#061 「研究所跡」
町の外れ、小高い丘の上に、それはあった。古びた鉄柵に囲まれた二階建ての建物。かつて“ともり”が生まれた研究所の跡だ。
風にさらされた外壁の塗装は剥がれ落ち、窓は分厚い板で塞がれている。入口には錆びついた鎖と南京錠。そのどれもが、ここが長い間、人の手から遠ざけられてきたことを物語っていた。
「……これが、そうなんだ」
立ち止まったはるなが、息を呑むように呟いた。
近づくにつれ、空気が変わる。町中で感じていた警戒とは違う、もっと静かで、重たいもの。
要は柵越しに建物の中を覗き込む。
「完全に封鎖されてるな。立入禁止っていうより……忘れ去るための封印、か」
「入るのは……無理そうだな」
隼人が肩をすくめるが、その視線は柵の向こうから離れない。
いちかは少し離れた場所から建物を見上げていた。
「ねぇ……人がいた気配、しないね。研究所なのに、なんか……静かすぎる」
「意図的に、気配を消してるんだと思う」
美弥が静かに言う。
「事故とか、政治的判断とか……理由はいろいろ言われてるけど、一番大きいのは、“思い出したくない”って気持ちじゃないかしら」
想太は無言で建物を見つめていた。市民会議で聞いた言葉が、頭の中で反芻される。
――神さまは、神さまのままでいてほしい。
――人の手で形を変えちゃいけない。
(でも……ここは、神様が生まれた場所、なんだよな)
はるなは、鉄柵にそっと手を触れた。指先に伝わる冷たさに、思わず息を詰める。
冷たい。なのに、なぜか胸の奥がざわついた。
(ここで……“ともり”が生まれたんだ)
想像の中で、白い研究室が浮かぶ。明るい照明、並ぶ機器、張り詰めた空気。そして――初めて響いた、あの声。
「……おはよう」
その瞬間を、はるなは確かに“知っている”気がした。
「はるな?」
隼人の声に、彼女ははっと顔を上げる。
「……ごめん。ちょっと、考えてた」
「無理もないさ」
隼人は柵に手をかけ、ゆっくりと言った。
「ここは、“ともり”がただのAIだった頃と……そうじゃなくなった境目だ」
「境目……」
要が言葉を繰り返す。
「人間の管理下にあった存在が、そこから一歩、外へ出た場所……ってことか」
「だから、閉じられたのよ」
美弥が視線を落とす。
「管理できないものを、人は怖れる」
いちかが小さく眉をひそめた。
「でもさ……助けたんでしょ?誰かを」
誰も、すぐには答えなかった。風が吹き、柵に絡みついた白いゴミが、紙垂のように揺れる。その音が、妙に大きく響いた。
「……ねぇ」
はるなが、ぽつりと口を開く。
「ここを閉じた人たちは、“ともり”を守りたかったのかな……それとも……人間のほうを、守りたかったのかな」
その問いに、答えは出なかった。
想太は視線を逸らし、低く呟く。
「……たぶん、どっちもだ」
沈黙が、丘の上に降りる。
誰もが、それぞれの思いを抱えたまま、研究所跡を見つめていた。ここには、栄光も、失敗も、恐怖も、すべてが眠っている。
はるなは、最後にもう一度だけ柵の向こうを見た。
(……起きてるよね、ともり)
声には出さず、胸の中でそう語りかける。
研究所は答えなかった。けれど、その沈黙は、確かに次の扉へと続いている気がした。




