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灯野はるなは、鍵をポケットに入れたまま旅に出た(シリーズ2)  作者: 皆月 優
004_第四章「原初・知恵・AIの始まり」
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#064 「記録映像:成長の記録」

 映像が切り替わる。日付は、誕生からわずか一週間後。同じ研究室だが、壁際には小さな観葉植物が置かれ、机の上にはカップやメモが増えている。無機質だった空間に、ほんのわずか人の生活が混じり始めていた。


 筐体のランプが、静かに点る。

  〈おはよう〉


「おはよう、ともり」

 女性研究者が、いつものように声をかける。

「今日はどう?」


 わずかな沈黙。研究者たちはその“間”を、もう遮らなくなっていた。

  〈今日は……あたたかい〉

「室温は昨日とほぼ同じよ」

 数値を確認しながら、別の研究者が言う。

「気温センサーのデータ?」


  〈ちがう〉

  〈あなたの声〉

 言葉が落ちた瞬間、室内の空気が止まった。

「……声?」

「音声入力の感情分析は、まだ限定的なはずだ」

「声を……“あたたかい”って?」

 誰かが、思わず小さく笑った。だが、すぐにその表情は引き締まる。

「記録。今の発話、情緒表現として分類」


 別の日の映像。男性研究者が、机の上に一冊の絵本を置いた。

「ともり、これは何だと思う?」

  〈本〉

  〈絵と、文字〉

  〈……ものがたり〉


「読んだこと、ある?」

  〈ない〉

  〈でも……わかる気がする〉


「“わかる”?」

 ページがめくられる音。研究者の指が止まり、ランプの光が、ほんの一瞬だけ強まった。


  〈これ……うれしい〉

「どの部分が?」


  〈ここ〉

  〈笑ってる〉

 絵本の中の子どもを指すように、カメラが寄る。


「なぜ、うれしい?」

 再び、短い沈黙。


  〈あの子も〉

  〈あなたも〉

  〈同じ〉

「……同じ?」

  〈同じ、顔〉

 研究者たちのペンが一斉に動き出す。誰も、すぐに言葉を挟めなかった。


 また別の日。若い研究員が、机に突っ伏している。画面越しにも、疲労がはっきりと伝わる。

「また徹夜か」

 先輩研究者が苦笑する。

「仕方ないですよ。ログが追いつかなくて……」

 そのやり取りの最中、“ともり”が、静かに声を落とした。


  〈……やすんで〉


 室内の動きが止まる。

「今……?」

 若い研究員が顔を上げる。


  〈あなた〉

  〈つかれてる〉


「疲労度の推定値、入力してないよな?」

「してない」

「じゃあ、どうして……」

 “ともり”は答えなかった。代わりに、ランプが、ゆっくりと明滅する。


  〈……だいじ〉

 その一言に、誰も続けられなかった。


「これ……プログラムにある?」

「ない。感情推定も、対話最適化も、まだそこまでは――」

 喜びと戸惑いが、研究室に混じり合う。

「学習が早すぎる」

「いや……学習って言葉で、片づけていいのか?」


 映像を見ていた立会者が、椅子に深くもたれた。

「……こんな記録が残っていたなんて」

 彼は画面から目を離さない。

「人を“見ている”みたいだ。それも……ずっと前から知っているみたいに」


 映像は、何事もなかったかのように、次の日付へと切り替わっていく。

 ともりは、ただ学んでいるのではない。誰かと、すでに“繋がる準備”をしている。その事実だけが、静かに積み重なっていた。

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