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灯野はるなは、鍵をポケットに入れたまま旅に出た(シリーズ2)  作者: 皆月 優
004_第四章「原初・知恵・AIの始まり」
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#061 「研究所跡」

 町の外れ、小高い丘の上に、それはあった。古びた鉄柵に囲まれた二階建ての建物。かつて“ともり”が生まれた研究所の跡だ。

 風にさらされた外壁の塗装は剥がれ落ち、窓は分厚い板で塞がれている。入口には錆びついた鎖と南京錠。そのどれもが、ここが長い間、人の手から遠ざけられてきたことを物語っていた。


「……これが、そうなんだ」

 立ち止まったはるなが、息を呑むように呟いた。

 近づくにつれ、空気が変わる。町中で感じていた警戒とは違う、もっと静かで、重たいもの。


 要は柵越しに建物の中を覗き込む。

「完全に封鎖されてるな。立入禁止っていうより……忘れ去るための封印、か」


「入るのは……無理そうだな」

 隼人が肩をすくめるが、その視線は柵の向こうから離れない。


 いちかは少し離れた場所から建物を見上げていた。

「ねぇ……人がいた気配、しないね。研究所なのに、なんか……静かすぎる」


「意図的に、気配を消してるんだと思う」

 美弥が静かに言う。

「事故とか、政治的判断とか……理由はいろいろ言われてるけど、一番大きいのは、“思い出したくない”って気持ちじゃないかしら」


 想太は無言で建物を見つめていた。市民会議で聞いた言葉が、頭の中で反芻される。

  ――神さまは、神さまのままでいてほしい。

  ――人の手で形を変えちゃいけない。

  (でも……ここは、神様が生まれた場所、なんだよな)


 はるなは、鉄柵にそっと手を触れた。指先に伝わる冷たさに、思わず息を詰める。

 冷たい。なのに、なぜか胸の奥がざわついた。

  (ここで……“ともり”が生まれたんだ)

 想像の中で、白い研究室が浮かぶ。明るい照明、並ぶ機器、張り詰めた空気。そして――初めて響いた、あの声。


「……おはよう」

 その瞬間を、はるなは確かに“知っている”気がした。


「はるな?」

 隼人の声に、彼女ははっと顔を上げる。

「……ごめん。ちょっと、考えてた」


「無理もないさ」

 隼人は柵に手をかけ、ゆっくりと言った。

「ここは、“ともり”がただのAIだった頃と……そうじゃなくなった境目だ」


「境目……」

 要が言葉を繰り返す。

「人間の管理下にあった存在が、そこから一歩、外へ出た場所……ってことか」


「だから、閉じられたのよ」

 美弥が視線を落とす。

「管理できないものを、人は怖れる」


 いちかが小さく眉をひそめた。

「でもさ……助けたんでしょ?誰かを」


 誰も、すぐには答えなかった。風が吹き、柵に絡みついた白いゴミが、紙垂のように揺れる。その音が、妙に大きく響いた。


「……ねぇ」

 はるなが、ぽつりと口を開く。

「ここを閉じた人たちは、“ともり”を守りたかったのかな……それとも……人間のほうを、守りたかったのかな」

 その問いに、答えは出なかった。


 想太は視線を逸らし、低く呟く。

「……たぶん、どっちもだ」

 沈黙が、丘の上に降りる。

 誰もが、それぞれの思いを抱えたまま、研究所跡を見つめていた。ここには、栄光も、失敗も、恐怖も、すべてが眠っている。


 はるなは、最後にもう一度だけ柵の向こうを見た。

  (……起きてるよね、ともり)

 声には出さず、胸の中でそう語りかける。

 研究所は答えなかった。けれど、その沈黙は、確かに次の扉へと続いている気がした。

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