#068 「少女の願い」
朝の光は、昨日よりも少しだけ賑やかだった。宿の外から聞こえてくる声は早く、そして浮き足立っている。
「ともり様が話したんだって」
「本当かしら」
「祠の……」
噂はもう、町の中を駆け回っていた。
玄関先で、はるなが靴を履こうとしたその瞬間――小さな影が勢いよく飛び込んできた。
「おねえちゃん!!」
振り向く間もなく、両腕がぎゅっと抱きついてくる。細くて、あたたかい体温。
昨日、祠で会った少女だった。
「おねえちゃんだよね!? 昨日の! ともり様と話した人!!」
息を切らし、顔は紅潮し、目はきらきらと輝いている。止まらない。
「ねえねえ聞いたよ! 本当に話したんでしょ!? 声、聞いたんでしょ!? どんな声!? 優しかった!? ねえねえ!」
矢継ぎ早の質問に、はるなは思わず笑ってしまう。
「……うん。話したよ」
その一言だけで、少女の表情がぱっと花開いた。
「やっぱり!!」
飛び跳ねるように一歩下がり、胸の前で両手を握りしめる。握られているのは、小さな鈴。何度も撫でられた跡のある、大切な宝物。
「私、ずっと信じてたの!ともり様、ちゃんといるって! 話してくれるって!でもね、みんな笑うの。もう神様なんていないって」
言葉は止まらない。けれど、途中でふっと声が細くなる。
「……でも、おねえちゃんが話したなら……私、間違ってなかったよね?」
はるなの視線を、まっすぐに見つめる。不安よりも、期待のほうが大きい目だった。
はるなは一歩近づき、少女の手をそっと包む。
「間違ってないよ」
その瞬間、真凜の顔が一気に崩れた。
「……ほんと!?」
一拍も置かず、今度は両手でぎゅっと掴まれる。
「ねえ! ねえねえ! お願い!もう一回! 祠、行こ!私も話したいの! 今度こそ! 今なら絶対!」
言葉と一緒に、気持ちも全部ぶつけてくる。抑えも、遠慮もない。
「昨日ね、鈴も磨いたの!ちゃんと聞こえるように!ねえ、おねえちゃんも一緒に来てくれるでしょ!?」
はるなは一瞬だけ迷い、それから静かに頷いた。
「……行こう」
「やったぁ!!」
真凜はその場でぴょんと跳ね、はるなの手をぎゅっと握った。
「ありがとう! ありがとうおねえちゃん!大丈夫だよね! だって、おねえちゃんがいるもん!」
その言葉に、はるなの胸がわずかに熱くなる。この子はもう、疑っていない。恐れてもいない。
ただ、信じ切っている。朝の光の中で、真凜の鈴が、ちりん、と小さく鳴った。
それは願いというより、「始まり」の音に近かった。




