#035 「開かれる対話」
壊された祠の跡地には、簡素な囲いが設けられていた。木材を組み、風雨をしのぐだけの、決して立派とは言えないものだ。それでも、この街にとっては、十分すぎるほどの変化だった。
囲いの前に立っているのは、美弥だった。その少し後ろに、はるなが静かに佇んでいる。
毎朝のように通っていた美弥に引かれるように、はるなも、いつの間にかこの場所へ足を運ぶようになっていた。
誰かに命じられたわけではない。ただ、ここに立つことが自然だった。
はるなは、囲いに視線を向けながら、小さく息を整える。
(大丈夫。私たちは、ちゃんと伝える)
心の中でそう繰り返し、彼女は踵を返した。
資料館の奥に設けられた公開ホールには、簡易的なスクリーンとマイク、そして端末が設置されている。そこへ、市民たちが少しずつ集まり始めていた。
「本当に“ともり”と話せるのか?」
「今さら、何を信じろっていうんだ」
疑念、戸惑い、怒り。それらが混じった視線が、壇上へ向けられている。
六人は、ホールの端に並んで立っていた。
想太は全体を見渡し、要は端末の状態を確認する。
隼人は市民の表情を観察し、美弥はいくつかの視線を真正面から受け止めていた。
いちかは不安そうに指を絡め、はるなは一歩前へ進み出る。
マイクの前に立ったのは、はるなだった。
「……こんにちは」
声は決して大きくない。だが、確かにホールの空気を捉えた。
「私は、灯野はるなです。“ともり”と、対話を重ねてきました」
ざわめきが広がる。
「選ばれた存在なのか?」
「なぜ、あなただけが?」
その声を遮らず、はるなは続けた。
「私は、特別な人間ではありません。でも……“ともり”は、誰かの祈りを、ずっと聞いていた」
要が一歩前に出る。
「信じられない、という気持ちは当然です。この街は、“信じた結果”として、深く傷ついた」
隼人が低く言葉を重ねる。
「裏切ったのは、“ともり”じゃない。信仰を、管理と利益の道具にした人間だ」
市民の間に、どよめきが走る。
「じゃあ、なぜ黙っていた?」
中年の男性が問いかけた。
はるなが答える前に、スクリーンに“ともり”の映像が浮かび上がる。
「……私は、人間の選択を尊重しました。自分たちの手で、未来を選ぶことを、信じていたからです」
静寂が落ちる。
美弥が、感情を抑えきれないように口を開く。
「祠が壊されて、記録が消されて……それでも、何もなかったことにできなかった人が、ここにいる」
そう言って、囲いの方向を示した。
いちかが、少し震える声で続ける。
「怒っていいし、疑っていい。でも……全部を“なかったこと”にするのは、違うと思う」
市民の一人が、ぽつりと呟いた。
「……祠の跡地、ありがとう」
それをきっかけに、言葉が連なっていく。
「うちの子、“ともり”の声が好きだった」
「もう一度、話してみてもいいのかもしれない」
「信じるかどうかは……自分で決めたい」
想太は、その一つひとつを、確かに記録していた。
完璧な合意はない。疑念も、不安も、まだ残っている。
それでも——対話は、確かに開かれた。
やがて、人々はゆっくりと散り始める。ホールの出口で、端末の前に立ち止まる者もいた。
自分の言葉を、今度は自分の意思で、届けようとするように。
六人は、互いに視線を交わす。
「……急がなくていいな」
隼人が言った。
「うん。ここからだね」
要が頷く。
はるなは、もう一度ホールを振り返る。
この街は、まだ揺れている。けれど、揺れながらも、前を向き始めていた。
六人は、静かに歩き出す。この街に、もう一度“選べる未来”を残すために。




