グレイプニルスキン
魔王軍の最後の兵にトドメを刺した後、様子を見守っていた世界樹は、枝葉の先を小刻みに震わせ、積もっていた埃が落下し、地面から土煙が立ち昇る。
「げほ、げほ! お、おい! お前の身体、いくら何でも埃が積もりすぎだろ。まるで、何百年もその場にあったみたいだ!」
「ん? ああ、それがな。オレは、意識を持っている、まるでオマエラ動物みたいにな。だけどよ、思い出せないんだ……」
樹木の人型ではない不明瞭なシルエットの、首にも見えなくはない部位が、傾げられ、また埃の塊が落ちた。
「は? 一体なにがだ? というか、また埃が! どうなっているんだ!?」
掌で口元を覆い、首を折れそうなほどに反る。
「お前、もっと小さくなれないのか? 何故だか知らんが、俺の首とお前の幹が、この奇妙な糸でつながれているんだ。こっちは身体を動かすたびに、骨が軋んでるよ!」
繋がった糸を目で追っていると、世界樹はまた小さく震えた。
「記憶がねえ……。オマエもそう思うだろ? このドデカい図体だぜ? 樹齢は一体いくつか、想像もつかねえだろ?」
無言で頷き、続きを待つ。
「だがよ、意識を持つ前の事なんて、何も覚えちゃいねえぞ。どうなってんだ?」
「いや、そんな事を聞かれても、何が何だか。……そもそもお前、どうやって意識を得たんだ?」
根が伸びあがり、巨大すぎる体躯が一瞬、宙に浮いた。
「は――!? 待て!?」
反射的に危険を予測し、逃げようとしたが、糸に引かれた身体は一定以上はなれられず、着地を呆然と見つめた。
「――うおおおお!?」
五十メートルの身体が着地した地面が、内側からせり上がり、こちらの小さな身体は、跳ね飛ばされたが、糸に引かれて直角に曲がり、そのまま樹皮に叩きつけられた。
「ぐほお」
妙だな。普通の人間の肉体なら、これで弾け飛んでいてもおかしくないはず。
「オマエ、今ので潰れたと思ったら、意外すぎる頑丈さだな」
それは俺も思った。
「そんな事より! 脈絡なく飛び跳ねるな! 地面を見ろ! 半壊してるじゃないか!? 今の音で、残党に気付かれ――」
いや、もう遅いみたいだ。
遠くから、何者かの叫びが風に乗って聞こえて来た。
「オマエ、頭からなんか出てんぞ?」
「は!? 今はそれどころじゃ――、うへ、何じゃこりゃ!?」
「ネバネバしてんな」
世界樹の枝に乗りながら、頭部を探ると、掌に白く半透明の粘性の何かが連なった。
手を動かすと、伸び縮みを繰り返し、人間の頭部にも見える。
「お、おい! 何だよこれ!? 餅!? 餅みたいに伸びる!」
「オチツケ、なんか顔があんぞ。その餅」
「やっぱり!?」
口をすぼめ、ゆっくりと息を吐き絞り、粘つく何かを両手で挟んで目の前に持ってくる。
「――ほ、本当だ。幾筋も深いしわが、それのせいで直ぐには分からなかったが、人の顔だ」
気味の悪い形状を、確かめると、目も口も開きっぱなしで、頬は痩せこけたように萎んでいた。
「な、何で、俺の頭と繋がっているんだ!?」
「知らねえよ。……それより、お客さんだぜ」
背後の門扉の残骸から、金属を打ち付ける高音が響いた。
「ほれ。そんな干し首と見つめ合ってる場合じゃねえ。あっちが熱い視線を送って来てる」
「見つけたぞ! 人間めぇぇぇ! 散って行った皆の仇。覚悟しろ!」
門扉の隙間から現れたのは、魔王軍の残党らしき、二刀流のトカゲ頭だった。
「クソ! さっきのお前のジャンプのせいだぞ!? 自分のデカさを自覚して動け! 馬鹿!」
「ああん? バカだと? そりゃ、オレに言ってんのかクソチビ。いい度胸してんな。この際、口の利き方を教えるついでに、どっちがボスか刻み込んでやるかァ」
「おおい!? 何ひとりでブツブツやってる!? 待ってろ、今すぐそこへ行って首を刎ねてやる!」
トカゲ頭は、両手に持っていた剣をしまい、根元から幹によじ登り始めた。
世界樹は小声になり、まるで耳元で囁かれるようなむずがゆさを感じた。
「おい、アイツ、オレの存在に気付いてねぇぞ。なんつう間抜けだ。こんなとこに唐突に木が生えてる訳ねえだろうがよ」
「それはそうだが――あの残党、こっちに来るぞ!? また枝で潰してくれよ!」
「嫌だね」
下方からの圧が強まり、焦りが額に浮かび始める。
「な、何でだ!? さっきまでは頼まなくても――」
「オマエ、さっき死ななかっただろ? 試せ」
「は!? 一体なにを――」
そこで、足首を強く掴まれた。
「やっと捕まえた。動くなよ? さっきから、ブツブツと、気味悪い! そのままなます切りにしてやる!」
ほれ。試せ。
そう促すように枝が傾き、足首を掴むトカゲ頭ごと地面へと落下した。
「グアア!」
「うぐ!」
時間差で地面に落ちたが、激しく打ち付けられた相手と違い、こちらは繋がれた糸のおかげか、幾らか柔らかな衝撃に迎えられる。
「クソ! 今ので、共倒れを狙ったか!? 残念だったな! 偉大なる魔王様の大望を引き寄せる、大役を仰せつかった我らに――ウグ!?」
口上を無視して、首に糸をくくりつけ、締め上げる。
「悪いが、そんな御託を聞いている暇はない!」
「おお、いいぞォ。そのまま絞め殺せ」
「あの野郎! 高みの見物かよ!? 俺は、死ぬかと思ったんだぞ!?」
その時、胸を突く鋭い感触を覚えた。
「は……?」
再び抜かれた剣の切っ先が、左胸に突き立てられる。
「死ねぇッ! ハハハ! あっけない、やはり人間など取るに足ら……い、いや。何故だ、どれだけ押し込んでも、これ以上刺さらない!?」
慌てたトカゲ頭は、もう一本の剣も抜き放ち、そちらは額に突き立てられた。
「ハハハ! ただの錯覚だ! 頭を突けば、防げはしまい!?」
あまりの驚きに、首を締め上げる指の力が抜ける。
「あ……馬鹿な! 馬鹿な、馬鹿な!? そんな馬鹿な事があるか!?」
双剣を押し込んでいた手からも、力が抜けるのを感じた。
「何故、刺さらない? お前は一体!? ウグ――」
何が起きたのか分からないが、無意識のうちに身体中から、金糸が意志を持つ蛇のように動き出し、トカゲ頭を縛り上げて行き、やがて、悲鳴も漏れる隙間すら塞がれ、絡まった糸の間で、甲冑で武装した人型だった質量が、圧縮されていくのが、振動で伝わって来る。
「おい、クソチビ。そいつァなんだ? 何してる?」
その声に我に返った。
「は!? 締め上げるのに必死で、無意識に動いていたのか……?」
潰れたトカゲ頭は、血液も残らず、その肉体があったはずの場所には、元の魔物の色を反映した、奇妙な糸を束ねた糸巻が落ちていた。
「おい! さっきの客は、まさか! その糸に変わっちまったのかよ!?」
恐る恐る糸巻に手を伸ばし、拾い上げると、ほとんど重さもなかったが、金属の鈍い閃きをとらえる。
「巻きつけた相手を――糸に、変えた?」
俺は、ただの地縛霊じゃなかったのか?
信じ難い眼前の光景に、言葉を失い、脳内にはとめどない思考の洪水が起きていた――。
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