いの来い、良いの来い!」


 素早く引いたカードをボードの真ん中でひっくり返してみせる知哉。


知哉「とにかく二倍カード?」


椎名「それはね、止まったマス目で起きる事が全て二倍になるカード。もちろん、サイコロを振る前に使ってね」


知哉「おぉ! 良いカードですねぇ!」


修「でもマスで悪いことが起きたらそれも二倍だぜ? そういうことですよね、椎名さん」


椎名「そうだよ。なんて言ったって『とにかく』だからね。あと知哉君ね、カードはみんなに見せなくてもいいんだよ?」


知哉「先に言ってくださいよ!」


 こうして、あっという間に二周目が終わった。その後も五人はサイコロを振り続け、チョットを稼ぎつつ先を急いだ。


重「来た来た六! えーっと、バレンタインデーよ消えてなくなれ? マイナス5万チョット!?」


渡「あら残念だねぇ」


重「………バカにしてるだろ?」


 柄にもない目つき、いや、ガラの悪い目つきで、渡の顔を覗き込む重。


椎名「あれ、根深いものがあるのかなぁ?」


 再び蛇になった椎名が、渡へ近づく。


渡「あ、いや……」


重「教授さんにチョコレート一つの重みがご理解できるとは思いませんがね」


修「そりゃ分かるわけねぇだろ。腐るほどチョコをもらってた男には」


椎名「えぇっ!? 腐るほど!? ちょっと渡君!」


渡「いや、違うん‥」


椎名「ダメだよ、腐らせちゃ!」


知哉「そこじゃねぇだろピエロ!」


椎名「そうだったそうだった。腐るほどもらってたの?」


渡「三人が誇張して‥」


椎名「あぁそうか、そうだよね! 大塚グループの御曹司。文武両道で渡君はルックスも良いからモテて当たり前だよね!」


修「野生馬じゃなくサラブレッドですから、教授さんは」


 修はサイコロを高く放り投げ、出目分だけアリの駒を進めていく。


修「おっ、社内ボーリング大会で優勝! アイテムカードを二枚引く!」


 カードを二枚引いた修はうんうんと頷くと、サイコロを渡に手のひらに落とした。


修「ほれサイコロ」


渡「………皆さんにはご理解いただけないでしょう。みんなには分かってもらえないでしょう。お前らには分かるわけねぇやなぁ!」


 渡は気持ちと言葉のクレッシェンドを見せてサイコロを力強く振った。そして大好きな馬の駒を一つ二つと進めていく。


修「なんだよ急に!」


渡「お前らは一つだけ忘れてんだよ! そのことを知りも… しない…… で……」


 止まったマス目の文章を読んだ途端、渡は文字通り目を丸くさせた。そう、この『是、人生なり』だけは渡の言わんとすることを知っていた。


渡「ホワイトデーも消えてなくなれ。ホワイトデーも消えてなくなれ!」


 渡は天に拳を突き出し、高らかに笑い始める。


修「だから、何なんだよ急に! 椎名さん、マスにはなんて書いてあるんですか?!」


椎名「えっ? あぁ、いま渡君が言った通りに書いてある」


渡「このオバカ共! いいかい? どこぞのオバカさんがホワイトデーなんていう『金を使わせよう日』を作るから、俺みたいな男は困るんだよ! もらった分、全部返すんだぞ!」


椎名「なるほど、言われてみれば……」


渡「それに誰一人、俺を男として見てはいなかった。要するに俺は『自慢の種』で、バロメーターでしかない! 私の彼氏さ金持ちなの、私の彼氏さ大塚グループの御曹司なの。結局、将来の私のお財布・銀行程度にしか考えていないんだ!」


知哉「二・三人は本気の人もいたんじゃねぇか?」


修「まぁな。でも本気かどうかなんて簡単に分かるわけじゃねぇしな。ただよ教授さん」


渡「ん、なに?」


修「ホワイトデーも消えてなくなれ。マイナス30万チョットって書いてあんぞ?」


渡「30万!? 30万!?」


 またしても目を丸くさせる渡に、重が腹を抱えて笑い始める。


重「現実でもゲームでも大変だねぇ」


椎名「どうも、銀行です。30万チョットお支払い願えますか?」


渡「もう! 払えばいいんでしょ、払えば!」


 三枚の10万チョット札を銀行として受け取った椎名は、ごめん遊ばせとサイコロを振った。


椎名「それで? また結婚式に招待された。今年でもう四回目。マイナス15万チョット!?」


渡「なるほどなるほど、あれですね『はい、ざまぁ』ってやつですね」


椎名「うー、この15万チョットは痛いなぁ……」


知哉「ったく、どいつもこいつも余裕ってのがねぇよなぁ。どーんと構えてろっての」


重「なにが余裕だよ」


知哉「ほら見ろ、余裕があるからこそ、六を出すことが出来んだよ。もう余裕がありすぎちゃってお裾分けしてやりたいよ」


渡「いいから読みなさいよ、マスに書いてあることを!」


知哉「はいはい、読みますよ。あーっと、とても給料日まではもちそうにない。最下位の人から5万チョット借りる。じゃねぇよ! なんだよこれ!」


重「ハハハッ! 教授さん、こういうのなんて言うんだっけ?」


渡「はい、ざまぁ」


 ヒーヒーと笑う二人は、交互に『はい、ざまぁ』と繰り返した。


知哉「…………チキショー、所持金があってもダメなのかよ! 誰だよ最下位は?」


 知哉が言い終える前に、修が5万チョットを差し出していた。


修「余裕があるからお裾分けですぅ」


 憎たらしい修の言い方に、椎名も笑い始める。


知哉「腹の立つ……」


修「あとよ知哉、最後まで文を読めよ」


知哉「あぁ? なんだよまだあんのかよ。………給料日マスで返済。出目に五を掛ける。五を掛けだぁ!? なん()()よ!」


 理不尽なマス目に言葉を噛む知哉。


修「なんだだよって言われてもなぁ」


知哉「だってお前、5万チョット借りて最高30万チョット返しはゲームとはいえ酷だろ!」


椎名「是、人生なり」


知哉「な、なんですか椎名さん?」


椎名「是、人生なり!」


知哉「地獄に叩き落としてやるからなピエロ!」


 喜怒哀楽で溢れる『是、人生なり』は、サイコロを振る度に、人生の一コマ一コマをプレイヤーたちに見せてくれる。

 五人ががむしゃらに走ってきた新人時代に一息入れると、いつの間にか後輩が出来た。


重「……後輩にアッサリ追い抜かれてしまった。マイナス8万チョット」


 運命の出会いがあった。


修「その長く艶やかな黒髪を後ろで束ね、湧き水のように澄んだ瞳と、淡く紅をひいた唇。あなたは優しく微笑み、いつもマスターに内緒で料理にオマケをしてくれる。そんな君と今、手をつなぎ歩くこの浜辺。 ………これ、仕事すっぽかして海にいった奴だろ?」


 二人で生きていく事を決めた。


渡「披露宴で号泣のお義父さんがずっと俺にしがみついていた。もし女の子が生まれたら、俺もお義父さんのように泣くのだろうか? アイテム・涙のハンカチをゲット?」


 子供も生まれた。


椎名「妻が無事に出産を終えた。元気で可愛らしい女の子が生まれた。よく頑張ってくれたと、泣きながら妻の手を握る俺は、だだにゃぎじゃぐりゅ…… 涙声で何言ってるか分かんないよ!」


 親としての仕事も頑張った。


知哉「子供の運動会。父親らしいところを見せはしたが三回休み。張り切って大怪我してんじゃねぇって! 大丈夫かよオイ!」


 そんな子供も巣立ち、自らも定年を迎えた。そう、五人はエリア4の『第二の青春編』へ突入した。だがそれでもなお、いやむしろ当然と言うべきか、五人の戦いは熾烈を極めていった。


知哉「あれ、ちょっと待ってくれよ……」


 戦いと人生が進んでいく中、知哉がふと気がついた。


修「なんだ、どうした?」


知哉「もうちょっとで終わりじゃん!」


修「は? ウソだろ?」


 もちろんウソではなく、ゴールまでは残り二十マスちょっと。あと数回サイコロを振れば『是、人生なり』も終わってしまう。


修「本当かよ? だっていま何時だよ? そんなに……」


 修が会議室の壁に掛けられた時計に目をやると、ゲーム開始から四時間が過ぎていた。


修「あらぁ、いい時間……」


椎名「それじゃゴールも近いし所持金を確認しようか」


渡「そうですね。差を知っておいた方が盛り上がりますし」


知哉「じゃあ大先生から順番に言っていこうぜ?」


 重はチラっと知哉のほうを見ると、歯を食いしばったまま声を絞り出した。


重「わ、私の所持金は‥」


渡「やっぱり修から発表しようよ」


知哉「あ、あぁ、そうするか。じゃあ修、頼む」


 修は念のため、もう一度だけ所持金を数えた。


修「えーっと、俺は地道に増やして130万チョット」


渡「おっ、いつの間にか100万を超えたんだ。俺はね、240万チョット!」


修「俺の約二倍かよ! あれ、椎名さんも200万超えてましたっけ?」


椎名「ちょっと足らないんだよねぇ。僕は180万チョット」


修「やばいなぁ、追いつけるかコレ?」


椎名「まだチャンスはあるよ」


渡「知ちゃんは?」


知哉「あ、俺? 俺の所持金? 俺はねぇ400万チョット」


修「俺の三倍(ちけ)ぇ額じゃねぇかよ!」


椎名「ゲーム始めてからずっと知哉君が首位じゃない?」


知哉「そう…… ですね、俺がずっと首位独走ですね」


 イスの背にもたれ、長い足を組んだ知哉は、ぬるくなってしまったコーヒーをすするようにして飲んだ。口には出さないが、明らかに見て取れる態度。コーヒーカップを置いた知哉は、ポケットに手を突っ込み、ユラユラと目線を動かした。


渡「阿漕(あこぎ)なやり方だよね」


知哉「何がだ!」


椎名「みんな真面目に稼いでるのにね」


知哉「だから何がですか!」


修「悪銭身につかずっていう(ことわざ)は嘘だな」


知哉「待て待て待て。いつ俺がそんな稼ぎ方したってんだよ?」


椎名「みんなそうやって言うよね」


渡「あぁもう椎名さんの言う通り!」


修「ったくよぉ、さっきの借りた金の返済、なんで五掛けなんだよ……」


 修に借りていた5万チョットを、知哉はサイコロの出目に嫌われ、最高額の30万チョットで返済していた。


知哉「五掛けで十分だろ! 30万チョットも払ったんだぞ!」


修「うるせぇ! 30万もらったって、俺はお前の三分の一しか金がねぇんだぞ!」


知哉「まっ、運も実力もないんじゃどうしようもないよなぁ。そんで? 大先生の所持金は?」


重「……………チョット」


 うつむいたまま、かすれた声でこぼす重。


知哉「ん? いくらだって?」


重「……………チョットだよ」


 ほんの少しだけ大きくなった声。


知哉「えぇ? 全然聞こえ‥」


重「5万チョットだよ! 5万チョット!!」


 急に顔を上げ、知哉の耳元で叫ぶ重。驚いてイスから落ちる知哉。


知哉「うるせぇな! なんだよ!」


 床に打ち付けた尻をさすりながら、知哉は倒れたイスを引き起こす。


重「知ってて聞くんじゃないよ! まったく!」


 エリア3の終盤。株とFXで大損をしてしまった重は、返済に当てるべくアイテムやカードなどを手放し、なんとか赤字を免れることに成功した。しかし、あまりに大きい返済額に、ゲーム開始時と同じ5万チョットしか手元に残らなかったのである。


重「せっかくコツコツ貯めてきたチョットが、副業のせいでパァだよパァ!」


 修は黙って重を指差した。


重「誰がパァなんだよ! 金が無くなったって言ってんの!」


修「金もパァで大先生もパァで、あと一つパァがあればパー3だったのになぁ」


渡「ホールインワン狙えたのに」


重「ボードゲームでどうホールインワンを狙うんだ!」


椎名「狙えるよ」


 四人は聞きなれない低い声を出した椎名を見た。片方の口角を上げてニヤニヤ小さく頷く椎名は、真っ直ぐに重を見ていた。


重「ね、狙える? ホールインワンですか?」


椎名「ホールインワンというか逆転をね……」


 椎名はボードの隅に転がっていたサイコロを拾い、重に差し出した。「ありがとうございます」と重がサイコロを受け取った時、椎名は重の手を掴み引き寄せた。


重「わっ!」


椎名「まぁ、楽しみにしててよ?」


重「あ、はい、あの、爪に爪なく瓜に爪ありと申しまして……」


 全く関係のない慣用句を言った重は、四人に対して何度も会釈をしながら申し訳無そうにサイコロを投げた。


重「えぇ、どうも、お陰様でございまして、出目は五でございます。行け行けゴーゴーと申しまして……」


 度を超えたつまらなさに、四人は互いに視線を合わせた後、うつむいてクスクスと笑い始める。その間に、般若の駒は静かに進んでいく。


重「それではマスに書かれている文を読みますね」


 重が『真面目』という味を十分に染み込ませた声を出したので、四人は笑うのを我慢して顔を上げた。


知哉「お、お願いします」


重「では読みます。遺産相続の手続きに追われ、何日か会社を休む。この国のシステムは一体誰に優しいのだろう。一回休み」


 全くの不意打ちな内容に、四人は再びうつむいてクスクスと笑い始める。


知哉「急に重い話だし、一回休みだし……」


修「全然、行け行けゴーゴーじゃないし……」


重「そうですね、行けっていう字がちょっと違う‥」


修「やめろ縁起でもねぇ! その不幸キャラもやめろよ!」


重「でも、私、不幸なんです」


修「てめぇで不幸と言ってる内は大丈夫だよ! あとは幸せになるしかねぇんだから! もういいからサイコロ寄こせ!」


 重の手のひらから雑にサイコロを取った修は、景気良くサイコロを放り投げた。


修「三かよ! 三三ロッポウで引け目が無いってな!」


 先程の般若とは違い、クロオオアリの駒はのしのしと進んでいった。


修「よし、読むぞ。もう外出するのに肌着でいいや。アイテム・肌着をゲット? そんなもんいらねぇし、シャツを着ろシャツを! ジジイじゃなくて老紳士を目指せバカ!」


知哉「あぁいるよな、ヨレヨレの肌着で透け乳首で歩いてくるオジサンがよぉ。ひどいのだとウチの店にランニングの肌着で来るんだよ」


渡「なんで自分の中のドレスコードが急に甘くなるんだろうか?」


椎名「とりあえずTシャツぐらいは着てほしいよ」


渡「本当ですよねぇ。なにもスーツを着ろって言ってるわけじゃないんですからねぇ」


 渡はおもむろにサイコロを拾い上げると、手のひらの中でコロコロと転がした。


渡「それじゃ投げまーす…… え、また二?」


 渡はゲームを始めてから四以上の数字を出せずにいたのである。


渡「馬らしくないなぁ、一とか二とか」


椎名「まぁ馬もずっと走ってるわけじゃないからね」


知哉「そうそう椎名さんの言う通り。年がら年中走ってるわけじゃねぇんだよ、馬じゃあるまいし」


渡「馬の話をしてんだよ!」


 野生馬はたったの二マスを猛々しく進んでいった。


渡「はい、読むよ! お前さんがアタシで、アタシがお前さん!? 一位と最下位の所持金が入れ替わるだって」


 修と椎名は驚いた表情で顔を見合わせ、読み上げた渡は自分の言った事が信じられずに、文を指でなぞった。知哉は半笑いのまま立ち上がるとボードを覗き込んだ。


知哉「待て待て待て待て! 何? 何がお前さんだって? ちょっともう一回読んでくれよ」


渡「えーっとだから……」


知哉「おう」


渡「お前さんがアタシで……」


知哉「うん、アタシで?」


渡「アタシがお前さん!?」


知哉「なるほどなるほど。エクスクラメーションマークにクエスチョンマークが引っ付いたやつだな。問題は次だよ」


渡「一位と最下位の所持金が入れ替わ‥」


知哉「おかしいだろっ! 待てよ、バカじゃねぇの! なぁ、なぁ、バカじゃねぇの! あさっり、あっさり!」


 腰に手を当てゴネる知哉。そんな知哉を見て、修と椎名は涙を流しながら大笑いしている。


修「しっじみ、しっじみ順位が変わっちゃいましたな」


知哉「あっさりだよバカ! 一回り小さくするな!」


椎名「ホッンビノス、ホッンビノス順位が‥」


知哉「そうそう、『あらぁ美味しいわね、この貝殻が分厚い貝。何ていうのかしら』。『奥さんこれはエセビノスでもないウソビノスでもない、これが正真正銘ホンビノス!』ピエロこの野郎!」


 椎名は何故か終盤に入ってきてからボケ始めた。


知哉「俺がホンビノス知らなかったら成立しな、じゃねぇんだよ! あっさりと順位が変わりすぎだってんだよ! 赤いマスとか、でけぇマスで『人生の岐路』だとか、イベントでならまだしも、雑に順位を入れ替えやがって! 400万チョットの差は何だったんだよ!」


 憤りを感じずにはいられない知哉が半分だけ真面目に抗議していると、うつむき黙っていた重の声がした。しかし、あまりに声が小さすぎて、他の四人は聞き取れなかった。


知哉「あ? なんて?」


重「皆さん、こんな言葉をご存知でしょうか?」


 また始まった。そう感じた知哉は半笑いのままイスに座って腕を組んだ。


重「春氷(しゅんぴょう)(わた)るが如し。つまりですね、春に張るような氷は薄く(もろ)い。その上を歩くのはあぶねぇぜ? 人生も似たようなもんで、何が起こるかわからねぇんだから、バカみたいにヘラヘラしてっとあぶねぇぜ? という意味でございます」


 重は静かなまま話終えると、知哉の手元に全財産の5万チョットをそっと置いた。


重「さっさとオメェの金を寄こせホンビノス!」


 復活の重。不死鳥の重。


知哉「だれがホンビノスだ!」


重「うるせぇい! オメェの金よこせ!」


知哉「チッ! ったくよぉ!」


 ボードの上に叩きつけられて散らばり乱れた400万チョットを、重は鼻息荒く慌てて掻き集めた。手に溢れる紙幣を見つめる重の眼差しは、汚れた愛情で満ちていた。だがそれも束の間、フォサフォサ天然パーマを振り乱し、自らが選んだ般若の面の駒と同じような顔で笑いだした。


重「遂に恨みを晴らす時が来た。私を(おとしい)れた奴らに仕返す時が来たのだ!」


知哉「株を失敗して自分自身を陥れたんだろうが!」


重「いいから早くサイコロを振れ愚か者が!」


知哉「椎名さんがまだ振ってないだろ!」


椎名「僕は一回休みだよ? ほら、さっきカード使ってさ…」


知哉「あ、そうでしたそうでした」


椎名「だから振りなよ早くホンビノスが!」


知哉「振るようるせぇ!」


 知哉は勢いに任せてサイコロを投げようとしたが、手元の5万チョットを見て思いとどまった。


知哉「ダメだ、ここで雑に振ったら命取りになる……」


 知哉は自分のドーナッツの駒を見つめ考える。だが相手はサイコロ、考えたところでどうすることも出来ない。


重「ハハハッ、私の横のマスに止まれ、食ってやるぞドーナッツ!」


 貝の次はドーナッツ呼ばわりにされる知哉は、無難な駒を選んでおけば良かったと後悔した。


修「俺の横のマスでもいいぞ? 食ってやる」


 般若の面とクロオオアリに襲われたらドーナッツなどひとたまりもない。般若のキバに引き裂かれるか、無数のアリにちぎられ地下へ運ばれるかの二つに一つ。いや、般若の面を付けた無数のアリに襲われるかもしれない。


重「はっはー! こうなったら馬も食ってやるかな?」


修「わざわざコンビーフにしてから食ってやるぞ?」


渡「アリは馬を食べないだろ!」


修「湿度によりますね」


渡「だとしたら梅雨を阻止してやるよ!」


重「ぼけーっとしてますけど、椎名さんも食べちゃいますよ?」


椎名「えっ、僕も!?」


修「そりゃそうですよ」


渡「なにを言ってんの? 椎名さんは歯車の駒なんだよ? 食えない男ですよ、まったく」


椎名「どっちの意味で言ってんのそれは!?」


 浮かれる四人に一太刀浴びせたいと、知哉は所持している七枚のカードに目をやった。しかし、『とにかく二倍カード』はとっくに使用して無い。今あるのは『職業変更カード』や『買い物カード』などで、七枚の中にすぐ役立つカードは無かった。結局、気合を入れてサイコロを投げるしかない。


知哉「……ぬんっ!」


 宙へと放り出されたサイコロはすでに回転していなかった。知哉の空回った気合いを受け取ったかの如く回転していなかった。そしてそのままタンッという軽い音を立てて着地したサイコロは、やはり回転していなかった。


知哉「えっ、三?」


 そう出目は三。(般若)(アリ)の間のマス。四面楚歌、いや二面楚歌。


知哉「なんだってんだ…」


 仕方なしに三マス進んでいくドーナッツの駒は、般若とアリの間のマスに止まった。


修「いやーこれはどうも、いただきます」


知哉「食べるな!」


重「ごちそうさまでした」


知哉「食べ終わるな!」


椎名「はい、それじゃ重君どうぞサイコロはを振って‥」


知哉「まだマス目の文章を読んでねぇだろピエロ!」


椎名「あっ、ゴメンゴメン! そうだったね。それじゃどうぞ」


 知哉は駒を少し動かして、マスに書いてある文を読み上げた。


知哉「隠して忘れたままの…… おおっ! 隠して忘れたままのへそくり発見!」


渡「おっ、いいじゃん! いくら発見したの?」


知哉「えーっと、1万チョットだな。えっ、1万チョット!?」


 自分で言って驚く知哉。


知哉「この終盤、残りのマスも少ない終盤、激しいやり取りが予想されるこの終盤で1万チョットだぁ!? 何の役に立つんだよここに来ての1万チョットがよ!」


 一人熱くなる知哉の手に、椎名は1万チョット札をぐっと握らせた。


椎名「じゃあどうぞ重君、サイコロ振ってもらっ‥」


知哉「まだゴネてんだよピエロ!」


椎名「あ、ゴメンゴメン! じゃあどうぞ知哉君、ゴネてもらって……」


知哉「そうなったらゴネにくいだろ!」


 知哉は拾い上げたサイコロを重に渡してやると、イスにふんぞり返って全財産の6万チョットを見つめた。


重「まぁ、1万チョットでもチョットはチョットだからねぇ。減るよりはマシでしょ」


 重は振ったサイコロの出目に従い、一マス駒を進めた。断トツのトップに躍り出たためか、般若の面の表情は、どこか余裕なところがあった。


知哉「減るよりはマシって、さっき400万チョット減ったん‥」


重「はいはい、文を読みますから」


 話をぶり返されないよう、重は急いで文を読み始めた。


重「老後、暇なので資産運用をする。350万チョットを投資」


知哉「おうコラ! 株で懲りたんじゃねぇのかよ!」


重「今回は株じゃないし」


知哉「俺の400万チョットから出しやがって」


重「もう私のチョットですから。ど、どう使おうが私の勝手です」


修「いや、ビビってんじゃねぇか!」


重「ビビってなんかない!」


渡「それ、投資しただけなの?」


重「え? あぁ、ゴール手前の精算マスでサイコロを振って出目の数に九十を掛けた配当金だって」


 重がさらっと言った九十倍に、ふんぞり返えっていた知哉が体を起こした。


知哉「九十倍だぁ!? おいちょっと待てよ! お得すぎるだろ!」


渡「そうでもないでしょ」


知哉「へっ?」


椎名「そうだよ知哉君。九十倍ってことは、最高で540万、最低で90万だからね。最高の場合でも190万の儲けで、最低の場合は260万の損になっちゃうんだよ」


知哉「……そうかそうか。しかもあれだ、得になる出目は四以上」


 重はうつむいたまま修にサイコロを渡した。その時、少し見えた重の目はどんよりとしていて、瞳の中で雨が降っているようだった。


修「おい、もう、死んだ目をしてるぞ?」


 雨降り模様の重を笑いながら、修は手のひらに乗せたサイコロを指で弾いた。


修「四か。んー、孫が生まれるだってよ! こりゃ皆様から祝い金をもらわなきゃ……」


 急に言葉を切った修の瞳の奥で、静かに雨が降り出した。


椎名「あれ、修君、お祝い金はいくら渡せばいいの?」


修「……あ、100万チョットです」


知哉「はぁ!? おい、6万チョットしかねぇんだぞ俺は!」


修「いや、俺が祝い金を娘夫婦に渡すっていう……」


椎名「……あぁ、そっかそっか、おじいちゃんはあげる立場だよね」


 初孫の喜びと引き換えに、所持金が30万チョットまで減ってしまった修おじいちゃん。


渡「ま、まぁ、孫が生まれた喜びに比べたら、100万チョットなんてさぁ。というか比べるようなもんじゃないよねぇ?」


修「そ、そうですよねぇ。良いこと言うなぁ渡ちゃんは」


 雨足の弱まってきた修は、必要以上に渡の手を触りながらサイコロを渡した。少し積極的な修おじいちゃんに苦笑いをしながら、渡はサイコロを投げた。


修「あらぁ、二だってよ渡ちゃん」


渡「あ、えぇ、どうも……」


 少し距離が近い修おじいちゃんに手を焼きながら、渡は駒を進めていく。


渡「は、はい。それではおじいちゃん読みますね」


修「はい、どうもねぇ」


 渡はゆっくりと大きな声で読み上げる。


渡「サプライズプレゼントマス!」


修「はぁ、横文字はちょっと不得意でのぉ……」


渡「……えー、その突然の贈り物? あの、相手を喜ばす意味での、こうドッキリな贈り物のマスっていう意味ですよ」


修「あ、あぁ、なるほど。それで?」


渡「一つ前の順番の人に一桁をプレゼントって書いてあります」


 一桁プレゼント。聞きなれないプレゼントには、修おじいちゃんではなく、知哉が反応した。


知哉「はぁ!? 一桁プレゼント!? 100万チョットだったら1000万チョットになるってことかよ!」


渡「……でしょうね。あれ、修が逆転になったんじゃないの!?」


修「いや、ほら、さっき祝い金として100万チョットをあげちゃったもんだから……」


渡「あぁそうか」


椎名「それでも30万チョットが300万チョットになるってことだよ! そうしたら一気に二位に躍り出るんだよ!」


 椎名は興奮気味に270万チョットを用意すると、事の重大さにようやく気づいた修に手渡した。修の瞳の奥には虹がかかっていた。


修「300万チョット! 何もしていないのに300万チョット! 渡ちゃんのおかげで300万チョット!」


 一気に若返った修おじいちゃんは、渡るとの距離を先程より詰めて言った。


修「渡子(わたこ)さん」


渡「だれが渡子だ!」


修「アンタのおかげで手に入れた富じゃ。これもなにかの縁、わしと所帯を持とうじゃないか」


渡「結構だよ!」


修「そこをなんとかならんのかね、この通りじゃ、頼むよ渡美(わたみ)さん!」


渡「渡子じゃないのか!」


 渡が修のバカに付き合ってやっていると、椎名が待ちきれずに話しかけてきた。


椎名「あの、結婚式の最中に申し訳ありません」


渡「結婚式なんかやってませんけど、式の最中なら日を改めろよピエロ! それでなんですか?」


椎名「はい、サイコロを‥」


渡「あぁ、振ってもらって構わないですよ」


椎名「いや、そのサイコロを振る前に、カードを使うので、皆さんにしっかり見ておいてもらいたくて……」


渡「あぁ、そういうことですか。ほら、修。いつまでもバカやってないで椎名さんのを見てあげなさいよ」


修「でもワタリーナ、結婚式が……」


渡「もう日本人じゃなくなってるだろ! いいから見る!」


修「はいはい、わかってるよ」


椎名「それじゃ失礼して……」


 椎名は一枚のカードを取り出し、四人が見やすいようにボードの上でひっくり返した。


椎名「駆けつけ三倍カードを使います!」


重「三倍? 三杯じゃなくて三倍?」


椎名「そう三倍。手持ちのアイテム一つと引き換えに、次に止まったマス目で得られる所持金の増減額が三倍になるってカード」


知哉「アイテムと引き換え? しかも下手したら三倍分のチョットが減るんですか?」


修「さすがに攻めすぎじゃないんですか?」


椎名「いやいや、修君と重君を抜くには、これくらいはやらないと間に合わないよ! それじゃ、アイテムの『夢にまでみたお土産』を捨ててサイコロ振るよ!」


 威勢よく言った椎名だったが、何やら目を閉じて眉間にシワを寄せ始めた。サイコロに念を送っているのかどうかはわからなかったが、椎名はカッと目を開けるのと同時に、念と共にサイコロを宙へ放出した。

 椎名の念を十分に含んだサイコロは、着地するなり縦横無尽に転がりまわった。山にぶつかり街にぶつかり、川を飛び越え海を走り、他の四人の駒を弾き飛ばしていく。


知哉「ちょっと椎名さん!」


渡「急になんですかもう!」


 弾き飛ばされた駒とずれてしまった街並みを直す二人。


椎名「あ、ゴメン! ちょっと集中しすぎちゃった……」


修「まったく、集中のしすぎで何でサイコロが暴れまわるんですか!」


 修は呆れながらも止まったサイコロの出目を確認をした。


修「五ですよ、五」


重「行け行けゴーゴーと申しまして……」


修「…………おい知哉、悪いんだけどよ、駒の入ってる袋を取ってくれねぇか?」


重「駒をどうする気だ! まったく、駒を投げつけるなんて程度の低い男だな!」


修「お前の横で口から血をダラダラ流しながら、バリボリ駒を食ってやる」


 想像力の豊かな重の横では、すでに修が口元を血だらけにして駒を頬張っていた。


重「イヤ! ヤメテちょうだい! 恐ろしい、空恐ろしいっ! その先に何が待っているというの!」


 重が耳を塞ぎ縮こまっている間に、椎名は駒を進めた。


椎名「はい! はーいっ! 皆さん、ありがとうございます!」


知哉「うーわ、絶対に三倍効果が上手くいった『ありがとうございます』だ」


椎名「あ、どうも、ありがとうございます!」


知哉「うーわ、絶対に『知哉君の言う通りです』の『ありがとうございます』だ」


渡「一人で喜んでないで、内容を教えて下さいよ」


椎名「では読みます。毎日書いていた絵日記がまさかの出版化。プラス200万チョット! だけど、駆けつけ三倍カードのおかげで600万チョットのプラス!」


 駒を食べるフリを続けていた修は、その金額に驚き素早く振り返った。


修「600万チョット!? 椎名さん、今の手持ちいくらでしたっけ?」


椎名「180万チョットだから、合計で780万チョットだね。いいかい、もう一度言うよ、780万チョットだから。780万チョットで一位に躍り出たから。いいかい、もう一度‥」


知哉「しつこいぞピエロ! たかが暫定的な一位を得たぐらいで、しつこいぞピエロ!」


 だがいくら知哉が叫んだところで、椎名の一位の座は揺るがない。不運に見舞われたとはいえ、所持金が6万チョットの男に何を言われようと、所持金780万チョットの男はまったく動じない。


椎名「いえいえ、しつこいのはそちらさんでござんしょう?」


 急に口調を変えてきた椎名に、知哉は視線を外し、笑いを堪えるので必死だった。


修「けっ、何が『そちらさんでござんしょう?』だよ。金で雇われてるピエロなんざぁ魅力も何もないんだよ」


椎名「……あの修君、一般的にはお金でしか雇われてないんだけど、ピエロって」


修「…………………あ、そうでした。すみません」


椎名「いやいや」


 修は咳払いをして座りなおすと、椎名に向かって叫んだ。


修「(おら)ぁな! ピエロが(でぇ)(きれ)ぇなんだよコノ野郎!」


 明らかに考えるのが面倒になった修の言葉に、言われた椎名も含めて全員笑い始めた。


椎名「いや、ちょっと待ちなさいよぉ! ピエロそのものを否定したね今!」


修「バカみたいにボールだピンだをクルクル放り投げやがって! やたら長い一輪車にパントマイム、終いにはバカでけぇ玉に乗りやがってよ!」


椎名「先週の仕事終わりに『椎名さん、良かったらジャグリング見せてもらえませんか?』って言ってきたのはどこの誰だよ!」


 修は両手で顔を隠すと、肩を揺らし笑い始めた。


椎名「見せてあげたら『いやぁ、俺ジャグリングとか好きなんですよぉ。すみません椎名さん、この箱のヤツも見せてもらえませんか?』って言ってきたのはどこの誰‥」


修「やめろい! 黙って顔隠して聞いてりゃ好き放題言いやがって!」


渡「本当ヒドイな」


修「おう教授さんも言ってやれ!」


渡「修に言ってんだよ!」


修「あれ?」


渡「あれ、じゃないんだよ」


知哉「ったくよ、どいつもこいつも、金の事でガタガタ言いやがって! 6万チョットしかねぇんだぞ俺は!」


 知哉は文句を言いながら、なんとなくサイコロを放り投げた。


知哉「なんだよ、四かよ?」


重「知ちゃんはもう諦めなさいよ」


渡「そうそう、この期に及んでさぁ……」


知哉「誰のせいで6万チョットになった思ってんだよ」


椎名「もがけばもがくほど苦しくなるんだよ?」


修「ここは大人しく諦めたらどうですか、この野郎?」


 駒を動かしマスの内容を確認しようとしていた知哉はプッと吹き出した。


知哉「丁寧なんだか乱暴なんだか、どっちかにしろ! どうですかこの野郎、じゃねぇんだよ。ほんっとによ、もういいや、読むぞ?」


修「はいはい」


知哉「ユーはラッキーラッキーボーイね、カード一枚引いてダイスもう一度スローイングゥ! だってよ」


重「良いけどムカつくマスだね……」


知哉「それじゃ一枚引いて…… チッ、また使いにくいカードを……」


修「ったく、そればっかじゃねぇかよ。一枚ぐらい使えよ」


椎名「何枚持ってるんだっけ?」


知哉「えーっと、今ので八枚目ですね」


修「使えって、八枚もあんならよ!」


知哉「だから使いにくいんだよ!」


修「6万チョットしかないんだぞ? 勝負しろ勝負!」


 まぁ修の言うことにも一理ある、そう思った知哉は、いま引いてきたカードを使うことにした。


知哉「よし、勝負してやろうじゃねぇか! 椎名さん、もう一回サイコロを振るときにもカードって……」


椎名「えーっとねぇ、ちょっと待ってねぇ……」


 椎名は説明書を取り出し該当ページをペラペラとめくり探した。


椎名「………あ、使えるみたいだよ」


知哉「あ、どうもありがとうございます。じゃあこの『損三得ニ』カードを使います!」


修「なんでぇ、その四字熟語みたいなカードは?」


渡「それは…… 損するときは三倍だけど得するときは二倍ってこと?」


知哉「おう。『とにかく二倍カード』がどれだけ良心的なカードだったかがよくわかるよ。じゃ、振りまーす!」


 勢い良く宙に投げ出されたサイコロは、ニを出した。


知哉「たまには六とか出せよな」


 サイコロに嫌味を言いながら、ドーナッツの駒はニマス先まで移動した。


知哉「ヒャッホーイ! やったぜコンチキショーイ! イエス、イエース!」


修「うるせぇんだよ!」


渡「バカを言ってんじゃないよ!」


知哉「いや、マス目に書いてあるんだよ」


修「あ?」


知哉「マス目にそうやって書いてあるから、ちょっとこう、忠実に読むというか体現しようかなって……」


渡「あぁ、そ、そういうこと?」


修「悪かった悪かった、続けてくれ」


 知哉は頷くと、咳払いをして再び始める。


知哉「ヒャッホーイ! やったぜコンチキショーイ! イエス、イエース! 地価が急上昇だぁ! サイコロを振って出た目の数に、持ってるカードの枚数分の数を掛けてくれぃ! そしてさらに、その数字に十を掛けてくれぃ!」


重「え、なに?」


修「ちょっと教授さん……」


渡「ん? あぁ、はいはい……」


 渡は知哉が読んだ文章をもう一度読み直した。


渡「なるほど分かった分かった。知ちゃん、カードは七枚持ってるんだっけ?」


知哉「あぁ。いま一枚使ったからな」


渡「ってことは、出目数にカードの枚数分の七を掛けて、その和を十倍にした金額を貰えるってことだよ。だから最高で420万チョット」


修「420万!?」

重「420万!?」


椎名「渡君、カードがあるから……」


渡「あ、そうでした! 損三得ニカードがあるから、最高は840万チョットだ!」


修「840万!?」

重「はっぴゃきゅよ……」


 四人が最高額に言葉を失っていると、知哉のいるほうからカタカタという音が聞こえてきた。


知哉「遂に、遂に私の時代が来たようだ。いや、時代が私に追いついたと言うべきか! もはやそんなことはどうでもいい! 振るぞ、振るぞ私は!」


 ボードの上で転がったままだったサイコロを拾い上げ、高らかに放り投げる知哉。おのずと五人全員の視線は、運命を決める為に宙へ投げ出されたサイコロへと注がれる。

 六よ来い。そう願う一人の男。一よ来い。そう願う四人の男。そんなこと知ったこっちゃないサイコロは、ただ真面目に仕事を遂行するだけだった。


知哉「うおっ! 五だよ! 五だよ五! ってことは()(しち)三十五で、350万チョットの二倍で700万チョット? 700万チョット!」


修「おいマジかよ……」


渡「じゃあなに、706万チョットで最下位から二位になったの?」


知哉「ありがとうございます!」


椎名「うわー、従来の使い方の『ありがとうございます』だよ…」


知哉「いやー、一気に椎名さんの後ろ姿が見えてきましたよ! ははっ、大先生よぉ、なんか悪いなぁ」


重「一よ来い。一よ来い。一よ来い。一よ来い」


 摩擦熱で火傷をするのではないかと心配になるほど手を擦り合わせ祈る重。


知哉「いつまでやってんだよ! もう五が出たんだよ!」


重「なんでだよ! なんでだよ! おい、聞いてんのか!」


知哉「いいだろ別に! さっさとサイコロを振れ!」


重「先にマスを確認させなさいよ! 知ちゃんと同じマスに止まればチャンスがあるんだから!」


渡「というよりね大先生。カードをたくさん持ってないと意味が無いんだよ? 何枚持ってるの?」


重「………持っていません」


知哉「話にならないだろ、それじゃ!」


重「なにか良いマスはないんですか椎名さん!」


椎名「良いマスよりね、全員が気をつけなきゃいけないマスがあるんだよね……」


修「全員!?」


重「どこのマスですか?」


椎名「知哉君のいるマスのひとつ先のマス」


 これは他人事じゃなくなったと、重と一緒になって他の三人もボードを覗き込む。


渡「とっても仲良しマスだって」


重「え、なに?


知哉「争い事はもう終わり。みんなで手をつないでゴールしましょう」


重「はい?」


修「ゴールボーナスもみんなで山分け」


重「それは……」


椎名「着順に合わせて賞金が出るんだけど、みんな同じ額になっちゃうんだよ。だから実質はもらっても意味がないんだよ。精算マスも通り越しちゃうし……」


重「……………………」


 重は目を閉じて腕を組むと、なにやらブツブツ独り言を始めた。時折、指を順に曲げていき、数をかぞえたり、駒を動かすジェスチャーをしていた。が、突然に目を見開いた重は叫んだ。


重「困るよそれは!」


修「(おせ)ぇんだよ! 行き着くまでがバカ!」


重「このマスに止まったらもう終わりじゃん!」


知哉「俺がさっきニじゃなく三を出してたら……」


椎名「ゲーム終了だったよ」


知哉「危なっ! 危なかったぁ…… え、ということは、大先生は何を出しちゃいけないんだ?」


修「あーっと、五だな。五を出すと『とっても仲良しマス』に止まっちゃうから」


重「五だね。五を出せば良いんだね?」


修「人の話を聞いてたのか?」


重「あ、あぁ、そうか、五を出しちゃいけないんだね? はいはい… 五はダメ、五はダメ……」


 右手の指でつまみ上げたサイコロを見つめ続ける重は、プレッシャーに飲み込まれないよう必死に集中していた。だが指に力を入れるあまり、サイコロは汗に体を滑らせて弾け飛んでしまった。


重「あぁっ!」


 重は拾い上げようと必死になったが、時すでに遅し。大して回転もしなかったサイコロは、般若の駒の横で止まって五の目を出していた。


重「あ、うんうん、行け行けゴーゴーと申しまして……」


椎名「はい、しゅーりょー!」


重「いや、椎名さん! 待ってください椎名さん!」


椎名「いいえ、終了ですっ!」


重「いや、だって今のはアレじゃないですか! あの‥」


修「おいコラァ! 出すなって言ってんだよ五を!」


渡「もう終わっちゃったでしょ! ゲームが!」


知哉「どうしてくれんだ! あと少しで椎名さんをまくれたのに!」


修「そうだ! これじゃまた椎名さんが一位じゃねぇか!」


 幼馴染三人に詰め寄られる重は、無理やり三人を押しのけると、近くのイスの上に立った。そして、いつの間にか手にしていたサイコロと般若の駒を三人に向かって見せつける。

 自らの熱気で爆発した天然パーマを揺らめかせ、眼鏡のレンズ越しに鋭く尖った目が光る。そんな重の妙な迫力に、バカな三人は躊躇した。


重「あの一投は伸るか反るかの一発勝負! そう乾坤一擲(けんこんいってき)! その賭けに勝つも負けるも、是、人生なり!」


 重が言い終わるなり、修は重の立つイスを揺らす程度に蹴った。


重「ば、危ないだろ!」


修「自分の人生だけを賭けろバカ!」


渡「道連れにするんじゃないよ!」


知哉「金は持っていくし、共倒れにしやがるしよ!」


 そのときだった。三人の後ろから思いもよらないヤラシイ声が聞こえてきた。


椎名「負け組ってのはいつも吠えてばっかりだなぁ。あ、負け組じゃなくて負け犬なのか……」


修「そうそう、俺たち負け犬トリオ。自分の墓穴をここ掘れワンワン…… この脱サラピエロがコラァ!」


 自らの高慢が招いた失言のせいで、一番恐ろしい年下に追い掛け回されるハメになったとしても、是、人生なり。

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