#026 「眠る記録の番人」
朝の出来事のあと、美弥もはるなも、どこか浮かない表情をしていた。言葉にするわけではないが、二人とも胸の奥に何かを抱えていることは、周囲にも伝わってくる。
その様子を見て、いちかは静かに立ち上がった。
「ちょっと……あの建物、見てくる。気になるから」
そう言い残し、いちかは一人、図書館へ向かった。
町の中心部にあるはずの公共施設は、思っていた以上に静かだった。訪れる人の気配はほとんどなく、建物全体が時間から切り離されたように感じられる。
扉を開けると、カウンターの奥から顔を上げたのは、初老の男性がひとりだけだった。
「……こんにちは」
いちかの声に、老人はゆっくりとうなずく。
「どうぞ。ご自由にご覧ください」
抑揚のない、だがどこか柔らかい声だった。受付には、紙の貸し出しノートが一冊だけ置かれている。端末らしきものは、見当たらなかった。
いちかは足音を抑えながら、閲覧スペースへ進んだ。本棚は整然としており、埃もほとんどない。それがかえって、不自然だった。
——使われていないのに、手入れされている。
棚を一つひとつ確認していくが、AI関連の資料は見当たらない。それどころか、それらしき分類の棚そのものが、ごっそり抜け落ちていた。
不自然な空白。整いすぎた静寂。まるで、何かが“最初から存在しなかった”かのようだ。
「……お困りですか?」
背後から、老人の声がかかった。いちかはわずかに肩を震わせて振り返る。
「AIに関する記録を、探していたんです。この街の過去と……“ともり”について」
老人の表情が、一瞬だけ曇った。だが、すぐに首を横に振る。
「それは……この街では、扱わないことになっておりまして」
「……禁忌、ですか?」
問いかけに、老人はほんの少し、口元を歪めた。
「そうとも言えます。過去に起きた“ある出来事”以降、その名は口にされなくなりました」
「その“出来事”とは?」
問いは、静かな壁に当たるように、返ってこなかった。
「記録には、残されておりません。誰も語らない。だから、なにも知らない。そういうことになっております」
まるで、それが当然の秩序であるかのように。
いちかは、老人の手元に視線を落とした。彼の指先が、机の上を微かに叩いている。一定のリズム。それだけが、言葉の裏にある何かを示しているように思えた。
「……でも、この建物が今も手入れされてるのは、誰かが“大事にしている”からですよね?」
老人は答えなかった。ただ、ほんの少しだけ、微笑んだ。
それ以上、問いを重ねることはできなかった。
「ありがとうございました」
いちかは軽く頭を下げ、ゆっくりと館内を後にする。扉を閉めかけた、そのとき——背後から、低く押し殺したような声が聞こえた。
「——この街の“本当の記録”が、どこにあるか……若い人には、もうわからんでしょうな」
いちかは立ち止まり、その言葉を胸に刻む。
この街には、何かが眠っている。まだ、誰にも掘り起こされていない記憶が。それを確かめるために、自分たちはここに来たのだと、改めて思った。




