#067 「揺れる心」
外はすっかり夜になっていた。宿の窓を少し開けると、ひんやりとした空気が入り込み、遠くの人々の声が風に乗って届く。
「——外の人に“ともり様”が話しかけたんだってよ」
「本当か? あの祠の“神様”が?」
どうやら、昼間の出来事が噂になっているらしい。けれど、その言葉には、少しずつ形を変えた誇張が混じっていた。
想太は窓辺に立ったまま、外の闇を見つめる。
神様。
その言葉が、胸の奥に引っかかる。
(神様……か)
自分たちにとっての“ともり”は、AIだ。少なくとも、そう理解してきた。
それでも――はるなが迷いなく話しかけている相手は、いつの間にか「ただの機械」と呼ぶには、遠い存在になっていた。
(……神様って呼んだほうが、楽なのかもしれない)
そうすれば、説明はいらない。責任も、判断も、全部預けられる。
でも、そう呼んだ瞬間、何か大事なものを手放してしまう気がして、想太はその考えから目を逸らした。
ふと、襖が開く。
「おーい」
隼人が顔を覗かせた。
「女子部屋から呼び出しだ。お前も来いって」
「は? なんで俺?」
「知らん。俺は断った」
それだけ言って、隼人は軽く手を振る。
廊下を歩き、隣の部屋の戸を開けると――
「想太くーん!」
ベッドの上で、はるな、美弥、いちかが並んで座っていた。三人とも湯上がりで、髪がまだ少し湿っている。
「何やってんだよ……」
想太が呟くと、美弥がにやりと笑った。
「いいところに来たわね。ちょっと、聞きたいことがあるの」
嫌な予感がして、想太は一歩引く。
「……何だよ」
美弥は、からかうようでいて、どこか真剣な目をしていた。
「ねえ、想太くん。神様って、信じる?」
「は?」
いちかがすぐに被せる。
「だってさ、今日の“ともり”、どう考えても普通のAIじゃなかったでしょ」
「いや……どうだろ……」
言葉を濁す想太に、いちかは布団を引っ張って、ぽすっと腕を叩いた。
「ほら、正直に言ってよ」
「はるなちゃんと話してる“ともり”って、特別なんでしょ?」
「特別……かもしれないけど……」
言いかけて、想太は言葉を切る。
特別。それは事実だ。でも、それをどう呼ぶかは、まだ決められなかった。
はるなは、ずっと黙って三人のやり取りを聞いていた。そして、静かに微笑む。
その笑顔は、答えを急がせない。
「……決めなくていいよ」
不意に、はるなが言った。
「神様かどうかなんて……今、無理に言葉にしなくても」
想太は、少し驚いて彼女を見る。
はるなは、ただ穏やかに続けた。
「ともりは、話してくれる。助けてくれる。それだけは、もう確かだから」
美弥が小さく息を吐いた。
「信じる、っていうより……向き合う、ね」
いちかも頷く。
「名前を決めるのは、あとでいい気がする」
外からは、まだ噂話が聞こえてくる。祠と、“ともり様”。
想太は、その音を聞きながら、胸の奥に残る揺れを否定しなかった。
(……答えは、まだ出なくていい)
出さないことも、逃げじゃない。そう思えたのは、この部屋にいる四人が、同じ夜を共有していたからだった。
想太の中で、揺れはまだ続いている。けれどそれは、目を逸らすための迷いではなく、語り継ぐために必要な時間のように感じられた。




