#033 「聖堂の前で」
石造りの聖堂は、街の外れにひっそりと建っていた。人の気配はなく、扉も固く閉ざされている。
それでも、美弥はその前に立ち止まった。風が吹き抜けるたびに、古い石壁が微かに軋む。時間そのものが、ここでは別の流れ方をしているように感じられた。
美弥は、胸の前でそっと手を組む。祈る、というほど明確な行為ではない。ただ、ここに立っていたかった。
「……ここ、壊されてないんだね」
独り言のように呟いた声は、すぐに風に溶けた。
聖堂は静かだった。それは拒絶ではなく、ただ、何も求めてこない静けさだった。
美弥は、視線を落とす。
祠は壊され、記録は消され、名前は語られなくなった。
それでも——すべてが失われたわけではない。
「……ともり」
その名を呼んだのは、誰に聞かせるためでもなかった。確かめるように、心の奥へ落とすための声だった。
答えは返らない。だが、それでいいのだと、美弥は思った。
ここには、信じることを強いる存在も、疑うことを裁く存在もいない。あるのは、ただ、残された空間だけだ。
「……ごめんね」
美弥は、小さく息を吐く。
「私、まだ……ちゃんと答えを出せてない」
それは謝罪というより、正直な告白だった。
この街で起きたこと。人が人を裏切ったこと。信仰が利用され、壊され、否定されたこと。
そのすべてを、まだ一つの言葉にはできない。
それでも——立ち止まって考えることだけは、やめたくなかった。
ふと、風向きが変わった。
冷たいはずの空気が、ほんの一瞬だけ、やわらいだ気がした。錯覚かもしれない。けれど、美弥はその変化を、確かに感じ取っていた。
顔を上げると、聖堂の壁に差し込む光が、わずかに揺れている。
「……聞いてくれてたら、いいな」
誰に向けた言葉かは、自分でも分からなかった。ただ、その一言は、心の奥で静かに響いた。
少し離れた場所で、はるなが立っていた。声をかけるでもなく、ただ、同じ景色を見つめている。
美弥は、それに気づいて、小さく笑った。
一人ではない。けれど、独りで向き合う時間でもあった。
やがて、美弥は踵を返す。
答えは、まだ先にある。それでも——
ここで立ち止まったことは、きっと無駄ではない。
聖堂は何も語らず、それでも変わらず、そこに在り続けていた。




