四、伯爵令嬢の魔法工房
今日、私たちは邸宅の二階、廊下の突き当たりにある部屋へとやってきた。私が一度も足を踏み入れたことのない部屋だ。
伯爵家の邸宅はとても広い。以前は四人しか住んでいなかったのに、部屋の数は山ほどある。
それが領主の館としての基本構造なのかしら。
伯爵家の一家三人はそれぞれ自分の書斎を持っていて、主人の寝室があり、アリネーにも自分の寝室がある。
廊下の反対側は、すべて客間になっているようだった。
そして、目の前にあるのがアリネーの魔法工房だという。
「ええと……ルミィ、ど、どうぞ……入って……」
アリネーが部屋のドアを開けた。真っ暗な部屋には日光が一切差し込んでいない。どうやらカーテンが固く閉ざされ、遮光されているようだ。
廊下から漏れるわずかな光に照らされて、そこがとても広い部屋だということが分かった。……元々は、そうだったはずだ。……いいえ、確かに広い部屋なのだけれど、部屋のあちこち──壁際ではなく、部屋の中央にまで棚がいくつも置かれ、その棚には大小さまざまな魔道具がぎっしりと詰め込まれていた。
風が吹けば、全部崩れ落ちてきそうな気配さえ漂っている。
「あの……アリネー? 私、本当に中に入っても大丈夫?」
「だ、大丈夫よ! か、片付けは済ませてあるし、崩落なんて昨日のうちに……何でもないわ! 問題ないから! そ、あたしがいるもの! 私を信じてちょうだい!」
あはは。アリネーってば本当に面白い。戦闘中のあの豪快な性格が、ここでも発揮されているみたい。……どうやら、人目に触れない場所では、あの伯爵令嬢としての礼儀作法なんて横に置いておいているみたいね。
けれど、細心の注意を払うという性質は変わらないようだから、心配はいらないわね。
「大丈夫、アリネーを信じてるよ。」
「あはは~、ありがとう……。それじゃあ、こっちへ。あたしの後に続いて。足元に気をつけて……」
「分かってるよ。棚のものには勝手に触らないから。」
ふふふ……。アリネーのこういう姿、本当に面白くて可愛い。
「あ、はは。よし、それじゃあ……」
私たちはその狭い通路……棚とガラクタの山に挟まれた隙間を通り抜け、部屋の最奥へと辿り着いた。そこにはわずかなスペースがあり、アリネーが点けた小さなデスクライトが、彼女の作業台といくつかの道具を照らし出していた。
「ルミィ、前に約束した通り、あたしの発明した魔道具を一つプレゼントするわ。」
「うん!!! ありがとう、アリネー。それで、おすすめはどんな魔道具なの?」
「色々な種類があるから、ゆっくり紹介するわね……」
物は溢れているけれど、確かに棚と棚の間の「廊下」は歩けるようになっている。
アリネーは私に、たくさん不思議な魔道具を紹介してくれた。
自動で動く卓上オブジェ。片方の金属球を持ち上げて放すと、明日まで動き続けるらしい。見ているだけで癒されるわ。
それから『腕時計』。普段、人々は街の大きな魔法時計を見て時間を確認するか、太陽の位置を見る。この邸宅に来た時、広間に置かれた小型の魔法時計を見て驚いたけれど、ヴィルマさんが使っている懐中時計サイズの超小型時計があることも知った。でも、ここに置いてあるのは、それよりもさらに、ずーっと小さい。
「これは『腕時計』って呼んでいるの。魔法時計をさらに超小型化したバージョンに過ぎないわ。大したことじゃないわよ。」
ちょっと待って。「大したことじゃない」って誰基準の話?
「アリネー、私にはよく分からないけど、時計って中にたくさんの部品が詰まっているんでしょう? こんなに小さくすることなんてできるの? どうやってその部品を作るのよ?」
「普通なら、技術の極致に至ったドワーフの工匠に頼んで作ってもらう必要があるわね。でも、あたしは作ったんじゃないの。……あはは、例の『万物創造』よ。時計の設計図を読み込んで、あたしの『万物創造』で小型版を実体化させたの。」
「わぁ~、すごい!!! そんなことができるんだ!? 『万物創造』って、なんて便利な魔法なの!?」
『万物創造』……前に聞いた、「アレイシアの純血後裔」だけに受け継がれる「血統魔法」よね。魔法でシミュレートしたものを唯一、完全に固定し、実体化させることができるという魔法。
「ええ。だから……だからここに置いてあるものの多くは、公にできないものばかりなのよ。だって、『万物創造』や『万物創造』のための『裏元素』の知識が使われているものばかりだもの。」
「『裏元素』?」
「ええ。一般的に、元素と言えば火・水・風・雷・土・光といったものを指すでしょう? でも、この世界の構成……実はもっと細分化された『裏元素』が存在するの。さらにその先には、もっと微細な『原……」
「待って! アリネー! 今は授業の時間じゃないよ! 大体分かったから! 『万物創造』は現代の常識を覆すような代物で、とんでもなく凄い魔法だってことだよね! だからこそ秘密にしなきゃいけないんだよね!」
加減を知ってよ! アリネー、今は講座を開いている場合じゃないんだから。そもそも、私はあなたが言うところの「一般的」な火とか水とかの知識だって、怪しいものなんだから!
それに、ようやく理解できたわ。もしこの秘密が漏れたら、ただ『万物創造』で宝石や精密部品が作れると知られるだけでも、悪党たちが黙っていないはず。ましてやその背後に世界の真理の知識があるとなれば……。アリネーの一族がずっと自分たちの存在を隠し続けてきた理由も、頷けるわ。
「あ……ええ、まあ、そういうことよ。」
「あはは、じゃあ次を見ようよ!」
「これは魔力を使って飛行する小さなおもちゃ……」
「魔力? 飛行? それって飛行魔法?」
「違うわ。研究している人はいるけれど、実用的な飛行魔法なんて存在しないもの。」
「実用化できないの? どうして?」
「飛行魔法の問題は理論じゃないの。実行にあるのよ。」
「実行、ですか?」
「学者たちは飛行種族である『白羽族』や『竜人族』の飛行能力を研究しようとしたけれど、協力してもらう機会は得られなかったわ。――ある種の種族保護主義かしらね? その話はさておき、とにかく、彼らは観察と推測から飛行魔法に必要な術式を開発したけれど、実行に移すことができなかったの」
「どうしてですか?」
「例え話だけど、想像してみて。私たちが普段歩く時、体のどれだけの場所を協調させていると思う?」
「えっ? 歩くこと? どれだけって……足? 腰? 頭? あれ? つまり全身、ですか?」
「そう! もしその操作の一つ一つを魔法に置き換えてコントロールするとしたら、どれほど疲れるか想像できるかしら?」
「魔法で? 同時に、途切れることなく十数個もの魔法式を操作するんですか?」
「そういうことよ。飛行種族は本能で飛んでいるわ。それは体の一部の操作と同じ。だから、飛行術式、重心、翼の位置、そしてバランスを保つための魔力の噴出を、何の苦労もなく制御できるの。それを魔法で代用するとなると、並の魔法使いにできることじゃないわ」
「ああ! なるほど。もし使う魔法式を減らして……そうだ、自分でバランスをとる訓練をして、浮遊と加速の魔法だけを使うのはどうですか?」
「ルミィ、その考えは間違っていないわ。複雑な飛行動作を排除して、固定された動作だけで最もシンプルな『飛行』を行おうとした研究員もいたわ」
「ええ、それで?」
「学者たちは当初、飛行を浮遊、加速、減速、そして旋回として理解していたから、最低でも二つの術式の並列演算を学ぶ必要があったの。それだけでも一般の魔法使いには不可能な領域だったわ。でも……」
「でも?」
「実は彼らは勘違いしていたの。加速も減速も浮遊も、本当は一つの術式の精密な演算であるべきだった……。まあ、それはいいわ。彼らは魔道具を使って『浮遊』の部分を肩代わりさせることを思いついたのだから」
「ああ、それはいい案ですね!」
「魔道具には『固定型』の術式しか組み込めないから、環境要因に合わせて変化させる必要がある『動態型』の術式は組み込めないの。だから、研究者は『浮遊』の部分だけを魔道具に任せ、加速、減速、旋回の魔法は飛行者自身が担当することになった。結局、もっと根本的な問題は解決できなかったけれど」
「もっと根本的な問題?」
「詠唱遅延よ。飛行中に予想外の障害物に遭遇して、減速して止まりたいと思っても、呪文の詠唱に三十秒もかかっていたら……」
「えっ? それは……危なすぎますね。……えっ? それじゃあ『無詠唱』ができなきゃダメじゃないですか?」
「その通りよ」
「じゃあ……学者たちが開発した術式は、結局すべて無駄になったんですか? かわいそうに……」
「完全に無駄になったわけじゃないわ。ただ空中に浮かんで、三十秒かけて前への加速を詠唱し、また三十秒かけて減速を詠唱する。そんな滑稽な『空中移動』ならできるわ。でも、飛行種族に比べれば、そんなの飛行とは呼べないもの」
「じゃあアリネーは? できますか?アリネーの身体能力と魔法制御力、そして何より『無詠唱』の能力があれば」
「えっ? そうね、真面目に試したことはないけれど……今思えば、たぶん……」
あ、そうだ。アリネー自身が飛行種族だった。
あの日、三人で本心を語り合った後、アリネーは重大な秘密を教えてくれた。彼女は『真血族』、歴史の影に隠された種族の末裔であり、しかも正統な血統を受け継いだ唯一の『純血』なのだ(もちろん先代のアンジェママもいるけれど)。
「そうだ、アリネー自身が飛べるのを忘れるところでした。……あれ?アリネー、長い間飛んでいないって言っていましたけど、どうしてですか?」
「必要がなかったからよ。小さい頃から『人族』の生活に慣れているし、それに『竜之翼』を出せば身分がバレてしまうもの」
「分かりました。それじゃあ……あれ? 私を連れて飛んでくれるっていう約束は?」
「えっ? ああ、そんな話もしたわね! ごめんなさい、最近忙しくて忘れていたわ。せっかく今日は時間があるし、ここを見終わったら一回飛んでみましょうか! どうかしら?」
「わわわ~っ! やった! 行きたいです! でも、誰かに見られませんか?」
「子供の頃とは違うわ。今は『認知妨害魔法』を覚えたもの! どう飛んでも誰も気に留めないわよ!」
「わぁ~、すごい! それじゃあ後で飛びに行きましょうね~」
「ええ、もちろん!」
「ところで、話を戻すと、この飛行玩具はどういう仕組みなんですか?」
「これは飛行魔法じゃなくて、飛行魔道具よ。原理が違うの」
「えっ? じゃあ、その原理は?」
「この子の飛行原理は、魔力ではなく空気の流れを利用しているの。さあ、見せてあげるわ」
「えっ? ここで実演するんですか?」
「大丈夫よ、心配しないで」
アリネーはその玩具を手のひらに載せ、指先で少し触れた。――えっ? 浮、浮いた?
「見て、この激しく回転している四つの羽を『ローター』と呼んでいるの。回転することで空気を押し下げて、上に向かう動力を生み出すのよ……」
……上に向かう動力? どういう意味だろう?
「んん……じゃあ、この魔道具はただ四つの『回転』の術式を使っているだけなんですか? それだけで浮けるの!?」
物を回転させる魔道具なら何度も見たことがあるけれど、肝心なのはアリネーが発明したあの『ローター』なのだ。
「そうよ」
ふふっ、この大きな子供のようなアリネーは、満面の笑みで答えた。
「それじゃあ……『ローター』も『万物創造』の知識から得たものですか?」
「性質的には少し違うわね。派生した知識、といったところかしら」
「へぇ~。これ、移動はできるんですか?」
「今はまだできないわ。あくまで玩具だもの。でも、指で押してあげれば空中をあちこち移動させられるわよ。バランスを保つ仕組みがあるから、簡単にひっくり返ったり暴走したりはしないわ」
指先で軽く玩具を押してみると、本当に少しだけ前へ移動した。わぁ、面白い。
「これ、これは何ですか?」
それは模様のついた箱で、上にはアサガオのような形をしたものが付いていた。
「これはオルゴールよ。音楽を再生することができるの」
「音楽を再生? 再生って、どういう意味ですか?」
「ええ。演奏を聴いたことはあるでしょう?」
「もちろんです。聖教会の儀式演奏や、吟遊詩人の演奏なら」
「ええ、一般的な演奏は人がその場で楽器を操るけれど、このオルゴールは違うの。『録音』――つまり演奏された音を記録して、その音楽を再現するのよ」
「『録……音』? そんなことまでできるんですか?」
「ええ。この魔道具の術式は、音を中の声帯に刻み込むことができるの。必要な時にその情報を読み取って再生するのよ」
またすごいものが出てきた。言うまでもなく、これも『万物創造』の知識なのだろう。
そして、私はまた『あの』魔道具を見つけた。
「アリネー!これって『咫尺千里』じゃないですか? これもアリネーの発明だったんですね!」
『咫尺千里』──広範囲に音声を伝えることができる魔道具。先日『アイスクォーター』で魔物の暴走が起きた際、私が冒険者たちに撤退の指示を出すために使ったのがこの魔道具だった。
「ええ、そうよ! これもあたしの発明の一つなの」
「これ……なんだか パルちゃん の心霊感応魔法にすごく似ていますね!」
「どちらも言葉を伝えるものだけれど、技術的には全くの別物よ。心霊感応魔法の方がずっと高度だわ。これはそれに比べれば、単なる魔力波動の応用でしかないもの」
どうして魔道具にはこんなに多くのことができるのだろう。私は魔道具というものに興味が湧いてきた。
「アリネー、魔道具はどうして魔法が使えるんですか? 魔道具は無機物ですよね? 魔法の演算能力なんてないはずなのに」
「ああ、それはあたしたちが魔法を使うのとは全く違う仕組みなのよ。簡単に説明しましょうか?」
「はい! お願いします!」
アリネーの魔道具を眺めながら、私はその原理についての解説に耳を傾けた。
魔道具が動くのは、一連の『魔導鉱』のおかげなのだという。
『魔導鉱』とは、魔力に反応する鉱物の総称で、光る、震える、魔力力場を発生させる、熱を持つ、冷却する、雷を発生させる……といった性質を持っている。特有の術式回路を用いて、異なる『魔導鉱』を魔力と現象の変換媒介にすることで、魔力灯のような単一用途の魔道具が作られる。さらに、使用者の術式によって操作すれば(使用者が魔法使いである必要があるが)、より多様な用途へと発展させることができるそうだ。
「中には、瞬発式の爆炎魔道具なんてものもあるわ。もちろん、魔法使い専用だけれど」
「瞬発式の爆炎魔道具? でも、魔法使い専用ならあまり意味がないんじゃ……?」
「そんなことないわ。重要なのは『瞬発式』であること。魔法使いが危急の際に身を守るための助けになるのよ」
「じゃあ大量生産すればいいじゃないですか。初心者の基本装備にするとか」
「それには比較的希少な『爆炎鉱』が必要だし、それに使い捨てなのよ。すごく高価なんだから」
「ええっ!? やっぱり命を守るための贅沢品なんですね!」
私が『魔導鉱』について知らなかった理由の一つは、冒険者が挑む迷宮が『魔導鉱』の主な産地ではないからだった。アリネーの話では、実用化されている『魔導鉱』の多くは希少な鉱物ではなく、世界各地で採掘できるらしい。希少なのは魔道具の動力源――迷宮で魔物を倒して初めて手に入る『魔晶石』だ。これこそが冒険者の価値なのだ。
「それじゃあ、一般の平民の家ではあまり魔道具は使われないんですか?」
「そうね。魔力灯は確かに便利だし本体価格もそれほど高くはないけれど、魔力源である魔晶石が消耗品だから。油灯を使うよりはどうしても高くついてしまうの」
「なるほど、そういうことなんですね」
アリネーは他にもたくさんの物を見せてくれた。アリネーがこれほど多くの魔道具を自作していたなんて驚きだ。けれど、そのほとんどが『万物創造』の知識を応用したもの、あるいはその派生知識によるものだった。要するに、公開するつもりなどなく、ただ自分の楽しみのために作ったものばかりなのだ。
「これらを民衆が使えないなんて、少しもったいない気がしませんか?」
「うーん……安全面や社会への影響を考えると、安易に公開しない方がいいわ。それに、これらはそれほど大した物じゃないもの。ただの遊びで作っただけだわ」
大した物じゃない?アリネーの価値観は少し変わっている。これほど便利な物ばかりなのに、本当に自覚がないのだろうか。
アリネーの性格は、きっとこういうものなのだろう。何というか、自己抑制的なタイプなのだろうか。野心がないというか。そう、お兄ちゃんに対してもそうだ。あんなに好きなのに、いつも何かしら理由をつけて距離を置こうとする。戦闘に関しても、あれほど強力な実力を持っていながら、自分のために名声や領土を勝ち取ろうなんて考えたこともない。
それどころか、良いことをして褒められるたびに、一日中赤くなって照れているくらいだ。
『ノブレス・オブリージュ』、自己犠牲、控えめ、黙々と励む姿……。
どれも美徳には違いないけれど、見ているこちらが損をしているような気分になってしまう。
あんなに楽しそうに発明品を私に紹介してくれているのに、口では「大した物じゃない」なんて言う。
これらの発明がここに埋もれたままなのが、どれほど惜しいことか。
貴族の義務のために、彼女は幼心を押し殺し、子供時代を知識の習得と訓練に捧げた。
政略結婚という責任のために、彼女は火のように熱い感情さえ忍ばせてきた。
見知らぬ人々の命を守るために、彼女は自分の正義さえも抑え込み、自らを犠牲にして偽りの平和を購おうとさえした。
家族の秘密を守るために、彼女は可能性を葬り去り、自分の発明と創意をこの場所に眠らせている。
この人は、本当に……。
「ルミィ?」
「あ、アリネー?」
「ルミィ、何を考えているの? しばらくぼーっとしていたわよ」
「あ! 今何を考えていたかな……あ、そうだ! 私、あのオルゴールを頂いてもいいですか?」
「ええ、いいわよ。今はテスト用の声帯が入っていて……五曲分くらい記録されているかしら? もっと作ってあげましょうか? 録音したい? それとも音楽がいい?」
「うーん……まずは考えてみます。また後でアリネーに相談させてください」
「いいわよ。それじゃあ、これから飛行体験に行きましょうか?」
「はい!」
…
…
…
私は部屋に戻ってアリネーからもらったオルゴールを置くと、アリネーと一緒に邸宅の裏庭へと向かった。
「始めるわよ、ルミィ。こっちへ来て、しっかりあたしに捕まっていてね」
「大丈夫! 任せて! 変に動いたりもしないから!」
「あはは、いいのよ。あたしもあなたをしっかり支えるから。『超・筋力強化』」
アリネーは片腕で私を抱き寄せ、もう片方の手で私の首を保護するように添えた……わっ……。私と彼女の体がぴったり密着している。この感触……羨ましい! 羨ましい!! 羨ましい!!! 彼女のこれ、反則、反則すぎる。泣きたくなるくらい反則なのだ。
「それじゃあ出発よ、『認知妨害』。」
アリネーが『認知妨害魔法』を発動させ、その『竜之翼』を広げた。そして音もなく、私を空へと連れ出した。
「ああああ───飛、飛んでる! これが飛行なんだ!」
私は胸の鼓動を抑えきれず、正面から襲いかかる強風も加速の圧力も、完全に無視していた。
「ふふ、大丈夫? まだ始まったばかりよ?」
手のひらほどに小さくなった『フローラ城』を見下ろすと、私の心臓は激しく跳ね回った。もう待ちきれない!
「やって! 大丈夫!!! さあ! 私、すごく興奮してるよ、アリネー!!!」
「それじゃあ、加速するわよ!」
あ───加速した!アリネーに抱かれながら、空を自由自在に駆け巡る! 直線加速! 空中旋回! 急降下! 急反転!
「はは! はははは! ははははは──────!!!」
面白い、面白すぎる! なんて刺激的なのだろう!
「ははははは──────!!! ははははは──────!!!」
笑いが止まらない、もう自分を制御できないのだ。爆風の音が耳元で鳴り響いているけれど、全──然問題ない!
私たちは空を切り裂き、平原と森林を突き抜け、谷や川を越えていった。ただその快感に身を委ねているうちに、私たちがどこまで飛んできたのか、もう私には分からなくなっていた。
「すごい! すごいよ! 私のアリネーは最高にすごい! 大好き! 大好きだよ、アリネー!」
「ふふ、ルミィったらまた……。ええ、でもそうね、あたしもあなたが好きよ! んー、それじゃあ……こうしましょう!」
「え、えええええ──────!?」
私たちはぐんぐんと上昇していく……まだ上がるの!? 私たち、これ、これって!?
遮るもののない黄金色の陽光が、分厚い雲海を照らし出していた。
あ、私たち、雲を突き抜けたの!?
そこでは、さっきまでの平原も森林も丘も、すべてが跡形もなく消え去り、ただ一面の黄金に輝く雲の海が広がっていた。
こ、これが『星の国』なのだろうか。
「アリネー!? こ、ここはどこ?オリシウスの『星の国』なの?」
「考えすぎよ。ただ少し高い空に来ただけだわ。『星の国』なわけないじゃない」
「でも、でも!」
「分かってる、分かっているわ。あたしも初めてここへ飛んできた時は同じ気持ちだったもの。気持ちは分かるわ」
「んんんん────」
まともに言葉が出ない。これが飛行種族の特権なのだろうか。そして今、今! 私もこの風景を体験している。私、私は……
「私、もう一生に悔いはないよ……」
「そんなこと言わないで! 世界は広いのよ。あなたにはまだまだ見るべきものがたくさんあるんだから!」
「う、うん、分かった。ありがとう、アリネー! 本当に大好き!」
「ふふ、分かったわよ……。さて……ん?」
「どうしたの?」
「『あの』魔法、試してみない?」
「『あの』?」
「そう。あなたがさっき言っていたじゃない。ええと、こうして、こうして……こうね!」
彼女の『竜之翼』が消えた。
『竜之翼』を引っ込めたの? 私たち二人が一直線に落下していく感覚が伝わってくる。
「ええええっ……!? ど、どどどどうしたの!?アリネー、何を試すつもり!?」
「心配しないで! 見ていなさい!」
「えっ? あ! 分かった!」
驚きはしたけれど、相手がアリネーなら心配なんて微塵もいらない。
ただ問題は、私たちがまだ落下し続けていること、そしてアリネーが抱擁を解き、今はただ私の手と十指を絡めて握り合っているだけだということだ。
「ルミィもやってみて、体を広げて!」
急降下する風の音の中で、アリネーの声が聞こえるはずもない。これは、『心霊感応魔法』だ。
私も言われるままに体を広げ、落下の風圧を感じてみる。自分の体が空を漂っているような……わあ! まるで……
「まるで、私自身が飛んでいるみたい!」
「そうでしょう! 気持ちいいでしょう!?」
「うん!!!」
「それじゃあ! 行くわよ、飛びましょう!」
魔法式の輝き!?アリネーが魔法を発動させている。何の魔法?
「さあ! 見て!」
あ、あ、私、もう落ちてない。飛んでる! どうして!?
魔力の流れを感じる。アリネーの魔法だ。彼女の魔法が私をも包み込んでいる。もしかして、これが飛行魔法なのだろうか。
「アリネー! これ、飛行魔法!? さっき、やったことないって言ってたのに!」
「ええ、初めて試してみたわ! どうかしら? 上手くできてる?」
「何言ってるの。天才すぎじゃない!? これ、あまりに反則だよ!」
「ルミィが言ったんじゃない、あたしならできるはずだって。どう? あたし、上手くやれてる?」
「ええ! もちろん最高だよ!アリネーはすごい! 完璧だよ! 完璧なバランス、自由な加速と浮遊の制御! それに私にまで魔法を作用させるなんて! 素晴らしすぎる。前代未聞、空前絶後だよ!」
「あはは! 誇張しすぎよ! でも、嬉しいわ!」
また加速した! 空中旋回! 宙返り! 急降下! 急反転! 誰かこの、褒められて伸びる子をどうにかしてほしい。可愛すぎる。
「ああ! どうやってるの!? 認知妨害魔法を維持しながら、さらに飛行関連の魔法をいくつも重ねてるの!? 魔力の消耗は!?」
「並列演算ができるもの! それに、あっちはもう解除したわ。どうせこの高度じゃ地上からは見えないし。それに飛行魔法って、一つの術式の精密なベクトル制御でしかないのね! 思ったより難しくないわ。魔力も……そんなに消耗していないみたい?」
「知ってるよ! だから言ったじゃない、アリネーなら絶対にできるって!」
このアリネー、超強力かつ精密な魔力制御力、並列起動、無詠唱、さらにはあの膨大な魔力量……これが、『真血族』の『千年に一人』の実力なのだろうか。私、こんなにすごい人の妹……どころか、好きな人になってしまったのか。
…
…
…
しばらくして、アリネーは『竜之翼』に戻り、どれくらい飛んだだろうか、私たちはようやく邸宅の裏庭へと戻ってきた。
「どうだった? 楽しかった?」
「うん! 言葉にできないくらい、最高だった!」
この上なく晴れやかな笑顔を見て、私は確信した。アリネー、あなたのすべてを、世界の裏側に隠したままにしてはいけない。音もなく消え去らせてはいけないのだ。
──もう決めた。




