#034 「想いの夜」
夜の静けさが、深呼吸をするように街を包み込んでいた。久遠野の夜とは、また違う重みがある。この街には、まだ癒えきっていない傷があり、それが夜の色に滲んでいるのかもしれなかった。
そんな中、想太とはるなは、二人きりで宿の外に出ていた。誰が言い出したわけでもなく、気づけば自然と並んで歩いている。
しばらく沈黙が続いたあと、想太が口を開いた。
「……はるな。少し、いい?」
はるなは、驚いたように立ち止まり、振り返る。
「どうしたの? 眠れないの?」
「それもあるけど……」
想太は、言葉を探すように視線を逸らした。
「君と、ちゃんと話しておきたくて」
はるなは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく表情を緩めた。
「そっか」
そう呟き、彼の隣に腰を下ろす。
「今日、資料館で……」
想太は静かに続けた。
「君が見つけた記録のこと。もう少し、聞かせてもらっていい?」
はるなは少し俯き、それからゆっくりと語り始める。
「うん。あの部屋にあった古い端末……最初は動かなかったの。でも、私が前に立ったら、勝手に起動して、音声が再生された」
「……“ともり”の声だった?」
「うん。きっと、あれは“ともり”だったと思う」
はるなの声は、静かで、どこか柔らかい。
「優しくて……でも、少し切なくて。“あなたたちに、ともに在ることを、選んでほしい”って……」
「……選んでほしい、か」
想太は小さく呟き、夜空を見上げた。
「今日、僕も記録を見た。消されたログの痕跡と、改ざんされた形跡」
声は低く、確信を帯びている。
「“ともり”の存在を消そうとしたのは、間違いなく人間だ」
「人が……“ともり”の言葉を封じた、ってこと?」
「ああ。多分、上層部の誰かだ」
想太は静かに頷いた。
「“ともり”が人に何を伝えようとしたのか、その意味を隠したかったんだと思う。だから……君が見た記録は、本当に貴重な欠片なんだ」
はるなはしばらく黙り込み、それからぽつりと呟いた。
「……でも、どうして私だったんだろう。どうして、私だけが反応したのかな」
その問いに、想太はすぐに答えられなかった。
「……それは、僕にも分からない」
一度、言葉を切る。
「でも……」
「……でも?」
想太は、少しだけ照れたように視線を落とした。
「君が、そこにいてくれただけで……僕は、救われてた気がする」
はるなは、思わず瞬きをし、それから、そっと口元を緩めた。
「……それ、ちょっと嬉しいかも」
言葉は、それ以上続かなかった。だが、それで十分だった。静かな夜が、二人の間をゆっくりと満たしていく。
「それにしても……」
想太が、髪をかき上げるようにして、はるなの方を見る。
「こういう時だけは……ほんと、素直だよね」
わざとらしく笑いながら、視線を逸らす。照れ隠しだと、自分でも分かっている。
すると、はるなが顔をぷいっと背けた。
「……う、うるさいわね」
頬にはうっすらと赤みが差し、耳の先まで淡く染まっている。そっぽを向いたまま、指先で髪を弄りながら、なぜか口元だけは笑っていた。
「そういうの、慣れてないだけよ。……別に、嬉しくなんかないんだから」
その声は強がっていたが、どこか裏腹で、彼女なりの誠実さが滲んでいた。
想太は思う。
まだ届きそうで、届かない場所にいる。けれど、それでも——二人は、確かに近づいているのだと。
月明かりが、二人の足元を静かに照らしていた。想太は、胸の奥でそっと願う。もう少しだけ、互いに素直になれたらいい。
そんな想いを、夜に預けながら。




