#030 「記録の穴を覗く」
古びた記録室には、かすかに埃の匂いが残っていた。つい先ほど、六人は一度ここを離れたはずだった。
だが——誰もが同じ感覚を抱いていた。
まだ、終わっていない。
「……やっぱり、戻るべきだと思う」
足を止めたのは、いちかだった。振り返ると、他の五人も、すでに同じ考えに至っていたらしい。
「うん。私も」
美弥が短く答える。
「ここ、記録としては“きれいすぎる”」
要が周囲を見回しながら言った。
「消された形跡はある。でも……消し切れてない」
「穴、だな」
隼人が低く呟く。
「意図的に開けた“空白”がある」
六人は無言で室内に足を踏み入れた。照明は落ち、端末も停止したまま。だが、完全な放棄ではない。
——管理されている静けさ。
「記録棚、奥まで見た?」
想太が問いかける。
「一通りは。でも……」
いちかが視線を送る。
「“主系統”だけ。補助系は、ほとんど触られてない」
その言葉を合図に、六人は自然に役割を分けた。
隼人と要は端末周辺を確認し、美弥といちかは記録棚の奥へ。想太とはるなは、室内全体の構造を見渡していた。
「……これだ」
美弥の声が、小さく響く。
棚の最奥、半ば崩れかけたキャビネットの下。金属板に覆われた、円柱状の古い端末が埋もれていた。
「バックアップ用……かな」
要がしゃがみ込み、型式を確認する。
「かなり旧式だね」
いちかが頷く。
「中央管理に統合される前の……個別保存用」
「つまり」
隼人が言葉を継ぐ。
「“残す気だった誰か”がいた」
美弥が、そっと端末に手を伸ばす。
——反応はない。
要も試すが、沈黙は変わらなかった。
「……電源が死んでるか、ロックが別系統か」
いちかが眉を寄せる。
そのときだった。はるなが、端末の前に立った。
彼女は何も操作しない。ただ、そこに“いた”。
——カチリ。
機械の奥で、微かな音がした。次いで、上面のランプが淡く灯り、中央のホログラム表示板が、ゆっくりと開く。
「……動いた」
誰かが、息を呑む。
「なんで……」
美弥が、信じられないものを見るように呟いた。
「起動条件が……“操作”じゃない?」
要が目を細める。
「存在確認、か」
隼人が短く言う。
表示板に、断片的な映像データが浮かび上がった。ノイズ混じりの音声。それでも、はっきりと聞こえる声。
『……あなたたちに、“ともに在ること”を、選んでほしいのです』
『どれだけ失われても……記録があれば、心は、つながる……』
空気が、静止した。
「……“ともり”だ」
想太が、確信をもって言った。
声は、柔らかく、穏やかで、けれどどこか、遠い。
夢の中で聞いた声と、完全には一致しない。だが、はるなには分かっていた。
——これは、この街に残ろうとした“ともり”だ。
「消された記録……」
美弥が、かすれた声で言う。
「いや」
いちかが首を振る。
「消されかけた記録だよ」
「誰かが……残した」
要が、映像を見つめたまま呟く。
「全部を消すには、間に合わなかった」
隼人の声には、怒りよりも確信があった。
はるなは、静かに端末を見つめていた。この声は、この街の人たちに届かなかった言葉だ。
それでも、ここまで生き残った。
「……小さな希望、だね」
美弥が言う。
想太は、端末のログを保存しながら、ゆっくりと頷いた。
「うん。でも……十分だ。この欠片がある限り、“ともり”は完全には消えてない」
六人は、無言で互いを見た。
この街には、まだ“穴”がある。だが同時に——その穴を覗いた者が、もう六人いる。
そして彼らは、知ってしまった。記録は、消されることはあっても、消えきるとは限らないのだと。




