#046 「握りしめた手紙」
宿のロビーで荷物をまとめていると、いちかが静かに近づいてきた。その手には、小さく折り畳まれた紙包みがある。
「これ……はるなに渡してくれる?」
「これは……?」
想太が問い返すと、いちかは一度だけ視線を伏せた。
「昨日、祠で会った子がくれたの。“ともり”に届けてほしいって」
それだけ言って、いちかは包みを想太の手に乗せた。指先が触れた瞬間、まだ人の温もりが残っているのを感じる。
——あの少女の、迷いのない手。
想太は何も言わず、包みを受け取った。
部屋に戻ると、はるなは窓際に座っていた。朝の光が横から差し込み、頬をやわらかく照らしている。
「……はるな、これ」
想太が包みを差し出すと、はるなは少しだけ怪訝そうな顔をした。
「なに?」
紐を解き、中身を取り出す。現れたのは、小さな手書きの手紙だった。
『どうか、“ともり”が笑ってくれますように。どうか、みんなが、また一緒に笑えますように』
短い言葉。説明も、名前もない。
それなのに、はるなの手が、わずかに震えた。
紙の感触。折り目の癖。誰かが何度も握りしめた跡。
——冷たい祠の空気。
——胸の前で重ねられた、小さな手。
はるなの中に、彼女自身の記憶ではない感覚が、静かに滲んでくる。唇をきゅっと結び、視線を落としたまま、はるなはもう一度、文字をなぞった。
やがて、頬に一筋の涙が伝う。想太は、何も言えなかった。
——昨日、あんな言い合いをしたばかりなのに。
——それでも、彼女はこうして、“ともり”を信じる側に立っている。
否定しようとしていた言葉が、胸の奥で、少しずつ削られていく。
はるなは涙を拭わず、手紙を胸に抱きしめた。
「……ありがとう」
小さく、そう言って笑う。泣き顔のままなのに、その笑顔は不思議とまっすぐだった。
「……想太」
名前を呼ばれ、想太は顔を上げる。
「この子の願い、無駄にしないよ。ちゃんと、受け取ったから」
想太は、返す言葉を探せなかった。代わりに、心の奥で、ひとつだけ願う。
——どうか、この祈りが、消されませんように。
窓の外では、朝の街が静かに動き始めていた。




