ようやくスタート (終)
男「うーん……」
パニック騒動から数時間が経ち、スズメの可愛らしいさえずりで男は目を覚ました。事務所の軒先をホウキで掃いていた修と知哉は、男が目を覚ましたことに気が付いた。
知哉「おい、修」
修「あぁ、起きたみたいだな」
ホウキを壁に立てかけると、知哉は工場のほうへ渡と重を呼びに行き、修は事務所の中に入っていった。
修「あの…… 大丈夫ですか?」
男「あ、えぇ…… まぁ……」
男は寝ていたソファーにゆっくりと座りなおし、修は男の向かいのソファーへと座った。二人の間に沈黙が流れる。
重「目、覚ましたって?」
重が慌てて事務所内に入ってくると、それに続けて渡と知哉も事務所に入ってきた。
修「おう、じゃあ皆とりあえず座ってくれよ?」
渡と知哉は事務イスに腰をかけ、重は修の横に座った。
修「あの…… まず、名前を聞いても?」
男「あ、はい、椎名源二といいます」
修「椎名さんですか…… えっとあの、どうも昨日はすみませんでした。てっきり幽霊かと思ってしまいまして……」
椎名「いえ! 謝るのは私のほうです、申し訳ありませんでした!」
重は謝りあっていても話が先に進まないと思い質問をした。
重「あの聞きたいことがたくさんありすぎるので、事の始まりから説明してもらってもいいですか?」
椎名「あ、はい…………」
椎名は姿勢を正すと静かに話し始めた。
椎名「えー、何から話せばいいか…… えー、名前は先ほど言いましたが椎名源二といいます。三十ニ才です。以前はレッドスクウェア社で働いていまして……」
社名を聞いて渡が驚いた。
渡「レッドスクウェア社!? 自然・再生エネルギー関係のトップ企業じゃないですか!」
椎名「えぇ、まぁ…… ある程度の地位にはついたんですが、子供のころからの夢を諦められずにいまして、思い切って辞めたんです」
知哉「かぁー、もったいない!」
顔のメイクで大体の予想はついていたが、渡は一流企業を辞めてまで叶えたい椎名の夢が気になった。
渡「それで、一流企業を辞めてまでも叶えたかった夢って何なんですか?」
椎名「大道芸やパントマイム、つまりはピエロです」
渡「あぁ、やっぱり……」
椎名「親の教育方針で子供の頃は勉強ばかりでした。例えば夏休み。夏休みといえばプールに行ったり虫を追いかけたり、家族と一緒に海や山に行って楽しく遊んだりが一般的です。ですが私は勉強勉強の毎日。朝早くから夜遅くまで塾に缶詰でした」
修「俺だったら逆にバカになっちまうな……」
椎名「正直、私もそんな毎日がつらくてつらくて…… しかしある日、塾が早く終わったんです。まぁ早く終わっても勉強以外にやることがないので嬉しくはありませんでしたが、帰り道にあるものを見たんです」
修「路上パフォーマンスですか?」
修の問いに椎名は静かにうなずいた。
椎名「暑い日差しの中、駅前の広場で多くの人たちを笑いに包んでいました。楽しげな衣装に面白いメイクをほどこし、汗だくになりながらただひたすら人々に笑いを届けていたんです。ある時は何個ものボールを使ってジャグリングして驚かせ、何メートルもある一輪車を乗りこなし、見えないロープを引っ張り、見えない壁をつたい……」
椎名は記憶の中で鮮明に残るその思い出を、まるで今その目で見ているかのように話した。
椎名「父も母も親戚も俗にいうエリートで、私は物心つく前から歩み行く人生を決められていました。敷かれたレールの上を走っていくだけ。脱線は許されない」
椎名は悔しそうに語っていた。
椎名「私は頑張りました。そして両親の思うように一流の学校を出て、一流の会社に入り、がむしゃらに走り続けそれなりの役職にも就けました。ですが、一度きりの人生がこうして続いていくのかと思うと耐えられなかった……」
渡「………………」
椎名とは状況が違うものの、エリート家族に囲まれている渡にはその気持ちが痛いほど分かった。
椎名「それで、思い切って仕事を辞めてピエロ、大道芸人を目指したんです」
修「そういう経緯があったんですか…… えーっと、椎名さんのことはよくわかったんですけど、なんでまたウチの倉庫にいたんですか? というかどうやってあの部屋に入ったんですか?」
椎名「部屋へは工場裏に捨てられていたハシゴを使って、途中の窓から入ったんです」
修「へっ? そんなものありました?」
椎名「えぇ、少しだけ錆びついている梯子が」
修「気が付かなかったなぁ……」
椎名「それであの、工場にいた理由は単にお金がなかったんです。なので……」
修「へっ? 貯金とかされてなかったんですか?」
椎名「貯金はしていたのですが色々と掛かりまして…… それに不器用なんですよ私。ですから何か仕事をしながらピエロの練習をしていると両方ダメになってしまうんです。仕事でミスをしたり、練習をしても一向に上達しなかったり…… どちらか片方だけをしているときは自分でも信じられないぐらいに上手くいくんですけどね」
修「なるほど、それでピエロばかり練習している間にお金が尽きてしまったんですか」
椎名「はい。早く一人前になりたいと思っていたので、無我夢中で練習をしているうちに気づけば文無しで住んでいたところを追い出されまして。それで公園や河川敷を転々としたんですが、どこも馴染めずにいたんです。そんな時にこの工場を見つけまして、今から4か月ぐらい前からここに住むようになりまして」
修「なるほど……」
椎名「そしたら、三、四週間前に皆さんが来られてましてね。まぁいつものように、下見するだけで終わると思って、ほとぼりが冷めるまでここを離れていたんですが、他に行くところも無く、ちょうど昨日に戻ってきたんです……」
修「そうだったんですか……」
一通りの話は終わると五人の間に沈黙が流れる。『さて、これからどうするか?』という考えが沈黙を生み出していた。
修「ちょっと、失礼します……」
修は椎名に一言ことわると重を連れて、渡と知哉のもとに歩み寄った。
修「んで、これからどうすっか?」
渡「修に任せるよ。何か問題が起きたときには修が先頭を切って解決するって決めたんだから」
渡が微笑みながら言うと、重と知哉も同じように微笑み頷いた。
修「お前ら…… 俺の事、愛してくれているのか」
渡「よし、ぶっとばす!」
重「歯を食いしばれ!」
知哉「腹はくくれてるな?」
修「待て待て! 冗談だろ! ったくよ……」
修は首の後ろをさすりながら、椎名に近づいた。
修「あの…… 椎名さん」
椎名「はい」
椎名はソファーから立ち上がった。
修「まず、岩塩とニンニクの件と椎名さんが僕らにパニックを発動させた件は相殺ってことにしまして……」
椎名「は、はい」
修「これから警察に一緒に行ってもらいます。不法侵入だとかなんちゃら占拠とかの事がありますから、けじめはつけてもらわないと……」
椎名「……はい」
修「ただ、警察に訴えを出すのでは無く、事情を説明して警察の皆さん、場合によっちゃ弁護士さん達にこっぴどく叱られてもらいます」
椎名「叱られる?」
修「えぇ。それで訴えない代わりと言っては何ですが、何でも屋で働いてもらえませんか?」
椎名「働く!?」
修「えぇ。それとなく生活できるぐらいの収入は見込めますし、ピエロを続けることもできます。もしかしたらその類の依頼が来るかもしれません…… どうですか?」
椎名は予想していなかった展開に戸惑っていた。
修「住む場所も心配しないでください。この事務所には小さいながらもキッチンはありますし冷蔵庫もあります。トイレもありますし二階には寝るスペースもあります。まぁ、まだ片付いてはいないですけど……」
修は何とかして椎名を何でも屋の一員にしたかった。レッドスクウェア社の元社員という事もあったが、それは理由の一割にも満たなかった。親の教育方針で人生を決められ、そこからようやく抜け出し新たな道を進んでいる椎名に頑張ってもらいたかったのだ。さらに、住む場所も仕事もない人を追い出すことが修にはできなかったのである。
椎名「…………そ、それじゃ、あの、お言葉に甘えて」
修「やってくれますか!?」
椎名「はい」
修「よぉーし!」
修は三人のほうへ振り返った。
修「どうだ、俺の名裁きは!」
渡「だから、ぶっとばすって」
修「なんでだよ!」
渡「冗談だよ」
椎名は四人に近づくと、深々と頭を下げた。
椎名「これからよろしくお願いします」
重「頭なんか下げないでくださいよ椎名さん! 修なんかに」
修「………………」
知哉「いやいや、こちらこそお願いしますよ椎名さん。あと椎名さんのほうが年上で、社会人としても先輩なんですから、俺たちに敬語を使わないでくださいよ?」
椎名「いえ、雇ってもらう身ですから……」
渡「年上の人に敬語使われると、やりにくい人間なんですよ、俺たち」
椎名「そ、そうですか?」
渡「そうですよ」
修「よーし、それじゃ嫌なことからバキバキッと片付けていくか! さぁ椎名さん、怒られにいきますよ?」
椎名「行きましょうか!」
知哉「いっちょ行くか!」
知哉が事務所を出ようとすると渡と修がそれを阻止した。
知哉「なんだよ?」
重が知哉の正面に回る。
重「知ちゃんは行かなくていいからニンニクを掃除して」
知哉「あぁ? 教授と大先生がやってくれたんじゃないの?」
渡「何で俺と大先生が片付けなきゃなんないの! 自分で片付けなさいよ!」
知哉「一人でかよ!?」
修「当たり前だろ! 俺だって岩塩を片付けたんだからよ」
知哉「いや、だってすりおろしニンニクだぜ!? あんなの一人じゃ‥」
渡「すりおろしたのは知ちゃんでしょうが!」
重「もし帰ってきても片付いてなかったら、知ちゃんも怒られるよ?」
知哉「何だってんだ!」
こうして廃工場の謎を解いた何でも屋は、脱サラピエロの椎名という新たなメンバーを迎え、五人で開業することとなった。その日の夜も内海さんが「むーんうぉーく」をしている人物を見たことも知らずに。