#016 「冬の灯、揺れる心」
夜の町は、昼間よりもずっと静かだった。雪は降っていない。けれど空気は張りつめ、吐く息が白く浮かぶ。
記録館を出てから、想太とはるなは並んで歩いていた。目的地があるわけではない。ただ、同じ方向に足を運ばせているだけだ。
「……寒くなったね」
はるなが、ぽつりと言う。
「うん」
想太は短く答え、コートの前を留め直した。
「昼より、だいぶ冷える」
それきり、会話は途切れる。気まずさではない。むしろ、言葉を足す理由が見つからなかった。
街灯の灯りが、石畳を淡く照らす。その下を歩くたび、影が伸びては、また重なった。
「……今日さ」
想太が、少しだけ声を低くする。
「正直、驚いた。あの町の人たち……あんなふうに、“ともり”のことを話すとは思ってなかった」
「うん」
はるなは、足元を見つめたまま頷く。
「私も……知らなかった。記録で見るのと、実際に聞くのって、全然違うね」
「違うね」
想太は、そう言ってから、少し考え込む。
「……怖くならなかった?」
「え?」
「信じてる人たちの声。あれだけ強いとさ……裏切ったらどうなるんだろう、って」
はるなは、すぐには答えなかった。しばらく歩いてから、ようやく口を開く。
「……怖かったよ」
想太は、思わず横を見る。
「でも」
はるなは、続けた。
「だからって、無かったことにはできない。誰かが信じてきた時間は……消えないから」
その声は、揺れていた。でも、折れてはいなかった。
「……そっか」
それだけ言って、想太は前を向く。自分は、はるなのように“信じる”ことができるだろうか。そう考えて——答えが出ないまま、胸の奥がざわついた。
「想太くんは……」
今度は、はるなのほうから声をかける。
「どう思ってる?」
「僕?」
「“ともり”のこと」
一瞬、言葉に詰まる。
正直に言えば、まだ整理はできていない。信じきれもしないし、完全に否定もできない。
「……わからない」
そう答えるしかなかった。
「でも」
少し間を置いてから、続ける。
「わからないまま、離れたくはないと思ってる」
はるなの足が、わずかに止まる。
想太も、立ち止まった。
夜の空気が、二人の間に流れる。街灯の灯りが、はるなの横顔をやさしく照らしていた。
「……どうなっても」
想太は、視線を逸らしたまま言った。
「どうなっても、僕は……」
一度、息を吸う。
「君のそばにいるよ」
言ってから、自分でも驚いた。用意していた言葉じゃない。約束にするつもりもなかった。ただ、口をついて出ただけだ。
はるなは、何も言わなかった。驚いた様子も、戸惑いも見せず、ただ、静かに頷いた。
「……ありがとう」
それだけ。
でも、その声は、確かにあたたかかった。
二人は、再び歩き出す。並ぶ距離は、変わらない。けれど、先ほどよりも、夜の冷たさが和らいだような気がした。
街灯の向こうに、小さな灯りが見える。それは、町の誰かの家の明かりかもしれない。それとも——ただの反射か。
どちらでもよかった。
想太は、胸の奥に残る感触を、まだ言葉にできないまま、静かに抱えて歩いていた。




