#017 「“いちか”の決心」
朝、目を覚ましたとき、なぜか胸が、すうっと軽かった。
夢を見ていたのかもしれない。けれど、その内容は思い出せない。ただ、遠くで誰かの声が「だいじょうぶ」と言っていた気がした。
あたたかくて、やわらかくて、どこか懐かしい声。まるで——母親の声のような。
いちかは、静かにベッドを出た。少し早い時間だったが、ひとりで街を歩いてみようと思った。朝の光はやわらかく、積もった雪を淡く染めている。
この町には、“ともり”を知っている人も、知らない人もいる。けれど、いちかには、少しずつ見えてきた気がしていた。
何を信じて、何を選ぶのか。
——そして、誰と一緒にいたいのか。
「……はるなちゃん、やっぱりすごいね」
いちかは、ぽつりと呟いた。
近くの祠の前で、雪をそっと手で払っているはるなの姿を見つけ、思わず足を止める。
はるなは、信じられないくらいまっすぐだ。けれど、それは“ともり”の声が聞こえるから、という理由だけじゃない。
彼女は、ちゃんと「誰かのために」と思って動ける人だった。
それが——少しだけ、羨ましかった。
いちかは、気づいていた。自分がずっと、比べていたことに。
“鍵”でもなく、“観測者”でもない自分に、意味があるのかどうかを。
でも、違う。この旅で、いちかは知った。
ただ「選ばれる」のを待つのではなく、「選びたい」と思うことそのものが、大切なのだということを。
だから——。
夜。宿の一室で、キャンドルの光が揺れていた。
「……要くん、少し、話せる?」
いちかは、勇気を振り絞って声をかけた。胸の鼓動が早くなるのを感じながら、冷えた手を隠すようにして、彼を見つめる。
「いいよ。どうしたの?」
変わらない、やさしい声。その瞬間、いちかの中で、何かが決まった。
「私……ずっと、ちゃんと話そうと思ってて」
要は、何も言わずに頷き、いちかの言葉を待っている。その沈黙が、いちかにはありがたかった。
「この旅に来て、いろんな人と話して、いろんなものを見て……」
言葉を選びながら、続ける。
「でも、誰と一緒にいたいかって考えたとき……やっぱり、私は、要くんなんだと思った」
声が、わずかに震える。
「だから、ちゃんと言いたかった……私、要くんのことが好き」
短い沈黙。
要は一度、静かに息を吐いてから、ふっと微笑んだ。
「……ありがとう、いちか」
その声が、あまりにも優しくて、いちかは泣きそうになる。
「僕も、君が好きだよ」
そう言って、要は、いちかの手をそっと握った。
その瞬間、世界が、ほんの少しだけ、変わった気がした。
その夜、いちかは久しぶりに、深く眠った。
きっと、夢の中でも笑っていたのだと思う。遠くで、“ともり”の声が聞こえた気がした。
「よかったね」
その言葉に、胸の奥が、ふわりとあたたかくなる。
いちかは、自分が「選んだ」ことを、静かに、確かに受け取っていた。




