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二、あの勝手なヤツ(前編)

「ねえ、ルミ様。とりあえず一度どいてくれないかな?」


「やだ。」


私はお兄ちゃん──私のアシランお兄ちゃん、私の大好きな恋人の体に寄り添っている。


「どいてくれないと。アリシアに参考書を借りに行きたいんだよ。」


「じゃあ、私も一緒に行く。」


そう、今やお兄ちゃんは私の正式な恋人なのだ。


幸せ! あまりに幸せすぎて、彼のそばにくっついているだけで鼓動が早くなって、どうにかなっちゃいそう。


お兄ちゃんと再会して以来、幸福感が私を満たしている。たとえ私の目には、彼がいつか私を置いてアリネーの懐に飛び込んでいく未来が見えていたとしても。それでも、彼と再会できただけで、厚顔無恥を承知で彼のそばに留まり、一日でも長くべったりしていられるだけで、私はもう十分に満足だった。


まさか、こんな展開を迎えるなんて。


あの日、アリネーの『嘘を見破る』の見届けのもと、私はお兄ちゃんに何度も『私が好きだ』という本心を確認した。それが夢ではないと信じられないほど嬉しかった。


でも、それは私が見ていたものとはあまりに違いすぎる。この『モラル崩壊男』め、私を騙せると思っているの?


「私が黙ってあなたの共犯者になるとでも思っているのかしら?」


あの日以来、私はお兄ちゃんの部屋で二人きりになった時、その問いを彼にぶつけた。


「悪かったよ、ルリ! わざとじゃないんだ。君たちが選択を迫るから、つい焦ってあんな風に言っちゃったんだよ。」


私は彼の太ももの上に跨って彼と向き合い、両手で彼の首を抱えて、至近距離からその顔を見つめた。


「本当はアリネーのほうが好きなんでしょう? だからこそ彼女を騙して、自分から遠ざけようとした。そうね?」


私は彼の目をじっと見据えた。……大好き。……じゃなくて! 今は尋問の時間なんだから!


「それじゃ話が逆じゃないか?」


「まだ詭弁を弄するつもり? 私たち、もうこういう関係なんだから、少しは素直になったらどう?」


「ふぅ……ああ、君の言う通りだ。でも、アリシアのほうが好きだからあんなことを言ったわけじゃないんだ。」


「そうなの? じゃあ、どうして?」


「理由なんてないよ、ルリ。ただ……君のことだけは騙したくなかったんだ……。」


「……」


私のことだけは騙したくなかった!? それってどういう意味!? アリネーよりも、私、私のほうが特別なの……?


「アリシアへの感情が対等な親愛や憧れだとするなら、君への感情は保護欲と執着なんだ。」


ほ、保護欲と執、執着!? この人、急にこんなはっきりしたことを……恥ずかしくないの!? もう、大好き!


「お兄ちゃんはさ……」


「もちろん、俺はアリシアが好きだ。でも、たとえ名残惜しくても、彼女に相応しい相手が現れればそれを受け入れるつもりだよ。彼女の世界を俺が縛るべきじゃないし、彼女には成し遂げるべき偉大な使命があるからね。」


「じゃあ、私は?」


お兄ちゃんの左手が私の右の手のひらを握り、右手が私の背中をそっと押さえた。


「君は俺のルリだ。どうしても手放したくないんだよ。」


そ、そんな……。


「あなた……ふん! 私にはもっと良い人がいるとは思わないの?」


「思うよ。でも、俺が離したくないんだ。」


「ずるいよ。そんな言い方……私……どうすれば……。」


至近距離でこの人の顔を見ていると、なんて言い返せばいいのか分からなくなって……。


チュッ──。


キスされた……。あんなに強引に……私……。


もう何も考えられない。ただ、胸の中の喜びで頭が痺れて、もう何だってよくなっちゃった。


「それで、ルリ。」


「はぁ……はぁ……ん……何?」


「いいかな……」


「いいよ……? いいよ、お兄ちゃんなら……。」


あぁ、もう……。


「いい加減、どいてくれるかな? まだ仕事の続きがあるんだ。」


「えっ!? ……えぇーー!? お兄ちゃんのひどい! ここは『あれ』とか『これ』とか、そういう展開になるところじゃないの!?」


「ならないよ! ほら、早くどいて!」


……それが、あの人の私への気持ち。


まさかあの日、アリネーのほうから進んで『三人での関係』を提案してくるなんて。それを聞いた時、私は全く抵抗を感じなかったどころか、むしろそれが最良の結果だとさえ思った。


実際、その後で何度繰り返し考えてみても、彼女の考えは本当に素晴らしいと思う。あなたたち二人が私の最愛の人なのだから、この『三人での関係』以上の正解なんて、どこにもないんだもの。





私たちがお互いの想いを告白してから十数日が過ぎ、お兄ちゃんはずっと色々なことに追われていた──情報の収集、知識の習得、現地調査。迷宮の探索に行くこともあれば、ギルドへ行ってあのバンナという情報屋を頻繁に訪ねたりもしている。


そのバンナという情報屋については、アリネーが彼の作った報告書を高く評価していて、彼と知り合いたいと言っていたこともあり、私たち三人で一度ギルドへ行って彼と面会したことがある。


もちろん、アリネーは仮面をつけて、『赤薔薇のアイリ』としての身分で向かったのだけれど。


あぁ、それは私たちの冒険者パーティ『レッドスピネル』の久しぶりのギルドへの顔出しだったから、ちょっとした騒動になったわ。みんなS級魔術師『赤薔薇のアイリ』の素顔を一目拝もうと集まってきちゃって! 結局、ヘレンさんが場を収めてくれたけれど、さすがはギルドの権力を握る受付嬢ね! みんな彼女には一目置かざるを得ないみたい。


そして、私たちは約束していた会議室へと入った。


「おや? これはとんでもない情報ですね。それを無条件で私にくれると言うのですか?」


数言の挨拶を交わした後、アリネーはバンナの前で事も無げに仮面を外したのだ。


「さすがは敏腕ね。あたしの正体、知っていたのかしら?」


アリネーは微笑みながら問いかけた。


「当然ですよ。我々情報屋をくびりで見ないでいただきたいな、伯爵令嬢様。しかし、まさか『赤薔薇のアイリ』が伯爵令嬢様ご本人だったとは。この情報の価値は計り知れませんね」


バンナ先生は密かに目尻をピクリと動かした。冷静を装っているけれど、指先が無意識にテーブルを二度ほど軽く叩いている。


それも無理はないわ。あの『門前の戦争』で、アリネー──『アリシア・エレナガード』の容姿は領民たちに知れ渡っているし、それに……そもそも、しばらくの間、領民たちのためにあちこち走り回っていたあの「政務庁特派員(自称)」の『アリシアちゃん』だもの。みんな彼女のことは元々知っていたけれど、まさか伯爵令嬢だったなんて夢にも思わなかっただけ。そこにこの『赤薔薇のアイリ』という正体が加われば、この情報の価値は尋常じゃないわ。


「この情報は手付金だと思ってちょうだい。ただし、私の条件を達成して初めて現金化できるものだと思ってね」


「話の早い人は好きですよ。伯爵令嬢の条件とは?」


「大したことじゃないわ。ただ、あたしたちの家の仕事を優先的に引き受けてほしいの。どうかしら?」


「優先的に? もちろんですとも! どうです、長期契約を結びますか?」


「それはあなたたちの働き次第ね。どうかしら? 伯爵様の専属情報屋になりたいと思わない?」


こ、これってどういう状況? 主導権の奪い合い……なの?


「はは、面白い。それもあなたたちにそれだけの価値があるか次第ですよ。退屈すぎる仕事なら、金だけでは私の心は満たせませんから」


「ふふ、それじゃあ、先ほどの手付金の話をしましょうか」


「おや? 何でしょう?」


「『冒険者・赤薔薇のアイリの正体』という情報の価値を最大化する方法、あなたは分かっているのかしら?」


「それは……もちろん分かって……おや? そういうことですか? 私に無料で宣伝しろと?」


「どこが無料なのかしら? あたしはちゃんと報酬を支払ったでしょう? しかも、その報酬はあなたの努力次第でいくらでも価値が上がっていくのよ。どう? すごくお得だと思わない?」


「ははは! 流星さん、あなたが紹介してくれたこのクライアントは面白すぎますよ。紹介料として、次回の依頼は割引させていただきます!」


これが、バンナ先生との会面の全容だった。


この面会には私も驚かされたわ。やっぱり、アリネーは本当に凄いわ。彼女がやろうと思ってできないことなんて、何一つないのかもしれない。革命を決意してからの彼女は、冗談抜きで実力全開なんだもの。後で知ったことだけれど、アリネーもバンナのことを事前に徹底的に調査した上で、このやり方を選んだみたい。


一方、お兄ちゃんが……ずっとあんなに忙しくしているのは、全部『あれ』のせい! ……もう、くそっ!


「アシランくん、あたしとルミィで話し合って決めたわ。あなたが自発的に『魔境』へ情報収集に向かい、『神魔戦争』の再発に備える。それがあなたの志であり、生きる意味だというのなら、私たちはそれを認めるわ」


告白した翌日、私とアリネーは詳しく話し合った末、お兄ちゃんにその決意を伝えることにした。


「あぁ……ありがとう……」


「ふん、私はあんたが死にに行くなんて絶対に認めないからね。無事に帰ってこなかったら、一生呪ってやるんだから」


「ルミ……すまない」


「ルミィの言う通りよ、アシランくん。あたしたちとの約束を忘れないで。あたしたち二人を同時に『仕える』するという約束をね」


「分かってる、もちろん分かっているさ! その約束のために、俺は慎重に行動する。勝算のない賭けはしない。必ず持てる限りの力を尽くして、無事に帰ってくるよ! 俺は何のために行くのか、自分でもよく分かっているんだ! 生きて帰らなければ、どんなに情報を集めても無駄になるからね!」


私も一緒に行きたかった……。でも、アリネーが言った通り、これは潜入工作なのだ。隠密や諜報スキルに長けたお兄ちゃんが一人で行くのが最も適任で、私が行けば足手まといになってしまう。


「でも、口先だけじゃダメよ、アシランくん。あなたが具体的な潜入計画を提出して、あたしたちが納得するまでは出発を許可しません。あぁ、そうそう、ギルドにあるあなたの資金を凍結しておきましょうか? お金が必要ならあたしに言って、あたしが支払ってあげるわ」


「やめてくれ! ぼ、俺は君たちを捨てるつもりなんてないんだ! ちゃんと言うことを聞くよ! 計画もしっかり練るから! 君の許可をもらってから実行するよ!」


「ふふ……。じゃあ、そういうことにしておきましょうか」


「アリネー……この人、嘘はついていない?」


「ついていないわ。……言葉遊びもしていないはずよ。ルミィ、あなたはどう思う?」


「うん……今の会話に、問題はないと思うわ」


それが、私たちの約束。だから彼はあんな風に一日中忙しく動き回って、私の『パルちゃん』を何度も借りていくのだ。『パルちゃん』に聞いてみたら、どうやら計画の実現可能性の評価などを手伝わせているみたいだった。


だから私は、少しでも空き時間があれば、お兄ちゃんのそばにベッタリとくっついているの


一つには、彼のことが本当に大好きで、一緒にいられる時間を大切にしたいから。


もう一つは、彼を邪魔して、出発の準備を遅らせてやりたいから。でも、何日もベッタリくっついているうちに、私は思わず彼の集中力と努力に心を打たれてしまったわ。……それでも、私は意地を張って……どうしても彼に「頑張って」なんて言えなくて。だから、私はただ黙って彼のそばに寄り添い、自分も本を読んで過ごしていたの。


「お兄ちゃん、計画はどんな風に進めるつもりなの?」


「そうだね、今回の旅にはいくつか鍵となるポイントがあるんだ。ここを出発するとなると……」


お兄ちゃんは私にこの旅の行程を説明してくれた。


まずは『フローラ城』を出発し、『転移魔法陣』を使って国境に最も近い場所へ向かう。そこは私たちが以前よく通った『地下城』迷宮の入り口付近にある、『モナガヌ平原』だ。


『モナガヌ平原』は、大陸最大の平原地帯で、その北東には『人族』の王都がある。中央部は『モナガヌ古戦場』とも呼ばれ、歴代の『神魔戦争』において決定的な戦場となってきた場所。


そして反対側、南西の『モナガヌ』丘陵地帯を抜けるのに、およそ半月の道のり。そこを越えれば『カシン山脈』に到着する。


『モナガヌ』丘陵地帯は、『人族』王国の国境線であり、魔族に対する哨戒所が設置されている場所。そこには巨大な対魔族感知塔があり、二十四時間体制で魔族の侵入を監視しているのだ。同時に辺境防衛軍も駐屯しており、『人族』にとっての『魔族』に対する最前線基地となっている。


『カシン山脈』には、『魔境』へと直通する『カシン地下回廊』が存在する。現在、『カシン地下回廊』は魔族に占拠されており、その入り口には軍隊が駐屯しているらしい。


組織化された軍隊の駐屯。それは魔王が生存している証拠だ。歴史によれば、魔族を統御できるのは魔王だけであり、魔王がいなければ魔族に組織性など期待できないからだ。


地形的な関係から、『神の民』の八大種族の中でも、私たち『人族』はずっと『神魔戦争』の最前線に立ち、すべての『神の民』を守る『神の盾』であり続けてきた。


歴史の中で、私たち『人族』は常に八大種族の中で最も人口が多く、最も多くの資源と知識を持ち、最も繁栄した種族だった。だからこそ、この『神の盾』としての責任を負う義務があるし、それができるのは私たちだけなのだ。


悲しいことに、当代の皇帝の問題、貴族の腐敗といった問題が、今まさにこの『神の盾』を侵食している。


すべてが取り返しのつかないことになるのを防ぐため、アリネーは『人族』世界の革命を計画している。


アシランお兄ちゃんも自分にできる限りのことをしようと、『魔境』へ情報を集めに行き、『神の民』の手持ちの札を増やそうとしているのだ。


そして私は……私は二人を支え、自分にできることをするしかない。


あぁ……。


「じゃあ、まずは辺境防衛軍が駐屯している『モナガヌ』丘陵地帯をどうやって通り抜けるかを考えなきゃいけないんだね?」


「そう。調査した結果、感知塔のターゲットは魔族だから、俺には関係ない。問題はチェックポイントをどう通過するかだ」


「どうやって通るの?」


「そうだなぁ。辺境防衛軍の門番に『ちょっと魔境まで観光に』なんて言ってみるか?」


こういう時でも、彼は冗談を忘れない。


「じゃあ、『潜行』スキルを使ってこっそり通り抜けるの?」


「それにも限界があるよ。想像してごらん。哨戒所の兵士が、関所の百メートル外側を、自分たちに背を向けてカシン山脈へ向かって歩いている人間を突然見つけたらどうなると思う?」


「ん……すごく怪しまれるね……。もしそれで彼らが異常な行動を起こしたりしたら大変なことになるわ」


「そう。だからこそ……」


アシランお兄ちゃんはこうして着々と情報を集め、対応が必要な状況を想定しては、すべてを記録に残していた。


「もし『カシン地下回廊』に入って……あるいは本当に『魔境』に辿り着いたとして、魔族に遭遇した時の対策は?」


「それについてはテストが必要だ。まず……俺が読んだ本の記録によれば、『魔族』は初代魔王『ドアッミン』の呪いによって、『神の民』を前にすると行動パターンが極めて攻撃的になる。けれど、普段の彼らには特に変わったところはないらしい」


「変わったところがない?」


「普通に生活しているのさ。『魔族』同士……同じ部族の『魔族』なら普通に暮らしているらしいよ。農耕という概念はないみたいだけどね。魔境の広さに比べて『魔族』の数は決して多くないから、野果や野菜の採集、野生動物の狩猟で食い繋いでいる。ただ、部族が違えば、好戦的な天性のせいで一日中殺し合っているようだけど」


「あぁ、なるほどね」


「だから、俺の戦略は基本的には当然、見つからないように隠れ続けること。俺には『潜行』スキルがある。適切に使えば、完全に見つからずに済むはずだ」


「ん……確かにね。でも予備のプランはあるの?」


「ルミ、君が予備プランなんて言葉を使うようになるなんてね」


「当たり前だよ! アリネーのそばでこの数ヶ月を無駄に過ごしてきたわけじゃないんだから。基本的なことはもう学んだわ!」


「ははっ……。じゃあ、俺のバックアッププランを教えよう。それは──『パルお爺ちゃん』だ」


「パルちゃん?」


「そう。今回の旅には、『パルお爺ちゃん』を連れていく」


「えええええええ──────!?」

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