#023 「遠ざけられた街」
その町に足を踏み入れた瞬間、風の音が変わった。ビルの谷間をすり抜ける冷たい風が、まるで誰かの囁きのように耳を撫でていく。けれど、そこにあるはずの「歓迎」は、どこにもなかった。
中央旧区。都市の名は変わっても、この場所が“拒絶の記録”を抱えたままであることは、空気そのものが物語っている。
「……ここ、本当に人住んでるのか?」
隼人が、半ば独り言のように呟いた。通りには、確かに人影がある。だが、誰もこちらを正面から見ようとしない。視線が合いそうになると、すぐに逸らされる。あるいは、何か言いたげに唇を結んだまま、通り過ぎていく。
「妙に、静かだね」
はるながぽつりと口にした。声を落としたつもりだったが、その言葉は、やけに遠くまで響いた気がした。
足元の舗道にはひびが入り、街灯のひとつは昼間だというのに不規則に点滅している。道路脇には、古い電子掲示板や案内端末の残骸が転がっていた。かつての賑わいを想像させるそれらは、すべて電源を失っていた。
「……都市としての機能は、止まってるみたいだね」
想太はそう言いながら、記録端末を起動した。ログ画面には、微弱なノイズが散っている。
AIとの通信履歴は、完全な空白だった。“ともり”の名も、声の痕跡も、どこにも残っていない。
「ここ、本当に協力する気あるのかな」
いちかが、誰に向けるでもなく呟く。その声は軽い調子だったが、言葉の端に引っかかりがあった。
「協力しない、って感じでもない気がするけど……」
美弥が周囲を見渡しながら言った。
「調査は許可する。でも歓迎はしない、って空気だね」
「……なるほどな」
隼人が短く息を吐く。
「つまり、“関わるな。でも見る分には勝手にしろ”ってやつか」
「嫌な言い方だけど、近いかも」
はるなが小さく頷いた。
想太は無意識に、通りの奥を睨むように見つめていた。その袖を、はるながそっと引いた。
「想太、顔」
「……え?」
「ちょっと怖い。睨んでる」
言われて初めて、自分の表情に気づく。想太は慌てて息を整え、視線を落とした。
「ごめん……無意識だった」
観測者は、表情もまた記録の一部。そう教えられてきたはずなのに、この街では、それすら忘れそうになる。
「とりあえず、宿舎に入ろう」
要が静かに言った。
「向こうから話しかけてこない以上、こちらから情報を拾うしかない」
冷静な声だったが、その目の奥には、いつもより濃い警戒が宿っている。
想太は周囲の建物を、スキャンするように見渡した。一つひとつの窓は閉ざされている。こちらを見ていないようで、どこかで“見られている”——そんな感覚が拭えなかった。
この街は、黙っている。だがそれは、無関心とは違う。何かを隠している沈黙だと、想太は感じていた。
宿舎と呼ばれた建物は、かつて市の福祉課が入っていたらしい。今は廃ビルの一角を急ごしらえで修繕し、仮設のブースを並べただけの場所だった。割り当てられた部屋には、簡易ベッドと端末台。壁は薄く、隣室で椅子を引く音さえ聞こえる。その静けさが、かえって落ち着かなかった。
想太は端末を起動し、昼間の観測ログを再確認する。気候データ、人口分布、交通量、建物情報——表向きの数値は、すべて正常だった。
だが。
「……おかしい」
AIとの交信ログが、完全に空白になっている。バックアップを確認しても、同じ結果だった。
「記録されてないんじゃない……消されてる」
思わず、声に出ていた。
「消された……?」
背後から、はるなの声がした。いつの間にか、すぐ後ろに立っている。
「誰かが、ってこと?」
「断定はできない。でも……」
想太は画面を示す。
「“未記録”扱いになってるのに、微妙な欠落波形が残ってる。これは、手動で削除された痕跡だ」
はるなの眉が、わずかに寄った。
「それって……危ないこと?」
その問いに、想太はすぐには答えられなかった。材料が足りない。それ以上に、この街の空気そのものが、判断を鈍らせていた。
「……でも、知りたい」
はるなが、静かに言った。
「どうして、ここはこんなに黙ってるのか」
想太は、ただ頷いた。夕方、簡単なミーティングを終えたあと。想太は宿舎の外で、携帯端末を手に立っていた。
通りには、ほとんど人がいない。だが、路地の奥に——ひとりだけ、こちらを見ている影があった。
黒いコートを羽織った老人。視線が合うと、彼はわずかに頷き、そのまま姿を消した。
「……今の、見たか?」
隼人が、いつの間にか隣に立っていた。
「うん」
「知ってるな。間違いなく」
冷たい空気の中で、想太と隼人の二人は言葉を交わした。
この街の記憶。消された記録。そして、語られなかったAIとの断絶。
それを知るために、彼らはここに来た。
夕陽が、高層ビルのガラスに鈍く反射する。その光は、街全体を照らすには、あまりにも弱かった。宿舎に戻っても、誰も大きな声を出さなかった。言葉を探すこと自体を、避けているような空気。それぞれがベッドに腰を下ろし、何かを待っている。
それが情報なのか、変化なのか。あるいは、ただ夜が訪れるのを待っているだけなのか——
想太は端末の電源を切った。記録の波形が消え、静寂が部屋を満たす。だが、その静けさの中で、確かに感じていた。
この街は、何かを伝えようとしている。黙っているということは、語るべきものがあるということだ。想太は、その沈黙を、観測し続ける。




