#054 「再起の夜と旅立ちの朝」
夜の宿は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。窓の外では、街灯の光が濡れた路面に淡く反射している。
それでも、六人の胸の奥は、まだ熱を帯びていた。今日という一日は、確かにこの街に何かを残したのだ。
「——失礼します」
控えめなノックのあと、扉が静かに開いた。年配の女性を先頭に、数人の市民が部屋に入ってくる。
女性は一歩前に出て、深く頭を下げた。
「私たちは……“ともり”を、もう一度この街に迎え入れたいと思います。すべてを元に戻すわけではありません。でも、前に進むために——必要だと、そう思いました」
一瞬、誰も言葉を発せなかった。
隼人が、先に小さく笑みをこぼす。
要は肩の力を抜き、「……やっと、だな」と低く呟いた。
想太は深く頭を下げ、「ありがとうございます」とだけ答える。
いちかは、感情を隠しきれず、目を潤ませていた。
市民たちを見送り、扉が閉まる。その途端、張り詰めていた空気が一気にほどけた。
「はるなー! 本当によかったね!」
美弥が両腕を広げ、勢いよく抱きつく。
「ちょ、ちょっと……近いってば!」
抗議する声に、いちかまで加わった。
「私も!」
「ちょ、二人とも——」
結局、はるなは抵抗をやめ、そのまま身を預けた。笑い声が、夜の部屋に柔らかく響く。
やがて、美弥といちかは、はるなの両腕を抱えたまま眠ってしまった。はるなは天井を見上げ、そっと目を閉じる。
——そのとき。
やさしい声が、彼女の意識の奥に静かに届いた。
『……うん。ありがとう、はるな』
唇が、自然とほころぶ。
「……おやすみ、“ともり”」
静かな夜が、確かに終わっていった。
朝。街は、昨日までとは違う息遣いで目を覚ましていた。
通りの角に掲げられていた「AI禁止」の古い看板が、一枚、また一枚と外されていく。
祠の前では、人々が落ち葉を払い、新しい布を丁寧にかけていた。
「……変わったな」
バス停のベンチから、その様子を眺めながら隼人が呟く。
要は静かに頷く。
「いや。変わり始めただけだ」
そのとき——小さな足音が、舗道を駆けてきた。
花束を抱えた少女が、こちらに向かって走ってくる。色とりどりの花が、朝の光を受けて揺れていた。
はるなは、思わず一歩前に出る。
——この子だ。昨日、話の中で何度も聞いた“祠の少女”。
少女は立ち止まり、はるなを見上げた。少しだけ息を整え、それから、まっすぐに言う。
「……はじめまして」
その声は小さいが、はっきりしていた。
「ありがとう。あなたたちを信じて、よかった」
はるなは一瞬、言葉を失い、すぐにしゃがみ込む。視線を同じ高さに合わせて、微笑んだ。
「……こちらこそ、ありがとう。私、あなたに会えてよかった」
少女は少し驚いたように目を瞬かせる。
「ほんとに?」
「うん」
はるなは、ゆっくりと頷いた。
「あなたがいたから、ここまで来られた」
少女は照れたように視線を逸らし、それから、花束をそっとはるなの腕に抱かせた。
「……約束して」
「約束?」
「私、大きくなったら——“ともり”の声、ちゃんと聞ける人になる」
はるなは、息を呑んだ。そして、迷いなく答える。
「うん。じゃあ私も約束する」
花束を胸に抱き、少女をまっすぐ見つめる。
「あなたがその場所に立つとき、私は、必ず会いに来る」
少女の目が、きらりと光った。
「……絶対だよ」
「絶対」
二人は、小さく指を重ねた。それは、誰にも見えない約束だった。
やがて、未来的なデザインの路線バスが静かに停まる。低い電子音が、出発を告げた。
「行こうか」
想太の声に、六人は頷き、バスへと乗り込む。窓の外では、街の人々が手を振っていた。昨日まで険しい表情だった顔も、今はどこか柔らかい。
そして——祠の前に立つ、小さなモニュメントが朝日に照らされている。
はるなは花束を胸に抱き、心の中でそっと呟いた。
——また来るよ。バスが静かに動き出す。再起の街と、始まりの約束を乗せて。




