三、あの勝手なヤツ(後編)
「そう。今回の旅には、『パルお爺ちゃん』を連れていく」
「えええええええ──────!?」
『パルお爺ちゃん』、私の呼ぶところの『パルちゃん』は、私たちが七大迷宮の一つ『地下城』を攻略した時の戦利品だ。古代技術を用いて五百年前の大魔導師……『パミルなんとか』の一部記憶を保存して作られたスケルトンメイジ。今は手のひらサイズのマスコットのような姿になっていて、私たち三人を主人と仰ぐ小型の魔物だ。アリネーの設計によって、彼に『魔晶石』を補充してやりさえすれば、彼は持てる魔法をすべて放つことができる。
「急に安全性が増した気がするだろう!?」
「うん! 思いもしなかった! そっか……お兄ちゃん、最初からそのつもりだったの?」
「あぁ。言ってみれば『パルお爺ちゃん』こそが、この旅の最後のパズルの一片だったんだよ」
「あぁ! だから急に『魔境』に行くなんて言い出したのね!」
「そういうこと。俺自身の斥候スキルに加えて、パルお爺ちゃんの『認知妨害魔法』があれば、大抵の状況には対応できる。それに加えて……」
「加えて?」
「パルお爺ちゃんは魔物だからね! いざという時は、彼に魔力を放射してもらって、相手に私たちを死霊系の魔物だと思い込ませることもできるんだ。そうすれば魔族の呪いも発動しない。どうだい? 俺は天才だと思わないか?」
「へぇー!」
「はは、まあ実際にうまくいくかは試してみないと分からないけどね。本当にダメなら、逃げるか戦うかだ……潜行で逃げるか、瞬殺するかすれば、何とかなるはずさ」
「ん……それなら、三、四重のプランがあるってことね。これなら合格かな?」
「それから睡眠の問題。パルお爺ちゃんがいれば、安心して眠れるしね」
「本当だね!」
「ただ、問題は……あはは。今回の旅で、俺の全財産に相当する量の『高級魔晶石』を使い切っちゃうことかな。パルお爺ちゃんの魔力供給用としてね」
「それ! それ、それは悲惨すぎるよ! お兄ちゃん! 私、私も一緒に行ってあげる! 迷宮の深層に行って、自分たちで『高級魔晶石』を狩ってこようよ!」
「はは、ルミがいてくれれば話が早いよ! 助かるよ、ありがとう」
お兄ちゃんが私の頭を撫でてくれた。
うぅ──────顔が熱くなって火が出そう! 恥ずかしいからじゃない。それは……それは、私がまたお兄ちゃんの力になれるからなんだから!
こうして、お兄ちゃんの計画書は度重なる修正の末、ついにアリネーの厳しい審査をパスした──日程、ルート、生存、戦闘、生活から撤退条件の詳細に至るまで、一つ一つすべてが承認されたのだ。
一方で、私は自分のやりたいこと──教育や教室管理の知識を学び、伯爵様が開校した学校で週二日の実習に通いながら、お兄ちゃんの計画に必要なリソースの調達を手伝ったり、アリネーの計画書を一緒に確認したりして過ごしていた。……そうして日々は過ぎていき、私の誕生日の前日を迎えた。
…
…
…
これ、何……?
私は自分の部屋のドアの前で、呆然と立ち尽くしていた。ドアの隙間から差し込まれたであろう、床に落ちた一通の手紙。
今朝目が覚めた瞬間、部屋の床にその異質なものが落ちているのが見えたのだ。
これ……。
私は封筒を拾い上げ、中を開いた。これ、お兄ちゃんの字だ。
胸が締め付けられる。いつかこの日が来ることは分かっていたはずなのに。でも……どうして?
動けないまま立ち尽くし、ただ大粒の涙が頬を伝い落ちるのを感じていた。
お兄ちゃんの手紙を、視界を滲ませながら読み終えた。ドアを開けて床に置かれたものを見つめる。……お兄ちゃんが私に残してくれた、誕生日プレゼント。
お兄ちゃんは出発した。音も無く、気配も無く。
これ、私への仕返しなのかな……?
…
…
…
「アリネー……おはよう。」
私は食堂へ向かった。今の私の顔は、きっと死人のように青ざめているだろう。
「ルミィ……あなたも、アシランくんからの手紙を受け取ったのね? 大丈夫かしら?」
「私……」
アリネーが歩み寄ってきて、私を抱きしめてくれた。
「ルミィ、答えなくていいわ。ごめんなさい、愚かな質問をしてしまったわね。」
「うぅ……」
「泣きたい時は泣いていいのよ。気が済むまで、しっかり泣きなさい。」
「うっ、うぅ……どうして? どうしてこんなことするの? どうしてちゃんとお別れを言わせてくれないの? 私のせい? 私があの時、彼に何も言わずに中央聖教会へ行って一人にしちゃったことへの、仕返しなの……?」
「そんなわけないじゃない。」
アリネーは穏やかなトーンで言った。
「考えすぎよ。あの時のことはあなたのせいじゃないわ。あなただって連れて行かれただけなんだもの、彼がそんなことであなたを責めるはずがないわ。」
「うぅ……本当に?」
「もちろんよ。あたしがあなたに嘘をつくと思う?」
「……ううん。」
「なら、そういうことよ。……座るかしら? それとも、このまま抱きしめていてもいい?」
「このままがいい。私もアリネーを抱きしめていたい。」
穏やかな声の裏側に、アリネーの感情が揺れ動いているのが伝わってきた。……彼女、私を落ち着かせるために、自分の感情を先に抑え込んでいるんだ。
分かったわ。……私がいつまでもこうしていたら、アリネーがあまりに可哀想すぎる。
「アリネー。」
「どうしたの、ルミィ?」
「アリネーも、泣いていいよ。」
「……いいのかしら?」
「いいよ。二人で一緒に泣こう?」
「……ええっ!」
アリネーの頬を涙が滑り落ちるのが見えた。うん……これでいい。
私たちはお互いに抱き合い、声を潜めてすすり泣いた。……そして、互いの涙を拭い合った。
どうやら、お互いの存在があるおかげで、二人とも声を上げて泣き崩れるほど悲しみに沈みきることはなくて済んだみたい。
…
…
…
抱き合ったまま静かに泣いて、しばらく経った頃。私たちの気持ちは、ようやく少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
「アリネー、お兄ちゃんはどうして何も言わずに出発したんだと思う?」
「それは、きっと彼が怖かったからじゃないかしら? 仕返しなんて理由じゃないわ。」
「うん……分かってる。さっきはちょっと悪い方に考えちゃっただけ。お兄ちゃんって、そういう人だもんね。きっと私たちとお別れする時、私たちの顔を見たら決心が鈍っちゃうのが怖かったんだわ。」
「その通りね。もし正式にお別れなんてしていたら、逆に追い出されるような言葉を私たちに言わせなきゃいけなくなっていたかもしれないもの。」
「あはは、本当だね。目に浮かぶよ。お兄ちゃん……きっと、私たちの名声とかそういうのを守らなきゃって考えて、ずっと距離を置こうとしていたし、それで音も無く消えちゃったんだろうね。」
「それって……つまり、彼が、私たちのことを……」
「うん。そういうことだよね。」
私たちのどちらをより深く愛しているのかは分からないけれど。でも、こうして考えてみると、お兄ちゃんのこの行動こそが私たちを深く愛している証拠のように思えて、私たちは不意に少しだけ誇らしい気持ちになった。
「私がまだ未成年じゃなくて、いわゆる『既成事実』でも作れていれば、彼も『魔境』に行くなんて考えは捨てていたかもしれないのに。」
「ちょ、ルミィ! そんな冗談を言わないで! で、でも、そうね……。アシランくんなら、責任を取るために、自分の理想さえ捨てていたに違いないわ。」
「あはは、そうだよね。だから、もう仕方ないわ。」
「とにかく……アシランくんはしっかり準備をして出発したんだもの。私たちは彼を信じて、静かに帰りを待ちましょう。」
「うん、その通りだね。……でも、アリネーも寂しくなったら私を呼んでね。」
「ふふ、もう。ルミィだって同じじゃない。」
「でも不思議だよね。お兄ちゃん、どうやってあんな風に……突然、音も無く出発できたんだろう?」
「そうね……あたし、ごめんなさい、ルミィ。またアシランくんに騙されてしまったわ。」
騙された!? 『嘘を見破る』を持つアリネーを騙したっていうの!?
「ど、どういうこと? お兄ちゃんは何をしたの?」
「それがね……先週、アシランくんの計画準備がほぼ整ったように見えたから、あたしは彼にこう尋ねたの……」
…
「アシランくん、来週はルミィの誕生日だけど、出発の日はもう決めたかしら?」
「分かってるよ。ルミィ的誕生日プレゼントはちゃんと準備してあるから、心配しないで。」
「それで、出発の日は?」
「まだ確定させていないんだ。……前にも言ったけど、心配いらないよ。出発の日を決めさえすれば、真っ先に君たちに知らせるから。」
「真っ先に?」
「ああ。分からないかな? じゃあ……言い方を変えよう。俺が出発の日を決定したら、その一時間以内に君たちに知らせるよ。」
「じゃあ、ルミィ的誕生日パーティーは? 分かっているわよね? 出席してくれるわよね?」
「もちろんだよ! 突発的な状況さえなければね。」
「突発的な状況って何?」
「それは……突発的な状況だよ。どうしたんだい?」
「だから……」
「俺が言いたいのは、よほどの優先事項があって参加できなくなるようなことがない限り……例えば……そうだな、極端な話、『神魔戦争』が突然再開したとか、そんなことでもない限り、俺がルミィ的誕生日パーティーに参加しない理由なんてないってことさ。」
……
「あの人! ひどすぎるわ、あたしを騙すためにどれだけ小賢しい真似をすれば気が済むの!? あたし、昨日も念押しして聞いたばかりなのに!」
「はぁ……お兄ちゃんのやつ、ひどすぎるよ。アリネーの『嘘を見破る』を逆手に取って、言葉の罠を仕掛けたんだね。あいつ、アリネーのことを知り尽くしてる……。」
「あたし……まさかこんなことになるなんて……。ごめんなさい……あたしの不注意だわ。」
「さっきの言い回しなら、普通なら見抜けるはずだけど、鍵は『まだ確定していない』っていうあの一言だね。普通の人が聞けばただの誤魔化しだし、嘘だって疑うところだけど、『嘘を見破る』があるからこそ、あの『真実』が絶大な威力を持っちゃったんだ。」
「ええ……本当にごめんなさい。」
「はぁ。あいつ、毎日サイコロでも振ってその日の出発を決めていたんじゃないかな?」
「きっと、そうね……」
まったく、逃げる時だけは無駄に知恵が回るんだから。
「あ、そうだわ、ルミィ。アシランくん、手紙の他に何か残していなかった? 誕生日プレゼントとか。」
「あるよ……箱が一つ置いてあった。拾ってとりあえず部屋に置いてからこっちに来たから、まだ中身は見てないけど。」
「箱……箱一つ?」
「うん。アリネー、どうしたの?」
「あたし……少し気になることがあって。……実はね、あたしのところにも小さな箱が一つ届いていたの。見て、これよ。ねえ……一応確認しておかない? あなたの部屋へ行ってもいいかしら?」
アリネーの手にあるのは、包装紙に包まれた小さな箱。手のひらサイズかな? 私のとは少し違うみたい。
「いいよ。」
私たちは二階へ上がり、私の部屋に戻った。
それは広げた手のひらより少し大きいくらいの箱で、私の名前が書かれた小さなメモが添えられていた。
「開けてみるね。」
包装紙を解いて箱を開けると……あれ? 中にはさらに小さな箱が二つ入っていた。一つは平べったい形で、もう一つはアリネーの持っているものと同じ。
「これ……ジュエリーボックスみたいだね。アリネー、一緒に開けてみない?」
「ええ、そうしましょう。」
あぁ、なるほど。アリネーは私と一緒にお兄ちゃんからのプレゼントを開けたかったんだ。
私たちは同時にお揃いの小さな箱を開けた。
「これって……」
また涙腺が崩壊しそうになる。
「アリネー、これ……」
「うっ、ええ! あたしのも……」
「これ……ど、どこの指につければいいの? 私分かんないよ!」
「見て、アシランくんがここに書いてくれているわ。」
本当だ。箱の蓋の内側に、お兄ちゃんからのメッセージが書かれていた。
『嫌じゃなければ、右手の薬指につけておくれ。』
「右手の薬指?」
「ルミィ、指輪を右手の薬指につけるのは、『熱烈な交際中』っていう意味なのよ。」
「熱烈な……交際中? お兄ちゃん……」
「アシランくんがそんなことを知っているなんて意外だわ。」
「本当だよ! あいつ、普段は堅苦しいくせに、どこでそんな……。またどこかの店員のお姉さんにでも教わったんじゃないの!?」
「ふふ、ルミィったら……。でも、あの人のことだから、きっとそうでしょうね。」
「あはは、間違いないね。それで……アリネー……」
「ん? どうしたの?」
「アリネーが、私につけてよ。」
「えっ!? あた、あたしが!? そ、それは……ダメじゃないわ! いいわよ! それなら、あなたもあたしにつけてちょうだい!」
「やった! じゃあ、まずはアリネーからね。」
「ええ。」アリネーはそう言って右手を持ち上げ、私たちの間に差し出した。
「それじゃあ……つけるよ。準備はいい?」
「うん!」
「アリシア、これは俺の君への燃えるような愛の証だよ。」
私はアリネーの手を優しく握り、指輪をはめる瞬間に、お兄ちゃんの口調を真似してそう言ってみた。それからアリネーの幸せそうな顔を盗み見ると……彼女の目にはすでに涙が溢れていて、私が手を離した瞬間、堪えきれずに両手で顔を覆ってしまった。
「うっ……うぅ……ありがとう、ルミィ……。あたし……少し落ち着かせて。……十秒だけ頂戴。」
アリネーのそんな様子を見て、私はどうしても口角が上がってしまう。幾多の困難に直面し、世界を革命しなければお兄ちゃんと結ばれないような状況にあるアリネーにとって、この指輪がどれほど大きな意味を持つか、想像に難くない。
「待たせてごめんなさいね、ルミィ。次はあなたの番よ、手を出して……」
「はーい。」私はそう言って左手を差し出した。
「ルミィ……」
「ごめん、冗談だよ。」私は笑って右手に変えた。
「もう、あなたって子は……」
アリネーは私の右手を握り……優しく指輪をはめてくれた。
「俺の愛するルリへ捧げるよ。」
「うわぁぁ……! アリネー! ずるいよぉ!」
涙がどっと溢れてきた! お兄ちゃんの真似をして、さらに私のことを『ルリ』なんて呼ぶなんて! 私……結局私も両手で顔を覆うしかなくて、落ち着くまでしばらく時間がかかった。このアリネー、いたずらっ子なところは私より上手なんじゃないの!? ずっと私の頭を撫でてくるし!
…
…
…
「ルミィ、見て。あなたの好きなレモンイエローだわ。」
「アリネーの大好きなシトラスオレンジもね。」
私たちはソファに寄り添って座り、お互いの指輪を見比べた。
「やっぱりお揃いのペアリングね。しかも、私たちの好きな色の宝石を選んでくれているわ。」
「そうだね。アリネーは服は赤が好きだけど、アクセサリーはオレンジが好きだもんね。」
「ええ。ルミィは服にこだわりはないけれど、小物はとにかくレモンイエローのものが大好きだし。」
「うん、そうだよ。」
お兄ちゃんは、本当に私たち二人のことをよく分かっている。
「ねえ、実は何か理由があるのかしら? 『レモンお兄ちゃん』に関係があるのよね? ……あ、それは子供の頃の思い出か。それなら、私には内緒にしておいていいわよ。」
『レモンお兄ちゃん』……お兄ちゃんが私にくれたレモン型のぬいぐるみ。それは、小さい頃の彼がどれほど私を大切にしてくれていたかの象徴。
「ひひっ、その通りだよ!」
結局、あの勝手なヤツは、音も無く消えていったくせに、私たちの心まで一緒に持っていってしまったのだ。
──もう、くそっ!




