誰も知らないあの日のこと(前) 人間界と金龍と封印の谷
魔界からはるばる人間界にやってきてみたのは良いものの、心配性な息子はこの谷に封印されたと聞いた。あの子のことだ、人の近くで人に嫌われる事を怖がって自分から封印されたんだろう。あの子の力なら本来封印なんて『魔法』が効くわけが無いのだ。人間が好きだから、嫌われるくらいなら恐怖の象徴である自分を封じて安心させたい、か。
「気持ちは解らなくも無いけど人に紛れる事を恐れてたらいつまでたっても嫌われたまんまなのに」
封印された場所を探してフラフラと谷底を歩いていると不意に岩が崩れるような音がした。どうせ崖の上が崩れた程度だろうとたかを括って探索を続けようとしたがその動きを止めざるを得なくなる。どしゃっ……と水っぽい音を立ててボロボロの袋のようなものが降って来たのだ、いや、所々赤黒く染まっているからコレはマントに身を包んだ人間かも?
確かめるように袋を剥ぎ取ると、転がり落ちてくる途中で尖った岩に引っ掛けたのか全身が傷だらけであり、その2割が致命傷と言える域に到達していた。
「これはひどい……僕でも流石に助けられないかな」
一応の止血をしながら応急処置として包帯を巻いていくが、既に流れ出た地が多すぎて手の施しようが無い。諦めて楽にしてやるべきか、それともいっそのこと……。
はっと周囲を取り囲むような気配に気づいて顔を上げる。血の匂いに誘われたのか唸り声を上げながら包囲の輪を狭める影狼達がいた。焦っていたとはいえ『死にかけた者あらば即食いに来る』と言われるこいつ等が近づいてくるのに気づかなかったとは情けない、イラついて軽く舌打ちし何処からかハリセンを取り出した。
「人が死ぬかどうかの瀬戸際なのに……そんな邪魔したいなら仕方ない、少しだけ相手をしてあげる。ただし僕のハリセンは死ぬほど痛いよ?」
最早殺気と言えそうなほどの怒りを込め、リーダー格だろう影狼にハリセンを投げつける。紙で出来たただのハリセン何を恐れることがある、とでも言うように避ける素振りすらしなかった影狼、だがソレが命取りとなった。次の瞬間、ハリセンがありえないほどの硬度をもって影狼を粉砕したのだ。
「金龍の祝福はどんなものでも望んだように硬さを変えられる。岩を綿のように崩したり、紙を金属のようにしたり、ね。とりあえず威力はわかってもらえたとおもうけど、まだ掛かってくる気はある?」
新しく取り出したハリセンを振りかざして影狼達を威嚇すると怯えたように包囲の輪を崩して逃げていってしまった。根性が無いのか、野性の本能で解ったのか……違う。
「なんでひーちゃんがここにいるんだよ?」
「はるばる魔界から心配性な息子を見にきたんだよ」
いつの間に現れたのか虹色の鱗を持った龍が頭上にいたのだ、この虹龍に怯えて影狼達も尻尾を巻いて逃げ出したのだろう。人型に変化して僕の隣に着地する息子。人型の時は僕よりもずっと背が高い彼は、虹の鱗を残した頬を曲げて懐かしそうに笑った。
「こんなとこに封印されてるって言うんだから驚いたんだよ?」
「そりゃ悪かったな、といっても誰かが崖を転がり落ちてく時に封印の札を剥がしておっこちたみたいだが」
「多分このこじゃないかな?さっき転がり落ちてきたんだけど……ってそんないきなり号泣しなくても良いじゃない」
転がり落ちてきた少年を見た途端号泣しはじめた息子に狼狽する。こんな涙もろい子だったっけ、と首を傾げているとコウが頭を振って少年を抱き上げる。
「こいつが俺のパートナー……虹の、忌み子みたいだな」
「え、ほんとにいたんだ?『全ての武具に適合しうる』虹の忌み子なんて」
「失敗作ばっかりで廃棄されたらしいが、人形の核を埋め込まれた人間の血が長い年月をかけてこんな出鱈目な適合性を持ったんだろ」
「ジャイアントが忌み子狩りをしてるのはこの子を探してるんだろうね」
「……こいつはここで死なせてやった方が良いんだろうか」
それは解らないけどと前置きして、少年についたコウの涙を見て続ける。
「龍の涙を使うにしても半端に使ったら苦しみを長引かせるよ。包帯巻くときにわかったけど全身いかれてるし、血液が足りなすぎる」
その子は諦めた方がはやいかも、と言いかけた所で三人目の声に阻まれた。
「ねぇ……そんなに泣かれると……死ねないんだけど」