#019 「雪の夜、約束」
白い息が、夜の冷たさにふわりと溶けていく。月の光が雲の切れ間から顔を出し、雪の降り積もった庭をやわらかく照らしていた。
はるなはひとり、小さな宿舎の裏庭に立っていた。踏みしめた足元には、まだ誰の足跡もない白銀の道。静かで、冷たくて——それでも、不思議とあたたかい夜だった。
「——いた」
背後から、聞き慣れた声が届く。振り返ると、想太がそこに立っていた。吐く息は白く、手には紙コップがふたつ。その湯気が街灯の明かりの中で揺れている。
「寒いよ、こんなとこで」
「うん。でも……なんか、外に出たくて」
はるなはそう答えながら、想太の横顔をそっと見た。灯りに照らされた輪郭は、雪景色の中に浮かぶように、少しだけ眩しく見える。
「ほら。あったまるよ」
差し出されたココアに、はるなは手を添えた。指先が触れ合う一瞬、胸の奥が小さく跳ねる。
「……ありがとう」
口にしたココアは、甘くて懐かしかった。たしかに“久遠野の味”だった。
「いちかちゃん、言ったんだってね」
はるながそうつぶやくと、想太は少しだけ驚いたように目を見開く。
「……え、もう知ってるの?」
「美弥が教えてくれたの。嬉しそうだったよ」
想太は苦笑し、肩をすくめた。
「うん……なんかさ。びっくりはしたけど……嬉しかったよ。要のことを、あんなにまっすぐに見てるんだって……伝わってきた」
はるなは、言葉の端に滲む安堵を、そっと受け取った。しばらく二人の間に沈黙が流れる。けれどそれは、気まずさではない。静かな雪と同じように、やさしく降り積もっていく沈黙だった。
「ねぇ、想太」
「ん?」
「わたしたちも、なんか……変わったかな」
想太は少し考えてから、雪の積もる地面を見つめて言った。
「変わったと思うよ。でも……たぶん、まだ“途中”なんだと思う」
はるなは、その言葉にまぶたを伏せる。
“途中”。
きっと、二人は今、何かを始めようとしている最中なのだ。
「途中、か……」
ふたりで見上げた夜空には、静かに雪が舞っていた。月明かりがひとひらを銀色に染める。まるでこの瞬間だけ、世界が息を潜めているようだった。
「……ありがとう、想太」
はるなは自然とそう呟いていた。想太は照れくさそうに目をそらし、けれど小さく笑った。
やがて二人は、いつの間にか肩を並べていた。わずかに触れた肩先が、雪の冷たさよりもあたたかく感じられる。何も言わないまま、ただそこにいる。言葉にしなくても伝わるものがある。けれど、いつか——ちゃんと伝えたい。
そんな“まだ名のない約束”が、この雪の夜に、そっと生まれた。
明日は、次の地へ向かう準備。けれど今は——この静かな夜を、二人で抱きしめていたかった。




