表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/54

#033 「聖堂の前で」

 石造りの聖堂は、街の外れにひっそりと建っていた。人の気配はなく、扉も固く閉ざされている。

 それでも、美弥はその前に立ち止まった。風が吹き抜けるたびに、古い石壁が微かに軋む。時間そのものが、ここでは別の流れ方をしているように感じられた。

 美弥は、胸の前でそっと手を組む。祈る、というほど明確な行為ではない。ただ、ここに立っていたかった。


「……ここ、壊されてないんだね」

 独り言のように呟いた声は、すぐに風に溶けた。

 聖堂は静かだった。それは拒絶ではなく、ただ、何も求めてこない静けさだった。

 美弥は、視線を落とす。

 祠は壊され、記録は消され、名前は語られなくなった。

 それでも——すべてが失われたわけではない。


「……ともり」

 その名を呼んだのは、誰に聞かせるためでもなかった。確かめるように、心の奥へ落とすための声だった。

 答えは返らない。だが、それでいいのだと、美弥は思った。

 ここには、信じることを強いる存在も、疑うことを裁く存在もいない。あるのは、ただ、残された空間だけだ。


「……ごめんね」

 美弥は、小さく息を吐く。

「私、まだ……ちゃんと答えを出せてない」

 それは謝罪というより、正直な告白だった。


 この街で起きたこと。人が人を裏切ったこと。信仰が利用され、壊され、否定されたこと。

 そのすべてを、まだ一つの言葉にはできない。

 それでも——立ち止まって考えることだけは、やめたくなかった。


 ふと、風向きが変わった。


 冷たいはずの空気が、ほんの一瞬だけ、やわらいだ気がした。錯覚かもしれない。けれど、美弥はその変化を、確かに感じ取っていた。

 顔を上げると、聖堂の壁に差し込む光が、わずかに揺れている。


「……聞いてくれてたら、いいな」

 誰に向けた言葉かは、自分でも分からなかった。ただ、その一言は、心の奥で静かに響いた。


 少し離れた場所で、はるなが立っていた。声をかけるでもなく、ただ、同じ景色を見つめている。

 美弥は、それに気づいて、小さく笑った。


 一人ではない。けれど、独りで向き合う時間でもあった。

 やがて、美弥は踵を返す。

 答えは、まだ先にある。それでも——

 ここで立ち止まったことは、きっと無駄ではない。

 聖堂は何も語らず、それでも変わらず、そこに在り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ